リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年8月~その2

2011年08月21日 | 昔語り(2006~2013)
運動の話がなぜかお米の話に

8月11日。木曜日。きのうは最高気温が19度までしか行かなかったけど、今日はまた夏が再開の感じ。カレシが朝食の準備をしている間に何気なくキッチンの窓から庭を見ていたら、小さい鳥の群れが行ったり来たりしている。我が家の庭に来る野鳥の中では一番小さくて、秋になると群れになって山から里へ降りて来るヤブガラという種類で、3羽とまってもキンギョソウがびくともしなかったくらいに小さい。テレビをつければ、もう紅ザケが遡上して来ているという話で、ひょっとしてこのまま秋に突入してしまうのかな。

きのうしばらしく静かだったところからちょっと大きめの仕事が入って来たので、別の飛び込み仕事をささっと片付けた後は、嵐の前の休養の日ということにする。夕べは久しぶりによ~く眠って、咳も出なかったし、「寝た!」という気分で目が覚めた。カレシの提案で、トレッドミルでの運動を再開したのが良かったのかな、やっぱり。夕食の支度の時間が近づく午後4時過ぎに、どっちかがまずオフィスにおいてあるトレッドミルのデッキを下ろしてセット。ワタシは古いTシャツとショーツに着替えて、運動靴を履いて、時速約7キロ半のスローペースで15分。距離にして1周400メートルのトラックを4周半というところだけど、ヘッドバンドをしていてもゴールする頃には汗だく。そこですぐに降りずにトレッドミルのハンドルを握って、ゆっくり呼吸を整ながら、心拍数の下がり始めてから120を切るまでの時間を測る。走り終わってすぐの心拍数は年令的にはかなり良いらしい150~155で、普通は50秒から1分で120を切るから、その日の体調の目安にもなる。

買い物などに歩いて行った日はトレッドミルは休みで、カレシは庭仕事をした日も休み。しばらくサボっていると、まずウェイストのちょうど上のあたりのわき腹がタプタプしてくるのに気がつく。俗に「love handle」と言われるやつで(あのときにつかめるから「愛の取っ手」と呼ばれる)、1週間くらいさぼっていると指でつまめるようになり、1ヵ月もさぼると指先でつまめるくらいユルユルになって来るだんけど、トレッドミルで走り始めるとだいたい2日。くらいで指先ではつまみにくくなり、1週間もするとつまめなくなるからおもしろい。走ることで揺さぶられるからなのか、あるいは走るという動作がそのあたりの筋肉を使うからなのか、よくわからないけど、ついでに背中側のブラの下の出っ張りも締まってくるし、基礎代謝率も上がるから、熱いシャワーで汗を流していると鼻歌のひとつも出て来るというもの。(子供の頃には体育の時間が大っ嫌いだったのにね。)

夕食を済ませてオフィスに戻ってみると、あら、また仕事。ちょっぴり夏休みになるかなと思ったのに、また週末の置きみやげ仕事か。たぶん金曜日だとあせって文書を作って、じゃあ月曜日の朝にと飛ばしてきたんだろう。それで自分は週末休みなんてちょっとずるくないのかなあ。ま、そこを「こっちも週末で~す」とお断りしなかったのはワタシだから、自分に文句をいってもしょうがないか。それに日本は猛暑だし、お盆だし。猛暑と言えば、全国的に天候不順で米不足が起きた1993年(だったかな)に父の一周忌と母の十三回忌で日本へ行っていたワタシたちが東京にいたのはちょうど今頃だったと思う。東京はちっとも暑くなかった。暑くないどころか、真夏の8月だと言うのに長袖を着て歩けて、すごく奇異な感じだったのを覚えている。

ロイターズの記事に、70何年ぶりだかで再開した日本の米の先物取引がどうやら「正常化」したという話があった。一時はすごい高値で値幅制限にひっかかって売買が成立しなかったらしい。でも、試験的に2年間という条件付とはいえ、今の時点で米を先物投資の対象にしてもいいのかなあ。まあ、放射能汚染などで食べられる米が不足するかもしれないから今のうちに買っておけば儲かると考える人もたくさんいるんだろうけど、投機資金が流入して値段が高騰したら、米騒動が起きるかも(いや、日本人はおとなしいから起きないか・・・)。あの寒い夏の米不作のときも買いだめや売り惜しみがあり、日本が国内の不足をまかなうために世界市場で大量に米を買い付けたために、他の米消費国でも価格が高騰して国民が困ったという話があるけど、そうして調達した米を日本人が喜んで食べたかというと、どうもそうではなかったらしい。特にタイ米は「臭い」と不評だったようで、品種からして違う米なんだからしかたのないところもあるけど、文句を言えるということは、背に腹は代えられないほどの事態じゃなかったということかな。

ワタシはタイのジャスミン米が好きだし、玄米も黒米も赤米もインドのバスマティ米も好きだし、豆類を混ぜた韓国の五穀米や七穀米も好きだし、リゾットにするイタリアのアルボリオ米も好き。若竹の汁を吸わせた緑色のバンブー米(ほのかに青竹の香りがする)のような珍しい米があるとつい買って来てしまうくらい「穀類」が好きなんだけど、日本の米だけはあまり熱狂しないなあ。お寿司には使うけど、ご飯は私の口には甘いし、なぜか次の日には体重が増えるし・・・。

ついで、ついでは大荷物のもと

8月12日。金曜日。またキツツキが屋根のてっぺんを叩くもので、10時過ぎに目が覚めてしまった。もっとも今日は少しして静かになったから、そこらじゅうに響く音を立てられなくてつまんなくなったのかもしれないな(と、能天気に解釈してみる)。カレシが目を覚まさなかったので、ワタシもそのまま眠りに戻ったけど、何とかならないもんかなあ、いたずらキツツキめ・・・。

次は角を曲がってHマートへ。テレビのニュースで、店があるビルのすぐ外の交差点で道路が陥没して、朝から復旧工事をしているとニュースで騒いでいたけど、全然そんな気配がなくて、普通に車が走っている。でも、よく見たらアスファルトが黒々としている長方形の部分があって、どうやらそこが陥没したところらしい。なあんだ、うちのチビのエコー(ヴィッツ)でもよほどうまく狙いをつけないとスポンとは落ち込めそうにないような大きさ。どんな大穴が開いたのかと思っていたのに、ちょっと拍子抜けの感じ。まあ、かなり交通量の多い交差点だから、大きな穴が開いて何日も交通止めになったら大変だっただろうけど。Hマートには日本人らしい客がけっこう入っていた。「らしい」というのは、この頃はすれ違いざまに韓国語と日本語を聞き分けることができなくて、意識して聞いてやっと日本語だとわかるから。ワタシの耳がおかしいのかと思ったけど、彼女たちの今どき日本語の方が昔と違っているからじゃないのかなあ。今日の買い物はニラとししとうとぶなしめじとえのきと干しわかめで、ついでに海草のごま油漬け。

オークリッジ駅で地下鉄を降りて、オークストリートまで5丁ほど。途中で横断歩道に止まった車の後ろを回って通ったら、背後から「エクスキューズミー」と女性が叫ぶ声。何事かと振り返ったら、歩道に止まっていた車のドライバーがしきりに指差ししている。あはあ、なかなか信号が変わってくれないので、通りすがりのついでに歩行者用ボタンを押してくれというわけか。はいはい。通りすがったついでにちょっと手を伸ばして信号機の大きなボタンを二度ほどポンポン。信号はすぐに変わったらしく、左折した車がププッと「お礼」のホーンを鳴らして走り去った。いいえ、どういたしまして。ドラッグストアの奥にある郵便局で、転送されて保管されていたカタログばかりの郵便を受け取って、重くなって肩からずり落ちるトートバッグと格闘しながら、モールへてくてく。

スーパーでミルクだけ買って、ひと駅だけ地下鉄に乗って帰るつもりだったのが、青果屋でとうもろこしの山を見つけたのが運のつき。たぶん内陸地方の産で、4本で3ドルはちょっと高いけど、先っぽまでよくぷっちりした実が詰まっているから、買わない手はない。携帯で留守番のカレシにタクシーサービスを頼んで、太いとうもろこしをじっくりと6本選び、ついでに大きな台湾キャベツを1個、ついでのついでに地物のブルーベリーのトレイ(約1キロ)を1個、ついでのついでのついでにアスパラガス1束。到着したカレシが果物を買うというので、その間にスーパーへ回ってミルクを4リットル入り1本、ついでにソーセージを1パック、ついでのついでにほうれん草入りトルティヤを1袋。店に戻ってみたらカレシがまだバナナを選んでいたので、ついでにナスを1本としょうが1袋・・・。

やれやれ、ついで、ついでと調子よく買い物をしていたら、とうとう想定外の大きな荷物になってしまった。でも、おかげで今日は、大きなとうもろこし2本ずつと、庭に茂りすぎたルッコラのカレシ特製サラダで、今年初めての真夏の感じがする夕食。さて、ここで1日。半でできる仕事の「半分」でもやっておかないと、日曜日にまた時計と睨めっこになりかねないから、まっじめに「仕事モード」に切り替えよう。あ、3日。でできる仕事もちゃんと3日。でやっておかなきゃね・・・。

浮気相手と結婚させるのも仕返しのうち?

8月13日。土曜日。眠たいなあ。何だか目が覚めてばかりでよく眠れなかった。まず7時前の相当に早い時間にジェット機のような轟音が頭の上で響いて目が覚めた。もやっとした頭で今日はずっと郊外のアボッツフォードで恒例のエアショーがあることを思い出して寝なおし。だけど、半分ヘンな夢を見ていたんだか、半分夢うつつに考え事をしていたんだか、なぜか脳みそが眠ってくれなくて、とうとうぐっすり眠れないまま。どうしちゃったのかなあ・・・。

いつも7月から8月にかけてはメトロバンクーバー全域でひっきりなしにイベントがあって、週末ともなると押せ押せの感じになる。半年もどよんとした曇り空か霧か長雨の続く「冬」を太陽の光を待ちかねて過ごすところだから、晴天が続く短い夏は遊びだめの時期。特に春から低温続きで「いったい夏は来るのか」とやきもきさせられた今年は何かみんなせわしない感じ。まあ、来週の週末からは雨が降るというジンクスがある恒例のPNEが始まるから、急がないとね。ローカルニュースで、秋の気配がして来たという天気キャスターに、スポーツキャスターが、「秋の気配なんか3月からずっとだったよ」と茶々を入れていたけど。

今日は土曜日だけど「仕事日」。きのうのうちにまじめ?に2割がたやっておいたので、午後のひとときを後ろでうろつカレシを無視してひたすら仕事に集中。トレッドミルの時間になる頃には6割くらいになった。まあ、職場での人間関係のもつれに比べると、いたってドライなビジネスの係争で、弁護士が事実関係をこと細かにかつ明確に並べ立てたものだから、言葉の選択も奥深く考えなくてもいいから、楽と言えば楽な仕事。ちょっと小言を言われて「人格否定された」と騒ぐような心理を翻訳するのはかなりのストレスになる。だって、「人格否定」というのは、たとえば人を奴隷にしたり、女性を家財のように扱ったり、故意に存在する人をまるで存在しないかのように扱ったり、自分の理想の通りに人を作り変えようとしたり、つまりは人を(自分でもなく自分の所有物でもない)別個の意志と価値観を持ったひとりの独立した人間として見ないか、見ることができないことだとワタシは考える。極端に言えば、他人の人格を否定する人は自らが何らかの人格障害を持っているんじゃないかと思うことがある。

小町にここ1ヵ月くらい続いている夫の不倫のトピックがあって、小町横町では不倫や浮気のごたごたは日常茶飯事なんだけど、このトピックはなぜか胸に突き刺さるものがあった。相手の夫が不倫を知って修羅場になって、同時に待ち望んだ妊娠がわかった身で、ときには挫けそうになりながらも、仕事をこなしながらしっかり地に足をつけて対応しようとしたこの妻は強いなあと、ちょっともらい泣きしそうになりながら読んでいた。不甲斐ない夫とストーカー的な不倫相手の間も修羅場になったようで、しばらく別居するけど、その後でまだ愛のある夫とおそらく再構築の方向へ進むであろうと。それに対して、当然のごとく大勢の反応は小町語の慣用句のようになっている「慰謝料をもらってさっさと離婚しましょう」。夫婦はそんな風に割り切れるもんじゃないのにと思っていたら、誰かが「必死で離婚を勧める人たちは何なんだ」と書き込んでいた。

曰く、「何で別れないの?と不思議がる人たちは理性と感情の狭間で引き裂かれた経験がない、ある意味で平和で幸せな人たちなんだろう」。そうかなあ。ほんとに幸せな人たちは「必死で離婚を勧める」ことはしないだろうと思う。ワタシはあまり幸せでなさそうな人たちの方から「どうして離婚しないんだ!」という無言の圧力を感じた。いくら親切心からのアドバイスなのだと解釈しようとしても、あのときは「離婚しないのは許せない」的なオーラからすごい違和感とストレスを感じて、しまいにはここでもまたモラハラをされているのでは、自己決定権を奪われようとしているのではという感覚に陥って、怖いと感じたものだった。

そりゃあ慰謝料をふんだくって離婚できたら簡単でいいだろうとは思うけど、カナダでは「慰謝料」なんてものはないし、離婚届にハンコを押して役所へ持って行けばいいってものでもないから、簡単には行かない。まあ、ふと「もしもカレシが強引に日本へ行ったときに離婚していたら今頃はどんな生活かな」と考えることは今でもたまにあるけど、経済的には何の心配もなかったから、たぶんカレシがいなくなってさびしいくらいで、その他の生活はそれほど大きく変わらなかったかもしれないな。カレシははたしてどうだったのか。お水のお仕事のカノジョには振られただろうけど、自分の世話をする人が必要だから「女房が出て行ったので結婚できるけど」とか何とか言って、愛さえあれば年の差も厭わないという奇特なオンナノコに言い寄って、理想のかわいい日本女性との蜜月が冷めないうちから「だらしない」、「かたづけない」、「気遣いがない」と毎日何かにつけて文句を言われては「人格否定だ」とぶっちぎれているところかな。(うはっ、我ながら恐るべき想像力だな。ひょっとしてまだ怒ってる・・・?)

ふむ、つまりはカレシへの仕返しとして離婚してのぼせた相手と結婚させるという手があったということになるのかな。まあ、いくらワタシの人格を否定した行為に対する罰だといっても、それではカレシがちょっとかわいそうなことになりそうな気がするけどなあ・・・。

夫婦とは神秘なものと見つけたり

8月14日。日曜日。何とかまともに眠れて、午前11時50分に目を覚まして即起床。予報されていた雨は降らなかったようで、いい天気。ポーチの温度計は午後1時で摂氏18度と、また「冷夏」モードに逆戻りの感。見上げる空の色も何となく・・・?

今日が納期の仕事は、ゆうべ最後の最後というところに来て何とも煮え切らない文章に引っかかって、見直しが今日にずれ込んでしまった。日本語のビジネス文書には実際には存在しないものを存在するかのように表す用法がいくつかあって、その最たるものがいつも翻訳者を悩ませる「等」で、へたをするといたるところに「etc.」をちりばめた、英語文書としてはあまり見てくれの良くないものなったりする。書いた人には別に「他にもまだある」とほのめかそうとか、焦点をぼかそうといった意図があったわけではなくて、深く考えずに習慣的に付け足しているんだろうから、これも日本語文化に特有の「あいまい表現なんだろうと思うしかない。だけど、言語文化の「壁」をロッククライミングよろしくよじ登らなければならないこっちは息切れ状態・・・。

ま、もう一度見直しをして、それでも納期には余裕で納品して、仕事は無事に完了。年とともにくたびれるようになって来たけど、終わったあ~という気分はやっぱりいいな。カレシがそれを察して、「今日のメニューは何?」と聞いてくるから、今日はケイジャン風ベトナムなまずとルイジアナ風とうもろこしのマクシュー。「お、スパイシーだから、サラダも合わせなきゃ」と張り切るカレシ。きのうは離婚が一番の仕返しになり得るようなことをつらつら考えていたけど、今日は相手の取りようによっては離婚しないのが一番手痛い仕返しってこともあるんだろうかとつらつら。まあ、ワタシはやっぱり理屈抜きでカレシが好きだし、カレシの年令を考えたら「じゃあアタシが」とすっかりカナダ化した古女房に替わってくれる奇特なヤマトナデシコが今どきいるとは思えないから、あれから10年を過ぎて振り返って見れば、穏やかに「友白髪」が2人にとって一番の帰結だったのだと思えるな。ねっ、そうでしょ、カレシ?聞いてるの?(はあ、またヘッドフォンをしてる・・・。)

だいたいにおいて、夫婦というのは親と過ごした時間よりも長い、人間の生涯で一番長く、一番親密な関係だと思う。ただし、うまくやっていけたらの話で、(子供として)親と過ごした時間の方が夫婦の時間よりも長いうちはまだ精神的に夫婦を解消しやすいところがあるような感じがする。たぶんまだ親元という「帰るところ」が地平線に見えているからだろうと思うけど、「いつまでも親がいると思うな」と亡き父がワタシの自立を促して言った言葉の通りで、夫婦の時間が親と過ごした時間よりも長くなる頃には、もう帰るところがなくなっているのが普通だろうな。いがみ合ってみても、2人の間には長い時間が流れてしまっていて、複雑なしがらみもできていれば、「情」や「家族愛」と称される感情もあるだろうから、おいそれと「じゃあ、離婚ね」というわけにはいかないように思うけど、それができるなら長いこと夫婦でなくなっていたということで、それはそれで当事者たちには最善の解決策なんだろう。逆に、周りがいくら離婚を勧めても別れない夫婦にもそれぞれに一緒にい続ける理由があるはずだからこそ別れないことを選ぶんだと思う。

長く夫婦をやっていれば、あばたもえくぼに見えてくるだろうし、逆にえくぼがあばたに見えてしまうときだってある。男と女を基本とする「夫婦愛」がいつの間にか「家族愛」といわれるものに変わるということもあるだろうな。子供というかすがいがあればなおさらのこと、夫婦愛よりも家族愛が支配的になるのかもしれないし、男と女としての熱情が冷めたが故に「夫婦愛」とは違った情愛が生まれるのかもしれない。ときには、友愛とか、同志愛とでもいえるようなものに発展することだってあるだろうな。そこまで行ったら、ワタシには想像すらつかないけど、そんな形で平和に暮らしている夫婦もいるんだろうな。世の東西を問わず、「夫婦」というのは何となく神秘的な、なかなか真理を極められそうにない人間関係だなあと思う。この年になって何を今さらの感はあるけど・・・。

子供が親よりも長生きできる平和な世になれ

8月15日。月曜日。11頃にゲートでチャイムがなっていたような気がする。お勉強DVDだったらFedExだからあしたにでも空港近くのオフィスまで取りに行けばいいや・・・と、また寝なおして、正午ぎりぎりに起床。郵便受けをチェックしに行ったカレシがロイヤルメールの大きな袋を運んで来た。そういえば、ロンドンのフォリオ・ソサエティにE・F・ベンソンの「Mapp and Lucia」シリーズの函セットを注文してあったんだ。送る本が1冊のときは別だけど、いつもは本の入った段ボール箱をでかでかとROYAL MAILと書いた王冠のロゴ入りの防水袋に入れて来る。運動会の袋競走に使えそうなくらい大きくて、メッシュ入りなのでめちゃくちゃに丈夫。カレシが熟成した堆肥を入れる袋にしているの、ロイヤルメールはご存知か・・・。

内陸のケロウナのカジノの前であった銃撃事件で死んだのはやっぱり悪名高いベーコン兄弟の長兄ジョナサンだった。メトロバンクーバーでギャングの抗争事件があると必ずと言っていいほど名前が出てくるのがこのジョナサン、ジャロッド、ジェイミーの3人兄弟を首領とするギャング団。父親は教師、母親も管理職の仕事をしている裕福な家庭だとか。3年くらい前だったか息子たちがドラッグや銃不法所持で起訴されたときには、両親そろって裁判所まで20代の息子たちに付き添って来て、テレビカメラに向かって「うちの子たちは無実だ」と言っていて、3人の息子全員が一流?犯罪者に育ったのはこういう親がいたからなのかと呆れた。報復の銃撃事件が頻発し
そうという予想ではあるけど、とりあえず「One done, two to go(1人アウト、残るは2人)」。人の命で、こんなことを言うべきじゃないのかわかっているけど・・・。

日本はお盆休みということで、仕事前線は静か。8月15日。の今日(日本ではもう16日。だけど)は「終戦記念日」だったな。戦没者追悼式に参列する戦死者の「妻」たちの数が激減したそうだけど、戦争が終結してから66年、戦争未亡人と呼ばれた人たちも、空襲などで子供を亡くした親たちも、生きていればもう90歳前後になっているはず。将来のある若い息子を戦地で亡くした親たちはすでにこの世にはいないだろうな。南方のどこかで戦死したキヨシ叔父はそのときまだ二十歳前後だったと思う。母の弟で一家の末っ子。美術の才と夢があったらしい。子供の頃のワタシは何かにつけて伯母に「この子はキヨシによう似とる」と言われ、ワタシが生まれるまで生きていてくれなかったことが残念でならなかった。戦争の犠牲はいつも若い世代に集中する。親を敬えと教えられて来た子供がその親よりも先に死ぬという最大の親不孝を強いられるのは、あまりにも理不尽だ。

トレッドミルで走っていて、還暦を過ぎた母が「これで母よりも長く生きた」と手紙に書いてきたことをふと思い出した。祖母は戦争中にたしか60歳で亡くなった。ガンだっという。自分の母が他界した年令になって、母はどんな思いをめぐらせていたんだろう。その母もガンで満63歳を待たずに初孫の1歳の誕生日を目前にあっけなく他界してしまった。ひょっとしたら、自分の母親の生きた年月は超えたけど、残された時間は短いことを薄々でも知っていたんだろうか。ワタシは今年満63歳。母が生きた年月を超えたことになる。どんな時代でも人間にはそれぞれに思い描いた人生の夢があるはずで、その夢を母は63歳で断ち切られけど、母の享年を超えたワタシは自ら思い描く老後の夢を叶える時間を母よりも長く与えられたということなんだろう。

健康を心がけていれば、老後のワタシは母と同じくガンで逝った父の享年77歳を超えて生きて、できることなら
100歳を超えていき続けて、若くして逝ったキヨシ叔父さんの分まで実りの多い人生にしたいと思う。そのためには、不慮の事故や病気でもない限りは、子供が親よりも長生きできる世の中であってほしい。ぬくぬくとした大人が若者たちを親を残して死地に駆り立てて行くような戦い方をするのは人間くらいなもの。人間が「人間」になってからというもの、なぜか戦争ばかりして来たような感じがするけど、これほど長い歴史から何も学んでいないらしい人間て、いったいどういう動物なんだろう。いつかは戦争の愚を学ぶときが来るのかもしれないけど、いつともわからない「いつか」をいつまでも待ち続けることはできない。若い人たちにワタシたちの世代よりも長生きしてもらわないと・・・。

ナイアガラの滝で起きた悲劇

8月16日。火曜日。おお、今日はちょっと暑めになりそうな気配。正午ちょっと前に起きたところでゲートのチャイム。FedExが注文してあった天文学のDVDを持って来た。ひとつはハッブル望遠鏡の話、もうひとつは天体観測の手ほどき。これでまた「ご隠居さん」プロジェクトが増えたぞ。

朝食後のコーヒーを飲みながら、じっくりと雑誌を読み、『Lost Continent』を開いて、ただ今ワイオミング州を通過中のブライソンを追う。ページ数が残り少なくなって、当時30代半ばくらいだった著者が、ひたすらハイウェイを走って「生まれ育った国」アメリカの広さを身をもって発見しつつも、立ち寄る先々の「小さな町」の風景にアメリカへの失望感を深めていくのがじ~んと伝わってくる。イギリスに渡って、イギリスで仕事をして、イギリス人と家庭を持って、おそらく自分のルーツを探す旅でもあっただろう故国アメリカ何万キロの一人旅で、変わってしまった故国を腹立たしく感じ、また異邦人になってしまった自分を孤独にも感じる。なんかわかるような気がする。

日曜日の夜にナイアガラの滝に転落して流された日本人女子学生はまだ見つからず、警察は「死亡したものと推定される」としている。近親者に事故を通知するまでは氏名を公表しないのが普通だから、わかっているのは日本人女性というだけで、年令も19歳だったり、20歳だったり、交換留学生になったり、ワーキングホリデイになったり、はては領事館職員という噂まで流れていた。写真を撮るために手すりにまたがっていたのが、降りようとしてバランスを崩して転落したということけど、片手で傘を差していたそうだから、ありふれた観光記念写真ではなく、ちょっと気取ったポーズを作った写真を撮りたかったのかもしれないなな。開いた傘を持っていたとすれば、ちょっとした風がバランスを狂わせたということもありえる。傘を持っていなければ、両手で手すりをつかむことができて、もしかしたら助かっていたかもしれないのに。そういうことが想定できるなら、事故は起きないんだけど・・・。

ナイアガラの滝はワタシも行ったことがあるけど、想像を絶する規模と轟音で、迫力があるなんてなまやさしいもんじゃない。今にも引きずり込まれそうで、めまいがしそうになる。滝の高さは馬蹄形のカナダ滝が約50メートルで、幅は800メートル近い。滝つぼに落ちたらまず助からないし、いつ発見されるかもわからない。(現に、この女性の捜索中に身元不明の男性の遺体が発見されたという。)それでも、手すりから大きく身を乗り出したり、手すりの間の石の柱の上に立ったり、小さな子供を立たせたりする人たちが後を絶たないそうで、ワタシたちが行ったときもそういう人たちをかなり見かけた。いたるところに「危険」の標識があったんだけど、目には入らないのか、バケーション中はそういう野暮なものは無視しようと思うのか、あまりにも桁外れの光景で危険に対する感覚が狂ってしまうのか。この女性の場合は写真の被写体だったから滝に背を向けた姿勢だったのだろう。手すりから降りようとしたときに、一瞬身体の相対的な位置感覚が狂ったのかもしれない。

今日の日本の新聞は、行方不明の女性は20歳の語学留学生と報じていたけど、日本総領事館の関係者は「家族が公表を望んでいない」として、氏名などは公表しなかったらしい。たぶん日本の両親の家には報道関係者がどっと押し寄せるだろうから、「公表しないで欲しい」と希望したんだろうな。でも、地元トロントの新聞やテレビを見ると、名前どころかフェイスブックに載せてあったという写真までがあたりまえのように公表されていて、それを見た在カナダ日本人の掲示板では予想通りの展開で盛り上がっていた(すでに炎上)。Toronto Star紙に載った写真を見ると、旅行先のベトナムあたりで撮った写真らしいけど、日本の基準では「カワイイ」にあてはまりそうな、まあ典型的な今どきの二十歳の女子学生だったんだろうと思う。ちなみに、この新聞の読者コメント欄には「悲劇だ」、「家族に哀悼の意を」、「安らかに」といった言葉が並んでいたのが、同胞の掲示板の書き込みに無責任な心ない言葉が多かったの対照的だった。

おそらく両親が日本から現地へ急いでいることだろう。早く見つけてもらって、一緒に日本へ帰れたらいいね。

今日は家庭株式会社の事務処理

8月17日。水曜日。今日も夏らしい好天。朝食が終わったところでシーラとヴァルが来て、散らかしっぱなしの家の掃除。いつか2人が掃除代行ビジネスから引退したら、ワタシ、どうしよう・・・。

きれいになった家でのんびりとした午後。新しい郵便局を見に(なぜか未払いの私書箱レンタル料を払いに)モールまで歩いて行くつもりだったけど、「負傷休場」というところ。きのうは何となく膝の調子が良くなかったんだけど、トレッドミルで走り始めて5分と経たないうちに右膝の内側でカキッと痛みが走った。そこでやめておけばいいものを、いつもの極楽とんぼ流「ま、いっか」で走り続けているうちにどうしようもなくなって、最後の5分を早歩きに切り替えた。どうも靭帯を少し傷めたような感じ。せっかくトレッドミルを再開して調子が上がっていたのになあ。今日は階段を下りるときにちょっとだけ痛い。まあ、1日。か2日。大事をとってから、サポーターをして走りを再開するか。カレシはいそいそと庭へ出て行って、温室から直径が6センチくらいあって、ずっしりと重いきゅうりをもいできた。ヨーグルトで塩もみきゅうりのようなサラダを作るんだとか。

ワタシの午後一番の仕事はカレッジのアクリル画ワークショップの受講申し込み。9月末から日曜日の午後3時間のクラスが8週間。今まではファックスでやって手続きをオンラインでやろうとしたら、これがなかなかうまく行かない。カレッジや大学の手続きって、どうしてこうすんなり行かないようにできているんだろうな。それでも、あちこち読んでやっと要領がわかったところで、アカウントを作って、学生番号を入力して、パスワードを設定して、講座を選んで、あれこれテーだを入れて、クレジットカードで支払いをして、レシートにたどり着いた。でもその間、去年とおととしに受講した講座の税控除用のレシートを印刷するのを忘れていたことを発見。来年春の確定申告のときに遡及して控除が受けられるはずなので、2枚とも喜々として印刷。昔はこっちが忘れていても黙って紙のレシートを送って来たもんだけどな。世の中ほんとに便利になっているのか、実は不便になっているのか・・・。

その次はバンクーバー市警察の防犯アラームの許可料。ここに登録して毎年17ドル55セントの許可料を払っておかないと、アラームが誤作動したときに出動料を取られるし、4回目の誤作動の後はすぐに出動してくれなくなる。レンジにかけっぱなしだったフライパンが焦げて煙探知機が本気で鳴ったときは、消防車のお世話になったけど、何でもないのにたびたび誤作動すれば、そのたびに出動する警察や消防にとっては労力と時間の無駄だし、本物の火事や犯罪が起きたときに手がないという事態にもなりかねないから、やむをえない制度だと思うな。小切手を切って、許可証の名義人のカレシに更新申請用紙にサインさせて、封筒に宛名を書いて、切手を貼って、後は忘れずにポストに入れるだけ。簡単、簡単。

次はひいきにしている劇団Arts Clubへの寄付の手続き。長年劇団の後援者でボランティアをして来た90歳代の女性が一定の最高額まで今月末までに劇団が集めた寄付の額を倍にすることを申し出たそうで、たとえばワタシが100ドル寄付すると、劇団には200ドル入ることになる。これからも良い出し物を上演してもらえるように、今回は300ドルをオンラインで寄付。こっちはけっこうすんなり行って、ホッ。残るは10月末にボストンである会議のホテル予約くらいかな。ワタシにとって年次会議は同窓会と休暇旅行を兼ねたようなもので、今年はトロントのデイヴィッドとジュディを誘ってボストン観光。その後で4人でニューヨークへ足を伸ばすか、それともモントリオールに飛んで、ケベックシティまで行ってみるか。それとも、寒そうだからいっそのことバミューダに行くか。う~ん、どれもこれも迷っちゃうなあ・・・。

そういえば、友だちとウィスラーのスパへ行く話、どうなったかな。彼女が車のガソリン代と運転、ワタシが1泊のホテル代をそれぞれ受け持ってのおでかけ。でも、彼女も目が回るほど忙しい人だからな。だからこそ、体を壊さない前にスパで全身マッサージをしてもらってリラックスした方がいいんだけどなあ。行くのかどうか、まっ、どっちにしてもワタシの方はぼちぼちと仕事を進めておいた方が良さそう。楽しく遊ぶためにはちゃんと稼いでおかないとね。

ついでにやることを一石二鳥という

8月18日。木曜日。今日もよく晴れて夏らしい天気。正午でもう20度まで行っている。朝(つまり正午前!)起きて、朝食は普通のシリアルにかぼちゃの種とクコの実を混ぜて、郊外のフレーザーバレーで採れたブルーベリーをたっぷり。そういえば、ブルーベリーは目に良いとか何とか、どこかに書いてあったような。シーズンは短いけど地物はプクッと大粒で甘い。(となりのパットはまだ庭のラズベリーがまだ実をつけていると言っていた。)

きのう郵便局に行きそびれたから、今日こそ行ってレンタル料を払ってこなければと、ちょっぴりあせる気分。まだ膝の調子があまり良くないから、トレッドミルの代わりの運動も兼ねて歩いて行くことにした。昔、左膝の半月板を痛めたときに使っていたサポーターがまだあった。関節の動きを支える硬質ゴムのストリップが両側に2本ずつ入っていて、膝頭のところには穴が開いているデザインで、あのときはそれをつけてゴルフ場の周りを走っていた。(そういえば、ワタシの周りには手首、ひじ、手の指のサポーターがそれぞれあって、何だか関節がみんなガタガタという感じがしないでもないな。ふむ、やっぱり寄る年波ってことか・・・。)

今回は靭帯をちょっと痛めた程度だけど、半月板損傷のときは足が伸び切らず、曲がり切らずの状態で、寝るときは膝の下に薄いクッションを入れて痛み止めにしていた。結局は手術ということになって、待機リストに載ってからほぼ1年。内視鏡での日帰り手術を2度ドタキャンされて、やっと手術室に入ったのが9月だったかな。前日まで走り続けて、3週間経たないうちにまた走り始め、7ヵ月後には55歳の誕生日を記念して出場した10キロマラソンを65分で完走して大いに気を良くしたっけな。あれから左膝の方はずっと新品同様の調子だけど・・・。

モールについて郵便局が移転したはずの一角を探したけど見つからない。銀行の向かいのエスカレーターのところ。今まで通りにコーヒーのスタンドとアイスクリーム屋がある。ぐるっとモールを回っても見つからなくて、コンシエルジュに聞いたら、「エスカレーターを上がってすぐ右」。なあんだ「上」だったのか。二階に上がって新しい郵便局に入ったら私書箱も新しくなっている。新しいから鍵も変わったらしく、持っていた鍵では開かない。しょうがないから、カウンターで何やら聞いているおじさんの後ろに並ぶ。(こういうときに限って前の人が手間取るのはどうしてなんだろう。)やっと順番になって、まず1年分のレンタル料(税込み150ドル)を払い、私書箱を開けて中の郵便物を出してもらい、新しい鍵を2本受け取って、手続き完了。でも、出るときになって、午後6時に閉まった後は郵便を取りに来れないことに気がついた。デパートの地下にあったときは、モールが午後9時まで営業する日には私書箱だけはアクセスできたんだけどなあ。まっ、ついでに運動するつもりで歩いて来れば一石二鳥かな。

スーパーに寄って切らしたものを2、3品買うだけのつもりが、いつもの「ついで買い」でチーズやら魚やら。重くなったトートバッグを肩に、夏の日差しを浴びながら家までてくてくと30分。合計で1時間(+モールを歩く時間)も歩いたら、ひょっとしたらトレッドミルで15分走るよりも効率的かもしれないな。ただし、いつも「ついで買い」をしていたら経済的には非効率になりそうだけど、結局は食べたり、使ったりするものだから、まっ、そこはそれで銀行の口座に目を光らせていればいいってこと。実際、これから年を取るにつれて体中の関節がほんとにガタガタになって来たら、結果的には「ついで買い」も何もあまり楽しめなくなるんじゃないかと思うから、適当に稼ぎながら、これまで働きすぎて楽しむ時間がなかったいろんな「ついで」を楽しめる今はある意味で神様がくれた「ご褒美」かもしれないな。

さて、コンピュータの前に座っている「ついで」に、その適当な稼ぎの方もやっておくか・・・。

昔、英文科、今、国際コミュニケーション科?

8月19日。金曜日。暑い、といっても22、3度のごく平年並みの夏の陽気だけど、日差しはきつい。湿度が今日は60%と、それほど高くないので体感温度はせいぜい25度~27度。(まあ、体感温度で見てやっと真夏日という感じだけど。)湿度が低めだと、日向と日陰の温度差がかなり出てくる。かんかん照りの歩道を歩いていても、街路樹が作る日陰の中に入ったとたんに涼しくなって、額の生え際の汗がす~っと引くから気持がいい。

今日はまずボストンのホテルの予約。会員数が1万人を超えるアメリカの協会がやる年次会議は4日。間の会期で、平均して2千人近い参加者があるから、開催地の都心にあるハイアットとか、マリオット、ヒルトンと言った大きなホテルが選ばれて、一定期間は特別料金で泊まれる。おととしのニューヨーク会議では、そこをうまく利用してワタシの名前で2部屋予約し、トロントの義弟夫婦をゲストとして同伴して遊びまわった。それに味を占めたもので、今回のボストンでも一緒に「秋の行楽」を楽しもうということになっていた。来年はサンディエゴ、2013年はアラモの砦で知られるサンアントニオ、2014年はシカゴ、2015年はマイアミと決まっているから、当分は翻訳業の看板を下ろせないような気がする。(もっとも、会員でなくても、引退後でも会議には参加できるんだけど。)

ナイアガラの滝に転落して行方不明になった日本人女子大生の遺体がアメリカ側で発見されて確認されたという。Toronto Star紙の記事にはフェイスブックに記載されていた写真と一緒に出身地も報じられていたけど、日本では読売と産経がカタカナ書きで名前だけ載せ、朝日と毎日は「遺族の希望で公表できないと」という日本総領事館のコメントを載せている違いが何となく印象的。昨今の匿名デジタル空間では、人の口に戸は立てられないの諺の通り、いくら領事館がそう言ったところで、写真も名前も出身地も(ワーキングホリデイだそうだからおそらく休学中の)大学名もみんなあちこちにコピーされたり、リンクされたりして知れ渡っているんだけどな。

先だって日本から語学研修に来た女子学生がビクトリアで生み落とした赤ん坊を遺棄したとして起訴されたときも、地元の新聞が裁判の経過を詳しく報じていたので、それを読んだ在カナダ日本人の手で顔も名前も出身地もネット空間に流されていいた。(裁判では無罪の判決が出た。)でも、一般の新聞はほとんど報道していなかった。数年前にカルガリーで若い日本人語学留学生が両親さえ知らない間に現地の男との間に生んだ2人の幼児を餓死させて逮捕された事件も、在カナダ日本人の間では当時知らない人はいないほどだったけど、日本ではまったくと言って良いほど報道されなかったらしい。今回のように日本人が海外旅行先で事故に遭った話や(男性が)麻薬所持で逮捕されたという話や外国人が日本人に悪さをしたという話はニュースになるのに、どうしてだろう。ひょっとして女性が「加害者/被告」だったことと関係があるんだろうか。

報道のしかたの差異はこの際おいとくとして、最近はどこの大学にも「国際コミュニケーション学科」なるものがあるらしい。ビクトリア事件の学生は地方大学の国際コミュニケーション学科だったし、ナイアガラで死んだ学生の大学にもあるからおそらくはその学科にいたんだろう。(そういえばカレシをのぼせ上がらせたハタチのオンナノコも東京の某ブランド大学の国際コミュニケーション学科だと言ってたっけ。)だけど、「国際コミュニケーション学科」って、一体どんなことを勉強するところなんだろうな。興味がわいてちょこっとググって見たら、ある、ある。東京の有名大学も地方の無名大学も、果ては高校や専門学校まで、まるで猫も杓子もといったところ。どれも「国際人の育成」とか、「国際的に活躍できる人材」とか、「異文化の理解」とか、すばらしい能書きを掲げているけど、ほんとにどんな「学問」をして、卒業した人たちはそれをどんなキャリアに生かしているんだろうな。

ワタシが高校生の頃に「国際コミュニケーション学科」なるものがあって、英語三昧で海外語学研修もあって、卒業後は国際的な仕事に就いて海外に雄飛・・・なんて能書きになっていたら、大学に行こうと思ってまじめに受験勉強をしたかもしれない。残念ながらあの頃の選択肢といえば「英文科」か外語大の「英語科」くらいで、英文科は裕福な家庭のお嬢様の花嫁修業に行くところのように思えた。ワタシは英語をマスターして海外に雄飛したかったのに、何だか早く生まれ過ぎてしまったような気がするな。国際コミュニケーション学科に入学して、語学研修だ、休学してのワーキングホリデイだと、20歳前後で世界を飛び回れる今どきの人たちがちょっぴりうらやましいかも。でも、その年令の女子学生がそうやって世界を飛び回れるのは、裕福な家庭のお嬢様たちだからなのかもしれないな。ということは、今どきの「国際コミュニケーション学科」というのは、昔の「英文科」のようなところなのかな。まあ英文科というところも、実際は行かなかったので、どんな勉強をしてどんなことに役立つのかよくわからないんだけど、そういうと「だから学歴のない人間は~」と言われてしまいそうだから、ここで首を引っ込めて、さて仕事・・・。

もしも妖精が体型の悩みを解決してくれるとしたら

8月20日。土曜日。午後1時で玄関ポーチの温度計はもう23度。今日こそは本格的に暑くなりそう。今日から恒例のPNEが始まるから、雨が降ってよさそうなもんだけど、子供たちに夏休みが残り少なくなったことを告げるイベントが始まったところで待ちに待った本格的な夏の天気というのは皮肉な話しだな。

農業共進会から始まったPNEは今年で101回目になるけど、バンクーバーがカナダ第3位の大都市圏に成長したのに未だに農業地帯の「秋のカーニバル」的なところがあるのがご愛嬌と言えそう。目玉は遊園地とカーニバルにつきもののゲームや屋台の食べ物。食べ物はPNE名物のミニドーナツに代表される油で揚げたものがほとんどで、今年は揚げイチゴ(イチゴのてんぷらかフライのようなものらしい)まで登場したとか。あれこれ1人前ずつ買っては食べていたら、あっさりと1日。の所要カロリーの倍近くまで行ってしまうというから、すごいというか怖いというか、想像しただけでおえっとなりそう。

カナダ食品検査庁(CFIA)は太平洋岸で採れる水産物について放射能検査を始めると発表。狙いはもちろん北太平洋を日本近海まで回遊して、そろそろ遡上し始めたサケ。環境団体だか何かがなぜもっと早くにやらなかったんだと怒っていたけど、最初に騒いでいた放射性よう素は半減期が8日。だから、福島沖で汚染した海水が日付変更線を越える頃に問題にはならないレベルに下がっているだろうと思う。今騒がれているセシウムは半減期が30年くらいだけど、どこかでチェルノブイリ事故から25年経ってもセシウムによる健康被害は確認されていないという記事を読んだ。危険がないわけではないとしても、ごく微量だったら心配しなくていいのかな。まあ、神経質に心配しすぎて、ストレス過剰で病気になるリスクの方が高くなるということもありえるだろうな。それでも、こういうものは検査をするに越したことはないから、今からでも遅くはないと思うけど。

午後2時過ぎの気温は25度でバンクーバーの「真夏日」。運動と私書箱の古い鍵を返すのと野菜を少し買うために、カレシと連れ立ってモールまで歩いて出かけた。春からぐずぐずしていたのが嘘みたいな快晴だけど、ちょっと秋っぽい色に見えないこともないかな。新調したアウトドア用のサンダルでカレシと並んで歩け、歩け。新しい履物で必ず起きるのが靴擦れ。そうでなくても幅が広くて甲高なのに、外反母趾があって、中指の関節が曲がっていて、ワタシの足は見るからに不細工。それを幅が狭い西洋人の足に合わせて作られたものに押し込んで問題ない方がおかしいんだけど、ワタシの足に合う靴はめったにないから、靴擦れ防止クリームでしのいでいる。今気に入っているのはBand-Aidのもので、成分を読んでみたら「硬化植物油、セチルアルコール、香料」と書いてあった。「硬化植物油」ってのはマーガリンの原料じゃなかったかなあ。さわってもさらっとして、別にマーガリンを塗ったトーストのような感じにはならないけど。

サポーターをつけて歩いて、膝の調子は徐々に回復して来たけど、今度は両足首の関節がパチパチと変な音を立てる。せっかく神様にちょっと長めに作ってもらった脚なんだけど、膝はごつごつして来たし、後天性の偏平足だし、足の先はほんっとに不細工さし、ペディキュアもなにもしていないから、素足(生足?)のサンダル履きで日本の電車に乗ったら、「見苦しくて目のやりどころに困る」とメイワク宣言されてしまいそう。だけど、他にもいろいろとある不細工なパーツと釣り合っているんだろうから、今さら神様に返品して形のいいのと取り替えてもらうなんてできない。たとえ神様が取り替えてあげると言っても、60年以上もワタシを支えてくれたかけがえのない足
だから愛着というものもあるしね。

でも、もしも妖精のおばあちゃんが魔法の杖を持って現れて、体型に関することで何でもひとつだけ願いごとを叶えてあげると言ったら、この世の女性たちはみんな何をお願いするのかなあ。ワタシは絶対に「身長をあと10センチください」とお願いするけど・・・。