尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

感動的な魂の書「津波の霊たち」(リチャード・ロイド・パリー)を読む

2021年03月09日 23時02分17秒 |  〃 (震災)
 その日、つまり10年目の3月11日が近づいてきて、マスコミの報道も増えてきた。巨大津波爆発する原発の映像は、もう二度と目にしたくないという人も多いと思う。だけど、忘れてしまっていいのかと言えば、それはやはり違うだろう。これからどんどん「その後に生まれた人」が小学生から中学、高校へと進学していく。日本に住む人は今後も永遠に伝えていかなくてはいけない。

 僕は今回「津波の霊たち 3・11 死と生の物語」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)という本を読んだ。著者のリチャード・ロイド・パリー(Richard Lloyd Parry、1969~)は、イギリス人のジャーナリストで「ザ・タイムズ」紙のアジア編集長・東京支局長を務めている。日本で殺害されたルーシー・ブラックマンさんの事件を追った「黒い迷宮」で評価された。原著「Ghosts of the Tsunami Death and Life in Japan」は2017年に出版され、2018年に翻訳された。翻訳は濱野大道(はまの・ひろみち)氏で、素晴らしい名訳。その本が2021年1月に文庫化された。

 この本の評判は翻訳が刊行された時に聞いていた。訳者あとがきまで入れると430頁もあり、値段も1020円する。文庫といえど、決して安くはない。内容だけでなく、字がずっしり詰まっている「重い」本だ。でもこの本は是非読んで欲しい。「読めばわかる、欺されたと思って読んで欲しい」と人に勧めたくなる。魂の書であり、心の奥底に響くものがある。震災に止まらず、日本人についてこれほど考えさせられる本は滅多にない。それが千円ちょっとで手に入るんだから、むしろ安いと言わなければいけない。嗜好品をちょっと後回しにして手元に置くべきだ。
(リチャード・ロイド・パリー氏)
 著者は3月11日には東京のオフィスにいた。高校生でホームステイしたときに人生初の地震を体験、以来何度も地震を経験したけれど、多くの日本人と同じく人生で最大の揺れだった。家族の無事を確認し、13日には早くも東北に自動車で向かった。東北自動車道は閉鎖されていたから、24時間かけて仙台にたどり着いたのである。以来何度も東北に通って取材を重ね、最終的に「石巻市立大川小学校」と「霊体験」を書いた。原発事故はあえて触れられていない。スマトラ大津波も取材した著者は、人生で二度と見るはずがない大津波をもう一回取材したのである。そして多くの犠牲が出た中でも、極めつけの悲惨である「大川小学校」の悲劇を深く取材した。

 そこでは多くの児童と教員が亡くなった。そのことは誰でも知っているから、正直言って読む前に気が重い感じがしてしまうのは仕方ない。震災で学校管理下で死亡した子どもたちは75名だったという。そのうち74名が大川小学校だった。逆に言えば、大川小学校以外ではほぼ児童生徒の安全は守られた。そこには偶然もあれば、奇跡もあっただろうが、普段の訓練が生きた学校も多い。震災で崩れた学校もなかった。津波被災地の学校でも、建物は無事だった。地震は自然現象だから、地震多発地帯では必ずまた起きる。その時どこにいるかを選べるならば、日本の学校にいることが一番安全だと著者は言う。それでも「大川小学校の悲劇」があった。
(地震前の大川小学校全景)
 だから原発事故と並んで、「大川小学校」に「日本の失敗」が見える。この本では裁判に訴え一審判決が出るまでが描かれた。大川小では学校がある地区だけでなく、周辺からスクールバスで通学する児童もいた。それぞれの地域で様々な違いがある。親たちの置かれた境遇も様々である。地震が起きた時間から、他地域で仕事をしていた親だけが助かり、複数の子どもが亡くなった家庭もある。一家ほとんどが亡くなった場合もあれば、地区の中には津波被害を受けなかったところもあった。子どもが複数いて、小学生だけが亡くなった場合もある。さらに遺体がすぐに見つかった人もいるし、一週間、1ヶ月して見つかった人もいる。ついに見つからないままの人もいる。

 様々な立場の違いがあって、連帯と分断が起こる。その中で「なぜ大川小学校の悲劇が起こったのか」に向き合っていない行政の姿が見えてくる。その中で立ちあがってくる人間模様が細かく描かれる。まさに目の前で語られるような言葉で描かれる。「チェルノブイリの祈り」を書いたアレクシーエヴィッチと同じく、ノンフィクションだけどこれは紛れもなく「文学」だ。先の訃報特集で関千枝子の「広島第二県女二年西組」を「僕が読んだ中でも最も心に響くノンフィクション」と書いたけれど、ここにもう一冊を追加する。あの本も「なぜ自分は生き残ったのか」を探る本だった。運命を探求する先に社会が見えてくる。

 この本がすごいのはさらに先があることだ。それは「霊の問題」である。そこは東北だった。遺体が見つからない親たちは、霊能力がある人に尋ね始める。警察なども、その結果を教えて欲しいと言う。他の地域では大災害時でもあまり聞かれないという。そして多くの人が不思議な現象を見聞きする。幽霊が乗ったタクシーなどの話である。内陸部の栗原市の住職、金田諦應(かねだ・たいおう)師は被災住民の相談に乗りながら、「除霊」をするようになる。「カフェ・ド・モンク」という、「文句」と「monk」(僧)、さらに好きなジャズピアニスト、セロニアス・モンクを掛けた「おしゃべりスペース」を開きながら、霊の問題を引き受ける金田師の存在感はすごく大きい。

 この本に出て来る多くの日本人も、口では「幽霊は信じてない」という。著者も心霊現象には否定的だというが、叙述はニュートラルな聞き書きに徹している。そこに深みがある。全体的に著者が外国人ジャーナリストであることが、この本の一番の読みどころなのは間違いない。例えば大川小学校の子どもたちは朝「行ってきます」と家を出て、親は「行ってらっしゃい」と見送った。別れの言葉と日本人に教えられる「さよなら」はこの場合強すぎる。学校への行き帰りのような場合は、「行って、また戻ってきます」の省略の「行ってきます」、「行って、また戻ってらっしゃい」の省略の「行ってらっしゃい」と言うと書かれている。いや、そうだったのか。そんなことを意識していた日本人は多分いないだろう。

 「英国ニュースダイジェスト」というサイトに 「2人の英国人が見たあの日のこと」が掲載されている。そこでリチャード・ロイド・パリー氏が最後に語ることは「政治」だった。「日本は私が知るほかのどの国よりも、自然災害に対する備えが整っています。遅れているのは政治です。私の経験から言うと、日本人は政治を自分たちからかけ離れているものと見なしているように感じます。まるで政治が「別の自然災害」であり、その国民は無力な犠牲者であるかのようです。しかし、民主主義下では、自分でリーダーを選び、そしてある程度のふさわしいリーダーを獲得するものです。」コロナ禍で心に響く指摘だ。再び書くが、必読の本だ。
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