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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

スマイリー三部作を読む-ジョン・ル・カレを読む①

2012年06月07日 00時32分04秒 | 〃 (外国文学)
 スパイ小説が昔から好きだけど、スパイ小説の最高峰、ジョン・ル・カレをちゃんと読んでいなかった。ハヤカワ文庫で出た文庫本はずっと買ってて、その数20冊位にもなる。昔「寒い国から帰ってきたスパイ」など初期の3冊を読んで、それなりに面白かった。しかし、さすがに「寒い国」は古い感じがしたし、展開が途中で読めた。順番では次が「鏡の国の戦争」と「ドイツの小さな町」になるが、これが厚くて中身も手ごわそうなので中断してしまった。今回、そこから始めて、「ティンカー、テイラー・ソルジャー、スパイ」「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」のいわゆる「スマイリー三部作」と「リトル・ドラマ―・ガール」まで読んだ。2冊本もあるので、文庫本計9冊になる。いや、大変だった。忘れないうちに、今までの分を書いておきたい。
 (ジョン・ル・カレ)
 今回読んだのは「ティンカー、テイラー・ソルジャー、スパイ」が「裏切りのサーカス」として映画化されたからだ。見る前に読まないと気が済まない。「裏切りのサーカス」については、難しいという意見もあるようだ。世界地理やスパイ小説に知識がない人には、確かにちょっと難しいかも。でも、あの難物の原作をよくここまでまとめあげた、とても出来のいいスパイ映画である。数年前の「ナイロビの蜂」も良かったけど、純粋なスパイ映画としてはこちらの方が成功していると思う。

 原作からは少し改変がなされている。発端となる事件が、チェコからハンガリーへ、また香港からイスタンブールへ変えられている。チェコと香港はかなり本質的な部分だと思うけど、まあ香港ロケができないのだろう。ラストも少し違っていて、なるほどと僕は感心した。日本題名にある「サーカス」は、英国情報局のあるロンドンの地名で、情報局の通称である。英国情報局は小説ではよく「MI6」と出てくる。サマセット・モーム、グレアム・グリーン、イアン・フレミング(007シリーズの原作者)などの有名作家が、実際に所属していたことでも知られている。ジョン・ル・カレもその一人である。でも32歳の時に「寒い国…」が世界的ベストセラーになって作家に専念した。変わった名前だが、もちろんペンネームで、本名はデイヴィッド・ジョン・ムア・コーンウェルという英国人である。

 英国情報機関史上最悪の事件は、言うまでもなく、かの有名な「キム・フィルビー事件」である。MI6長官候補とまで言われた通称キム・フィルビー(ハロルド・エイドリアン・ラッセル・フィルビー)が、実は戦前以来長きにわたってソ連のスパイであったという事実が明るみに出たのが、1963年の1月である。50年代以来何回か疑惑が取りざたされ、本省は一時的に罷免されたが、その後新聞記者としてベイルートに赴任していた。本人はソ連のスパイであることを認めた後、ソ連船で亡命してしまった。ソ連では厚遇され、たびたび勲章をもらい、1980年には最高のレーニン賞を授与され、ソ連崩壊前の1988年に死んでいる。1990年にはソ連で切手にもなっている
 (キム・フィルビーの手紙)
 キム・フィルビーだけでなく、「ケンブリッジ5人組」と呼ばれる二重スパイ集団が存在した。みな知識階級出身で、30年代のナチス躍進と世界恐慌の中で育ち、イギリスの階級社会に絶望してマルクス主義に未来を見た。大学時代にソ連の諜報員にリクルートされたと言われているが、カネや女がらみではなく、ソ連の諜報員になることを名誉なことと考え率先して受け入れた。第二次世界大戦では、41年の独ソ戦以後は英ソは同盟国になったからバレずに活躍できた。冷戦時代にはソ連諜報員の亡命阻止や英米の情報をソ連に伝えるなどの「実害」があったと言われる。

 そういう深刻な「二重スパイ」が現実にイギリスに存在したという有名な事実を知ってないと、本や映画が判らない。金で買われたチンピラ・スパイがいたって「体制の危機」ではないが、知識階級の「幹部候補」が自覚的な二重スパイを何十年も務めていたとなると、これは「イギリス的価値観の崩壊の危機」である。この事件がモデルになって、グレアム・グリーンの「ヒューマン・ファクター」やル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャ-、スパイ」が書かれたわけである。いずれもスパイ小説史上の最高傑作と評価されるような傑作である。(ついでに言うと、逢坂剛のイベリアシリーズというのがあって、敵役的存在としてキム・フィルビーが実名で登場してくる。面白いシリーズ。)

 キム・フィルビー事件がモデルだと知っていても、どう小説化(映画化)されているかはわからない。要するに「誰かが二重スパイであるが、誰かは判らない」というのが、話の前提になる。そこで囲碁や将棋のように(というかチェスですね)、先を読んで一手一手布石を打って行って、スパイを追い込みあぶりだそうという作戦が展開される。標的は4人で「ティンカー」(鋳掛屋)、「テイラー」(仕立て屋)、「ソルジャー」(兵隊)、「プアマン」(貧民)とマザーグースにちなむコードネームが付けられる。知っている可能性があるハンガリーの将軍が亡命したいという情報を得て、情報員をハンガリーに派遣するが、情報が漏れていたのか銃撃され、からくも帰国した事件が数年前。

 これで情報部がガタガタになっている。それから数年、イスタンブールで亡命希望者のソ連人が上層部に黙殺されるというケースが起こった。誰かがスパイで情報を握りつぶしてソ連に流したのではないか、という話。とにかく展開は、目で見るチェス、みたいな知的遊戯の世界で、007やフォーサイスなんかのスパイものとは全く違う。主導するのは、この間情報部を干されていたジョージ・スマイリー。ソ連の「カーラ」という恐るべき宿敵と渡り合う。誰がスパイなのか、そのサスペンスで盛り上げていく手腕は見事である。

 ル・カレの原作は映画以上に大変で、「バナナの皮に滑って転んだ」というような話をするために、バナナ農園の建設から話を始めるみたいな感じの小説である。話が全然進まないし、半分読んでも事件の構図がわからない。そのうちに人物が判らなくなる。どの小説もそんな感じで、スマイリー三部作はまだ展開が早い方だろう。その点、映画は人物のイメージが一致するので、やっぱりわかりやすい。だんだん読み進んで行くと、それまでの布石が生きて来て、なるほどこのような物語であり、人生がここにあったという感慨を持つことになる。スパイ小説の純文学である。大変だけど、大変さを味わってみたい人は、知的な挑戦として読んでみてはどうだろう。欧米では「知識人の読み物」として必須アイテムなんだから。

 「スクールボーイ閣下」は、ベトナム戦争終結時の香港を舞台にした話で、スマイリーも香港に出張してくる。大長編だけど、70年代半ばの時代色が強い。時代に殉じたあるスパイの「純愛」ものと言うべき話。「スマイリーと仲間たち」は、最後の決着編だけど、この展開はどうなんだろうか。人間には皆弱みがあるものではあるけれど、と思わないでもない。それにしても、この3冊、今もハヤカワ文庫で出てるけれども、とにかく手ごわい。でも、特に「ティンカー、…」は大傑作に間違いない。
(2018.11.12 写真を入れ一部改稿。その後読んでないので②はまだない。)
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