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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

奇跡の映画『よみがえる声』(朴壽南・麻衣監督)、隠された歴史を伝える旅

2025年08月09日 19時39分26秒 | 映画 (新作日本映画)

 すごい映画を見た。朴壽南(パク・スナム)、朴麻衣(パク・マイ)の母娘が作った『よみがえる声』というドキュメンタリー映画である。時々ドキュメンタリーからは規格外れの大傑作が現れることがある。(小川紳介監督の『ニッポン国古屋敷村』や原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』など。)この作品の驚きも、そういう映画を見たときの「こういうのがあったのか」的な感動に近い。しかし、それに止まらず近代日本の暗部をえぐる証言の数々…よくぞ撮り残してくれたと驚くしかない。必見の傑作。

 朴壽南(パク・スナム)と言われて、小松川事件を思い出すという人はもう相当の高齢だろう。1958年に起きた殺人事件の少年死刑囚、李珍雨(イ・チヌ)と文通したのが朴壽南だった。(当時は朴寿南とも表記。)大岡昇平など多くの文化人が減刑を求めたが、当時所属していた朝鮮総連からは「殺人犯支援」から手を引くよう指示され、組織を離れざるを得なかった。李からは姉と慕われ、親密なやり取りが続いた。李も獄中で自分を見つめ直したが、1962年に早くも執行されてしまった。朴がまとめた往復書簡集『罪と死と愛と』はベストセラーとなった。1979年には『李珍雨全書簡集』を刊行し、僕はその本に深く感動した記憶がある。

(編集する母娘)

 その後、朴壽南は広島の被爆朝鮮人など「忘れられた」人々を取材していたようだ。僕もジャーナリストとして活動していたのは知っていたが、やがて4本のドキュメンタリー映画を発表した。僕はそれらを見ていない。突然映画を作るなんて考えられないから、同姓同名の映画監督かと思っていたぐらいだ。映画館でほとんど上映されない自主上映の16ミリ映画なので、仕事をしているとなかなか見る機会がなかったのである。映画名を書いておくと、『もうひとつのヒロシマ』(1986)、『アリランのうた−オキナワからの証言』(1991)、『ぬちがふぅ(命果報)−玉砕場からの証言』(2012)、『沈黙−立ち上がる慰安婦』(2017)である。

(若い頃の壽南・麻衣)

 朴壽南の私的な事情など知る由もなかったが、今回の映画を見て結婚せずに二人の子をなしたと知った。(結婚制度に反逆しているのである。)神奈川県茅ヶ崎市で焼肉店を開き一人で子育てをしていくが、かき入れ時の8月になると店を臨時休業にしてしまう。広島に取材に行くためである。被爆した朝鮮人を探すものの当初は誰も名乗り出ない。やがて少しずつ取材できたものの、日本語が不自由なうえ、祖国を離れて長いから母語でもうまく表現出来ない。しかし、その苦難の人生は表情を見ればはっきりと伝わってくる。だったら映像で記録する方が効果的だと壽南は思い至る。こうして広島から、沖縄、筑豊、韓国へと映像の旅が始まった。

 その映像は先に挙げた4本の映画となって結実したが、まだ未公開の取材フィルムが山のように残されていた。それは16ミリフィルムで50時間分にもなるという。また録音テープは別になっていた。時間と共に劣化が進み、このままでは見られなくなってしまうと心配したが、1935年生まれで目も不自由となった壽南には取り組む力がない。それを見かねた娘の朴麻衣が乗り出して、デジタル化を進め再構成したのが、今回の『よみがえる声』という奇跡の映画なのである。148分もある長い作品だが、全く退屈せずに見続けてしまうのは、題材そのものの力であるとともに、朴壽南の人間としての迫力が素晴らしく圧倒されるのである。

(堤岩里教会虐殺の遺族)

 それを最も象徴するのは、三・一独立運動(1919年)時に起きた「堤岩里教会虐殺事件」の遺族への取材である。訪問時はもう70年近い昔となり、関係者もほぼ亡くなっていた。しかし、夫が虐殺された妻が存命と知り訪ねて行くが、やはりもう認知症状態で取材は無理と言われる。しかし、本人が突然チマチョゴリを着せてくれと言いだし、正装して当時の記憶を語り出したのである。この事件はキリスト教徒を標的にして教会を焼き討ちにしたもので、当時から欧米で大問題となった。日本軍も認めて一応軍法会議に付されている。(過失によるものとして無罪。)従って新事実というわけではないが、当事者の映像が存在したことに驚いた。

 韓国での取材が出来るようになると(長く「朝鮮」籍での訪韓は不可だった)、「在韓被爆者」への取材に訪れた。大邱(テグ)で訪れた被爆者の貧困ぶりはものすごい。韓国は70年代以後経済成長を遂げていくが、それでもこのような「極貧」が存在したのである。(「被爆者」と明かすと差別される上、ケロイドなどはハンセン病と間違われて差別されたこともあった。)そんな韓国取材中にテレビ番組に出演した映像が紹介されている。日本にもある「ワイドショー」みたいな番組で、司会者が尋ねた時の「未婚の母」朴壽南の迫力に圧倒される。韓国で「慰安婦」が名乗り出る前に、テレビで沖縄の「慰安婦」の話をしていたのも驚きだった。

(「軍艦島」を訪ねる)

 日本国内でも筑豊炭鉱など九州の「強制連行」朝鮮人を取材に行っている。特に長崎県の端島(はしま)炭鉱、つまり今や「世界遺産」の「軍艦島」で働かされた人を取材しているのは貴重だ。登録をめぐって韓国から抗議されても、日本国や長崎県が認めなくなっている「軍艦島」での苛酷な労働の日々を証言しているからだ。当事者が亡くなっても、映像には真実を証言し続ける力がある。この映画を見るまで知らなかったが、余りの苛酷さに逃げ出して溺れ死んだ人もあったという。対岸に流れ着いた遺体を(名前も判らぬまま)慰霊した「南越名(なんごしみょう)海難者無縁仏之碑」というものまで存在するのである。

 中国人労働者も多く犠牲となり、慰霊碑が建っているという。「軍艦島」が出てくるテレビ番組はかなり多いが、そういう側面は全く取り上げない。そもそも端島が「軍艦島」(のような外見)になったのは大正期以後なのに「明治日本の産業革命」遺産とするのは無理が多いことは、その当時に批判した。(「明治」に絞るなら足尾銅山と谷中村が不可欠だ。)僕は「軍艦島」は「原爆ドーム」と並ぶ「負の世界遺産」だろうと思っている。「歴史認識」という意味で、まさに「戦後80年」の夏に必見の映画である。

 朴壽南は「民族差別の告発者」であり、また「在日コリアン組織への反逆者」でもあるが、それ以上に結婚制度を含め「徹底して自由を生き抜いた」戦後日本の奇跡の反逆者なのである。そのホンモノの人間性は、小松川事件の被害者母との関わりで発揮される。被害者の母は関東大震災時にこの辺りでは多くの朝鮮人が殺されたと語る。李珍雨処刑には頼まれて被害者母を李の母のもとに連れて行き、二人の母親は手を取り合って泣いたというのである。そんなことが出来る人が他にいるだろうか。

 この映画を見た日(2025年8月8日)は、朴壽南朴麻衣両監督のトークがあった。司会はヤン・ヨンヒ監督(『かぞくのくに』など)で、ド迫力で「推し」ていると語っていた。絶対それ以上の価値があるからと2千円するパンフレットを必ず買うようにと言ったので、僕もつい買ってしまったが確かにそれだけの価値がある。壽南監督は車椅子だったが、今もすごい存在感。不思議な親子である。(なお、映像は自分で撮影したのではなく、撮影チームを組んで名カメラマン大津幸四郎などが担当している。)


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