急がば回れは通用しない
9月16日。木曜日。なんだか暑くて目が覚めた。インディアンサマーというあれだな。夏が去りかねているというのか、夏の名残りというのか、天気のいい日はまだ日が高いから暑く感じる。朝食を済ませて、カレシがママに電話して「行くよ」と予告。今日は別にいるものはないというので、Godivaのクッキーだけを手みやげに、トラックで出発。
平日だから週末と違って、幹線道路はトラックだのタンカーだの、超でっかい車が多いもので、ちっちゃなエコーよりは一丁前に「トラックでござい」という顔をしているピックアップの方が乗っていてストレスが少ないような感じがする。それにしても、道路工事の多いこと!まあ、オリンピックの期間中にできなかった分までまとめてやっているからなんだけど、フリーウェイも幹線道路も横道も、いたるところで工事。すいすい走っていたと思うと、急にスローダウンして、まるで日本の自動車教習所のコース(といっても写真しか診たことがないけど)を走るようにオレンジ色の標識の間を抜けたり、どこから続いているのかわからない渋滞に出くわしたり。渋滞している交差点を見つけると、せっかちなカレシはささっと横道に入る。
いつものことだし、ふだん通ることのないところを見られるし、決まった時刻に着かなければならないわけじゃないから、回り道もけっこう楽しい。ところが、カレシは渋滞を避けて時間を節約しているつもりなんだけど、実際にはよけいに時間がかかっていることが多い。というのは、めったに行かない郊外なもので、ちょっと幹線道路から外れると道に迷って、みごとな遠回りをするはめになってしまうから困る。今日はいったん横道にそれて元の幹線道路に戻ろうとしたら、戻れなくなってしまった。あっちへ曲がり、こっちへ曲がりしているうちに、森林公園のようなところへ入り込んで、木立の間から見えていたフリーウェイも遠のいて、どんどん逆方向へ進んでいる感じ。道路が交差するたびに「今○○で、××を過ぎたところ」と標識を読み上げても「どこだかわからないよ」。あ、そう。そのうちに道路の名前が番号になった。おいおい、南へ進んでるよ。メープルリッジは東だよ。北東に針路を取らないとニューウェストミンスターに出てしまうよ~。
なんとか記憶にあった幹線道路に出て、そこからカリブーロードに遭遇。北へ進んでやっとローヒード・ハイウェイに出て一路東へ。とうとうフリーウェイには乗らずじまいのままで目的地に着いた。たぶん少なくとも30分はよけいな時間がかかったと思う。やれやれ。「だって、どこへ行っても工事だらけじゃないか」と口をとんがらせるカレシ。まあ、急がば回れとは言うけれど、カレシの場合は急ぐときは回らない方が無難そうに思えるなあ。
ママはいつものママ以上にほがらかで、やっぱり自分の環境に戻ったのが良かったんだな。骨が脆くなっているから、ヘルパーが持って来たクッションのような腰当をつけているそうな。足腰が思うように動かなくて、脱げたスリッパに手が届かないらしいから、スリッパを履かせてあげて、お湯を沸かして紅茶をいれている間、カレシはママとしばしおしゃべり。何かあったときに首にかけているボタンを押せば誰かがすぐに来てくれるし、ランチや夕食の時間に食堂に姿を見せないと一緒のテーブルに座る人がホームの人に知らせ、まず電話が鳴り、電話に出られないと誰かがドアをノックして、返事がなければドアを開けてチェックしてくれる仕組みになっているそう。カレシが電話のところまで歩いて出るのが大変なら携帯を持てばいいのにと言ったら、「そうしたらみんながどんどん電話をかけてきて迷惑だわ」と(笑って)一蹴されてしまった。あはは、いかにもママらしい。ちょっと耳が遠くなっている兆候はあるけど、まだまだかくしゃくとしていることは確かで、カレシもほっとしたようだった。
ママの夕食の時間が近づいたので、これからはもうちょっと時々来るから、今度はママが育ったチリワックまで行って見ようということにして、一路我が家へ。ラッシュとは逆方向だし、カレシも今度は「のんびり行くから」と回り道をしなかったので、フツーに帰って来たのだった。やれやれ。
牽牛織女が携帯を持っていたら
9月17日。金曜日。目が覚めたら何となく薄暗い。雨かな。午前11時50分。しばらくだらだらしてから、おもむろに正午に起床。朝食は久しぶりにベーコンポテトと目玉焼き。ベーコンは2本でじゃがいもは大きいのが1個。どっちも千切りにしてベーコンの油で炒める「がっちり朝食」の定番。卵は賞味期限ぎりぎりだったけど、なぜかこれが目玉焼きだ!という味わいがあって、2人ともおいしい、おいしい。今日は朝からポジティブで大いによろしい。
カレシは「今日とあしたはどこへも出かけないからね」と宣言。食材はあるもので間に合わせて、なくなったらないで済ませる、と。きのうの今日でくたびれたんだそうな。「交通渋滞はもうごめんだよ」と言うから、ワタシは楽しかったけどなあと反論。「なんで渋滞が楽しいの?」と来たから、楽しかったのは渋滞じゃなくて、「横道にそれて道に迷ったこと」と言った。そりゃ、渋滞にはまってイライラしている人の隣に座っていておもしろいはずがないでしょうが。今まで通ったことのない道に入って、へえ、すてきな家がある、きれいな庭がある、いい景色がある、と、何気ない風景を何気なく見るのが楽しいのだ。ま、運転していないから楽しめるんだろうけど。
どこへも出かけないと言うから、今日は仕事前線の「追いつけ、追い越せ」デーということにする。まあ、お子様プロジェクトは今のところノルマをこなしている(らしい)から、少し気合いを入れれば、来週木曜日の期限までちょっと余裕で行けるか・・・な?夏だからか星の話になって、まあ、これなら天文好きのワタシにもけっこう楽しめる。牽牛と織女の1年に一度のデートのところで、ふと、こんな話は今どきの子供たちにはちっとも悲劇的じゃないんだろうなあと思った。あんがい、「メールすればいいのに。携帯もってないの?」なんて質問が出たりしてね。
男と女の出会いと付き合いも、最近はイメージそのものが土台から様変わりしているからしょうがない。だいたい、「機織り」なんて前近代的なお仕事は日本中探したってない(たとえあってもなり手がいない)だろうし、高学歴と高年収が出会いが恋愛、結婚と進行するための決め手になっているらしいから、「牛飼い」には付き合ってくれるカノジョさえいないかもしれない。なんだか夏の夜空を見上げても、夢もロマンもあったもんじゃないなあ。まっ、都会じゃあいくら見上げても星が見えるとは限らないか。どこか近くで超新星でも爆発したら見えないこともないだろうけど、超新星と言うのは要するに「破局」だから、やっぱり夢もロマンもないか・・・。
午後4時半。カレシが注文してあった新しいコンピュータが届いた。当面はネットに接続せずに使うんだとか。コピー機を置いてある古い勉強机をオフィスの反対側に移動して、そこに古いスキャナ専用においてあった古いコンピュータをおいて、空いたコンピュータデスクは机があったところに移して、新しいのを置く・・・なんだか「秋の大掃除」並みの大仕事になりそうな予感。手を貸せと言うことになりそうだなあ。まあ、日本では「敬老の日」の(またぞろ)三連休だそうだから、今のうちに気合いを入れて作業を前倒しにしておこうか。ふむ、敬老の日って、何歳から敬ってくれるんだろう・・・?
空間認識と利き脳の怪
9月18日。土曜日。午前中に雨が降ったらしい。気持がいいから、午後になって日が差して来たので、エアコン代わりに窓を開けると、雨上がりのさっぱりした匂いがする。
新しいパソコンの設定をするつもりでいた(らしい)カレシ、デスクを移動したら新しい棚がいるとか何とか言っているうちに、「モニターを買うの、忘れてた!」と今さらながらの新発見。そっか、忘れてたのか。新しいのが来たらアプリケーションを積みすぎてえっちらおっちら動いている古いのをこっちに置いて、今コンピュータデスクに置いてあるさらに古いのは机の方に移して当面はスキャナ専用にする、という計画だったけど、それだとなんだかモニターの数が合わないなあと思っていたんだよね。今使っているモニターが比較的新しいから、いらないと思ったのかな。
まあ、こうやって「あと一歩」のところでストップしてしまうのがカレシらしいところで、「後の方/下の方/上の方/奥の方まで探さなかった」、「ボタンをきちんと押さなかった」、「奥の方までしっかり差し込まなかった」、「まだあると思った」といったちょっと不思議な不完全思考のなせるわざ。箱などの展開図を見て完成品をイメージすることができないし、見たものをそれらしくスケッチすることができない(縦横斜めの比がめちゃくちゃになる)というから、やっぱり空間認識に問題があるのかなあ。聞くところによると、この空間認識能力を支配しているのは右脳なんだそうだけど、あれ、右脳って左手の領域じゃなかったっけ?カレシはちょっと不器用なだけの普通の右利きなんだけど。でも、世の中の大多数を占める普通の右利きの人は空間認識に問題があるのかというとそんなことはないだろうな。
ワタシは左利きだから空間認識能力は高いはずなんだろうけど、そういうこともなさそうだなあ。動体視力なんてないに等しいしね。まあ、ワタシの場合は、先天的に乱視、近視、遠視を併せ持っていて視力が低かったことが大きく影響したんじゃないかと思う。なにしろ30才を過ぎてコンタクトレンズを使い出すまで物がぼやけたり、二重、三重にならずにはっきり見えたことがない。つまり、小さいときから五里霧中の世界に住んでいたようなもので、勘とでもいうのかレーダーみたいなものと、そのデータを分析する機能をある程度発達させて、それで何とかまかなっているというところじゃないかと思うんだけど。一説によると、左利きには右脳と左脳を同じように使えいる人や、両方まとめて使える人もいるらしい。ま、右手使いの訓練をさせられることが多いからかもしれないけど、両脳利きだと思考効率が良くなるのかな。だったらいいけど、ワタシに関してはどうもそんな感じはしないなあ。まあ、右利きの世界で生き延びるために、左利きのワタシは右脳でも左脳でも、とにかくありったけの脳細胞を使っているってことかもしれない。
とにかく、モニターがないからできない!とパソコンの設定を放り出した左脳絶対優位のカレシは、何を思ったのか、オフィスのあちこちにたまり放題だったリサイクルごみをかき集めて、ポーチにたまっていた段ボール箱やらちらしの類もまとめて、トラックに積んで市のリサイクルデポへ持って行った。こういう唐突なところも空間認識に関連があるのかどうかは知らないけど、おかげでオフィスはちょっぴりだけ広くなって、何がどう転ぶかわからないなあと感心して見ていたら、あら、プリンターのトナーがなくなったみたい。でも、あら、買い置きがないから注文しなくちゃ。トナーと一緒にモニターも注文すればいい。で、お子様プロジェクトその2が木曜日に終わったら、オフィスの配置換えをやろうね。棚も付けて上げるよ。木曜日なんてすぐに来るから。
すぐに来るんだよね、ほんとに。仕事、気合いを入れようっと。
揚げるも炒めるもフライだから
9月19日。日曜日。目が覚めたら正午を過ぎたところ。いやあ、ものすごい雨で目が覚めてばかりで、よく眠れなかった。ごお~っという音を立てて降っていたかと思うと、しばらくしてぴた~っと引くように止み、うとうとしたところでまたごお~っ。どうやら一時はヒョウも降ったし、雷も鳴っていたらしい。郊外では2時間ほどの間に60ミリも降ったところがあるというから、ほんとに集中豪雨だ。我が家のあたりに一番条件が近い空港では半分程度の34ミリだったそうだけど、それでも2時間くらいでどどっと降ったらすごいよね。ラニーニャになると、ジェット気流の配置の関係でバンクーバーのあたりは「嵐のハイウェイ」になってしまうんだそうな。大変だぞ・・・。
今日は何が何でも買いだしに行かないと、野菜も果物もほとんど底をついた状態。きのうの夕食なんか「超」がつくあり合せで、塩サバの酒蒸しときんぴらごぼう、鍋でご飯を炊いて「イクラ椀」。なにしろワタシはごぼうが大好物で、そのごぼうのきんぴらが大好物。最近Hマートで手に入るようになったのがうれしくて、ときどきまとめてどっさり作るようになった。だけど、野菜が底をついては、さすがの行き当たりばったりシェフも腕の振るいようがなくなる。そういえば、ベイが20%引きの特別優待券みたいなものを送って来て、その最終日が今日。前に見た新技術のフレンチフライメーカーを試してみない?とカレシをそそのかしてモールへお出かけ。
T-Falが出した「ACTIFRY」というキカイで、ほんの少しの油でかりっとしたフレンチフライができるというのがうたい文句。電気フライヤーだとポテトがカリッと揚がるほど油の温度が上がらないのが悩み。どうしてもべちゃ~っとなってしまう。それがこのキカイなら、せいぜい大さじ一杯の油で1キロくらいのフレンチフライができるというから、カレシがさっそく興味を持ったんだけど、値段が300ドルと聞いて「高い」。それが2割引きで買えるなら試してみる価値がありそう。要するに、熱した油の中で「揚げる」のではなくて、油をまぶしておいて時間をかけて「炒める」といった方が良さそうかな。まあ、英語でいえばdeep-fryかstir-fryかの区別はあるけど、どっちも同じ「fry」。超特盛りカロリーのケベック名物「プティーン」もこれならカロリーは半分になるらしいから、いつか試してみるか。ま、さっそくラセット種のいもをどっさり仕入れたから、今夜トレイを洗っておいて、あしたのランチに試してみようね。
今日の夕食はディルを振りかけた紅ザケをフライパン焼きにして、蒸したインゲンと、軽く炒めた残りもののピーマンとアスパラガスの茎としめじ、というごくごくフツーのメニュー。カレシが温室から採って来た「フリゼー」というレタスのサラダ。まだ摘み菜程度の大きさだからなのか、ぜんぜん縮れていないけど、そのぶん苦味もなくて、十代の頃に好きだった「チシャ」を食べているような感じで好感度抜群。さて、主食の魚の在庫がかなり少なくなってきたから、今度は遠洋漁業にでかける番だな。底引き網で行くか・・・。
足がかゆくなってきた
9月20日。月曜日。早いなあ、ついこの間9月になったと思ったのに、もう下旬。もっとも、起床は正午過ぎだから、こっちの方は遅いなあ、もう午後じゃないの。ま、時刻と言うのは人間が作った規律の手段の一種で、いやでも応でもこれがないと世の中が回らない仕組み。悠々自適は悠々時適というところかな。
さて、今日は仕事をするぞ~という気分で、オフィスに落ち着いて、なぜかまずは来月末の会議に出席するための手配を始めた。今年はデンバー。カレシは何も見るところがなさそうだから行かないと言っていたんだけど、お子様プロジェクトとの関連でどうしても出席したいセッションがあるもので、じゃあ、ひとりでとんぼ返りで行くか、友達を誘って一緒に行ってくるよと言ったら、「ボクも行こうかな」。あ、そう。だけど、「水曜日は英語教室があるから出られない」。あ、そう。それならばということで、木曜日に行って、金曜日午後のセッションに出て、日本語部会のディナーパーティで旧知の仲間たちと会って、土曜日の午後に帰って来ることにした。カレシの気が変わらないうちにと、会議場のホテルは2泊だけだからとちょっといい部屋を予約して、会議の方も金曜日1日だけに参加登録して、後はカレシに飛行機の手配をおまかせ。
デンバーは空港なら乗換えで何度か通ったけど、目的地になるのは初めて。たしかに観光地じゃないけど、時間帯はすぐ隣で1時間違いだし、飛行機で3時間かからない「ちょっとそこまで」の感覚だから、気分転換にいいと思うけど、なんともせわしない日程になったのは、土曜の夜はバンクーバー交響楽団のシリーズ第1回コンサートがあるから。どういうめぐり合わせか、来年5月の最終コンサートがこれまたシアトルでの会議と鉢合わせで、シーズン中5回のコンサートの初回と最終回が年2回の会議の日程とみごとにぶつかってしまった。そりゃあないよ~と思っても、偶然のなせる業には勝てないから、最終コンサートだけ別のシリーズのとチケットを交換してもらうことにした。
デンバー行きが決まったところで、今度はプリンタのトナーとカレシが買い忘れたモニターを注文。デスクを移動すると「照明が必要だ」とか何とか言い出すことは目に見えているので、ついでに先回りしてデスクランプも2本注文。なにしろ、我が家は配送センターからダウンタウンへの道筋にあるもので、「午前9時から午後5時」の配達予定だと午前10時前に来てしまう。つまり、丑三つ時みたいな午前9時に(ワタシが)目覚ましをかけて起きなければならないから、そうそう小出しに注文を出していられないのだ。いかに宵っ張りの2人とはいえ、昼夜ほぼ逆転の暮らしはめんどうなことも多い。(もしもワタシがお独り様になったら、きっとフツーの生活時間に戻るだろうとは思うけど、どうかなあ・・・。)
ハリケーン・イゴールがバミューダを通過して、カナダへ向かっている。なにしろ熱帯低気圧級の暴風域が半径500キロ以上、ハリケーン級の暴風域だけでも半径150キロくらいあるそうで、小さなバミューダはばっくりと飲み込まれてしまう。25年くらい前にモントリオールへの出張帰りのカレシと合流して週末だけ行ったことがある。まるで粉のように細かなピンク色の砂がきれいだったな。朝、道路わきに皮手袋のようなものがぞろぞろ落ちていてびっくりしたけど、よ~く見たらぺちゃんこになった大きなヒキガエルの死骸だったのでもっとびっくり。夜の間に道路を渡ろうとして車に轢かれるらしい。ブーゲンヴィリアがたくさん咲いていて、石壁にはヤモリがたくさん張り付いていたっけ。石灰を塗った白い屋根のパステルカラーの家並みはまるでプチフールの箱を開けたようだったし、首都ハミルトンの教会では寺男?みたいなおじさんが「降りてくるときにドアの掛け金をかけといてね」と、鐘楼まで上がらせてくれて、たぶんバミューダで一番高いところから見たハミルトンはかわいい感じのする街並みだった。アタッシェケースを提げたイギリス風の紳士がバミューダショーツに膝までのソックス、革靴といういでたちだったり、白いバミューX
ダショーツのおまわりさんがロンドンのおまわりさんのような帽子を被っていたり・・・また、行きたいなあ。
ふむ、旅に出たい気分のことを「足がかゆい」というけど、なんだかむずむずして来たような・・・。
ほんとにもう・・・
9月21日。火曜日。午前9時に目覚ましが鳴って、飛び起きて着替え。キッチンは朝の日がいっぱいでまぶしい。そのままゲートに一番近い八角塔の窓際のシートに横になって、うとうと。だけど、そのうち本格的に眠ってしまって、おかしな夢を見ていた。やたらと長い廊下があって、それがなぜか水浸し。そこを「べちゃべちゃじゃないのよ~、もう」なんて愚痴を言いながら(誰かと)歩いていたんだけど、足はぜんぜん濡れなかったような。そこが夢の不思議なところで、どういうわけかワタシの夢には、川や海だったり、雨だったりと、「水」がよく登場する。どうしてかなあ。
そうやって夢を見ている途中で「ピンポ~ン」。がばっと跳ね起きたもので、危うくシートから転げ落ちそうになった。午前10時ちょっとすぎ。トナーとモニターとデスクランプの配達。「ファーストネームは?」と聞かれて、綴り間違いで、訂正。「ちょっと寝ぼけていて・・・」と言ったら、配達のお兄ちゃんが腕時計をちらり。あのね、早起きのし過ぎと寝不足は体に毒だから、この次から午後に来てくれないかなあ。といっても「午前9時から午後5時の間」で指定はできないんだよね。ま、サインオフして、またナイトガウンに着替えてベッドにもぐり込んだ。カレシががばっと起きて、「来たの?」 うん、来た。そのまま2人ともぐっすりと寝なおして、次に目が覚めたらもう正午を過ぎていた。
ゆうべはカレシがデンバー行きの飛行機の予約。「がら空きだよ」とか何とか言いながら、座席を選んで、いざ支払いとなったら、「アメリカしか選べない」。え、何で?カナダとアメリカを往復するのに、クレジットカードの情報はアメリカしか選択肢がないなんて、ありえないよね。しょうがないからユナイテッドのヘルプデスクに電話。何のことはない、カナダからの場合は「Worldwide」のページから予約の設定をする仕組みになっているのに、カレシは「アメリカ」を選んでしまったらしい。う~ん、アメリカとは陸続きで、最近まで自由に出入りできていたから、「Worldwide」と聞くとカナダ人はヨーロッパやアジア、アフリカのような「海を越えて行くところ」を連想するのかもしれないな。とにかく、ユナイテッドのページに戻って、最初から予約のやり直し。今度は「帰りの便にはもういい席がない」。土曜日の朝だから、あんがい出張から帰って来る人が多いのかもね。まあ、経費で落とせるからいいだろうということで、少し余分に払って「エコノミープラス」に座席を取った。ふう、これで旅の準備は完了。
さて、今日は英語教室の日。急いで食事のしたくをして、送り出して、さあ仕事!と気合いを入れていたら、ゲートの音、どたどたという足音。何ごとかと思って玄関に出たら、カレシが突入してきた。事故でもあったのかと思ったら、「教材を忘れた」。バッグを持って行ったじゃない。「バッグに入れ忘れた。どこに置いたか覚えてない」。あ~あ。せっかく一生懸命に作った教材なのにねえ。「こんなことは初めてだ」。ん~、そうかなあ・・・。デスクのあたりをごそごそとかき回して見つけた教材をつかんで、カレシはまた飛び出して行ったけど、夕食時のテレビニュースでアルツハイマー症や認知症が21世紀の深刻な医療問題になると言ってたなあ。まあ、カレシはプレベビーブーム世代だけど、大丈夫か・・・な?
先週の金曜日にダウンタウンにあるコンドミニアムのタワーで何かの工事中に煙とガスが発生して、住人が全員避難。戻ったと思ったらまた土曜日に避難。そのままでまだ戻れないでいる。なんでも沈下したコンクリートを持ち上げるのにウレタンフォームを注入する作業をしていたそうで、化学反応を起こして発熱したらしいという話。だけど、どういう化学物質が発生したのかが不明で、疑わしい物質にはシアン化合物もあるらしい。(見当がつかなければ試験のしようがないんだそうな。)元々は電力会社の本社ビルを改装したものなので、電力会社に問い合わせたら、1万ページもの書類が送られて来て、市の関係者は「そんなもの読むヒマがあるか。今すぐヘルプが必要なのに」とカンカン。だよね、ほんと。おまけに、それまで知られていなかった密封された地下倉庫のようなものが見つかって、もしかしてPCBを保管してあったのではないかと言う疑惑浮上でまたひと騒ぎ。ウレタンフォームは少しずつ注入しないと中心から発火する危険があるそうだけど、作業をしていた請負業者はメーカーが呆れるような量を一気に注入したらしい。花の金曜日だから、さっさと終わらせて早く帰ろうと、手抜きしたんじゃないのかな。おまけに営業許可証が1月に期限切れになったままだそうで、着のみ着のままで避難させられて、まだしばらくは帰れそうにない住人は怒り心頭だよね、ほんと・・・。
演歌、今頃になって新発見
9月23日。木曜日。2人ともよく眠って、正午を過ぎて起きてみたら雨模様。ちょっと風もあるような。ラニーニャの冬の前触れなのかなあ。きのうの午後8時何分だかに「秋分」になって、今日が公式に「秋」の初日なんだけど、最高気温はやっとのことで14度。もうすぐ最低気温がひと桁まで下がる日も出て来るんだろうな。庭のトマトはもう赤くならなくなったから、青いまま収穫してしまった。ひとつかみくらい実がなったインゲンもそろそろ収穫しないと・・・。
お子様プロジェクトのその2は、あとは見直しをするだけの状態で午前3時半に無事終了。でも、想定したスケジュールだとけっこう楽々終わるはずだったのに、なぜかやってもやっても終わりが近づいて来ない。夜中を過ぎてもそうなんだから、焦ってしまうよね、ほんと。訳上がりの語数をカウントしてみたら、原稿の日本語文字数カウントから推定した語数よりもなんと25%も多くて、文字数と語数の比率が57%。プロジェクトのその1のときは48%だったし、ワタシの平均は45%だから、ちょっと異常だな、これ。もしかして客先が文字数カウントを間違えたのかな。なにしろ元原稿がスキャンした本だから、たぶん翻訳部分を拾い出して、その文字の数を数えたんだろうと思うけど、それが百何十ページもあったら、数える手元が狂うことだってある。電子ファイルが登場する前(まだ20年も経ってない!)は、見積もりも請求もぜ~んぶそうやって印刷した原稿や訳上がりファイルの文字や単語を手で数えていた。忙しいときにカレシに数えてもらったら、多すぎたり、少なすぎたり。はたして得したんだか、損したんだか、今となってはわからないけど。ほんとに、きのうは焦っちゃった、もう・・・。
朝?一番から数十ページになったファイルの見直しをしたら午後いっぱいかかってしまって、すぐにエクササイズの時間。めんどうだから、まずフレンチフライをセットしておいて、15分運動の後3分シャワー。今日は大西洋のカレイで「フィッシュアンドチップス」風。T-Falのフレンチフライメーカー、これがけっこう優れもので、カレシ好みのフライができる。しかも、でっかいジャガイモ2個をフライにするのに使う油の量は大さじ一杯程度と来ているから、指でつまんで食べても手が油っぽくならない。ごしごし洗って皮付きのままでフライにしたら、これがまたおいしい。いや、これは近年めずらしいgood buy。すっかり要領がわかったら、カレシに教えて作らせようっと。
Japan Probeを見ていたら、いかにもくだらなさそうなお笑い番組にJEROが登場して歌っているのがあった。名前は聞いていたし、演歌歌手だということも知っていたけど、歌っているのは聞いたことがない。まあ、昔は演歌も歌謡曲も好きじゃなかったんだけど、十何年か前に日本語放送でやっていた「ふたりっ子」とかいうドラマに登場した演歌歌手の歌を聞いていてなんとなく興味がわいた。カレシに言わせると、日本の演歌はアメリカ音楽でいうなら「カントリー&ウェスタン」だそうだけど、ワタシはどっちかというと心情的にブルースに共通するところがあるように思う。カントリー&ウェスタンには興味がないけど、クラシックな泥臭いブルースは大好き。日本を離れること35年にして初めて演歌に何か感じるものがあったとしたら、少しは大人になって、情緒的な幅が広がったということなのかもしれないな。演歌はカントリーよりも「ジャパニーズ・ブルース」に近いんじゃないのかなあ。まあ、さわりだけだったけど初めて聞いてみたJEROの『海雪』。う~ん、なかなかいいじゃないの。クラシックな演歌が好きになりそうな・・・。
ま、ひと仕事終わったところで、うまく行けばこの週末は「週末」になるかな。次のプロジェクトその3に取りかかる前に、ちょっとリラックスしておきたいなあ。久しぶりに行き当たりばったりシェフの「お味見メニュー」もやりたい。あと4時間ほど何もなければ・・・むにゃむにゃ(おまじない)。
なんとも変則的な1日
9月24日。金曜日。今日も正午を大きく回ってから目が覚めた。相変わらず雨模様で、のんびりと起き出してから、朝食のミルクがないのを思い出した。卵はあるけど、ポテトはフレンチフライにして全部食べてしまったし、ベーコンも品切れ。粉末のスキムミルクはあるけど、朝からあれはどうもねえ。そこで思いついたのが、「ニッポンの朝ごはん」。海塩を振って冷凍した大西洋のサケがある。少しだけきんぴらごぼうが残っているし、使い残した豆腐もある・・・。
さっそくおかゆを作りにかかって、急遽解凍した塩鮭をオーブントースターに入れて、味噌汁のしたく。きんぴらごぼうはパワーを下げた電子レンジで1分間チン。初っ端がオレンジジュースで、仕上がりがコーヒーというのは変則的だけど、朝食と言うよりは「朝ごはん」と呼んだほうがぴったりするメニューだけど、時間的にはブランチ。味噌汁なんて春の東京以来だよね。いや、久しぶりの日本のご飯はおいしかった。ブランチが終わったらもう午後2時。ポーチの気温はやっと12度。東のトロントはなんと31度という季節外れの猛暑なんだけど。
住所のナンバーがちょっと違うけど配達されたカレシ宛の郵便。差出人はサスカチュワン州の聞いたこともない村。中に入っていたのは1枚の手書きの便箋。みごとなペンマンシップからすると年配の女性かな(カレシが小学生の頃はまだペンとインクで字を書く練習をさせられたんだそうな)。あまりにも達筆で読みにくい手紙をひろい読みしたら、48年続けた農業を引退して、子供が何人で、孫が何人で、どこに住んでいて、と話が続く。カレシは何かの間違いじゃないかと首をかしげるばかり。そうだねえ、「拝啓」も「敬具」もない。いきなり近況で始まって、いきなりおしまい。何だろうなあ、これ・・・と2人でああだこうだ言っているうちに電球がポッ。カレシの高校の同窓生じゃないのか。来年の卒業50周年の同窓会を企画をしている人がいて、カレシがみんなの「その後」のプロフィール作りを買って出ていた。さっそく同窓生のリストを見たら、いた。ゲイル・クヌートソン、旧姓ミッチェル。カレシは「50年も昔だし、ぜんぜん記憶にないけどなあ」。(まあ、学校友だちよりも近所の不良と遊んでいたそうだから、そうかもねえ。)
一件落着して、洗濯機を回しているうちに、すぐに午後4時。カレシが今日は「トレッドミル休業」を宣言。エクササイズも週に1日くらいは休みがあったほうがいいからだそうな。まあ、朝食が遅かったし、おかゆでも日本食はおなかの持ちがいいのか、というよりはブランチを済ませてやっと2時間だから、全然おなかが空かない。しょうがないから、ラッシュが終わった頃にHマートへ買い物に行って、夕食はその後にして、ランチ抜きの二食にすることにした。変則的もいいところだけど、空腹でもないのに食べると言うのもくたびれるものね。
Hマートはぶどうの季節で何種類ものぶどうがある。韓国の人はぶどうが好きなのかな。病みつきになったぶっとい韓国ニンジンを2本。1メートル近くあるごぼうは2パックで特売。6本くらいになるけど、こんなに食べきれるかなあ。ま、安いからいいけど。カレシの好物のししとうを買って、生しいたけを買って、2把入りのニラを買って、ひょっと見たら、うわっ、松茸の山!トレイに入ったのがどっさり。ハングルの中に「BC」だけ読めるから、ウィスラーの先のペンバートンの周辺で採れたものか。バブル期以来ちょっとした松茸の名産地産地になっていて、最初は村の人たちの小遣い稼ぎだったのが、今では銃を振り回しての縄張り争いまで起きるという話。昔は日本食品店で傘がすっかり開いた大きなのを見かけた。もちろん傘が閉じた姿のいいのは日本へ空輸されて、現地では出回らなかった。時代が変わったのかなあ。トレイの中にいくつも入っている松茸はどれも小ぶりだけど傘はしっかり閉じている。むらむらと誘惑の手を感じるなあ。値段は100グラム13ドル。今のレートだと千円ちょっとか。
とうとう誘惑に負けて買ってしまったトレイは300グラム入り。どうしよう、さっそくレシピを探さなきゃ。ずっと昔の20代前半の頃、妹と奈良と京都に旅行に行ったことがあった。(今になって思うとあれが最初で最後の姉妹2人の旅行だった。)おりしも秋だったので、京都のみやげ屋の店先にも松茸が並んでいて、おみやげに2人でお金を出し合って松茸を買って帰って来た。松茸なんて食べたことがないから、勇んで帰って来たのに、母の反応は「こんな高いものを買ってきて・・・」。ちょっとへこんだ気分になったけど、道産子の母は松茸をどうやって料理していいのかわからなくて困ってしまったのかもしれない。でも、母が作ってくれた松茸料理はすご~くおいしかった。きっとありったけの料理の本をめくってレシピを探したんだろうな。
持って行ったトートバッグひとつでは間に合わないくらいの大きな買い物をして、帰り道は8時過ぎ。買い物を仕分けしているうちにおなかが空いてきた。とりあえず解凍していたまぐろに、あとはめんどうだから買ってきたばかりの紀文の冷凍おでんの変則メニュー。まあ、めんどうだからといいながらも、おでんを作り始めると、大根の他にごぼうを入れてみたり、いなり寿司用の(味つけなしの)油揚げを2枚だけ出して来て、にんじんとささがきごぼうに冷凍エビを1個ずつ加えてきんちゃくを作ってみたり。おかげでかなり食べがいのある「いい加減料理」になって、夕食が終わったのは午後11時。2人とも満腹だけど、なんとも変てこな1日だった。さて、買ってきてしまった松茸、どうしようかなあ・・・。
いながらにして何となくニッポン
ミルクもない、ポテトもない、ベーコンもない。朝からないないづくしの金曜日。ここのところなんたらかんたら言いながらまともな買い物に行っていなかったからしょうがない。
とりあえず、午後1時過ぎに朝ごはん。
大西洋のサケに適当に海の塩を振って、冷凍しておいた「極楽とんぼ流新巻」。解凍してみたらちょうどいい塩加減。おかゆを作っている間にトースターオーブンの上火で焼いた。後は、豆腐とわかめの味噌汁。きんぴらごぼう。京王プラザの和食朝食バイキングとは行かないけど、ちょっとニッポンの朝・・・?
遅い朝ごはんでおなかが空かなくて、夕食のしたくを始めたのは午後9時過ぎ。まぐろを回答してあったけど、これは横に置いといて、まず出来合いのおでんを作り始めた。大きなスープ鍋にだし昆布をちぎって入れて、まず大根を煮始めるのが極楽とんぼ流。おでんのスープを入れて、思いついてごぼうを入れて、フリーザーに残っていた韓国ちくわも入れて、ついでにきんちゃくを作って入れて、最後にかまぼこを入れて、やっと出来上がり。我が家の「おでん」にはからしがつかないのはなぜか・・・。
まぐろはまともに調理するのがめんどうくさくなって、そのままフライパンで焼き始めて、その間に生姜をおろして、お酒と醤油に混ぜて、まぐろの上からじゃあ~っとかけまわして、ふた。一度ひっくり返して、火が通ったところでお皿において、ソースを少し煮詰めてかけるとできあがり。そのままではそっけない感じがしたので、かいわれ大根でちょっとかっこつけてみた。朝に引き続き、いい加減ながらもなんとなくニッポン・・・。
人間は直線じゃないからね
9月25日。土曜日。まだ調子が狂いっぱなしで、目が覚めたら午後12時45分。ベッドルームの中が明るいのは晴れているから。よく眠ったようで、あまりよく眠らなかったようで、2人ともしばしベッドの中でぐずぐず。午後1時が近づいて来て、「起きた方がいいだろうなあ」と2人。「この分だと目覚ましをかけてリセットしなくちゃならないねえ」と2人。まあ、出勤するところがあるわけじゃなし、ご飯を食べさせて送り出さなければならない子供がいるわけじゃなし、どこかに行く予定があるわけじゃなし。ま、こういうところは「老後」は自由でいいと思うけどね。
今日はごくごく普通の朝食。ワタシはきのうやり残した洗濯の続き。カレシはママに電話。実は、きのうの午後に電話したら、ママは足の調子が悪くて思うように動けず、地区の医療担当局がママを別の施設に入れるという話をしたらしくて、落ち込んでいたらしかった。それを聞いたカレシがいきり立って、落ち込んで、どうも一瞬「ママを取られる」という深層心理が動いたんじゃないかと思うけど、ちょっとしたパニック状態になっていた。でも、ママは少し気が弱くなっているかもしれないけど、ボケて自分の希望を主張できないわけじゃない。だから、最終的には自分で決められるし、もしも本当に自分で決められない状態だったら、カレシとジムとデイヴィッドの3人の息子で相談して、ママにとって一番良いと思える決定をすればいい・・・そうアドバイスしたんだけど。
今日のママはうって変わってアップビートで、「みんなのアドバイスはうれしいけど、多すぎて困るのよ」と笑っていたとか。カレシはそれを無視してああだこうだとアドバイス?していたようだけど、後になって「こういうときは気分的にその日その日なんだろうなあ」とやっと納得がいった様子。そう、そういうものなのよね。大病をしたことがないカレシには経験していなくてわからないだろうけど、つまり、人間が身体的、精神的な疾患やショックから回復する過程は右肩上がりの一直線じゃなくて、誰にも大小の波があるのよね。それでも、ホームの食事仲間の話をしたり、「すごく心を開いている」とカレシ。人間は年を取るほどに社会的交流の多寡が寿命の長さにつながるという話だから、ママが少し「社交的」になって来たとすれば、先の見通しはかなり明るいと思う・・・と、半分はカレシに言って聞かせていたんだけど、通じたかな?
まあ、この前行ったときにスリッパを履くのに難儀していると思って手を出したら、人の手を借りるのを嫌がるママが黙って足を出してくれて、履かせてあげたら「足が思うように動かないの。助かったわ」と素直に喜んでくれて、この人も「素直なおばあちゃん」になったなあと感じていた。きっとママもいろんなことを自分の心の中に閉じ込めておくタイプだったのが、ひとり身になって気持が和らいだのかもしれないよ。パパはきっと一緒に生きる人としてはすごくめんどうな疲れる人だっただろうと思うから。人生って、ある程度の高齢にならないと素直に対応できないことがたくさんあるんだろうな。ワタシにもアナタにも、これから先に少しずつ発見があって、新たな学ぶことが多いだろうから、それを大切にして行けば、たとえひとりでも「老後」は決して不幸せなものにはならないと思うけど。
さて、おまじないの効き目なく送り込まれてしまった小さい仕事をささっと片付けて、松茸のレシピ探しをしようっと。きのうは冷凍ウズラの6羽入りパックも一緒に買ってきてしまった。突き出している足がなんともちっちゃくて、なんだか食べてもいいのかなと思うけど、から揚げにしてみるか、ローストしてみるか・・・。Hマートのフリーザーにはハト(squab)もあったし、ウサギもあったなけど、韓国料理にはウズラやハトやウサギも使われるのかな。はて、ウズラと松茸の相性はどうかなあ。試してみるか・・・?
極楽とんぼ亭:: DINE-INスペシャル第29回
9月26日。せっかく買った松茸。冷蔵庫に入れておいたらどれくらい持つものかわからないので、手っ取り早く食べてしまうことにした。でも、300グラムだから、けっこうある。いろいろとレシピを検索してみたけど、松茸となるとやっぱり「松茸ご飯」と「どびん蒸し」が定番というところらしい。それでも検索しまくって見つけたのが「フライ」と「リゾット」。レシピを読むのはめんどうなので、アイデアだけちょうだいして、今夜は「洋風松茸づくし」・・・。
今日のメニュー:
松茸のクリームスープ
松茸のリゾット
松茸のフライ、蒸したいんげん添え
松茸詰めうずらのフライパン焼き、ほうれん草、オクラ添え
(サラダ)
[写真] スープはマッシュルームスープを作る要領で、ただし(日本産ほどにはない)松茸の香りが隠れてしまわないように、玉ねぎはほんの少し、チキンストックもごく薄くしたもので作った。仕上げにブランディを少々。ポルチーニのようであり、白トリュフ(はちょっと大げさだけど)のようでもあり、いい味にできた。カレシ特製のかぼちゃの種入りパンを細く切ってトーストしたものを添えて、今夜の晩餐の出だしは上々。
[写真] リゾットは作りなれたきのこのリゾットの要領で、イタリア産のアルボリオ米に松の実と少々のアスパラガス。食材が基本的に同じだから味はスープとそれほど変わらないけど、これもコショウ抜きで、塩を控えてあっさりした味つけ。
パッケージの中の一番大きな松茸を少し厚めにスライスして、塩も何も振らずに衣をつけてけてふつうに揚げた。いんげん豆はカレシ菜園からの収穫。これはさくっとしていて、すごくおいしくて、カレシも絶賛。
[写真] メインはうずら。パッケージの中で一番小さいのを解凍して、まず骨抜き。抜かなくても良さそうだけど、なにしろ小さな鳥だから骨も細い。小骨だらけの魚を食べるようなものかと思い、指先を突っ込んで、いわしを開く要領で背骨と胸の軟骨、肋骨を外してみた。そこでキノアと炒めた松茸、黒オリーブを混ぜて詰め、糸で縛ってフライパン焼き。ほうれん草のバター炒めにフライで余った溶き卵を加えて「巣作り」。小さいにしては一人前に独特の味があって、松茸ともかなり相性が良かったので安心。
これで秋の味覚の松茸はきれいに使い終わって、満腹、満足・・・。
二枚の濡れ落ち葉
9月27日。月曜日。まだ湿っぽい感じだけど、気温は平年よりやや高めでまあまあの日。今日の目覚めは午前11時20分。きのうは午後12時5分だったから、おお、元に戻ったじゃないの。それにしても、このところけっこうすんなり眠りに落ちて、ちょっと長めにぐっすりと眠っていたのは、毎日の運動のおかげか、それとも単純に季節の変わり目だからか。気分良く目が覚めればどっちでもいいけど。
せっかくいい気分で起きたんだけど、超特急の仕事ひとつ。超小型トランジスタサイズの仕事がひとつ。こっちは訳文を特殊なメディアで流すそうだから、ふつうの倍の時間はかかりそうだけど、考えどころが満載でおもしろい。翻訳者はキカイじゃないのだ。原稿の作者の意図やら、訳文の用途やら、対象読者やら、文化的な配慮やら、けっこういろいろ知恵を絞る動物なのだ・・・なんて息巻いても、最近は「翻訳者=翻訳機」だと思っている人が(日本では)増えているんじゃないかと思うことが多くなった。自分の曖昧模糊とした文書を入れると、即、自分の「想定」通りの訳文が出てくるものと、期待どころか当然視しているようなところがあるから、マニュアル思考というのか、視野狭窄というのか。キカイ化されているのはそっちの方だろうが!と言いたくなってしまう。んっとに、もう。
そういうグチが頭の中にふつふつと沸いて来ると、「定年まであと・・・」という定番の思考が下の句のようにつながって来るんだけど、まっ、ここはちょっと休みたい、だらだらしたい気分なんだろうな。もちろん、仕事が詰まった、忙しいと文句を言いながらいつもけっこうだらだらやっているのはわかっているけど、まとまった「だらだら」の時間が欲しくなったんだと思う。へたの横好きの絵を描きたい、創作の時間が欲しい。外へ出て人と交わる時間が欲しい。つまるところは、どこの誰とも知らない、顔も名前も知らない真っ赤な他人の考えていることを推し量って代弁するのに疲れたってことかな。近頃とみに「もう、いいや」と思うようになったのは、ワタシなら微妙な行間まで理解できるはずだった言語がわからなくなって来たからかもしれない。いや、あんがいその言語を使う人たちの思考パターンが変わって来たからかもしれない。まあ、理由はどうでもいいけど、「もう、いいよ」の心境・・・う~ん、デフラグが必要かなあ。
ワタシがそんな気分になっているときに、カレシも「英語を教えるの、もういいかなあ」と言い出した。はあ、なんだ、2人して倦怠期?まあ、夫婦の倦怠期よりはいいんだけど、ワタシは2度目の10年の節目で、カレシはボランティア先生10年目の節目。この頃はマンネリ化を感じて意欲が上がらず、その「つまらない」オーラが生徒に伝わってクラスが盛り上がらないと感じるんだとか。ワタシは生業だから「や~めた」というわけには行かないけど、カレシは無報酬のボランティア。いつ辞めてもいいよと言ったら、「いったん辞めたら再起動は難しいと思うから踏み切れない」と。だけど、「やりたいことがたくさんあるし、一緒にあちこち旅行したいし、いくら時間があっても足りない」と。うん、隠居暮らしはヒマだと言ったのはどこの誰だろうね。きっと趣味も興味も積極性もない人だったんだろうな。いわゆる「濡れ落ち葉」か。
カレシがボランティアを辞めてもすぐ濡れ落ち葉になるとは思えないけど、ママの衰えを目のあたりにして、ちょっと「見捨てられ不安」を感じているらしいところもあるから、辞めても辞めなくても変わりはなさそうな感じ。あのさ、ワタシの定年(年金受給開始)まであと2年と7ヵ月。少なくとも仕事量を半分にするつもりではいるから、そうしたら「二枚の濡れ落ち葉」になってもいいと思うよ。それまで、待っててね。もうちょっとだから・・・。
フレンチカントリーってフランスのこと?
9月28日。火曜日。目覚めは正午きっかり。外はまぶしい。きのうは何となく疲れていたけど、今日は元気。自分で盛んに「年だ、年だ」と言っているけど、そうやって自分をなぐさめているのか、それともはっぱをかけているのか・・・まっ、どっちでもいいか。
今日はまず最初にモニターの入れ替えの作業。カレシが買い忘れて、トナーと一緒に配達してもらったコンパックのモニター。今はみんな横長なんだよねえ。カレシがついこの間?買い換えて使っているのも横長で、見たらファイルを2つ並べている。ははあ、そういうことか。横長だとPDFの原稿ファイルとワードの作業ファイルを並べて表示できる。印刷しなくてもすむし、カラフルすぎてモノクロ印刷では判読できないところでも、いちいち画面を切り替えなくてもい。実際にはモニターを2台並べて使っている人がけっこう多いし、ワタシもそういう設定にした方が早いんだろうけど、ここはとりあえず「ね、ワタシが使ってもいい、これ?」とカレシにおねだり。カレシが思いのほかあっさり「いいよ。キミのを古いのに使うから」というので、さっそくいただき~。
なにしろデスクの裏はコードがスパゲッティ状態。埃もたまっているから、ミニ掃除機を持ち出してきて、まずは掃除。それからモニターのコードを見つけて、なんとか複雑にからみ合ったスパゲッティから解放して、モニターを撤去。新しいのをつないで、PCを起動して・・・うは、アイコンがみんな横長。そうだよなあ、5年使っているPCだもん。ドライバをインストールして、モニターの設定をして・・・いやあ、広いなあ。不動産の広告じゃないけど、「ひ、広い」。カレシは一番小さいのを買ったというけど、広く見える。ただし、ちょっと寸詰まり。そっか、縦横の比が変わっただけで、表示面積は同じなのかもしれないな。それでも、2つのファイルを並べて見られるのはたしかに便利だな。いっそのこと、ファイルを拡大しても表示できるように、もうひとまわり大きいのを買っちゃおうかなあ。で、これはカレシに返還する・・・と。
コントラストだの、明るさだのをさんざんいじりまわして、ま、こんなところかと落ち着いて、ひと息。小町を見たら、『フレンチカントリーの我が家をけなす帰国子女の友だち』という実に詳細なタイトルのトピックが目についた。フレンチカントリーテイストとやらで新築した「かわいいおうち」をフランス帰りの友だちに「こんなのフレンチじゃない」とけなされてしょぼ~ん。「どうかワタシをなぐさめてください」。トピックの主の曰く、「でも今はかわいいおうちが増えていますし、インテリア好きの女性ならみんなナチュラルカントリーやフレンチカントリーは大好きなはずです」と、「かわいい」と「おうち」の連呼。あちこちで揶揄の標的になるほっこりだかロハスだか言っているマダムのブログってこんな感じなのかなあ。
フレンチカントリーテイストのおうちで、かわいいドーマーがあって、アンティークの雑貨を飾ったり、リネンのカーテンやアイアンのグッズでさらにかわいく飾って・・・愛読するインテリア雑誌の受け売りなんだろうけど、背中を毛虫が這っているようなむずむず感というか、手の届かないところがかゆくてしょうがない気分になる言葉遣いだな。まあ、French country、Early American、Shabby chic、Scandinavian modernなんてのはたしかに家具やインテリアのスタイルとしてあることはあるけど、お金がどっさりあるお屋敷クラスの家の話だと思っていた。そりゃあスーパーへ行けば写真満載のインテリア雑誌がたくさんあって、たしかにデザインもスタイルも家具も設備もインテリア装飾も(時には窓からの景色も)とにかくすばらしい。ワタシもキッチンの改装のときは何冊か買って参考にしたけど、思わずため息が出るほどすてき。だけど、見れば見るほど何かが足りないという気がしてくる。
長いこと何なんだろうなあと思っていて、ある日ふと気がついた。何かが足りないって、足りないのは人間のぬくもり。インテリア雑誌の写真には「人間」の姿がほとんどない、無機質な風景でしかないということだった。つまり、生活感がない。人が住んでいる温か味がない。日本でフレンチカントリーだのナチュラルカントリーだのを謳っている人気インテリア雑誌の類もそうじゃないのかなあ。それにしても、ググってヒットしたタイトルを見ただけでびっっくり。「フレンチカントリーな○○」と形容詞になってしまっているからもっとびっくり。なるほど「雑貨」という言葉はここまで進化したのかとさらにびっくり。おままごとだ、これ。
ビクトリア朝時代のドラマを見ると、あの頃のイギリスの家はなんかやたらといろんなものを飾っていたんだなあと思うんだけど、あれは世界に植民地を持って戦利品?を持ち帰った大英帝国の絶頂期で、家は「おうち」なんてもんじゃないし、マダムは埃ひとつ払わないでよかった時代。日本でも日常生活の場にこんな雑貨とやらをごちゃごちゃ飾れるというからにはさぞかし広い家なんだろうなあ、とちょっぴりイジワルな気持にもなるけど、ま、「家」というのはそれぞれの生活の入れ物だから、趣味がほっこりであれ、ロハスであれ、かわいいおうちであれ、そこで暮らしている人がほのぼのと幸せであればそれでいいじゃないの、誰が何と言おうが。世界には「ジャパニーズカントリーテイスト」を気取って悦に入っている人たちだってたくさんいるんだからさ。
帰国子女云々に関係なく、人さまの趣味をけなす人もけなす人だけど、けなされた(ほめてもらえなかった)からって「なぐさめてください」と掲示板に泣きつく方も泣きつく方。またそれに自分はフレンチカントリーは大嫌いだとか何とか書き込む人も何だかなあ。まっ、こういうおもしろい人たちがたくさんいるからと、小町横町の井戸端会議を野次馬参観してはこうしてブログに書いているワタシもちょっとばかりなんだかなあ、うん・・・。
割れ鍋にとじ蓋の2人
9月29日。水曜日。正午前に目が覚めて、あ、今日はシーラとヴァルが来る日だ!と、あわてて起きる。カレシはなんだかすごい汗をかいてよく眠れなかったと、ちょ~っとばかりナナメのような。でも、外はいい天気で、週末まではインディアンサマー。なにしろ、ずっと乾燥しっぱなしで最終日の土砂降りだけで月間降雨量の記録を更新した8月と違って、9月はずっと記録的な雨量だったというから、そろそろ虫干しなくちゃね。気分的にも・・・。
カレシはちょっと精神的なストレスがたまっているらしく、なんだか黄色信号。ジムから「ママはボケてきたんじゃないか」というメールが来るし、ママは骨折の予後がはかばかしくなくて痛みが取れなくて食欲もないというし(つまりボケているようには見えないんだけど)、英語教室のボランティア先生も辞めたいんだか、続けたいんだか、気持がぐらぐらして定まらないし・・・イライラ。そうこうしているうちに、家の外に市のトラックが止まっていて、何やら作業中。きゃっきゃと楽しそうな笑い声が聞こえて、カレシ、何を思ったか庭に出て行って、「うるせぇ~。黙れ!」と一喝。笑い声は一瞬だけやんだものの、すぐにまたきゃっきゃ。すっごいむくれ顔のカレシに「何かおかしいことがあったんでしょ」と言ったら、「なんであいつらを弁護するんだよ!」とこっちに一喝。あのね、人間はおかしいことがあったら笑うのよ。だから、そう言っただけなのに、何でアンタはすぐにそうやって見捨てられた孤児みたいな、被害妄想みたいなことを言うのよ?「だって、そう感じるんだから、しょうがない」。いい年して、アホか~っ!
ま、庭に出て何やらあれこれやって頭を冷やしたらしく、入って来たときはごく普通を装っていたけど、やっぱり何らかの発達障害か人格障害があるんじゃないのかと思ってしまう一瞬だったな。小さいときからどうしても打ち消すことができないるらしい「見捨てられ不安」。ほんとに生きにくいだろうなあと思うと悲しい。あれだけのことがあって、それでもまだこうして2人でいるのに、そX
れでもまだ不安が消えないなんて悲しい。でもまあ、パニックを起こしてぶっちぎれなかったのはエライ。この10年でやっぱり少しは変わって来ているんだと思う。だけど、こういう場面に直面すると、ひょっとしたらこのあたりが限界なのかなあという「信号」が一瞬だけでも点る。あのさ、ワタシはアンタのママじゃないんだから、そうやっていつまでもワタシを試していたら、いつかは「臨界」に達してしまうよ。そうなったら、メガトン級の核爆発で2人の35年の歴史は跡形もなく吹っ飛んでしまうよ。ワタシだってこの10年の間に壊れてしまった自分を解体して、再構築してきたんだから。いい大人が、いつまでも子供みたいに甘えるんじゃないっちゅうの、んっとに。
でも、それがワタシが40年来ずっと好きでいる人、ワタシのアナタなんだからしょうがないよね。今だったら何らかの「障害」の診断が下るのかもしれないけど、60年前の昔はそういう発達障害のことなんか誰も知らなかったから、家でも学校でも「内気な子」、「神経質な子」、「癇の強い子」、「注意力散漫な子」・・・いろんなラベルを貼られて来たんだと思う。考えたら、ワタシも小学校の成績表に先生が「注意力散漫」と書いたそうだし、級友との意思の疎通が思うように行かない苛立ちからか、教室のど真ん中に突っ立ってめっちゃくちゃ大泣きして先生を困らせたことも一度や二度じゃなくて、「すぐ泣く子」という評判だったらしい。あ~あ、割れ鍋に綴じ蓋というやつじゃないの、私たち。そうでなかったら、とっくの昔に限界を超えてしまっているだろうな。
だからといって、やっぱりいつまでも甘えていちゃいかんでしょうが、カレシよ。ワタシは(たぶんちょっと弱気になったときに)父に言われたの、「いつまでも親がいると思うな」と。父が逝ってしまってもう20年近くになるけど、大切にして来たこの言葉、アナタにあげるね。いつまでも親がいると思うな。いつまでも妻がいると思うな。一日も早く「見捨てられ不安」の呪縛から自分を解き放って、精神的に自立しなさいって。その方がだんぜん生きやすいんだから。
子供を産み捨てる人たち
9月30日。木曜日。正午ぎりぎり。いい天気。ラジオでは「夏の最後のあがき」だと言っている。そうなんだ、今日で9月も終わり。早いなあ・・・と、毎月、毎月ぶつぶつ言っているような木もするけど、やっぱり早いよ。早すぎる。若い人たちの時間はどんどんベースを速めていいから、私たち老後に向かってまっしぐらの世代の時間はちょっと緩めてくれないかなあ。
正午になってテレビのニュースに切り替えて、朝食を取っていたら、バンクーバー島ビクトリア郊外のサニッチの家で赤ん坊の死体が見つかった事件があって、警察がその母親を逮捕したという。最近バンクーバーでも(家族に知られずに)生まれた赤ん坊(2人)の死体を遺棄した母親が逮捕された事件があったから、似たような事件かと聞くともなく聞いていたら、母親は「20歳の日本人交換留学生」だと。一軒家をシェアで借りていたとかいう話だけど、誰も彼女が妊娠していることに気がつかなかったのかなあ。日本人の女の子なんて拒食症みたいなのが多いから、おなかが目立つだろうと思うんだけど。まあ、日本でも高校生が家族の知らない間に妊娠、出産して、赤ん坊を捨てたなんて事件がけっこうあるから、「ぽっちゃりして来たな」とは思っても、面と向かって言うと傷つくかもしれないなどと考えているうちに手遅れになって、「気づかなかった」ということになるのかもしれないけど。
この夏には大阪で若い母親が幼い子供を置き去りにして死なせたニュースがあって、そのときはこっちでは10年ほど前にカルガリーで起きた幼児餓死事件を思い出した人が多かっただろうと思う。高校で出たてで語学留学して来た女性が、たちの悪いDV男に引っかかって2人の子供を産んで、まだ1歳ちょっとと3ヵ月だかのその2人をアパートに置き去りにして(子供の父親ではない)男のところで何日も遊んでいた結果だったけど、こっちでは大きな事件だったのに、日本ではまったくといっていいほど報道されなかったらしい。(日本人が被害者だとちょっとしたことでも報道されるのにね。)女性の親がマスコミに手を回して報道されないようにしたという噂もあったようで、懲役8年のうち数年を服役したご本人は仮釈放になって日本へ強制送還され、その後は何食わぬ顔で暮らしているという噂だった。まあ、カナダの日本人村では未だに日本女性がらみの事件があるたびに引き合いに出される「セレブ」だけど、日本ではただのアラサーの女性として平穏に生活しているんだろう。
まあ、ビクトリアの事件はどうやらカナダに着いたときにはすでに妊娠していたらしいから、カルガリーの事件とは性質が違うと思うけど、だとしたら本人は妊娠に気づいていなかったのかなあ。高校生ならまだしも、20歳の大学生。自分の体の変化に気づかないはずはないと思うんだけどな。検死解剖の結果では赤ん坊が死産だったのか、自然死だったのか、殺人だったのかは判断できなかったそうだから、さらに詳しい検査の結果如何ではもっと大変な罪名がつくことになるかもしれない。英語がほとんど話せないそうだから、まだ通訳業をやっていたら(法廷通訳課程の修了証書を持っているので)お鉢が回ってきたかもしれない。やだよ、こんな気の滅入りそうな仕事・・・。
だけど、20歳と言えばやっぱり一応は「大人」のはずだよね。セックスはちゃんとできるんだから、生理が何ヵ月も来なかったら「もしや」と気になるんじゃないかと思うけどなあ。ちょっと理解しがたいんだけど・・・。まあそれはともかく、たぶんこの事件も日本のマスコミには報道されないだろうな。冷凍乳児遺棄事件とやらが盛んに報道されているから、その影にひっそりと隠れて、この女性もやがて日本へ帰って何事もなかったように平穏な生活に戻るのかな。いや、こっちの新聞には実名が載っていたし、留学仲間もいるようだし、ミクシィだのFacebookだのが隆盛して、マスコミが報道しなくたってジョーホーはウィルスのように増殖して流れる世の中だから、日本にも話は伝わると思う。若いのに、というよりは若いからこそ、大変だろうな、これから。