尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

阿川弘之、山口鶴男、柳原良平等ー2015年8月の訃報

2015年09月05日 23時36分34秒 | 追悼
 2015年の8月は、あまり大きく報道されるような訃報が少なかった。一番大きな報道をされたのは、作家で文化勲章受章者の阿川弘之(8.3没、94歳)の訃報。しかし、僕は阿川弘之の本を一つも読んでいない。「志賀直哉」の文庫本は持ってるけど、読んでない。いわゆる「第三の新人」の一人と言っていいが、遠藤周作や吉行淳之介などと違い、全く読まなかった。僕の学生時代ころは「山本五十六」に始まる海軍軍人の評伝で知られていたが、どうも読む気にならないまま。鉄道エッセイなんかも読んでない。晩年は阿川佐和子の父と言われることが多かった。
(阿川弘之)
 元社会党書記長の山口鶴男(8.3没、89歳)は土井たか子委員長時代の書記長だった。群馬県第3区で11回当選したが、ここは例の福田赳夫、中曽根康弘の選挙区で、その「ビルの谷間のラーメン屋」として小渕恵三がいた。定数は4人で、山口はおおよそ3番目あたりで当選を続けた。(3位=7回、4位=3回、2位=1回)社会党の有力者といえど、「中選挙区」で低空飛行して当選していたのである。同じ群馬県選出の田辺誠元委員長も最近死去したばかり。土井元委員長も昨年死去して、旧社会党を覚えている人も少なっていく。
(山口鶴男)
 画家、イラストレーターで、サントリーの「アンクルトリス」のデザインをした柳原良平(8.17没、84歳)。アンクルトリスは、ある時代の人なら大体知っているだろう。サントリーに山口瞳や開高健がいた頃の話である。サントリーも寿屋だった。フランス文学者の出口裕弘(でぐち・ゆうこう 8.2没、86歳)はバタイユなどの翻訳を読んだと思う。渋沢龍彦とは旧制浦和高校時代からの友人で、没後に「渋沢龍彦の手紙」を発表したと言うが、これは読んでないな。同じくフランス文学者の井上輝夫(8.25没、75歳)はボードレールの研究者だが、本人も詩を書いた。歌手の菅原やすのり(8.4没、70歳)は、世界各地で平和を訴えるような活動を続けた歌手。アイヌ語研究者で早稲田大学名誉教授の田村すず子(8.3没、81歳)の訃報も残しておきたい。アイヌ語研究の第一人者だった人。
 一度都知事選に共産党の支持で出た教育評論家、三上満(8.21没、83歳)は、選挙に出た時も「金八先生のモデル」をウリにしていた。だけど、都教組委員長から、全教に初代委員長になった人で、そのことをどう評価するべきかという問題がある。まあ、これだけでは判らない人が多いと思うが、連合結成、日教組分裂をどう考えるべきかと言うことだが、今や戦後労働運動の歴史など、関心も持たれない分野になっているのだろうと思う。

 吉本興行元社長の中邨秀雄(なかむら・ひでお 7.3没、82歳)は知らなかったけど、吉本新喜劇を立ち上げたり、「やんぐおー!おー!」で三枝や仁鶴を売り出した人だという。一月後に訃報が公表された。その吉本新喜劇の花紀京(はなき・きょう 8.5没、78歳)の訃報もあったが、知らないので書けない。芸能界では、奇術師の北見マキ(8.28没、74歳)の訃報もあった。訃報公表が遅れた人では、ジャーナリストでセクハラ問題などを取り上げた宮淑子(4.4没、70歳)の訃報も、8月末になって伝えられた。他に、石牟礼弘(8.20没、89歳)の訃報も出ていた。石牟礼道子の夫と書いてあるだけで、どのような人だったかは判らない。

 僕にとっては、歴史学者の中村正則(8.4没、79歳)の訃報を記しておきたい。近現代史が専門で、「労働者と農民」や「象徴天皇制への道」など一般向けの著作も書いた。農村の民衆史などの研究が多かったけど、その後占領史研究にも乗り出した。「天皇制」への問題意識ということだろう。

 外国では、オリバー・サックス(8.30没、82歳)が亡くなった。精神科医で、映画化された「レナードの朝」を書いた人である。ジョナサン・オリヴィエ(8・9没、38歳)は英国を代表するダンサーだったが、公演最終日にバイクで交通事故を起こした。
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