リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年6月~その2

2011年06月21日 | 昔語り(2006~2013)
今日はストウブの小鍋とイタリア食材

6月11日。土曜日。いい天気。きのうパンを焼いておくのをケロッと忘れてしまったので、今朝はベーコンとミックスきのこをソテーして、カレシ特製のスクランブルエッグといっしょにイタリアンのハンバーガーバンにはさんで、名づけて「エッグ・マクマフィーノ」!

きのうのホッケーの試合はカナックスが何とか勝って、スタンレー杯獲得まであと1勝の王手。グランヴィルとジョージアの主要道路が即席歩行者天国になったダウンタウンには何と10万人ものファンが集まって、試合が終わった後もバンドが入ってのストリートパーティが夜中過ぎまで続いたらしい。ニュースを見たら、ほんとに道路は建物の壁際から壁際まで人でいっぱいで、それが見える限り続いているからすごい。(Vancouver Sunから写真を拝借。これはグランヴィルの風景・・・↓)
[写真]
こういうところへ酒類を持ち込むのは禁止で、見つかるとその場でドボドボッと下水溝に空けられてしまうんだけど、10万人も集まってそれが200件足らずだったそうだから、お行儀のよさはもっとすごい。第6試合は月曜日。カップを持って帰って来るかな・・・?

今日はレクリエーションを兼ねたショッピングデイということになって、まずは西の方のWilliams Sonomaへ空になった炭酸水のカートリッジを交換してもらいに行き、ついでにル・クルーゼの鍋を見てみることにした。日本では相当な「ブランド品」になっているらしいけど、重すぎることと、あの派手な色が好きになれないことで、デパートで見ても関心がわかなかったのが、小町のあるトピックで少なからぬ人たちが「ご飯をおいしく炊ける」と書き込んでいたので、急に使ってみようかなという気になった。なしにろ、2人分の「付け合せ」のご飯にする米は1合の計量カップの半分なので、電気釜を使えないから鍋炊き。だけど、ステンレスの鍋だと蓋がポコポコと踊ってしまって、蒸気は逃げるし、レンジは糊っぽい水はねだらけ。そこで大きなガラスの計量カップをさかさまにして載せて重しにしてみたら、かなり改善されはしたけど、まだ蓋の周りにぶくぶくと水が吹き出して来てしまう。ル・クルーゼのあの重さなら蓋も重いだろうから、書き込みの通りにご飯をおいしく炊けるかもしれない、とちょっと期待して・・・。

棚にずらりと並んだ色とりどりの大小のル・クルーゼ。一番小さいのは18センチくらいで、底の面積が大きいから少量のご飯を炊くには向かない。手頃なのはないのかと、別の棚に回ったら、メーカーが違うけど似たような商品がいろいろあって、そこで目をつけたのが14センチの片手鍋。ル・クルーゼよりは少し深めで、底がやや小さくなっているから、これなら半合の米でもうまく炊けそうかな。Staubというフランスのメーカーで、後で調べたらこれも日本ではブランド品扱いらしい。(値段を見てル・クルーゼよりも高くてぎょっとしたから、ほんとに高級ブランドなのかもしれないけど。)たしかに重い(蓋をすると2キロ半くらい)けど扱いにくいほどではなかったので、地味な赤いソース鍋をご飯炊き用に買って、ショッピングその1は大収穫・・・。

その2はず~っと東の方のBosa Foodsというイタリア系食品卸会社の小売店。オリーブ油やパスタやバルサミコ酢やチーズやソーセージ・・・イタリアの食材がある、ある。ラベルにイタリア語しか書かれていないものもある。常連になるなら、イタリア語を勉強しようかな。ポルチーニの丸ごと冷凍パックがあって、食指が動いたけど今回はパス。行きつけのIGAが置かなくなった黒トリュフ入りとポルチーニ入りのきのこのペーストがあった。使い切ってしまっていたからうれしいな。スペイン産のサフランは0.5グラム入りで4ドルとは安い。クレジットカードが使えないということで、手持ちのキャッシュで買えるだけ買い物をしたけど、カレシはマティニに使うピメントを詰めたオリーブの2リットル瓶を買ってホクホク。いったい何杯のマティニが作れるかな。

バンクーバーには大きな中国系スーパーがあり、韓国系スーパーがあり、イタリア系スーパーがあり、ギリシャ系スーパーがあり、オーガニック・スーパーがあり、日系の海鮮問屋の店があり、探せばその他いろいろな民族系の食品店もあって、食道楽にとっては幸せ。これで酒類の販売制度がもっと自由だと言うことなしなんだけどなあ・・・。

たんぱく質と野菜とでんぷんと

6月11日。新しい鍋を試してみるのが待ちきれなくて、さっそく発芽玄米を炊いてみた。使用説明書に急に高い温度にしてはいけないと書いてあったので、まずは蓋をせずに水が沸騰するまで少しずつ温度を上げて行って、煮立ったところでレンジの温度を下げて、蓋をした。最初のうちは何となく蒸気が出ているように見えたけど、蓋はじっと鍋の上に載ったままで、うんともすんとも言わない。おお、もう重しはしなくてもいいってこと・・・。

[写真] オヒョウのポルチーニ味ムニエル、イタリア風鍋炊き玄米、青梗菜とミニトマト

買って来たばかりのポルチーニ入りのきのこペーストを魚に塗って、小麦粉をまぶしてソテー。ポルチーニは香りの強いきのこで、白身の魚の淡白な味にアクセントをつけてくれる。ムニエルにすると、きのこのペーストがフライパンに焦げ付かずに「クラスト」になる。

炊き上がった玄米はたしかにおいしい。戻したポルチーニきのことトーストした松の実を混ぜて、白トリュフ風味のオリーブ油をちょっぴり垂らしてみたら、イタリア風ご飯。

青梗菜はちょっと蒸しすぎだったけど、たんぱく質、野菜、でんぷん質のトリオがそろった簡単メニュー。バーバラのキッチンでいっしょに料理をしたときに、しきりに「Protein and veggie and starch(たんぱく質と野菜とでんぷん)」と言うので何のことか聞いてみたら、娘のアーニャが今2歳半の双子にたんぱく質(肉や魚)、でんぷん(いもや穀類)、そして野菜をまんべんなく食べさせるために、食事のたびに歌うように言う「食育のおまじない」ということだった。好き嫌いのない子供に育てるのって、大変だものね。特に「恐るべき2歳」と言われる時期だからよけいに大変。(もっとも、夕食は料理が趣味のお婿さんのブライアンの担当になっているらしいけど。)

どうやらバーバラも娘たちが遊びに来るたびに聞いているうちにアーニャの魔法にかかり、それを聞いていたワタシも魔法にかかってしまったらしい。でも、おいしい魔法はたっぷりかけて欲しいかな。

やれやれの1日が暮れたような・・

6月13日。月曜日。ごみ収集日なんだけど、よっぽどぐっすり眠っていたのか、1回しか目が覚めなかった。いつもならリサイクル車とごみ収集トラックの往復で3回は目を覚まされるんだけどな。最近やけに効率が良いらしいシリコーンの耳栓をしているカレシはまるで天使?のごとくすやすや。寝なおそうか・・・なんてつらつらと考えながら時計をみたら12時15分。きゃっ、冗談じゃない。

今日の夕方が納期の仕事、まだかな~り未処理のページが残っている。推定の訳上がり語数から見ると楽々のはずだったんだけど、どういうわけか遅々として進まない。おかげできのうは丸々1日。、うんうん言いながらの作業。ま、財務関連の分野と言ってもいろいろあって、投資を業としている人が決算報告を書いたり訳したりすると何となく「投資案件のご案内」みたいになってしまうらしい。ん?と思って立ち止まっては、「株を売るときはそう言うんだろうけど、いくら儲かった(損した)という勘定のときはこう言うんだってば~」と突っ込み、株屋さん特有の仲間内語が出てくると、「そんなの、読む人にはわからないってば~」と毒づきながらの作業なもので、何度も読み直して文脈を確認するから時間がかかるし、ワタシの商売用の脳中枢の同時翻訳機能は脱線しまくり出し・・・。

朝食もそこそこに作業を再開して、まあ何とか間に合いそうなめどがついたと思ったら、別のところの編集者から「ファイルはまだ?」のメール。え?ええ?まだかって、期限はまだじゃなかったの?ところが、予定を書き入れてあるカレンダーを見たら今日の夜だけど、元のメールの期限をチェックしたら「日本時間」で今日。現実の日本時間はとっくに「あした」になっている。あああ!時差の換算を間違えたか、書き入れる日付の欄を間違えたか・・・。脳みその「緊急司令塔」が猛烈な勢いでそろばんを弾いて、これだけの量だから所要時間はこれくらいで、編集にはこれくらいの時間が必要そうで、最終的な期限までにはあと何時間あるから、こっちを仕上げてから超特急でやっつければまだ間に合うぞ・・・。

さっそく「ごめんなさいメール」を飛ばして、まずは報告書を仕上げて送り出し、すっぽかした仕事をリニア新幹線並みの猛スピード(ってどれくらい速いか知らないけど)で仕上げて、「お待たせしましたぁ~」。時計を見ると午後5時半。ああ、やれやれ、どっちも間に合った。一瞬、ボケの兆しかと思ってしまったけど、何しろ、丸い地球の上で太平洋のど真ん中の日付変更線をはさんでのこっちとあっち。ちょっと見にはハワイの向こうの日本の方が「きのう」のような感じがするけど、標準時はその丸い地球を逆方向の東へ東へと進んで行って、日本につく頃は「あした」になっているからややこしいったらない。まっ、どっちにしてもそそっかしいポカミスというところなんだけど。それにしても、こういうアドレナリンの出し方は体に良くなさそうだから、気をつけないと。

送信を確認して、「死ぬかと思った~」とけっこうはしゃぎながらキッチンに上がったら、ありゃ、夕食のメニューを考えるのもすっぽかしてしまって、食材が出ていない。あわててフリーザーから出したところで、カレシはとっくにマティニを作る気満々になっているから、手っ取り早く刺身をと思っても解凍している時間がない。パスタでも作るかと思ったけど、ゆうべのランチでとびこのパスタを食べたしなあ・・・と冷蔵庫に首を突っ込んでいたら、豆腐が目に付いて、100ワット級の電球がポッ。インゲンを蒸し器にかけ、エリンギとしいたけと平茸をスライスして炒め、豆腐を4枚に切って小麦粉とコーンミールを混ぜた衣を薄くまぶしてフライパンで焼き、醤油とお酒とみりんで適当に照り焼きソースを作ってこんがり焼けた豆腐にかけ回し、ついでにふと思い立って、冷凍庫に常備してある茹でエビをころころとフライパンに放り込んで・・・豆腐の照り焼きステーキのできあがり。ああ、やれやれ・・・。[写真]

あたふたとやっているうちに、ホッケーの優勝戦第6試合が始まり、ブルインズがばたばたと得点して、あっという間に4対0。いいのかなあ、カナックス。お尻に火がついているよ。もう後がない、崖っぷちだよ。雨がちの天気の中をダウンタウンに集まったファンも、今日ばかりは早々に引き上げる姿が目立ったとか。そうだろうな。カレシもさっさと中継からニュースにチャンネルを変えてしまったし、バンクーバーのスポーツファンにはいわゆる「fair weather fan(勝っているときだけのファン)」が多いから。まあ、どっちに転んでもあと1試合で長い、長いアイスホッケーのシーズンが終わる。やれやれ・・・。

ワタシの言語脳のしくみはどうなってるの?

6月14日。火曜日。目を覚ましたら午後12時半。まあ、かなり慌てたきのうと違って、今日は夕方期限のやり残し仕事がないし、そもそも仕事そのものが予定に入っていないもので、脳みそも体もみんなたがを外して、安眠、快眠の爆睡というところ。脳も体も休めてやらないとね。あの鉄人みたいなイチローだって、「休め」と言われて一試合先発を外されたら、調子が戻って来たようじゃない?

外は天気が思わしくないし、カレシは今夜の英語教室の教材を作ってしまったというので、朝食の後、2人してキッチンのテーブルでコーヒーを飲みながらだらだら。そのうちに、今カレシがはまっているらしい英語学習者が質問するサイトの話になり、それがいつのまにかカタカナ語の話になり、取得した外国語の日常での使用比重が高まると母語にどんな影響があるかと言う話になった。小町などでカタカナ(英)語の論議になると、必ずと言って良いほど「長く英語で暮らしていると、つい英語が混じってしまう」と、言い訳とも自慢ともつかない書き込みがある。まあ、この「長く」の定義がないから、言葉遣いなどからそういう書き込みをする人の推定年令を考えると、英語暮らしの密度にもよるけど、おそらくは1、2年、長くてもせいぜい数年というところかな。このあたりが異国生活のいろんな面で一番「揺らぎ」が出てくる時期だろうと思うから。

ま、ここでは「カタカナ英語」と言うから、カタカナで表記されて、発音が日本語化した英語由来の言葉を言うんだと思うから、母語である日本語で話をしているときに「つい」英語が混じってしまうというのはまったく別の次元ではないかと思う。いつのまにか本来の日本語を駆逐して常用語になってしまう(しまった)外国語由来のカタカナ語も、ほとんどの日本人が理解できるという点で、日本語としての市民権を得たといえるだろうから、別にイライラするようなことでもないだろうな。問題は、分野が何であれ、英語圏の文化や文献でもてはやされている言葉を良く消化せずに、普通の日本人にはまだ言葉も概念もなじみが薄いことを承知の上で、そっくりカタカナにして使うことだろうと思う。これは「つい」と言う流れでは到底できることじゃないと思うんだけど。

実際のところ、自分の日本語の語彙の中に根付いているカタカナ英語以外は、とっさにカタカナ化して発音しようとしてもそう簡単にできるもんじゃない。カレシに小町のトピックで挙げられていた例を説明するために英語の会話の中にカタカナ英語を日本語発音で入れようとしても、なかなか簡単には行かなくて、自分でイライラしてしまった。聞いていたカレシが、「なんだ、それ?日本語よりイタリア語だよ」と笑い出してしまったけど、英語では語尾が子音でも、カタカナ語になると母音が加わるから、アクセントが後ろへ移動して、イタリア語のような感じになってしまうのかな。長いことどっちも楽々だったのが、何年か日本語はしゃべるのも聞くのも嫌という心理状態に陥った時期があって、やっとその迷路をを抜け出してすなおに話せるようになったと思っていたんだけどな。ふむ、怪しくなってきたのかな、ワタシの日本語。まっ、英語しか話せないカレシにワタシの日本語の発音がおかしいと言われても、それが何か?ってところだけど。

ところが、カレシに頭の中では英語と日本語のどっちで考えているのかと聞かれてはたと考えた。英語は36年間ずっとワタシの日常生活語だったけど、カナダに来て最初の2年以外は日本語も主に仕事で毎日普通に使っていた。出不精な2人が揃って巣篭もり状態のこの10年は、テレビの日本語チャンネルを契約していないせいもあって、耳と口は日本語からご無沙汰だったけど、目と手は毎日ちゃんと日本語を操って、人並みに稼いできた。要するに、英語も日本語もそのときそのときの思考言語として機能しているってことでしょ?だから、キップリングが「東は東、西は西」と言った通り、英語は英語、日本語は日本語、交わることなき2つの言語ってことじゃないのかなあ。

だけど、カレシはなおも「それは英語なら英語、日本語なら日本語に反応してしゃべるってことで、言葉が出てくる前の思考言語はどっちなんだと聞いてるの」と突っ込んで来た。あのさぁ・・・と言いかけて、よくよく考えてみた。目が覚めてから寝るまで24/7で英語。だけど、ブログを書き始めたのはいつも頭の中でぶつぶつと日本語で聞こえていたからだった。ひょっとして、頭の中ではいつも日本語で考えていて、それを無意識に「同時通訳」して英語でしゃべっている、なんてことはありえるのかなあ。だから、こうやって日本語モードのときにカレシが話しかけて来ても、日本語を打ちながら普通に英語で返事ができるのかな。そんなことってありえるのかなあ。ヘンなことを聞くから、頭がわやわやになって来た・・・。

でも、ちょっと待てよ。まだ母語も取得していない赤ん坊は何語で考えているんだろうな。親の声を聞いて、「あ、この物体はワンワンというのか」とか、「し~し~と言われたら放出していいんだな」という風に母語を覚えるんだろうと思うけど、その過程での「思考言語」は何なんだろうな。人類共通、いや、大脳を持つ生物すべてに共通する「ニューロン言語」のようなものがあったりして。コンピュータが「考える」のに使うバイナリコードみたいなものかな。一度、誰かに聞いてみたいなあ。誰か、いない・・・?

ホッケーシーズンのトホホな終わり

6月15日。水曜日。いい天気。のんびりと起きて、ゲートの郵便受けを見に行って、郵便は来ないんだったと思い出した。きのうの夜からカナダポストが全国でロックアウトに出たもので、郵便配達は全面的にストップ。ま、広告チラシだの何だの見もしないものがどさどさと来なくなるから、リサイクルのブルーボックスが溢れなくていいか。

今日はホッケーのスタンレー杯決勝戦の第7試合。これがほんとに最後の試合。ダウンタウンでは正午に主要道路が閉鎖されて、もうすごい数の人が集まっている。昼のニュースも特別にダウンタウンからの放送というはしゃぎぶりで、試合開始は午後5時過ぎなのにすごい盛り上がり。まあ、17年ぶりのチャンスだから熱狂はわかるし、地元のチームだからやっぱり勝って欲しい。だけど、どこかの店がまるでアメリカでハリケーンが上陸するときのように、ショーウィンドウやドアを合板で固めているのを見たときは、や~な予感・・・。

きのうの閉店間際に飛び込んできた急ぎの仕事をちゃっちゃと片付けて納品したら、後はのんびり。カレシが菜園から収穫してきた大量のビーツの葉とほうれん草の葉とえんどう豆を洗って、どうしようかと思案。結局、ほうれん草はランチの鍋焼き風うどんの材料にすることにして、ビーツの葉とえんどう豆をディナーに使うことにした。午後5時を過ぎて、特大のマティニを片手に夕食の支度。カレシは第1ピリオドでブルインズが先制点を取ったところで「これは負けるな」ともうギブアップ。プレーの流れを見ているとだいたいわかるんだそうな。んっとに良いときだけファンなんだねえと言ったら、「シーズン中のいい試合に興味はあるんだ」そうな。

第2ピリオドが終わって、3対0で敗戦街道まっしぐらの様相。ダウンタウンの群衆も敗戦を予期して引き上げる人たちが出てきたらしい。カレシが下りてきてラジオをつけたら、ちょうど試合が終わって、もちろんカナックスの負けで、三度目の正直の夢は成就しなかった。残念だけど、それが勝負の世界ってもんだからね。17年前のときは最後の最後の延長ピリオドまで粘って惜敗したけど、今回は良かったのは最初の2試合だけで、後はレギュラーシーズン1位だったチームとは思えない試合ばかり。前回はあれだけがんばったのに、負けたら暴動が起きたけど・・・と、取りとめのない話をしていたら、ダウンタウンで着ていたカナックスのユニフォームを脱いで燃やしているファンがいるというニュース。今夜は危険な満月だし、なんだかや~な予感・・・。

負けたら起きるだろうとは思っていたけど、やっぱり暴動が起きた。ダウンタウンにみんなで応援するファン・ゾーンを設けて、去年のオリンピックの感動を呼び戻そうと言うアイデアは良かったかもしれないけど、オリンピックの群衆がみんな感動して、行儀よく楽しんだからと言って、プロスポーツの優勝決定戦に集まる群衆も同じように感動して楽しむだろうと考えたのがそもそもの間違いの元だったんじゃないかな。オリンピックでは老若男女家族連れが集まって「カナダ」の国威発揚に熱狂したけど、プロスポーツはローマ時代の剣闘士の現代版みたいなもので、男たちが応援するチームの勝敗に自分のエゴを重ねているようなところがあって、(アルコールやドラッグの影響もあって)煽れば煽るほど、その思い入れが高じる傾向があるように思う。つまり、オリンピックの群衆とはまったく性質が違うわけで、そこに大きな計算違いがあったんじゃないかという気がする。

まあ、カナックスはNHLのフランチャイズになってまだ40年だけど、NHL創設チームで100年近い歴史を持つブルインズにとっては実に39年ぶりの「悲願」の優勝。そういう結果でよかったんじゃないのかな。カレシはプレーオフ前に「今回優勝できなかったら永久にできない」と言っていたけど、優勝戦のたびに暴動が起きるなら、いっそのことできない方がいいのかも。とにかく、去年10月に開幕して、レギュラーシーズン6ヵ月、俗に「第2のシーズン」と呼ばれるプレーオフシリーズ2ヵ月半の長い、長いホッケーシーズンがやっと終わった(9月にはもう次のシーズンの前哨戦が始まるんだけど・・・)。

ホッケー暴動から一夜明けて

6月16日。木曜日。いい天気。目が覚めてからしばしの間いちゃいちゃだらだら。ワタシは仕事の予定がないときが週末で、週1回のボランティアの英語教室をやってるカレシはいわば週休6日。制。しなければならないことが何にもない日もいいもんだ。どっちからともなく「おなかすいた。起きるか」ということになって、正午ぎりぎりに起床。気温も上がってきたようで、どうやら初夏の気候。

テレビをつけて昼のニュース。きのうの「スタンレー杯暴動」では中心街のグランヴィルやジョージアの通りに面するデパートや銀行やブティックが軒並みショーウィンドウを割られて、略奪にあい、エレクトロニクス製品の多いLondon Drugsなどは相当な損害を被った一方で、量販書店のChaptersは本棚を倒されたりしたものの、商品の被害はそれほどではなかったという話もある。暴れていた連中は本なんか読まない低脳ボーイズってことを証明しているような。コーチの店からごっそりバッグを略奪して行くところを写真に撮られたのは女性。警察は情報サイトのクレイグスリストに広告が上がると見ている。でも、写真があるからそれよりも前に身元が割れて逮捕されるかもしれないな。

1994年のホッケー暴動のときは、まだカメラつき携帯もソーシャルメディアも存在しなかったから、警察は暴動シーンの写真の提供を呼びかけ、集まった写真を一般公開して「容疑者」について情報提供を呼びかけたところ、大半は身元がわかって、窃盗罪や器物損壊罪で逮捕された。あれから時代は大きく変わって、今回は警察が専用のEメールアドレスを設けたし、暴動に怒った人たちがフェイスブックやユーチューブのアカウントを作って、写真をアップロードするように呼びかけ、相当な数の写真やビデオが集まり、その閲覧数も膨大な数字になっているとか。たしかに、暴動に加わらないでうろうろしていた群衆はみんな携帯のカメラを構えていた。たいていは顔を隠していないどころか、ネットで自慢するおバカもいるらしいから、「証拠の写真」には事欠かないだろうな。

でも、火付け役の「アナキスト」の身元が割れないことには、市民はおさまらないと思うな。オリンピックの開会前にも小さな暴動があったけど、人が集まるイベントがあると出て来て暴れたがる活動家を自称する若者の集団がいて、今回も火炎瓶などを持参していたらしい。(ライターなどではあれほど一気に車を炎上させることはできない。)彼らは何でもかんでも「反対」で、イベントに合わせて「アンチ貧困」になったり、「アンチグローバル化」になったり、「アンチ肉食」になったりする。要するに、暴れて警官隊と一戦を交えて「官憲と戦うオレってすごい」と陶酔したいだけで、人権や自由のために運動する活動家とは似ても似つかないただの反社会人間。

聞くところによると、試合前に人が集まり始めた頃からすでに何かが起きそうな危ない雰囲気が漂っていたらしい。優勝を賭けた最後の試合と言うことで、ダウンタウンを埋めた群衆は10万人とも15万人とも言われる。カナックスの負けが濃厚になった第2ピリオドの終了後に、酔っ払ったり、ドラッグでハイになっている若者たちの動きに危険を感じて早々に引き上げた人たちも相当な数いたという話だった。現場からニュース放送をやっていたキャスターも始めの6試合のときにはなかった異様な雰囲気が感じられたという。つまり、カナックスが勝ったとしても暴動は起きたということかな。オリンピックで大量動員された警備体制がないのに、オリンピックの感動を再現しようとして、膨大な群衆を集めて、盛り上げた市長にも批判が集まっているけど、その群衆をさらに煽って盛り上げたメディアにも責任はあるかもしれないな。

一夜明けて、明け方にはダウンタウンの清掃のボランティアを募るページがフェイスブックにでき、早朝から1万5千人の市民がゴミ袋やほうきやバケツを持ってダウンタウンに集まって市の清掃作業を応援し、午前中には9割がた後かたづけが終わったという。ボランティアには女性が多く、「私たちの街が荒らされて悲しい」と黙々とガラスの破片を拾い集めていた。合板を貼り付けたショーウィンドウには市民が「暴徒はカナックスのファンなんかじゃない」、「これはバンクーバーじゃない」、「カナックスは名誉ある準優勝、暴徒は最低の最悪」と言ったメッセージを次々と書き込み、大きな寄せ書きができているとか。警察署には市民から花束やクッキーやドーナツが労いのメッセージと共に続々と届けられているという。暴動の最中にも、多くの携帯カメラが危険を顧みずに「ここはオレの街だ」と暴徒を止めようとしたり、略奪を防ごうと暴徒の前に立ちふさがった勇敢な市民たちを捉えていた。

そうなんだ、バンクーバーの市民にとっては世界での観光都市バンクーバーの評判が落ちたとか、恥ずかしいとか言う問題じゃない。市民60万人が「我が街バンクーバー」を、おそらくはここに住んでもいないであろう連中に傷つけられたことを悲しんで、怒っているのだ。

愛郷心はいいけど愛しすぎは困る

6月17日。金曜日。どこかでパンカパンカという音がしていて、けっこう早く目が覚めた。リズムからするとバングラかな。パンジャブ州の「盆踊り」みたいなもので、冠婚葬祭のたびに村全体が集まってやるものらしい。(ボリウッド映画に必ず出てくる群舞シーンみたいなものかな。)まあ、我が家は、この頃は寂れつつあるとはえ「パンジャブマーケット」と呼ばれるインド系(厳密にはシーク教徒が多数のパンジャブ系)の商店街に近いもので、「南アジア人」(インド系の最近の呼び方)の人口はまだかなり多い。たぶんどこかの家で結婚式でもあるのかなと思っているうちに、また眠ってしまった。

寝る前に仕事のメールがなかったので、100%遊びモードの週末だ!と喜んでいたのに、メールを開けたら別のところから置きみやげ。今年は震災の影響で企業の決算報告が遅れているところへして、そろそろ震災関連のいろんな文書が出始めて来て、これから忙しくなるのかもしれないな。定年と老後が目の前に迫っている年令って、けっくお「遊びたい年頃」じゃないのかなあと思うけど、お客さんにはそんなこと「関係な~い」。うん、ごもっとも。まあ、フリーの自営業ってのはお客さんにこき使わせて「あげる」ほどお金になるようなところもあるから、そこは持ちつ持たれつで、「もうだめ」の線引きが難しいだけの話。来年の今頃は年金受給申請書を書いているかもしれないのに、どうするつもりなのかなあ、ワタシ。すぐに仕事人生から引退するかどうか。何だか、不安要素が満載のカレシと結婚すると決めたときの方が何倍も簡単だったような気がするな。ま、あの時は若かったもので、あまり深く考えなかったんだけと・・・。

昼のニュースを見ていたら、ゆうべダウンタウンに出動した警官が止めておいたパトカーに戻ってみたら、フロントガラスに「ありがとう」のメッセージがべたべたと貼られていたという話。付近を巡回していた警備会社の人によると、ひと晩中通りかかった誰かが感謝や激励のメッセージを書いてはペタッと貼って行ったそうで、バンクーバー市警は剥がすのも何だからとパトカーを本部に牽引したら、話を聞いた市民がやって来て前にも後ろにも、しまいにはバンバーにまでどんどんポストイットを貼り付けるもので、警察署のお偉いさんまで感激して目がウルウルになってしまったとか。[写真](地元紙The Provinceから拝借)

やっぱり暴動はバンクーバー市民にとってそれほどのショックだったんだよね。地元の新聞サイトにはダウンタウンの清掃に駆けつけた市民ボランティアの写真を「これが本当のバンクーバー市民」と題して載せていたけど、「容疑者」としてあちこちのサイトに写真を載せられた暴徒のほとんどが白人の20代か30代の男なのに対して、ボランティア清掃部隊は男女を問わず、若者から老人まで、多民族都市バンクーバーを形成するあらゆる民族の顔がある。だって、バンクーバーは60万人の半分近くがいわゆるVisible minority、つまり白人以外の人種で、総合病院でボランティア通訳を募ったら名乗り出た職員が話す言語が100以上あったというくらいの多民族都市なのだ。そんなバンクーバーを「わが街」として愛する市民が心底からバカどもに怒っているんだと思う。

すでに数人が自首して来たそうだけど、暴動や略奪の「容疑者」の写真を見て通報しようとする人があまりにも多くて、とうとうバンクーバー市警のサーバーがダウンしてしまったという。この「My Vancouver」への過剰とも見えるような感情の発露こそがオリンピックの遺産じゃないのかなと思う。ワタシだって、あばたもえくぼもすべてをひっくるめて、ここはワタシが愛してやまない「私のバンクーバー」なんだから、この街の白人、中国人、韓国人、インド人、フィリピン人、ベトナム人、アラブ人、カリブ人、南米人、黒人、先住民その他の存在が気に食わないんだったら、そういう人たちが目に付かない他の土地に行くか、カナダ人じゃないんだったら母国に帰るかしてくれと言いたくなるときがあるもの。ただし、「わが街」を愛する気持が高じすぎて、市民の間に「ヴィジランティズム」(自警主義)と呼ばれる風潮が出て来たら、バンクーバーは息が詰まりそうな、窮屈でネクラな市民社会になってしまいかねない。

ま、今度ダウンタウンで大群衆が集まるイベントをやるときは、少なくとも(月光に当たると気がふれるという)満月の夜は避けた方がいいと思うな、うん。

思いつき料理は作る人の特権

6月17日。天気が良くて、いかにも初夏らしい光なんだけど、気温はどうしても平年よりやや低め。この仕事はあした、こっちの仕事はその次の日と、一応の算段をしておいて、後はひねもすのんべんだらりの遊びモード。

今日は何を食べようかなあと、フリーザーの蓋を開けて思案。ちょっとしたコース料理もいいけど、今日は何となくめんどうくさい気分。刺身の残りのビンナガまぐろの塊あるので、ぼたんえびといっしょに手っ取り早くグリルにしようか・・・。

まあ、最初の目論見どおりの料理が出てこないのが極楽とんぼ亭の特徴で、そろそろ夕食の支度をしようかという時間になって、えびを蒸してみようと思い立った。頭を取って、殻をむいて、たまたま冷蔵庫に残っていたにんにくと唐辛子のペーストを日本酒で溶いて下味をつけておく。(何匹かはそのままシェフの口へ。う~ん、とろりとして甘い。ま、お味見は作る人の特権ということで・・・。)

[写真] ぼたんえびのチリ蒸し、まぐろとナスのグリル、ミックスご飯(赤米、タイ米など)

普通に売っている米ナスはやたらと大きいけど、近郊の農場で温室栽培したものが出回るようになって、これが2人が食べるにはちょうど手ごろな大きさ。今日はちょっとアジア風だから、オリーブ油の代わりにサラダ油を塗って、一番先にグリルにかける。まぐろの塊は思いついて細長く4本に切り分け、塩を振らずにグリル。ふと思いついて、白の炒りごまとシソのふりかけを別々に広げておいて、焼けたマグロを2本ずつ転がし、さいころに切ってみた。後は軽く5分ほど蒸したえびをナスの上に載せて、今日の想定外メニューは何とかサマになった。

ビンナガまぐろの味とシソの味がぴったり合っていたから、ふりかけも使いようでグルメ調味料にもなるという新発見(でもないのかな)。

たがの締めどころを間違えてない?

6月18日。土曜日。夜来の雨で、気温が下がって、湿っぽい天気。そのせいなのかどうか知らないけど、静か過ぎて、正午過ぎまでぐっすり眠ってしまった。(寝る子は育つ、と言われるあたりがちょっと気になるけど・・・。)

テレビをつけたら、若い男が泣きながら謝っていた。パトカーの給油口にぼろを突っ込んでライターで火をつけようとしている自分の写真を見て名乗り出たらしい。遠い郊外に住む高校生で、将来のオリンピック候補と言われる水球選手だそうだけど、「雰囲気に飲まれてしまった」そうな。それにしても、近頃はたがの締りの悪い人間が増えているのかと思うくらい、「みんなやっている」ことに流されて「たが」を外す人が多いなあ。何だかんだと足掻いた挙句に結局辞任に追い込まれたアメリカの連邦議員もその例なのか。名前に引っかけて「ウィーナーのウィーニー」と揶揄されていた。ウィーニーというのはウィンナーソーセージのことだけど、男の「あそこ」を意味する卑語でもある。ツイッターやフェイスブックが自分の延長のようになって、考えながら使うことを忘れたのかもしれない。頭で考えないから、つい雰囲気に流されてしまって、後で後悔するということか。ひょっとしたら、22世紀か23世紀の歴史の教科書に、「21世紀は理性のたがが緩んだ世紀だった」なんて書かれていたりして。

やれやれという気分で小町を見渡したら、『左利きの子供』というトピックが上がっている。またかいな。このトピックは定期的に上がってくるような気がする。何でも左手の2歳の子供。直すべきか、そのままにすべきか。書き込みを読んでみると、前は左利きは「見苦しい」、「他人に不快感を与える」、「箸を右で使うのは日本のマナー」と言ったヒステリックな感じさえする「矯正派」が多かったけど、今回は「放任派」が多いようで、ずっとお前には左利きがもてはやされた時期もあったように、また社会の風向きが変わってきたのかな。でも、左利きを「直す」とか「矯正」するとか言う右利きにはちょっとムカつくな。宗教的な理由もないのに左利きを容認すべきかどうかで唾を飛ばして議論をするのは日本くらいのものじゃないのかな。左利きが「不都合はない」と言っているのに、右利きは「不都合なはずだ」と譲らず、しまいには「不都合がないと言うけど、右利きを経験したことがないでしょう?」と言うのにいたっては、おかしくて笑いが止まらなかった。なんだ、左利きには右手を使う方が不都合なんだと、ちゃんとわかってるじゃないの。

つまるところ、矯正派の右利き主義者には左利きの人を見ると自分が「不快感」を覚えるから直すべきと言っているようなのが多い。生足を見ると気持が悪くて不快だからサンダルでもストッキングを履け。すっぴんは見苦しくて不快だから外へ出るときはメイクをしろ。アタシを不快にさせるのは何でも非常識、マナー違反・・・と言うのと同じパターンで、左利きを見ると(自分が)違和感を覚えて不快だから右利きになれということなんだろうな。要は、自分と違う人間の存在が「不快」なんだろうと思う。そういう人は概して自己を受け入れられないでいるか、あるいは他人を自分が描く「自分像」に押し込もうとしているような、つまり、自分のたがを他人にはめようとしているようなところがある。いやいや、ストレスになるはずと心配してくれるのはありがたいけど、左手を(ときには右手も)使って普通に人生を送っている左利き人はほんっとに不都合を感じないんだってば。

放任派は、利き手を変えるのは子供にとってストレスになったり、吃音障害が起きたりするからしない方が良いという。左手でうまくできることを言うことを聞かない右手でするというのは、脳の配線も変えなければならないから、発達途上の子供の脳には過酷なストレスになる。親が強制すれば、物理的なストレスの上にさらに心理的なストレスがかかる。ワタシも母に強制的に右手を使わせられて、吃音障害を起こした。そこで母が慌てて矯正をやめたおかげで、曲がりなりにも箸と鉛筆だけは右で小学校時代を過ごしたけど、いつも右手を使うのは不自然だ、「自分」ではないと感じていたから、ワタシの性格にも心理的に大きな影響が残ったと思うな。中学の体育の授業で右手に怪我をしたときに、自分の意思で完全な左手使いになったのは、人生で最初の「英断」だったかもしれない。

吃音障害のことを考えているうちに、ふと、日本語を話したくない時期があったのは、実は、「吃音」のように喉で詰まってうまく出て来ないために話したくなかったのかもしれないと思った。他人が求める「理想像」という、本来の自分と違う「型」にワタシをはめ込もうとする圧力の締め付けの苦しさが、どこかで左利き矯正で本来の自分の利き手ではない右手の使用を強制されたトラウマと重なって、同じような「言葉がつっかえる」現象が起きたのかもしれない。かといって、確信があるわけじゃないけど、どうもそんな気がして来た。(なにしろ、ワタシは「オレ様的圧政者」には抵抗する性質だから、そのときのストレスは大きい・・・。)

まあ、角を矯めて牛を殺すということわざの通りで、人間も無理な利き手変更の強制は良くない。いっそのこと、右利きも左利きも、全員そろって両刀遣いならぬ「両手遣い」になるように訓練したらいいのにな。だって、21世紀はどっちの手も柔軟に使えるほうが絶対に便利だから。

ネット空間にも群集心理が蔓延するのか?

6月20日。月曜日。あしたはもう夏の始まり(太平洋標準時夏時間午前10時16分に夏至)だというのに、相変わらず冴えない気候。まあ、ちょっとばかり平年より涼しいおかげでよく眠れているのかもしれない・・・というのは相変わらずの極楽とんぼ流思考だけど、普通ならそろそろイチゴ摘みの家族でにぎわっているはずに郊外の農場では肝心のイチゴがまだ青いままなんだとか。まあ、まだひと晩中ベッドルームにあるクーラーをかけたままで寝る日がないし、寝る前にクーラーをかけることがあまりないから、まっ、節電になっていいんじゃないの。電気料金は上がる一方なんだし・・・。

きのうは徹底的な「仕事日」。量的にたいしたことないやと高を括ったのが運の尽きで、なんだかややこしい学問の話。言っていることはイメージできるけど、一般的に学問の翻訳仕事は大学に行ってその分野の勉強をしなかったワタシにはやっぱり難しいことが多い。そこでよ~しと腕をまくってしまうワタシもワタシなんだけど、今はネットで検索すれば基礎的なことはわかるし、Google Scholarでいろなんな論文を検索することができるし、めったに使うことのない「文部省学術用語集」(訓令式ローマ字なのが痛いところだけど)を引っ張り出すこともできるし、20年以上の間に蓄積した自分なりのデータベースもある。でも、いつも一番難しいのは原稿の日本語の「解読」。あのね、やたらと今回の、今回のっていうけど、5年後には「今回」じゃないかもしれないでしょうが。でも、筆者が今その全霊を注いでいる事例なんだから、「今回の~」で誰もが「ああ、あれか」とわかる(はず)ということなのかな。

と、またしても2つの言語、2つの思考文化の隙間にガチンと挟まって悶々とするワタシ。終わった頃にはいつもの2倍の寝酒が必要なくらいにくたびれちゃったよ、もう。おまけに、カレシ相手にああだこうだと愚痴っているうちにソーセージを丸々1本食べちゃったし。あれ、なんだか晩酌しながらカミさん相手に仕事の愚痴を言っている中年おじさんサラリーマン夫に似てなくもないような。(人間て、一番エネルギー消費を要求されることについて一番愚痴が多いんじゃないかと思うけどな。)まあ、科学は下手の横好き的に大好きだし、「門前の小僧」流にいろんなことを見聞させてもらえるのがせめてもの救いだけど、年を取ってくると、こうやって互いにあさっての方を向いている言語の間を取り持つ太鼓持ち稼業は、いくらボケ防止の効果があると言われても、やっぱりしんどいなあ・・・。

ホッケーの後の暴動で、パトカーに火をつけようとしているところを撮られた写真を公開されて名乗り出た高校生は、未成年の17歳ということで法律で普通なら名前を公表できないことになっているんだけど、父親と相談の上で裁判所に出向いて自らの名前を公表する許可をもらい、新聞に長い謝罪声明文を掲載した。文章はしっかりしていて、なかなかしっかりした子じゃないかと感心したんだけど、世間はどうもそう思わなかったらしい。裕福な家庭の子で、親が弁護士を雇ったということもあるのか、弁護士の助言でしたことだろうという反応が多かった。それだけですまなくて、誰かが住所をSNSに載せたもので、脅迫状が届いたりして、父親は仕事を臨時休業にし、一家は急遽どこかへ「休暇」の名目で避難したという。なんとなく気持が落ち着かなくなるような展開だな。暴動の興奮を煽ったmob mentality(群集心理)が、今度はソーシャルメディアなどのネット空間に蔓延りつつあるような気がして、ちょっと怖い。

厳罰を求める世論調査の分析結果は、社会全体に「怒り」が充満していると表現していたけど、どうも最近は怒りだけじゃなくて、得体の知れない欲求不満や不安を抱えて、感情の抑制ができなくなっている人たちが多いような感じがする。暴動や略奪(悪)の対極(善)として大きく報道された合板の寄せ書きやパトカーへのメッセージの貼り付けも、ある意味で群集心理のなせる業じゃないのかな。今はストレスの多い社会だからと言われればそれまでだけど、たとえば、相手がまったく知らない不特定多数だったり、知っていても直接向かい合っていないネット空間では驚くほど大胆になる人たちがいる。匿名性やプライバシーの盾の後ろに隠れて、自分を嵩上げしたり、嘘八百を並べたり、他人に言葉の暴力を浴びせたり、中傷や誹謗で他人の人格や生活を破壊したりするのは、おそらく生身の相手が目の前にいるときはそういうことをしたくてもできない人間なんだろうと思う。そういう人間が群集心理を煽ってヴィジランティズムを蔓延らせるようになると、ネット社会は無法地帯になってしまいかねない。なんか、だんだん怖いことになって行っているような気がするんだけど・・・。