尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中島貞夫、野見山暁治、平岩弓枝他ー2023年6月の訃報②

2023年07月05日 22時54分55秒 | 追悼
 2023年6月の訃報、2回目は日本人の中で、文化的ジャンルで活躍した人を中心に。まず映画監督の中島貞夫が11日死去、88歳。東映に入社し、1964年に『くノ一忍法』で監督デビュー。以後70年代の実録映画、80年代の大作路線など、東映娯楽映画を支えた職人監督だった。同時代に活躍した深作欣二と違って娯楽に徹した印象が強い。1987年から大阪芸術大学教授に就任し、大阪芸大から続々と優秀な新人監督を輩出させた。1967年『893愚連隊』で「イキがったらあかん、ネチョネチョ生きるこっちゃ」のセリフが注目された。チンピラたちの生き様を描いた70年代前後の作品が一番面白いと思う。『日本暗殺秘録』(1969)『現代やくざ 血桜三兄弟』(1971)『鉄砲玉の美学』(1973)『脱獄広島殺人囚』(1974)『狂った野獣』(1976)『沖縄やくざ戦争』(1976)などが代表作か。2019年に20年ぶりに長編映画『多十郎殉愛記』を監督して話題となった。
(中島貞夫)
 洋画家の野見山暁治(のみやま・ぎょうじ)が22日死去、102歳。筑豊の炭鉱経営者の子どもとして生まれた。戦後に12年間パリで暮らし、画風が抽象画に変化した。帰国後、1968年から東京芸術大学で教え、東京芸大名誉教授。名エッセイストとしても知られ、『四百字のデッサン』(1972)でエッセイストクラブ賞を受賞した。窪島誠一郎と協力して戦没画家の絵を収集し、長野県上田市に「無言館」を設立した。2014年に文化勲章受章。僕は絵をちゃんと見たことがないんだけど、実妹が作家の田中小実昌と結婚して、パリ在住時代は世田谷の家に田中夫婦が住んでいた。そのことが田中小実昌のエッセイによく出て来る。
(野見山暁治)
 作家の平岩弓枝が9日死去、91歳。1959年に『鏨師』(たがねし)で直木賞を受賞。僕はそれしか読んでいない。その後、1974年から『御宿かわせみ』シリーズを発表し始め、2017年の41巻まで続いた。僕の若い頃はテレビドラマの『女と味噌汁』『肝っ玉かあさん』『ありがとう』などが人気でよく知られていた。大河ドラマ『新・平家物語』の脚本も担当。2016年に文化勲章受章。東京・渋谷区の代々木八幡宮の宮司の一人娘で、そういう人もいるんだなあと思った。
(平岩弓枝)
 彫刻家の澄川喜一が4月9日に死去していた。91歳。元東京芸大学長。木の造形にひかれ、木の反りを生かした抽象的な「そりのある形」シリーズで評価された。その造形性を生かして、東京スカイツリーなどを監修した。文化勲章受章。
(澄川喜一)
 演出家、オペラ演出家の栗山昌良が23日死去、97歳。演劇作品も多く手掛けたが、それ以上に戦後日本のオペラ演出で知られた。『椿姫』『蝶々夫人』などの他、特に日本の團伊玖磨『夕鶴』、黛敏郎『金閣寺』などを演出した。文化功労者。
(栗山昌良)
 俳優の柳澤愼一が2022年3月24日に死去していた。もともとジャズ歌手として人気を得て、日劇で500日連続出演したという。多くのテレビ、映画に出ていたが、各社で貴重な脇役として活躍していた。当時の出演映画には『西銀座駅前』『鷲と鷹』『紀ノ川』などがある。最近の映画では『メゾン・ド・ヒミコ』に出ていた。一時池内淳子と結婚していたこともある。軽妙洒脱な語りでも知られ、最近までトークショーなどに出ていた。僕もラピュタ阿佐ヶ谷で聞いたことがある。
(柳沢慎一)
 フランス文学者、評論家の栗田勇が5月5日に死去していた。93歳。50年代に日本で初のロートレアモン個人訳全集を翻訳した。文学、演劇、美術など幅広い分野で評論家として活躍。次第に仏教関係の著作が多くなり、1977年に『一遍上人』で芸術選奨を受賞。他にも道元、良寛、最澄などの本も書いた。また『わがガウディ 劇的なる空間』などガウディを70年代から紹介していた。
(栗田勇)
春日三球(かすが・さんきゅう)、5月17日死去、89歳。漫才師。妻と組んだ「春日三球・照代」を組んで活躍した。「地下鉄の電車はどこから入れたんでしょうね。それを考えると夜も眠れない」の地下鉄漫才で人気を得た。87年に妻が死去し、後別の女性と再婚した。確かに地下鉄銀座線などを思うと、先の疑問も成り立つだろう。でも僕は自宅徒歩1分のところに地下鉄車庫があるので、特に疑問を持ったことがなかった。
高山由起子、脚本家。2日死去、83歳。70年代から活躍し、村野鐵太郎監督の名作『月山』『遠野物語』の脚本を書いた人である。テレビでも『フランダースの犬』『必殺仕掛人』などを手掛けた。福永武彦原作の『風のかたみ』では監督も務めた。映画化された『源氏物語 千年の謎』の原作など、著作も多い。日本画家高山辰雄の娘で、父に関する著作もある。
亀井忠雄、3日死去、81歳。能楽師。人間国宝で、芸術院会員だった。
小桜京子、15日死去、90歳。女優、喜劇役者。柳家金語楼の姪で、金語楼劇団の子役でデビューした。50年代にテレビ、映画の「おトラさん」シリーズで人気を得た。一時、奇術師の引田天功と結婚していた。
坂見誠二、16日死去、65歳。日本にストリートダンスを伝えた一人で「ダンスの神様」と呼ばれた。多くの舞台、テレビ、映画などで振付師として活躍した。
佐藤剛、20日死去、71歳。音楽プロデューサー、ノンフィクション作家。甲斐バンドを担当していたが、独立してTHE BOOMなど多くの歌手をプロデュースした。21世紀になって、『上を向いて歩こう』(2011)、『「黄昏のビギン」の物語』(2014)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」』(2017)など、戦後大衆音楽史を扱うノンフィクションを著した。
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C・マッカーシー、エルズバーグ、ベルルスコーニ他ー2023年6月の訃報①

2023年07月04日 22時32分52秒 | 追悼
 2023年6月の訃報特集。北半球では暑くなるにつれ、訃報が多くなってきた。今回は3回になる予定。海外は比較的すぐに訃報が発表されるようで、まず外国人から。

 アメリカの小説家、コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)が13日に死去、89歳。ノーベル文学賞候補とも言われた現代アメリカを代表する作家の一人。軍に入ったり、各地を放浪して、作家として認められたのは遅かった。1992年の『すべての美しい馬』が全米図書賞を受賞したときは、もう60歳に近かった。2003年の『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』はコーエン兄弟が映画化してアカデミー作品賞を受賞。2006年の『ザ・ロード』はピュリッツァー賞を受賞してベストセラーになった。会話を引用符なしで書いたり、暴力的、哲学的な独自の作風で知られた。日本では早川書房から主要作品が文庫化されていて、大型書店に行ったら追悼コーナーがあった。僕はほとんどもってるけど読んでないので近々読む予定。
(コーマック・マッカーシー)
 アメリカで1971年にヴェトナム戦争の戦争過程を分析した、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」を暴露したことで知られるダニエル・エルズバーグが16日死去、92歳。海兵隊を経て、国務省、国防省に勤務したが、やがてアメリカの戦争政策に批判的になっていった。ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストにリークした様子は映画『ペンタゴン・ペーパーズ』に描かれた。国家機密漏洩罪に問われたが、ロサンゼルス連邦地裁で公訴棄却となった。その後は平和運動家、軍縮研究家として活動した。
(ダニエル・エルズバーグ)
 イギリスの俳優、元政治家のグレンダ・ジャクソンが15日死去、87歳。日本では知る人が少ないが、アカデミー賞主演女優賞を2回受賞した大女優である。シェークスピアの舞台から、コメディ映画、テレビではエリザベス1世を演じるなど、確かな演技力で大活躍した。ケン・ラッセル監督『恋する女たち』(1969)とメルヴィン・フランク監督『ウィークエンド・ラブ』(1973)でアカデミー賞。後者は中年男女の不倫コメディで、面白かったけど時代を超えて残ることが出来なかった。1992年に女優を引退して労働党から国会議員となり、2015年まで務めた。政界引退後は女優に復帰して、トニー賞を受賞するなど活躍した。映画『帰らない日曜日』(2021)で晩年の様子を見られる。実に見事な老後を演じて感銘深かった。
(グレンダ・ジャクソン)
 アメリカの俳優、アラン・アーキンが29日死去、89歳。地方の舞台からスタートし、ブロードウェイに進出。1966年の映画デビュー作『アメリカ上陸作戦』でアカデミー賞主演男優賞ノミネートされ、一気にスターとなった。『愛すれど心さびしく』(1968、マッカラーズ『心はさびしい狩人』の映画化)で再びアカデミー賞主演男優賞にノミネート。次第に渋い脇役に回るようになり、21世紀になって『リトル・ミス・サンシャイン』(2006)でアカデミー賞助演男優賞を受賞した。
(アラン・アーキン)
 イギリスの俳優ジュリアン・サンズの死亡が6月27日に確認された。65歳。1986年の『眺めのいい部屋』が評判となり、日本でも人気となった。その後も『裸のランチ』『リービング・ラスベガス』などで順調に活躍した。登山愛好家で、1月にカリフォルニア州の山にハイキングに行って、13日を最後に消息を絶っていた。6月24日に遺体が発見され、27日に身元が確認された。
(ジュリアン・サンズ)
 フランスの映画監督、ジャック・ロジエが2日死去、96歳。フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」を代表する映画監督の一人だが、非商業的、自由で即興的な作風で、日本で公開されたのは近年のことだった。『アデュー・フィリッピーヌ』(1962)、『オルエットの方に』(1973)、『メーヌ・オセアン』(1986)などの長編の他、ゴダール『軽蔑』のメイキング『バルドー/ゴダール』(1963)などもある。こういう映画もあるんだという自由な映像が魅力。今夏ユーロスペースで追悼上映が予定されている。
(ジャック・ロジエ)
 ブラジルの歌手、アストラッド・ジルベルトが5日死去、83歳。1959年にジョアン・ジルベルトと結婚、1963年にアメリカに移住した。プロ歌手ではなかったが、夫のレコーディング時に歌声が素晴らしかったので、英語版の『イパネマの娘』を歌って世界的に大ヒットした。ボサノヴァの代表的歌手とされるが、そういう経緯からブラジルでの評価は高くないと言われる。
(アストラッド・ジルベルト)
 アメリカの物理学者、ジョン・グッドイナフが25日死去、100歳。リチウムイオン電池の研究で、2019年にノーベル化学賞を、日本の吉野彰、イギリスのウィッテンガムと同時受賞した。受賞時年齢97歳は、ノーベル賞史上最高齢の受賞となる。
(ジョン・グッドイナフ)
 アメリカの陸上競技選手、ジム・ハインズが3日死去、76歳。人類で最初に100メートルを9秒台で走った人である。1968年の全米選手権で手動計時で9秒9を記録。メキシコ五輪代表に選ばれ、五輪史上初の電動計時で9秒95を記録して金メダルを獲得した。この記録は1983年まで破られなかった。
(ジム・ハインズ)
 イタリアの元首相シルヴィオ・ベルルスコーニが12日死去、86歳。大実業家でメディア王と呼ばれた。90年代初期に積年の保守政界汚職が摘発され、保守政界が再編されたとき、新党「フォルツァ・イタリア」を結成して、一躍首相となった。94年~95年、2001年~2006年、2008年~2011年に掛けて首相を務めた。あまりにもスキャンダルが多く、公職追放されたこともあるが復活した。庶民的と呼ばれたりもするが、もう僕に書くべきことはない。「やっと死んだか」ということだろう。
(ベルルスコーニ)
セオドア・カジンスキー、10日死去、81歳。一時はカリフォルニア大学バークレー校の最年少教授だったが、1969年に退職して山の中で原始的生活を送った。現代文明批判を強め、社会に訴えるためとして1978年から95年にかけて、全米各地の現代技術関係者に爆弾を送りつけ、その結果3人が死亡した。「ユナボマー」と呼ばれたが、96年に逮捕された。仮釈放なしの終身刑を宣告され、ノースカロライナ州の連邦医療刑務所で死亡した。
ハリー・マーコウィッツ、22日死去、95歳。アメリカの経済学者。1990年ノーベル経済学賞。金融資産運用の安全性を高める研究。
クリスティン・キング・ファリス、29日死去、95歳。アメリカの人権活動家。マーティン・ルーサー・キングの姉。
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大傑作、永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』

2023年07月02日 20時59分16秒 | 本 (日本文学)
 永井紗耶子木挽町のあだ討ち』(2023.1、新潮社)は、読んでいるときに「ああ、いま名作を読んでいるなあ」としみじみ実感しながら読んだ小説だった。大傑作である。すでに山本周五郎賞を受賞しているが、さらに169回直木三十五賞候補作になっていて、受賞が期待されている。大衆小説に与えられる新人賞は、作家に与えられる性格が強く、同一作品の両賞同時受賞は、今までに2回しかない。(熊谷達也『邂逅の森』と佐藤究『テスカポトリカ』。)果たして3回目はなるか。

 江戸時代後期、19世紀初頭と思われる頃(1783年の浅間山大噴火より、およそ30年後ぐらい)、江戸では「化政文化」が栄え、歌舞伎が庶民の人気を得ていた。その芝居小屋がある木挽町(こびきちょう)で、ある年の睦月(1月)晦日(みそか)夕べ、とある若武者が大柄な博徒に対して「父の仇」と名乗りを上げ、斬りかかった。道行く人々が見守る中、真剣勝負が行われ、ついに若武者菊之助が一太刀浴びせて、仇・作兵衛の首級(しるし)を上げたのである。この一件は巷間で「木挽町の仇討」と呼ばれた。(昔の町名は今の東京人でも忘れている人が多いが、木挽町はまさに今の歌舞伎座がある辺りである。)

 江戸でも評判になった、この仇討より2年。若武者菊之助は国元に帰り、そのゆかりのものと称する若者が芝居小屋を訪ねて、仇討の思い出を訪ね回る。その時に、語り手の今までの来し方も聞いてゆく。その聞き語りがこの小説なのだが、帯には「このあだ討ちの『真実』を、見破れますか?」とあるから、何か仕掛けがあるらしいのである。しかし、語り手それぞれの人生行路がすさまじいために、ひたすら物語の流れに身を委ねることになる。芝居を裏方で支える人々の声を聞いていくうちに、身分制度の下で呻吟する人々の真実を見る。しかし、4人目あたりから、この仇討ちには何か特別な事情があるらしいと気付いてくる。

 訪ね歩いたのは、小屋の前で芝居を宣伝する「木戸芸者」、役者に剣術を指南する立師、衣装の縫い物をしながら舞台にも端役で出ている女形、ひどく無口な小道具作りと逆に話し好きの妻…などなどである。彼らは蔑まれるような生まれ育ちだったり、武士に生まれながらも故あって「身分」を捨てて生きてきた人々だった。今は芝居小屋で仕事をしているが、皆の人気を集める主演の役者ではない。だが、彼らがいなくては人気芝居も成り立たない。例えば、あっという間に舞台が変わる「回り舞台」は客の目を引くが、それは実は小屋の一番下(奈落)で人力で舞台を回しているのである。

 この芝居小屋の「からくり」は、もちろん世の中そのものの「からくり」を示すものでもあるが、この小説においては実は「ある壮大なからくり」に結びついていた。終わり近くになって、そのことに気付くのである。ただ驚きながら読んでいた彼らの人生そのものが、実はこの「あだ討ち」の伏線だったのである。なんという上手な「からくり」だろう。それもただの「トリックのためのトリック」ではなく、この世の「からくり」を暴き、「義」のある世を目指して生きることに真っ直ぐ結びついている。「主題」と「方法」と「世界観」が、これ以上ないほど見事に結び合った小説ではないか。
(永井紗耶子)
 驚きと感動で読み終わったが、テーマが空回りせず、手法もなるほどと納得する。これほど上手い小説に巡り会うことはそんなにないと思う。最後の方になって、この聞いて回っていた人物が判明するとき、僕はこの小説の「からくり」に驚嘆してしまった。ラスト近くで主人公が「一人で江戸に出て分かったことの一つは、時には誰かを信じて頼るという勇気も要るということだ。何もかも背負う覚悟は勇ましいが、それでは何一つ為せないのだと気付かされた。」と語る。「自己責任」の風潮の中で、信じ合って義を求めた勇気の書である。「真の仇討ち」とは何か、深く考えさせられた。

 著者の永井紗耶子氏(1977~)は、2010年に『絡繰り心中』で小学館文庫小説賞を受賞してデビュー。2020年の『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』が新田次郎賞などを受賞、2022年の『女人入眼』が直木賞候補になるなど、ここ数年でグッと知名度を高めてきた作家である。僕は初めて読んだので、他の作品や作風はよく知らない。時代小説を中心に書いているようだが、横浜育ちで三渓園で知られる原三渓を描いた『横濱王』という作品もある。

 当然著作権の「二次利用」が強く期待される。ネット上には著者と神田伯山の対談も載っていて、講談にするのも良いと思うが、やはり舞台化、映像化が望まれる。本格的にやるには大きなセットがいるので、それこそ松竹映画がやるべきだろう。昔のままの芝居小屋が日本各地にいくつか残っているので、是非ロケで。また歌舞伎でも見てみたいものだ。登場人物をやるのは誰それで、などとつい思いながら読んでしまった。

 ところで、歌舞伎や仇討ちなどと言われると、何か古い義理人情ものに思われてしまうかもしれない。その結果、若い読者を逃すとすると、非常にもったいない。この小説は基本的には若者の成長小説なのである。是非とも若い読者に勧めたい名作である。
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『自我の起源』ー真木悠介著作集を読む③

2023年07月01日 20時19分33秒 | 〃 (さまざまな本)
 見田宗介・真木悠介著作集を読み始めて、これが最後になる。見田宗介著作集が全10巻、真木悠介著作集が全4巻だが、『気流の鳴る音』だけは独自に5回書いたから、全部で18回になる。その全体的感想はもう少ししたら別に書きたいと思う。

 最後の『自我の起源』(1993、岩波書店)だが、これは実に頭が痛い本である。いや、面白くないというのではなく、叙述そのものは興味深くもあるのだが、何しろ横書きの「自然科学」研究なのである。厳密に言えば、「動物」の「社会」に関する研究史の整理で、それは一種の「比較社会学」に入るとも言えるだろう。だけど、原著を30年前に読んだときから、これは一体何なんだと頭を抱えるしかない本だった。人間解放の理論を期待して読むと完全に肩すかし。
(原著)
 副題が「愛とエゴイズムの動物行動学」である。ダーウィンが『種の起源』を著したのに続き、次は『個の起源』を問うわけである。それは興味深くもあるけれど、動物の世界を考えることが人間とどうつながるのだろう。確かに犬や猫を見ていて、名前を呼ぶと答えてくれる感じがして「自分の名前」を覚えているように見える。でも、犬や猫段階には「自意識」はないから、自分は○○という名前だと認識しているのではなく、「飼い主が接してくれる時の記号」として記憶されているんだろう。では、ミツバチなどの「社会性動物」の場合はどうなんだろう。

 それを当時評判になっていたリチャード・ドーキンス(1941~)の『利己的な遺伝子』(The Selfish Gene、1976)を取り上げて検討するのである。調べてみると、この本は何回か版を改めて出版されており、91年に出たオックスフォード大学版が1992年に日本でも翻訳されている。この「生物は遺伝子の乗り物」的な見解は俗説レベルで非常に有名になっていた。それをきちんと論評するのは確かに面白いんだけど、何しろ30年前の著作である。この30年間の遺伝子研究の発展は著しいから、今になるともっといろいろ進んでいるんだろうなと思う。つまり、今になると、この本も増補版が必要なんだろう。
(リチャード・ドーキンス)
 この本は2001年に岩波モダンクラシック版、2008年に岩波現代文庫版が出ている。その現代文庫版には大澤真幸氏による「周到な解説」が付いているという。それを読めば良いんだろうけど、まだ読んでない。著作集に初めて収録された「〈自我の比較社会学〉ノート」を読むと、この本は次のような全体構想をもつ〈自我の比較社会学〉の第Ⅰ部の骨組みだとある。

 Ⅰ 動物社会における個体と個体間関係
 Ⅱ 原始共同体における個我と個我間関係
 Ⅲ 文明諸社会における個我と個我間関係
 Ⅳ 近代社会における個我と個我間関係
 Ⅴ 現代社会における個我と個我間関係

 「全体の遂行には少なくとも15年を要すること、その前に先にしておきたい他の仕事があること、人間はいつ死ぬか分らないこと。これらを考慮して、取りあえず第Ⅰ部のみを切り離して発表することにした」とそこには書かれている。ここで全体構想の中の位置づけを明記しておくのは、「自我という問題を『生物社会学的』的な要因だけから解こうとしているような誤認を防ぐため」という。Ⅱ部以下の粗いスケッチも書かれているが、僕にはよく理解出来ない。

 この本は動物行動学などの成果を分析しながら、ミツバチ、サルなど様々な「動物社会」を通して、「個体性」の起源を探っていく。これに「性現象と宗教現象」という宮沢賢治を論じた文章が収録されていて、両者はコインの裏表みたいものらしい。判るようで判らない言葉だが、著者にとって「個の起源」という以上に「」や「エゴイズム」の問題が非常に大切だということなのだと思う。見田宗介著作集にも『生と死と愛と孤独の社会学』という巻がある。これは一般に社会科学の対象としては珍しいだろう。

 一般には「愛」や「エゴイズム」の起源ではなく、それが基になって移り変わってゆく人間社会の様々な問題、宗教、家族、戦争、文化などを主題とするのではないか。そこに見田社会学、あるいはさらに「真木悠介」理解のキーがあるように思った。本書の内容そのものは、僕はよく判らないのでスルーしたい。僕の若い頃には、動物行動学を学問として確立したコンラート・ローレンツ(1903~1989)は非常に有名だった。1973年にはノーベル生理学・医学賞も受賞して、世界的な名声を得た。
(コンラート・ローレンツ)
 ローレンツでは、僕も『ソロモンの指輪』は読んでいるが、他に有名な本として『攻撃』もある。僕は「戦争の比較社会学」という本を書くんだったら、動物社会の研究も必要になると思う。人間にはそもそも「縄張り」の獲得や維持のための攻撃本能があり、それは動物にさかのぼるものだという見解もあり得るからだ。そこから始めて、「原始共同体」や「文明諸社会」における戦争のありようを比べて考察することになる。そういう本なら動物から始まっても違和感がないが、「自我の起源」というテーマで動物を論じて終わってしまう本書には、最初に読んだときからどうも違和感が強いなあ。
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