尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

旧岩崎邸庭園の周辺-湯島散歩①

2014年06月19日 21時53分58秒 | 東京関東散歩
 東京散歩・湯島近辺。湯島という地域は、東京都文京区の東端の地域で、お茶の水駅のそばにある「湯島聖堂」のように長い歴史がある地名である。文京区一体は「坂の町」だけど、武蔵野台地が広がる中で、坂上に「お屋敷町」が、坂下に「商店街」や職人の町が発展してきた。JRが通っていない区で、地下鉄利用になるので地形を意識しづらい。街を歩いていると、坂の説明によくぶつかり、「市電開業にともない坂が削られ勾配がゆるやかになった」などと書いてあることがある。

 最初に書く「旧岩崎邸庭園」は、住所は台東区池之端になるが、ここだけ行政上は飛び出しているだけで、地形上は湯島から続いている。不忍池の真裏あたりで、もちろん上野駅から歩いて行けるが、最も近い駅は地下鉄千代田線湯島駅になる。駅から出れば案内が各所にある。上野のはずれで低地には「ラブホテル」が林立してるけど、「旧岩崎邸庭園」の入り口を入ると、最初はビックリするぐらい坂を登っていくことになる。やはり、財閥の富豪は「坂の上」なのである。近代日本最大の財閥が作った洋館の極みで、何回か来てるけど驚くような建物である。ただ、中の様子を写真に撮れない。外観だけ。ガイドには少し出てる。では、その外観を。
   
 ここは1896年に、岩崎久彌(岩崎弥太郎の長男で、三菱の三代目社長)の本邸として造られた。重要文化財。現在は洋館、和館、撞球室の三つしか残っていないが、本来は20棟もの建物が並び、現在は3分の1の敷地になっているというから驚くしかない。設計は有名なジョサイア・コンドルで、この前書いた旧古河庭園と同じ。「英国ジャコビアン様式の見事な装飾」「イギリス・ルネサンス様式やイスラーム風のモティーフ」、他にも「コロニアル様式」「トスカナ式列柱」「イオニア式列柱」「英国ミントン社製のタイル」などと書いてあるけど、写真が撮れないから判らない。パンフを引用しただけだが、ジャコビアン様式と説明にある写真はこれ。(ちなみに「ジャコビアン」とは、17世紀初頭の英国ジェームズ1世時代の芸術様式で、イタリア・ルネサンスの影響を受けた。英国バロックとも言われる。)
 
 洋館に入って、1階、2階とめぐり、大食堂、ホールなどを見て回る。中はともかく、2階のベランダから外を撮るのもダメとあるから、全く中の様子は撮れなくて、実際に行って見て下さいと言うしかない。階段を下りて、和館に行くと休憩もできる。靴を持って移動し、和館から外へ出る。そうすると、芝生が広がり、洋館もまた違って見えてくる。遠景の写真(2枚目)の左奥の大きなビルは東大病院。ここは戦後GHQに接収され、キャノン機関などが置かれ、鹿地亘(かじ・わたる)が軟禁されていた。1971年から94年までは、最高裁司法研修所として司法修習に使われた。そういう戦後の歴史も刻まれている。その後、修復され、広く公開されているのは良かったと思う。 
   
 完全に横に回ると、もしかしたら一番この位置がいいのかなという見事な形になる。そこからは「撞球室」が近い。これは読めないし、意味も分からない人が多いと思うけど、「どうきゅうしつ」で「ビリヤード室」という意味である。もちろん今は置いてない。ここは中も撮れる。
   
 ところで、この庭園の奥に興味深い場所が作られた。「国立近現代建築資料館」である。長年の懸案とされていた「近代建築アーカイブ」で、要するに近現代建築の資料(設計図とか)を保管、研究する施設である。まだ開設したばかりで、建築にくわしくないと判らない感じだけど、旧岩崎邸庭園からは無料で行けるので一度行ってもいいと思う。(そこだけ行くには、反対側の湯島合同庁舎から予約して入ることになる。岩崎邸から入るには、岩崎邸の入園料がかかる。)2階にあって、2階から見た旧岩崎邸を撮ることは可能。[(写真の左にある黒い縞はガラス窓の桟。)入り口近くの壁には、三菱マークのもととなった「重ね三菱」が刻印してあった。
   
 さて、この旧岩崎邸の真裏あたりに「三菱資料館」がある。土日はやってないけど、平日だったら一度見ておきたい。ここに「三菱経済研究所」もある。もちろん企業博物館だから、宣伝は宣伝。三菱の軍事的な「貢献」(ゼロ戦も戦艦大和も三菱である)や政府と結びついた「政商」ぶりも批判されていない。それはそれとして、近代を代表する企業グループを一応知ることができる。ただ、三菱にはもっと大きな博物館、宣伝でいいから様々な工夫をこらした博物館を作って欲しい気もする。
  
 旧岩崎邸を出て、左に続く坂をずっと登って壁に沿って曲がると三菱資料館だけど、そこへ行く坂道が「無縁坂」である。そう、お玉が住んでいたところ。えっ、何のことかと言われるかも。森鴎外の傑作「雁」を読むと判ります。豊田四郎監督の映画にもなっている。帝大(東大)に通う学生が通りそうな場所である。「無縁坂」というのは、里中満智子のマンガもあるというけど、今一番思い浮かべるのは、グレープ(さだまさし)の曲「無縁坂」なんだろう。「運がいいとか悪いとか…そういうことって確かにある」とか口ずさみながら歩いて行く。(最後の写真は、坂が終わり、三菱資料館に行く道)
  
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