リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年1月~その2

2008年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
しっちゃかめっちゃか

1月16日。今日は朝からしっちゃかめっちゃか。起きてみたらカレシがいない。道路の工事はまだ始まっていないけど、玄関のロックがオフになっているので外に出ているらしい。と思っていたらいきなり飛び込んできて、あふあふ。「落ち着け、落ち着け」と自分にいいきかせて、深呼吸をして、「トヨタのエンジンがかからないし、フードもあけられない」と早口。どうもトラックを持っていかれるのではないかと心配で早くから目が覚めて、ポンコツトヨタでジャンプスタートして移動しようとしたらいい。もう30分のあれこれやってるけど、フードを開けられない。「誰かが何かしたんだ」とおろおろ。「開け方を知っているか」とやいやい。あのぉ、あの車を20年も運転してるのはあなたなんですけど・・・。

フードの方は、フードを持ち上げて下にあるラッチを探らなかっただけのことで、難なく開いた。なあんだといいたいけど、夕べはちゃんと動いたのに急にエンジンがかからないことでパニックになって、そこまでは気が回らなかったらしい。やれやれ。そうこうしているうちに、となりのパットが出てきて、「トラブルかい?」タクシーを呼んでスタートしてもらうというカレシに、自分の車を使えばいいといってくれて、寒空の下、二人でケーブルをつなぎ始めた。朝食はまだで腹ペコだけど、しょうがないからワタシは洗濯を開始。しばらくして二階から見たら今度はトラックにケーブルをつないでやっている。どうもエンジンがかかりそうな音じゃないなあと思っていたら、カレシがどかどかと入ってきてタクシー会社に電話。こっちのタクシーは人を運ぶだけじゃなくて、バッテリが上がったときに応援に来てくれるから助かる。

食べる気がしないという朝食を半分すませたところでタクシーが来た。トヨタのトラブルはバッテリではないらしい。トラックの方はバッテリが完全にアウト。往診代20ドル。トヨタはこの際あきらめるけど、トラックをどうしようと、カレシはうろうろ。それでも二人の頭をつき合わせて、思いついたのが何度か修理をしてもらったタイヤ屋兼修理工場。すぐに交換できるというから、レッカー車を回してもらって、やれやれと胸をなでおろした頃には外には工事のトラックがずらり。ぬるくなったコーヒーでひと息ついた頃にレッカー車が到着。やばいと思ったらしいとなりのパットが「レッカー車来てるの知ってる?」と電話。カレシが外へ出て行ったすぐ後に裏のプリスカから「トラックのところにレッカー車が来てるけどいいの?」と電話。そっか、みんな駐車違反で持って行かれると心配してくれたんだ。持つべきものはよき隣人だなあ。

トラックの修理を待つ間、カレシはどっちみちあと1ヵ月で保険が切れるトヨタを処分する方法を模索。電話をかけまくって、チャリティ団体が引き取ってくれて、おまけに税控除用に寄付70ドルなりの領収書をくれるというので、身売り先が決まった。トラックは午後には新しいバッテリでルンルンの調子で戻ってきて、めでたし、めでたし。しめて240ドルの出費。カレシは疲労困憊。だけど、これは「しっちゃか」の部・・・

コンピュータのノートン君から今の契約の更新日まで2008版を無料で使えますとのお知らせ。どっちみち更新するつもりだから悪くはないなあと、さっそくダウンロード。ところが、インストールしようとしたら、うわっ、エラーメッセージの出まくり!どうも間違ったのをダウンロードしたらしいと分かったけど、すでにとき遅し。ノートン君は頓死してしまった。おまけにWordを開くのに15分もかかる。あれあれと思ってカレシが教えてくれたアンチウィルスソフトをダウンロードしてスキャンしても、追跡クッキーが67個もあった以外は問題なし。正しいファイルをダウンロードして再トライしてみたけど、今度は「契約が切れている」からダメ。ああ、知らない、知らない、し~らない。Symantecのサポートにコンタクトしたら、折り返し電話は「明日の午前11時から12時の間」だって。はいはい、すべては明日ってことで・・・

まあ、「めっちゃか」の部が起きたのがちょうど仕事のない日だったのは、ラッキーだったのかな。うん、そう思うしかないなあ。人生、山あり谷ありだもんね・・・は、ちょっと大げさだけど。

きのうのきょうとて

1月17日。現業の朝は早い。午前7時すぎには出動。ということで、7時半には工事のトラックがずらりと並ぶ。去年の夏に敷設工事をしたときのパターンがそうだったので、ゆうべは真夜中のランチもせずに早寝してしまった。カレシもワタシもてんやわんやな1日でさすがにくたびれていたから、ちょっとナイトキャップを引っかけて、お風呂で「ラフな日だったけどがんばったね」と労いあって、ベッドに入ったらすぐに眠ってしまったようだ。

英語教室用の目覚ましが鳴ったのは10時。外では工事がすでにたけなわ。ところが、いつもなら騒音で目を覚まして起き出してしまっているはずのカレシが、気持良さそうに眠っているじゃないの。ふ~ん、それくらい気疲れしてたんだなあと思いつつ、よく見たらシリコンの耳栓を2個ずつ詰めてある。これじゃあ外の重機の音も聞こえないだろうなあ。もっと早くに考え付けばよかったのに。(もっとも耳栓を常用すると元々湿った耳垢が固まって聞こえが悪くなるという問題があるんだけど・・・。)起きてもらわなきゃならないから、おでこをちょいちょいと突っついて起こしてあげた。

SYMANTECのサポートセンターから電話がかかって来たのは午前11時きっかり。まず経緯を説明して、問題の修復にかかる。テクニカルサポートの仕事はお釈迦様なみの忍耐がいる。3回修復を試みてダメ。「ちょっと待ってね」とテクニシャン。ホールドになって待っている間、たまっていたニューヨークタイムズの日曜クロスワードをぼちぼち。5分ほどして、「今入っているのをすっかり削除して、新しいのを入れます」。へぇ、どこをどういじったのか、ノートン君を修復不能にしてしまったらしい。指示の通りにURLを入力して、Removal Toolで2007年版を一掃。これも時間がかかる。電話はまたホールド、ワタシはまたクロスワード。終わったところで声をかけたら、今度は新しい2008年版のダウンロードにかかる。これも時間がかかる。ダウンロードが終わったら自動的にインストールが始まって、いわるままにあっちこっちをクリックしているうちにノートン君が正常に立ち上がった。おお、ばんざ~い。時刻は正午。かっちり1時間かかったわけで、ほんとにお釈迦様のような忍耐力の人だ。10回くらいサンキューをいってまだ足りないくらい。いやはや、ほんとにごくろうさまでした!

外の工事はカレシが帰ってくる前にアスファルトの舗装まで済んでしまったらしい。でも、ちょうど終業時間になって「駐車禁止」の標識を撤去に来る人がいなかったのか、道路はまだ駐車禁止。舗装する係は「うちの仕事ではありませ~ん」ということらしい。カレシはまたカッカとして、トラックを元の場所に戻すと出て行った。ところが、ところが、なのだ。またトラックのエンジンがかからない。新品のバッテリなんだし、ライトもちゃんとつくから、バッテリの問題じゃない。やれやれ、カレシはまたイライラ、カッカ。ワタシのいうことに耳を傾けて新しいトラックを買っていればこんなめんどうはなかったでしょうに・・・。

しばらくそっとしておいたら、トラックも処分すると言い出した。そこで提案。まずきのうのところで問題点を調べてもらって、わかれば修理してもらう。それからその修理代に相当する値段で売りに出す。その間に新しいトラックを買う。さすがのカレシも八方ふさがりなのか、今度はまじめに聞いて、まじめに賛成。ああ、やっとこれでポンコツ騒動も幕になりそう。やれやれ、「ボク、おとなだもん」と主張する子供に対して、世話を焼かずにお母さんをやるって、うん、けっこう難しい・・・

1日中おでかけの日

1月18日。金曜日。外はごみ収集のトラックが通り過ぎた以外はいたって静か。臨時の駐車禁止の標識はまだ残っているけど、よく見たら1月17日と18日と書いてある。ええ、まだやるの?だってきのうは掘った穴を埋めて、アスファルトをローラーでならして、どう見ても舗装終了なのに。まあ、どっちみちトラックは動かないんだし、修理工場のスコット君は今日は休みで明日出勤ということだし、この件は今日いっぱい棚上げということにして、朝食後すぐに予定していたダウンタウンでショッピング。

といっても今日はみんなカレシのショッピング。まずはBOSEの店を見つけて、欲しがっていた「ノイズキャンセレーション」ヘッドフォンをお試し。周波数の低い騒音の波形と鏡像になる波形の音波をぶつけて、消してしまうしかけ。街中や、飛行機や電車の中のような騒々しいところでiPodやMP3プレーヤーを接続すると音楽だけはっきり聞こえるから、音量を上げないですむ「聴覚にやさしい」キカイでもある。二つあるモデルを試して見ると、1秒もしないうちに周りの騒音がプッツンと消える。話し声は聞こえるけど、かなり遠い。自分の声もどっか頭の外から聞こえてくるから不思議。結局、長時間使っても楽な耳をすっぽり覆うタイプのに決めた。AAA電池1個で30時間くらい持つというから技術の進歩はすごい。新技術だった頃の古いのがまだあるけれど、これは消音ユニットがヘッドフォンと別で、電池は9ボルト、おまけに消音できる波長の範囲が狭かった。BOSEのは全部ヘッドフォンに入っているからすごい。

次は同じモールの同じ階にある紳士服の店。カレシがまともなスーツを欲しいという。20年くらい前に買ったのはとっくに流行送れだし、安いものだったし、それに(しぃ~)縫い目が弾けそうで、ひとサイズは格上げ?になっているはず。アルマーニとかボスとか、ブランド物のセールをやっているけど、セールスのおじさんは「これは流行モノだから、長く着るならカナダ製のものが無難だし、値段も安いよ」とアドバイス。そうだなあ。アルマーニやボスはセールの値段が1500ドルとか2500ドルだもんね。中には「5999ドル」という、両目が宇宙まで飛び出しそうなすご~い値札のついたのがあった。だけど、生地は軽くて手触りがとってもいいんだなあ。やっぱりいいものは高いってことかあ・・・

次はオフィス用品の量販店。この前ワタシが試しに買ったメモリースティックに、どれくらい容量の大きいのがあるのか見るため。最近のカレシはビデオをいじっているから、大容量のがいるんだそうな。だけど、スティックは8GBまでしかない。結局、250GBのポータブルハードディスクを買った。いやあ、250GBも保存するデータがあるの?ワタシは60GBの半分以上が空っぽだから、よかったら貸してあげようか?まあ、冗談はともかく、もし優れものだったら、ワタシも一番小さい(120GB)のを買おうかなあ。

最後にコリアンのスーパーで買い物。今夜はコンサートがあるから、調理の時間はあまりない。それじゃ「刺身」にしようということになって、マグロとサケとタコ。付け合せにカレシが好きなししとう。家では大根を超薄切りにしてツマの代わり。これにニンジンと大根とトマトのサラダで、簡単でヘルシーな夕食。1月はモーツァルトの月。今夜のプログラムはバイオリンコンチェルト1番から3番まで。リーダー兼ソロはジェームズ・エーンズ。この人は端正すぎて少しものたりないような感じがする。カレシにいたっては、第1番の第1楽章が始まったところでもう舟を漕ぎだして、第2楽章で沈没。最前列の中央でこれだから、主席チェロ奏者が「しょ~ないなあ」という顔でチラチラと見るから、ときどき肘で突っついてあげるけど、あのさぁ、ノイズキャンセレーションのヘッドフォンてほんっとに必要なの、カレシ・・・?

二人三脚で行こうね

1月19日。土曜日の朝。カレシはまっさきに修理工場のスコット君に電話。話によると、バッテリを取り替えた後で、スパークプラグを全部抜いて、乾かして、やっとエンジンがかかったんだそうな。すぐに同じ問題が起きたとすれば、これはキャブレターの交換が必要で、たぶん300ドルくらいはかかる。人件費や税金を入れたら軽く500ドルは行ってしまいそう。バッテリ交換の費用を入れたら約千ドルに近い。カレシはまたあれこれと思案投げ首になる。いいじゃないの。保険は4月末まであるから、その間トラックを使えるわけだし、ちゃんと動いていれば売りやすいし。カレシはう~ん、だけどなあ、だけどだけど・・・

きのう帰って来て、車をガレージに入れたところで、ガレージドアのリモコンが効かなくなった。どうも電池が切れたらしい。乾電池は小さい12ボルトの特殊なタイプで予備はない。シリアルも切れちゃったし、じゃあ、モールまで買いに行こうかということになった。車だとガレージのドアを手動で下ろすのが大変だし、幸い雨も止んだし、歩いて行こう。ところが、なのだ。半町ほど行ったところで、カレシが「財布を忘れたから家に戻って取ってくる。先に行っててくれ」。あらまあ・・・

忘れ物は別にめずらしくもないけど、ゆっくり歩いて2丁先まで行っても、カレシの影も姿も見えない。しばらく待ってみたけど、姿は現れない。ははあ、きっと財布が見つからないんだ。そろそろと家のほうへ戻り始めたら、カレシが現れて、手を振って「戻って来い」とサイン。おいおい、緊急事態でも起きたのかい?しょうがないから走って戻ったら、「どこ探しても財布がない。トラックをいじっていて落としたのかもしれない」と真っ青。まさか。トラックをいじったのはおとといの夜で、きのうはショッピングにもコンサートにも行ったじゃないの。そこで、いつものパターンなんだけど、こんな会話に発展する。「だけど、どこ探してもないよ」。「ゆうべはいていたズボンは調べたの?」今はいているジーンズをさして、「これはいてただろ?」「まともな格好しなきゃって着替えたじゃない」。カレシはドドドッと二階のベッドルームへ。しばらしくてまたドドドッと足音。「あった!」ふう、やれやれ・・・

モールを歩きながらちょっとイジワルに「早めに老人ホームを予約しとこうかな」といったら、「ボクは子供の時からこうなの!」と反論。「だったら、今から探し始めた方がいいなあ」。とにかく、メンタルエネルギーが自分に向かないで、周りで他人がやっていることにばかり集中するもので、自分のことがそっくりお留守になる、という状態なんだけど、ADDなのか、心理のずっと深いところに何か問題を抱えているのか、ワタシにはわからない。他人のすることを自分への敵対行為と受け取りがちなところをみると、どうも心理的な問題に思える。エリクソンのライフサイクル論からいえば「乳児期」に自分を取りまく世界に対する基本的な信頼を確立できず、安心感を得られないまま生きてきたということになるのかもしれない。なんだかすごくしんどい人生みたいで、かわいそうに思えてくるけど、「ここにワタシがいる」というオーラを出すくらいしかできないのはもどかしい。だけど、ワタシはカレシのママじゃないし、ママの「代役」と思わせたらワタシが危険だからなあ。

たいしてない買い物をエコバッグに入れて、二人の間にぶら下げて家路についた。モールから道路に出るのに、ワタシはこっち、カレシはあっちへ。二人でひとつのバッグを持っているんだから、これではにっちもさっちも行かなくなってしまう。「コーディネートしなきゃダメだなあ」とカレシ。そうね、夫婦が一心同体なんてありえないよね。二人の独立した人間の「二人三脚」といった方が合っているよね。呼吸を合わせて、一歩一歩コーディネートして行かないと、二人ともこけてしまうんだもの。バッグは二人の間でけっこううまくリズムにのって揺れていた・・・

シャルル・アズナブール

1月20日。結局、きのうは今日午後が納品期限の小さな仕事をひとつ終わらせただけで早めに店じまいしてしまった。ダイニングキッチンのテーブルで差し向かいで飲むナイトキャップは大事なクオリティタイム。カレシはかなりくたびれた顔をしている。ストレスに弱いからなあ。テレビのニュース局はCNNもBBCも戦争、殺人、暴動、選挙。同じ映像とサウンドが15分くらいのサイクルでしつこく流れる。これでもかというくらい何度も同じ殺伐とした映像を見せられて精神的にいいわけがないだろうと思うけど、それが今の商業報道というものらしい。カレシはテレビを消して、シャルル・アズナブールのCDを持ち出してきた。うん、その方がずっといい。

シャルル・アズナブールは日本にいた頃から大好きだった歌手。英語で歌った『Old Fashioned Way』が北米で大ヒットして、その後何度かバンクーバーにも公演に来た。無理して一番高い席のチケットを買ってカレシと行った。ステージのアズナブールはまさに究極のショーマンだ。おかげでカレシも熱烈なファンになった。『Old Fashioned Way』は英語でもフランス語でもこっちまでうっとりロマンチックになるし、フランス語はかじった程度しかわからなくても、『La Boheme\』や『Come Ils disent』は切ない気分になるのだ。聞いていて涙が出てくるのは『La Mamma』。死の床にあるママのところに子供たちが集まって、孝行息子も放蕩息子も、死んで行くママがさびしくないように思い出話をしたり、ギターを弾いて歌ったり。アヴェマリア・・・ママは絶対に絶対にぼくたちの心からいなくならない。こんな風に楽しく死ねたらいいなあ。だけど、子なしのワタシには夢のまた夢だろうなあ。そう思うから泣けてくるってわけではないだろうけども。

アズナブールは80才を過ぎてもまだ歌っているそうだ。朗々とした声がすばらしいだけじゃない。ちょっとおちょぼ口の口元がまたキュートでとにかくセクシー。ああ、ほっぺたにでもいいから、あの口でチューッとやってもらったら、きっとまっすぐ天国に昇っちゃうだろうなあ。そんなことをいうとカレシはちょっとだけ焼きもちを焼いているような顔になるけど、フランス語を話す男性にはおちょぼ口が多いような気がする。きっと、口をすぼめて発音する単語が多いんだろうなあ。

フランスの歌手ならジャック・ブレルも好き。おととしサンフランシスコで2枚組のCDを見つけて買ってきた。シャンソンには英語圏のポップにない物語的な感覚があるから好きだ。あんがいカントリー&ウェスタンのバラードに近いのかもしれない。(ドン・マクリーンの『Vincent』にはそんなところがあるなあ。)人類が歌を歌い始めたのはきっと文字が生まれる前の語り部の時代だろう。部族の歴史を語り継ぐのには、リズムと旋律があればずっと暗唱しやすいはずだもの。聴いていると何だかワタシも歌いたくなって来る。だけど、ワタシは女性歌手の歌が歌えない。低いアルトのワタシには音程が高すぎるのだ。テノールくらいでないと聞きながらハミングすることもままならない。英語でもフランス語でもイタリア語でも、とにかく空に向かって大きな声で思いっきり「ワタシの歌」を歌ってみたい・・・

今こそ、いざ

1月21日。月曜日の朝が来て、あっ、今日の午後が期限の仕事、まだ終わってない!少しダラダラしすぎたかなあ。まあ、金融関係の仕事は退屈といえば退屈。だけど、ワタシの「事業」では法律・金融・会計・その他ビジネス関連は二本柱の一方なもんで、何が何でもやるっきゃないのだ。生活のためなら好きも嫌いも言ってはいられないってこと。楽して儲けたり成功したりなんて、まずありえないもんね。

お昼のニュースも夕方のニュースも「ブラックマンデー」のトピックでもちきり。日経なんかすごい下落ぶり。あれじゃ好調のときに投資資金をつぎ込んだ人は苦しいよねえ。我が家は会計士で元証券取引委員会勤務のカレシと、元会計事務所勤務でビジネス関連の仕事でいやというほど門前の小僧をやっているワタシとで、お金の話になると不思議なくらいに意見も志向も一致してしまう。おりしもワタシの退職積立金の払い込みの時期。委任状を持っているカレシに催促して、どこかよさそうなところに投資してもらわなきゃ。大学では経済学専攻だったカレシの基本線は、高いときは敬遠、安いときに買う。ま、上がったものは下がる、下がったものは上がるのが相場の常だから、たぶん、今はその「安いとき」がすぐそこまで迫っているってことかもしれない。待っていた人にはチャンス到来なのだ。

比較的楽ちんな2つめの仕事を片付ける前に、人生第二ラウンドの意気込みで大学の課目に登録。前回未完のまま期限切れになった必修の「英語Ⅱ」のやり直しは別の機会にということにして「心理学入門」をとることにした。カレシにそう言ったらあまりおもしろくなさそうな顔をする。たぶん自分が論文のネタにされると思っているのかな。あれを取ったら、これを取ったらと、それとなく指示しようとするからおもしろい。あんまりさしさわりのなさそうな、趣味的な方向へ向けようとするもので、よけいに「こういう人ってどういう心理でそういう行動を取るのかなあ」と、心理学への関心が高まってしまうって、わかっているのかなあ。要するに、やぶへびなのよね、あなたのやってることは。

ワタシが「教養学士課程」とでも訳せそうなプログラムを取っているトンプソンリヴァース大学はBC州のずっと内陸のカムループスというところにある。大学自体は設立からまだ3年ほどだけど、通信制の遠距離教育制度ができたのは25年かそれ以上前のことで、いろいろと変遷してやっと州立大学の「継続教育部門」になった。会計事務所時代にディプロマコースで取った単位がほぼ全面的に認められたので、単位の数では大学2年生になったわけだけど、卒業すれば一応「大学」から学士号がもらえる。高卒の分際で荒稼ぎして来た身にしてみれば、今さら大学卒の「学歴」なんか意味がないんだけど、ワタシが求めているのは「教育」であってキャリアアップには関心なし。だから、卒業までこれから少なくとも10年以上の長い、長い道のり、興味のあるものを勉強する。やっぱり学ぶことは楽しきかな、なのだ。

「心理学入門」はいつでも始められて、レポートの提出も決まったスケジュールはない。受講の登録をしてから30週間以内にレポートを出して、試験を受けてパスすれば単位がもらえる。パニック状態の景気からすれば、今年は去年のようにめちゃくちゃに忙しい年にはならないだろう、と(あんまりあてにならないけど)予想をして、勉強するなら今のうちだ、と自分をプッシュしているわけ。カレシが何を考えようと、ワタシは勉強したいの。今は空白にしか見えない人生の「失われた25年」を取り戻したいの。絵を描くのも今のうち、小説を書くのも今のうち、人生を楽しむのも今のうち。Now is the time!今こそ投資のとき・・・

ジンクス破りかな

1月22日。ジンクスという言葉がある。英語のjinxは縁起が悪いことで、災厄続きのこともいう。日本語のジンクスとはちょっとニュアンスが違うようだけど、どうも我が家は英語の方のジンクスになっているらしい。晴天の朝、温室のヒーターを切りに出て行ったカレシ。池の水位がすごく下がっていて、外の蛇口を開けても水が出て来ない、とおろおろ。同じ系統につながっている温室では水が出るというから、外気にさらされる池の給水バルブが凍っている可能性もある。ここのところ最低気温は連日マイナスだし、冬は日差しの角度が低いから、バルブのあたりは1日中日陰になる。

英語教室に出かけたカレシ。帰ってきて、バルブが作動するかなあと元栓を開けたら、温室の水栓を閉め忘れていたらしく、床が洪水になったそうな。池のバルブは故障したまま。池を作ったのは10年も前なのに、給水システムのしかけに関しては全然知らないでいたらしいからたいしたものだ。ま、少し暖かくなったら、バルブのフロートに貯まったゴミをホースで洗い落としてみるか。それまでは、温室からホースを引いて、水を足してやればいいんじゃない。そういったら、さっそくホースで給水。だけども、それをけろっと忘れてコンピュータの前に座り込んでしまったから、水位調節のための排水孔からどんどん水が庭に溢れ出した。おいおい、この寒波で庭中がスケートリンクになっちゃうよ。

夕食後、何だかまだ機嫌が良くないなあと思ったら、CDを焼けないんだそうな。エラーが出るたびにCDが無駄になる。まあ、きらきら光るから、庭の菜園の鳥よけにはなるかもしれないけど。DVDは問題がないそうで、両方ともかなりの数を焼いてきたから、ひょっとしたらドライブそのものが発狂しちゃったのかもしれない。いっそのこと外付けのCDライターを買えばいいじゃないの。そういったらすぐその気にはなったけど、ものが壊れても「もしかしたら」と諦めきれないのがカレシ。まだああだこうだとしつこくいじり回すから、使えなくなったCDが増えるばかり。とうとうCDのストックが全滅して、諦めざるを得なくなってしまった。

ジンクス、ジンクス。ひとつ起きると二つ目が起きる。二度あることは三度あるっていうもの。カレシが引退したばかりの頃には、家電やエレクトロニクスがたて続けにいくつも壊れた。あまり続いたもんだから、二人とも祟られているような気がしていた。(まあ、それまでの2年間はほんとうに悪霊にでも取りつかれたような時期ではあったけど。)ひょっとしたらやり直す方向に向かっていた私たちのために、いろんなものが壊れて、それまでのジンクスを破ってくれたのかもしれない。まあ、ポンコツ車とトラックに始まった今回の故障続きも、ユダヤ教徒の結婚式で乾杯したグラスを割る儀式があるように、出直した私たちがいわゆる「Seven-year itch(7年目の倦怠期)」をどうやら平穏に通過したことを祝って、盛大にジンクスを破ってくれているのかもしれない。よし、そういうことなら、三度あることが四度にならないうちに、新しいトラックを買って、古もの、壊れものの類をじゃんじゃん処分してしまおうよ、ね。

さよなら胴長短足

1月23日。水曜日。どうも大きな仕事がどさっと入ってきそうな気配。すぐにOKが出そうになさそうだったモンスターも黒雲になって水平線にむくむく。これはかち合うぞ。先に確定した方を優先するしかないけど、写真判定で鼻の差。ま、とりあえずこの問題は無視して、今日はカレシのCDライターを探しにまたダウンタウンにおでかけ。お天気はまぶしいくらいだけど、寒い。

最初の店はあまり選択肢がない。質問しようにも店員はあっちを向いたまま。次の店は選択肢はあっても、つかまえた店員は「ボクの持ち場じゃないもんで・・・」と逃げる。この店、かっては少しでも高いものに客を誘導することで悪名高かったけど、圧力商法はもうやめたらしい。カレシがCDライターを吟味している間にフラット型テレビの陳列を見て回る。でかいものはやたらとでかい。こんなのをデンとおいたら、ずっと後に下がらないと見づらいだろうなあ。大きな家ならともかく、うちのリビングだとソファを道路まで後退させないとダメだろうなあ。臨場感がどうのこうのというけど、やたらとドッカーンと爆発してばっかりの映画とか戦争ばっかりのニュースとか、そんなものは臨場感なんてごめんこうむりたいけどなあ。

なかなか納得できるものがなくて、結局はいつもの事務用品の量販店へ。ここで手ごろなのがみつかって、どうやらおでかけは成功らしい。ワタシはよけいな機能が何にもないキーボードと120GBのポータブルハードディスクを買った。今使っているキーボードはキーの英語のアルファベット26文字のうち17文字が完全に消滅か、ほとんど読めない。新しいキーボードはお値段が20ドル(約2000円)。100ドル以上した頃とは耐久性が天と地の差。キーの文字なんぞ子供の移し絵みたいなもので、すぐに消えてしまうから困る。

車のトランクに買い物を入れて、パーキングメーターを見たらまだ1時間も残っている。それなら二番目の店で見た15インチのフラット型テレビも買って行こうということになった。キッチンで使っている13インチのテレビは、この半年ほど走査線がなぜか上半分は間延び、下半分は詰ってしまって、映る人間がみんなすごい短足。ハリウッドの美女美男も、ブスもかわいこちゃんも、老若男女、人種、性別、色、形を問わず、みんなそれはそれはみごとな胴長短足になってしまう。超民主的なテレビなんだけど、やっぱり見づらい。買うならせっかくショッピングに出てきた今・・・

帰りの車の中で「ワタシが仕事のないときって、なぜかお金に羽が生えるよね」といったら、「また仕事すればいいさ」とカレシ。なるほど、賢いことをいうなあ。賢すぎて、わかったようなわからないような。だけど、いるものがあったら自分でさっさと買いに行けばいいのに、何よりも買いに行くのがめんどうくさいというものぐさだから、ワタシが「多忙モード」になると我が家は自動的に「消費抑制モード」になるということらしい。スコットランドの血筋でケチなところもあるけど、必要なものを買うのでさえワタシと一緒じゃなければなかなか重い腰を上げないカレシは、ある意味で「良くできた伴侶」なのかもしれないなあ。

家に帰って見たら、案の定どさっと仕事が入っていて、「半遊びモード」も吹っ飛んでしまった。それじゃあ、また仕事するからね、ワタシ。

タイミングが悪いときは

1月24日。お天気は季節性のうつ病なんかふっとんでしまいそうなほど明るいけど、まだまだ寒い。ゆうべはなぜか寝つきが悪くて、いつのまには朝が来てしまったような感じがする。そんなときにはひたすら目をつぶっているから、たぶんずっと目が覚めているわけではなくて、どこかでうとうと程度には眠っているはずだけど。たしかに何だか夢を見ていたような記憶もおぼろげにあるし・・・

カレシを英語教室に送り出して、デスク周りのこまごました仕事を片付け、コンピュータ教室が終わる時間を見計らってモールへ。まずはワタシ書箱にぎっしり詰った郵便を引き出して、カタログの類は宛名を破り取って、ゴミ箱にポイ。モールにリサイクル用のゴミ箱を置いてくれるといいんだけど、たぶんてんで勝手にいろんなゴミが捨てられるだろうから意味がないかもしれない。よく見たらFEDEXからのはがきが混じっている。ワタシ書箱宛てなので配達先の住所が必要だと書いてある。頭の日付から7日以内に連絡がなければ送り主に返送するとも書いてあるけど、とっくにその7日は過ぎてしまっている。どこの誰からのものなのか、郵便局のワタシ書箱にクーリアで送りつけるヤツがあるか・・・

日曜日に買い忘れた日用品と野菜を仕入れて、帰ってきてみたら今度は郵便局系のクーリアから留守電。不在で配達できなかった小包を引取りに来いという。こっちは大学の教科書だ。ゲートを開けてのぞいたら、ベルのカメラのところにペタンと不在通知が貼り付けてあった。どういうわけか知らないけど、ここはいつも不在のときか、まだ寝ているときに配達に来るんだよなあ。まあ、こっちは15日保留しておいてくれるからいいんだけど。

どどっと来た仕事に手をつけようと算段を始めたら、「延べ半年」の仕事のうちで特に優先する分を始めてくれとメール。発注元の正式承認が予定される月末まで待ってくれと言ったじゃないか。だから、もう仕事を入れちゃったのに。ほんとに、値切ったり、予定が遅れたり、そのくせ早くやってくれと行ってきたり・・・もう。それだけで目が回るってのに、別のところからもこれまた大きな仕事の問い合わせ。う~ん、がんばっても10日。はかかるなあ。だけど、こっちの方は断りたくないクライアントだし、内容もずっとおもしろい。大きな仕事を抱え込むなら、そりゃあやっぱり退屈せずにできるものの方がいいに決まっているもの。どうか先に「Go ahead」を出してくれますように・・・

土曜日のディナーは「C」に行こうと予約の電話。満席。「West」に電話。ここも満席。そっかあ、今は毎年恒例の「DINE OUT VANCOUVER
」というイベントの最中なのだ。名の通ったレストランで前菜、メイン、デザートの3コースディナーを格安で食べられるというもので、トップレベルの「West」でお一人35ドルは確かに激安もいいところ。「おいしくなかった」とか「サービスが悪い」という不満がけっこう多いのはやはりそれだけコストを下げているからだろうし、客の方もめったに行けないところで食べられるというので過剰に期待を膨らませるからだろう。パーティシーズン後の閑散期のプロモーションはアイデアとしてはいいかもしれないけど、1日限りならまだしも3週間も毎日ふだんと同じレベルの料理を激安で出していたら商売は上がったりになってしまう。それでも人気イベントなものだから参加するレストランはどこも満員。ふつうのディナーをしたい私たちはあぶれてしまうのだ。ふ~ん、ひょっとしたらシェフの方も料理は弟子に任せて、この時期に休暇をとるのかもしれない。それで参加していないところはあぶれた客でいっぱいなのかもね。

それにしてもタイミングが悪いときは徹底して悪いなあ。

新しいトラックが来る

1月25日。相変わらず晴天で寒い日。午後、オイルチェンジのためにエコーを近くのトヨタディーラーに持って行って、そのまま表のショールームに回った。いよいよトラックを買おうというわけ。トヨタのピックアップのモデルはタコマ(Tacoma)とタンドラ(Tundra)で、昔日本にあった「ハイラックス」という小型トラックの子孫らしい。お目当ては小さいほうのタコマだけど、自動車ディーラーのショールームではどの車もなぜか大きく見えるから不思議。タコマも、うへぇ、でっかいなあ。タンドラは大きすぎてとてもとても。ミニカーみたいなエコー(日本ではヴィッツ)だって、ショールームではそれほど小さいとは感じなかった。(ちなみに「エコー」というモデル名は、2006年型からヨーロッパで使っていた「ヤリス」に変えたので、2004年型と2005年型しかない。)

北米では昔から車を買うのにああだこうだとセールマンと丁々発止の交渉をしたりして、何だか信用がならないような、まるで中東のバザールで買い物をするような胡散臭さがあったけど、カナダのトヨタは何年か前にカタログに記載の仕様からオプション、果ては価格までウェブサイトに大公開して、めんどうな交渉をなくしてしまった。ひょっとしたら日本的な方式を持ち込んだのかもしれないけど、買う方はウェブの情報を見てしっかり宿題をしておけば楽なことこの上ない。なかなか賢い商売だと思う。

買いたいモデルが決まっているから、「アドバイザー」という肩書のセールスマンとの会話はとんとん拍子。デモ車で5分ほどお試し運転をしてみた。内装はトラックというよりは大型乗用車といった感じで、これなら長距離の時にワタシが代わって運転できそうだ。ワタシも運転するならということでオートマチック仕様。エコーがブルーだから、色は濃紺のインディゴ。後は、さび止めやアラームのパッケージを決めて、頭金の小切手を切って、小1時間ほどで全部おしまい。その間にエコーはオイルチェンジとタイヤのローテーションを終えて、おまけに洗車までしてもらってピカピカになっていた。

北米で売られているトヨタ車はとっくに現地生産だから「輸入車」じゃなくて完全な北米「国産」車。日本だと都会でふだんの足として乗り回すためにタコマのような半トン積みくらいの小型トラックを買う人はそんなにいないだろうけど、北米では郊外族なんかにかなり人気がある。ホームセンターや園芸センターに行くのに便利だし、キャンプや釣りに行くにも重宝する。そのせいか、四人乗りでキャブの方が荷台より大きいのや、スポーツ仕様のがあって、デザインもいかにも男性に受けそうな「筋肉マン」型なのだ。カレシの新しい「足」は一番小さい4気筒エンジン。二人乗りで、一応は後ろにも二人乗せられるということだけど、30分も乗っていたらお尻が痛くて、足が痙攣してしまいそうな感じがする。

来週中にはオプションの装備が終わって受け渡しが完了するから、カレシはあれもこれも待ったなし。ジョブリストがどんどん長くなるから、そんなにあれこれできるんだろうかと心配になるけど、それでもまあ、もうポンコツ相手に格闘しなくていいわけで、うろうろ、おろおろがなくなってくれたらワタシのほうも大助かり。ついでにたまったリサイクルごみも一挙に片付きそう・・・と思うんだけど、はて、どうなるかなあ。

国民の誇り、民族の誇り

1月26日。目が覚めたら正午。あまり静かだから雪が降ったのかなと思ったけど、まだ。低気圧の接近が少し遅れて雪は夜までお預けらしい。しめしめ。ルイジアナのケイジャンとクリオール料理の専門店なので「Ouisi」という名前のレストランに取れたディナーの予約は6時。交通事情があまりめんどうにならないうちに帰って来られそう。まあ、朝までに5センチの予報で、道産子のワタシには「なあんだ」という程度なんだけど、そこはそれ、「冬中ゴルフができる」バンクーバーでちょっと雪が降ると・・・

読売新聞の調査によると、「日本国民」であることを誇りに思う人が93%に達したそうな。いいじゃないの。国の役に立ちたい人も73%に増えたそうで、ますますいいじゃないの。具体的には「歴史、伝統、文化」が20年前の調査結に比べて急上昇して72%と一番多く、一方で「教育・科学技術水準」と「経済的繁栄」が激減。このあたりに少し引っかかるものがある。ネットから得られる情報を通してしか日本が見えないせいかもしれないけど、なんとなく戦前のやみくもな精神主義の匂いがする。もちろん、どの民族も自分たちの歴史や伝統、文化に誇りを持っていて当然だし、過剰な誇りが他民族の差別につながることもあるけど、誇りを持たない民族は滅びて行く。でも、教育・科学技術水準や経済的繁栄に対する誇りの凋落と「歴史、伝統、文化」に対する誇りの増大を対比すると、どこかきな臭い感じがして来る。

歴史や伝統、文化は祖先が連綿と積み重ねてきた「過去の遺産」なのに対して、教育水準や科学技術、経済的繁栄はごく最近の「国民の努力」の結果だ。前者は民族精神のよりどころ、後者は国民のやる気とでもいえそう。戦後の日本は高い教育水準や科学技術を世界に誇って来た。敗戦から立ち上がって経済大国になったのは国民がそれだけ努力したことなんだから大いに誇っていいことだけど、誇りは「驕り」になり、やがて「思い上がり」につながる危うさがある。「Pride」という言葉には誇りの他に、自尊心、高慢、自惚れという意味もある。「誇り」はまさに両刃の剣だ。

カネ余り、モノ余りのバブル時代に「ナンバーワン」と驕り高ぶった「日本国民」は、それが戦後の「努力」の延長にあることを忘れてしまったように見えた。札束を振りかざして「そこのけ、そこのけ、ニッポン人さまが通る」みたいな態度で世界を闊歩していた。その狂乱が去ってから十数年にもなるのにまだ低迷が続いているのは、あの絢爛豪華な繁栄が国民の努力の結果でなかったということなのだろう。金の切れ目が縁の切れ目とばかりに世界からチヤホヤされなくなったのに、天高く舞い上がった「プライド」はなかなか下がらないから、努力しないことに慣れた世代は過去の遺産(の自分に心地良い部分だけ)でそのプライドを支えようとする。そういう状況での「歴史、伝統、文化」への誇りは単なる思い上がりか仮想的優越感でしかなくなる危なさがあるように思えるということなんだけど。

日本には「日本人」と「日本国民」の区別がないらしく、ワタシが「日本人でありカナダ国民」といっても、「そんなことあるはずがない」という顔をされる。おまけに「カナダ人=白人」という先入観がこびりついているもので、日本人(人種)=カナダ人(国籍)という図式は想像できないのかもしれない。集団の「和」を重んじるあまり「個人」を疎んじてきた結果なんだろうと思うけど、集団精神主義は一種の宗教のようなもので、異端者を排除しなければ瓦解する危険がある。集団性に依存するものにとっては自分の存在感の存亡にかかわることだから、異端者は「悔い改めさせる」か、劣等と蔑むか、駆除するかしなければならない。集団が精神主義に傾いたときは「異なる者」への攻撃が容認されるから怖い。今の日本にはあちこちにその芽が出ているような気がしてならない。

ワタシは死ぬまで日本人で、祖国日本の歴史や伝統、文化を誇りに思うと同時に、カナダ国民として「我が国カナダ」を誇りに思っているけど、それが日本の人には異端と映るのかなあ。じゃあ、日本に向かって国際結婚だ、海外在住だ、これだから日本は~と声を張り上げるのに、こっちの同胞に対しては「日本人としての誇り」を強調してやまない人は何なんだろう。その「誇り」もどうやら新発見らしいけど、それが海外での挫折感を反映しているとしたら、バブル経済で挫折して「歴史、伝統、文化」に精神のよりどころを見出そうとしているのと通じるなあ。幕末の横浜に「露をだに厭う大和の女郎花、降る雨りかに袖は濡らさじ」と書き残して死んだ遊女がいたそうだけど、現代の誇り高き日本人はどう思うのかな。

どこへ行く、目線

1月27日。こんな変てこな天気は見たことがない。昼のニュースを見たら、となりのバーナビーやその先の郊外では雪がどんどん降っているのに、ワタシの頭の上はきれいな青空が広がっている。これじゃ、東京の千代田区で雪が降っていて、港区は晴天というようなことかな(といっても、千代田区と港区がどれだけ離れているか知らないんだけど)。明日の朝までには我が家の回りも白くなるという話だけど、さあ、どうかなあ。

土曜日にいわば「上から目線」といわれそうなことをごちゃごちゃ考えていたら、おでかけ中に配達に来て連絡が来ていた大学の教科書を取りに行くのをけろっと忘れてしまった。通知を見たら「保留は5営業日」だって。え?前は15日くらいだったと思うけど。ということは、水曜日までに取りに行かなければ発送元に送り返されてしまうってことか。せっかくやる気を出して意気込んでいるっていうのに、それは困る。明日の月曜日に行って来よう。雪が降ってないといいけど・・・

「上から目線」ておもしろい表現だと思う。つまり、相手を見下ろして高飛車にモノを言うことなんだろうけど、近頃やたらにお目にかかる。だいたいがネガティブな雰囲気で使われるから、使っている人間の「目線」の位置がわかるような気がする。つまり、「上目の視線」というヤツ。こっちは誰かがどうやら「上から目線」というつもりで間違えたのか、あるいは「上目」が持っている意味を知らずに使ったらしい。実に言い得て妙なので、笑ってしまった。図解すると、「上から目線」に反発している人たちは「上目の目線」で相手を見ているってことで、つまり自分から上目遣いで相手を「見上げている」構図。だったら相手の目が自分のより上になるのは当然なはずだけど、なのに相手に「見下された、引いた」と愚痴るんだから何をかいわんや。

そういうことならと、自分のことを話題にすると今度は「自慢している」となるらしい。こっちは正真正銘の「上目の目線」。この人たちって大丈夫なのかしらん、といらぬお世話だけどちょっと心配になったりする。「ブログなんて自己満足、自慢ばかりで見る気もしない。けしからん」と憤慨している向きもけっこういる。簡単なんだから自分もやればいいのに、そういう人に限ってたぶん何にも書くことがないのかもしれない。それで、見る気がしないといいつつ、見なきゃいいのに見て、何でも「自慢」と解釈してはムカついているとしたら何をかいわんや。

どうやら、他人の「自己」とつくことは何でも気に入らないらしい。ひょっとしたら「自己」がつくものはすべて悪いと思い込んでいるのかなあ。それじゃ自己概念を持つことさえ悪いことになってしまう。自分のためになる「自己」だって、自己実現とか自己責任、自己管理、自己認識といろいろあるんだけど。まあ、どれも自立と自律を要求するから、しんどいのかもしれないな。自分にないものを他人が持っているのは平等に反するってことかなあ。いやほんと、今どきの日本は何も言えなくなってるのかなあ。コミュニケーションも何もあったもんじゃない。この「アタシ」がムカつく話をするのはマナー違反、非常識だからやめてよねって、まるで言論統制じゃん・・・

思考して実行せざるは

1月28日。そろぉっと目を覚まして耳を澄ますと、ん?月曜日の朝にしては静かすぎる。さては、雪景色?どうしよう、と思って起き出してみたら、雪景色はどこにもないじゃない。また予報が大外れ。だけど、ニュースの天気予報は「今夜から明日にかけて5センチから10センチの雪」。あれ、きのうの予報でも同じことを言ってたような気がするけど。

だったら雪が降り出さないうちにクーリアのオフィスまで小包を取りに行って来よう。トラックを買ってから、カレシはエコーを「Your car」と呼んでいる。ま、共同名義になっているから「My car」でもあるわけだけど、これからは自分の用事は一人で行って来いと言っているわけで、いわば「お抱え運転手廃業宣言」みたいなものだ。もっともカレシがワタシの「お抱え運転手」になったのはワタシを一人で外に出したくなかったからで、10年くらい前までは仕事関係の会合にまで「運転手」として付いて来て、押しかけ同席していた。

そのおかげで出不精がひどくなったようなところもあるけど、そろそろ一人でもっと外へ出てもいい頃だし、めんどうくさいからでも何でも理由はともあれ、カレシが後押ししてくれている今がそのチャンス到来。自立だ、独立だと持ち上げておきながら、自分は動かないんだったら、それは有言不実行ってもんだよね。ドアのところまで「見送り」に来たカレシ、「道路の状態が良くなかったら、無理しないで戻って来いよ」。ガレージから車を出したところで、となりのパットが浮かぬ顔でうろうろしているのに遭遇。車が故障して、メカニックが来るのを待っているところだとか。「今日は一人でめずらしいね」という。ほんとにそうなの。

自分で運転するにはルートを考えたり、周囲の状況に注意したり、かなりの「集中的思考」が要求される。よく携帯でしゃべりながら運転できるなあと感心するけど、やっぱり「集中的思考」はあさっての方に向いているんだろうなあ。そういうことはマナー違反どころか、実際に周囲にとっても危険きわまりないんだから、「やめてほしい」と声高に叫んでいいのに、あまり聞かないなあ。みんなでやれば怖くないって・・・?

今日は状態が良くないのは車道じゃなくて歩道の方。ところどころに氷が張っていてつるつるだったりするから危険きわまりない。運転はルンルンでも、歩くのはおっかなびっくり。気温はやっと1度で寒いけれど、滑ったときに危ないから、ポケットに手を突っ込んで歩くわけには行かない。それでも、冷えた空気は肺のすみずみまできりっと行き渡って気持がいいことこの上ない。

クーリアのオフィスで身分証明に使った運転免許証。有効期限は来年の誕生日になっている。そうかあ、この5年間、その前の5年間も、さらにその前の5年間も、ほぼペーパードライバーだったってことなんだ。よし、もっと自立するぞ。MY CARを駆ってどんどん外へ出るぞ。もっとも、ガレージにバックで入れるのに5分もかかってしまったけど・・・

ほんとに、もう・・・

1月29日。バンクーバーにもやっと雪が降った。せいぜい5センチくらいだけど、たまに見る銀世界はとってもきれい。カレシは「今日は何人くらい来れるのかなあ」といいながら英語教室へおでかけの準備。「ワタシの車」をぶつけないように気をつけてねといったら、「ボクなんかいつだって安全運転だよ」とにやり。そういえば、一見してむちゃなことをするんだけど、運転はとてもうまい。信号待ちで追突されたことはあったにしても、自分の運転が原因の事故は50年間ゼロという輝かしい経歴なのだ。

正午のニュースを見たら、郊外の幹線道路はスリップして道路から飛び出した車が点々、タイヤが滑って進めなくなったバスが団子になって立往生。市内のスカイトレインの駅ではホームからエスカレータから駅の外まで長い、長い行列。バス停は来ないバスを待つ人でいっぱい。ふつうなら30分の通勤に3時間もかかったという人もいた。うわっ、この天気の中を3時間かけて職場にたどり着くなんてすごい。ワタシだったら途中でさっさと回れ右して「今来たこの道帰りゃんせ」を決め込んでしまうだろうけどなあ。通勤しなくていい身分でよかった、在宅稼業バンザイと思う一瞬でもある。

今日の夕食メニューは、土曜日に行ったOusiでミシシッピのcatfish(ナマズ)がメニューに載っていたのを思い出して「ナマズ」。こっちはベトナム語の「バサ」の名で売っているものだけど、これがなかなか淡白な味でおいしい。Ousiで取った前菜は「Gator(アリゲーター)」。これもミシシッピからの直送だそうだけど、ちょっぴり硬めのビーフにチキンの味をつけたような感じで、けっこうイケる味だった。カレシは「ボクはまだそこまで行ってないよ」と横目でチラチラ見ていたけど。今夜はベトナム生まれのナマズで作るアメリカ南部のケイジャン料理だから、ちょっとグローバル。

ワタシが料理をしている間にカレシはパンの仕込み。半分くらい経ったところでパドルを取り出すブザーが鳴る。ふたを開けてみたら、おや、生地にべたべたしたところとボロボロのところが混じっているじゃないの。カレシはまた「全部ちゃんと計った。おかしいのは機械だ」と口をとがらせるけど、ここはやるべきことをやるのが先決。できそこないの生地は後でこね直してロールでも作ることにしてとりあえず冷蔵庫に。もう一度材料を計って・・・よ~く見ていたら、あ、わかった。粉を上からどさ~っという勢いで入れる。パスタを作るときもそうだけど、粉と水をいきなり混ぜるとうまく行かない。機械の場合は水の上に粉を乗せて、下から少しずつ混ぜ込んで行くように設計されているから、振りかけるようにそっと入れてやらなくちゃ。

わかったのかわかってないのかわからないけど、セットしているところへ電話。夕食の支度のときにかける迷惑な勧誘電話が多いから困ると思いつつ、発信番号を見たら銀行。何かよくわかりにくい中国語訛りで、退職積立金の口座にかなりたまっている現金をどうしますか、という話。この銀行、定期が満期になったら現金口座に入れるようにいっても勝手に解約できない定期に入れてしまうもので、3年もかかってやっと、それもまた定期に入れてしまったのを、訴えると脅かして訂正させた。半年後にもうひとつ満期になったらまとめてメインの銀行に移すつもりなんだけど、向こうも商売だからこっちの魂胆を見抜いていて、金利の高い定期に入れろと「お勧め」してくれるわけ。「よけいなことをするな。そのままおいとけ。手をつけるな」と言ったら、向こうはちょっとびびったみたいだった。「キミもなかなかやるねぇ」とカレシ。やれやれ・・・

小さめだから息抜きになると、ついねじ込んだ仕事を片付けてカレンダーを見たら、何だかいつのまにか立て込んでいる。いろんなことがあって、何となくダラダラ、ズルズルになっていたのか、大きな方の仕事はちょっと遅れ気味なのに、普通サイズの仕事まで入れてしまっている。おまけに納期が同じ日!おいおい、大丈夫?極楽とんぼなんかやっている場合じゃないんでないかい?ほんとだぁ・・・

少子化の波

1月30日。知らない、知らない。小さいからいいかと、つい二つ返事でまた仕事を引き受けてしまった。おかげで週末明けまでに3つのお団子。し~らないよ、もう・・・

明日は第4四半期に徴収したGST(連邦消費税)の納付の期限。最近はカナダ国内での仕事がごく少しだから、経費にかかった消費税を還付してもらう方が多いんだけど、なぜかしっちゃかめっちゃか時に限って、納付する金額が出てきてしまう。ところが、忙しがって帳簿付けをサボりっぱなしなもので、3ヵ月分の帳簿付けを一気にやらないと納付額が確定できないから困る。今回からオンラインで申告して、納付分は郵送できるようになったのがせめてものなぐさめ。

小学校の同級生から久しぶりの手紙。私たちが母校が3月いっぱいで閉校になるという。今年で104年の市内では3番目に古い小学校だった。6年間過ごしたおんぼろの木造校舎は、放火にあって半分近く焼失したこともあったけど、正面玄関前には二宮金次郎の銅像があったりして、子供の目には何となく風格があった。(大きなおんぼろ校舎は小さな校舎に変わっていたけど、すでに少子化が始まっていたのかな。)団塊の世代が揃っていた頃は全校生徒1500人の大所帯。冬には屋外グラウンド半分を使ってスケートリンクができた。毎年全校大掃除の日があって、縄で作ったたわしを持って行って廊下をごしごし磨いた。すり減って木目が浮き上がった廊下は永久に続くように思えたのがなつかしい。そうか、日本の少子化はそこまで深刻な状態ということなんだ。

産科も小児科もどんどんなくなっているそうだし、学校もどんどんなくなったら、いくら「生めよ、増やせよ」とかけ声をかけられたって、子供を作るの考えてしまうよなあ。おまけに職場は男も女も長時間残業が通常勤務。これじゃ子供を作っているヒマなんかないし、作ったって育てられない。ひょっとしたら女性を家庭に押し戻そうとする因循姑息な思想がどっかに隠れているんじゃなかろうなあ。もっとも、働くのに疲れたから結婚して専業主婦になって楽をしたいという女性も多いらしいから、男の陰謀と一概には言えないなあ。

まあ、感慨にふけるのはしばしお預けということにして、あしたこそはねじり鉢巻をきりっと締めて、盛大に腕まくりをして、腰をすえて仕事にかからなきゃ。今年の目標は「徹夜ゼロ」なんだから、しっかりと仕事に集中しなくちゃ。だけど、だけど、あ~あ・・・

いろいろ曼荼羅

1月31日。木曜日。もう1月最後の日になってしまった。年を取るにつれて時間の足がどんどん速くなるのはどうしてかな。くエネルギーを使い切って倒れる前にきりきり舞いするコマのようなイメージだけど、いいのかなあ。オンラインで消費税の申告をして、納付金の小切手を郵便ポストに入れて、ゆうべ片付けた小さい仕事を納品して、はい、1月は終了いたしました。シャンシャンシャン・・・

いつも月の最後の日にはカレンダーをさっさとめくってしまうんだけど、「そんなことしたら早死にするよ」と大まじめな顔で言った友達がいたっけ。ヨーロッパのどこかにはそういう迷信みたいなものがあるのかな。ワタシはこの先の予定を見渡したいから月が変わるのを待たずにめくるんだけど、カレシのカレンダーはへたするとまだ先々月のままだったりする。だから、あさっての方を見ているワタシと、おとといの方を見ているカレシが二人ですることの予定を相談し始めると、話がかみ合わないことがある。ま、こんなところで「すれ違い夫婦」をやって笑い転げていられるのは何よりめでたいことなんだろうけど。

人生いろいろといったのは誰だっけ。この言葉が日本でかなりの物議をかもしたようなおぼろげな記憶がある。確かに人生いろいろ、○○いろいろ、××いろいろ。ほんとにみんないろいろ。でも、どうも「みんないろいろ」に嫌悪感を持っているらしい人が多くなったような印象がある。元から多かったのかもしれないけど、他人さまが自分のものさしの一定の目盛に合わないと、疲労感、ムカつきといった身体症状が出てしまうらしい。一種の人間アレルギーみたいだ。友だち関係についても、友だちとは「かくあるべき」という観念が植え込まれているのか、「友だちいろいろ」という状況に対処しきれないらしい。小町に頻繁に登場する友だち関連の訴えを見ると、この人たちってほんとに「友だち」なのかなあと思うことがある。

ワタシの「みんないろいろ流哲学」によると、友だちというのは作るのは簡単かもしれないけど、互いに対等に接しなければ友情は生まれないし、関係は長くは続かない。ここで「対等」というのは社会的地位とか生活水準、学歴、能力、嗜好とかいったものではなくて、互いに「独立した一個の人間」と認め合うことだけど、人間関係の軸が縦方向に通っているものさし社会では友だち関係もどっちが上か下かの腹の探り合いになってしまうらしい。掲示板のトピックからは日本人は何でも比べて見ないと気がすまない民族らしいという印象を受けるんだけど、比べるだけなら誰でもやることだからとやかくいうことはない。その後に続くのが「へえ、そうか」じゃなくて「不合格品除去」とでもいえそうな反応だから、気になる「異物」を取り除かないとアレルギー症状が出て、しんどいんじゃないかなあ。デミングが提唱したTQCがいち早く日本で普及したこともどうやらこのあたりの心理につながっていそうな気がするなあ。

日本が欧米のような格差社会になると言う人がいるけど、欧米には格差社会という言葉がない。人間には違い(差)があって当然。それを認知した上で人間の価値はみな同じというのが本来のEqualityなんであって、みんなが平たく同じ(平等)でければならないということではない。だから、格差は別に不当なことでも何でもないわけ。まあ、しんどい人生を選ぶのもよし、いろいろな違いを「へぇ、こんなのがあるんだ」と楽しむ人生を選ぶのもよし。人それぞれ、人生いろいろってことだから。