そう言えば今月は「民主党政権」が終わって10年になるなと思いだした。何日が選挙かもはっきりとは覚えてないので調べてみた。野田佳彦元首相と安倍晋三自民党総裁の「党首討論」が行われたのが、2012年11月14日。すぐに衆議院解散の手続が進み、11月16日に解散。そして、第46回衆議院選挙が12月4日公示、16日投開票で行われたわけである。
(2012年11月14日の党首討論)
その結果、自由民主党が294議席(小選挙区246、比例区79)、公明党が31議席(小選挙区9,比例区22)と野党が大勝して政権に復帰した。2009年に大勝利した民主党はわずか57議席と惨敗。連立を組んでいた国民新党もたった1議席だった。一方、あらたに国政に挑戦した「日本維新の会」が56議席。「みんなの党」が18議席。民主党を離党した小沢一郎系の「日本未来の党」が9議席。日本共産党が8議席。社会民主党が2議席。新党大地が1議席。無所属が5議席だった。
(勝利した自民党)
(敗退した野田元首相)
12月26日に自民・公明連立の第2次安倍内閣が成立した。結果的に「憲政史上最長の首相」になるなどと、その時点で誰が予想しただろうか。自民党の総裁任期は一期3年、連続2期までとされていたのだから、当然のことながら安倍政権は長くても2018年までだと思い込んでいた。しかし、2014年、2017年に不意打ちのような衆院選を仕掛けて、自民党は圧勝を続けた。この間の経済政策(アベノミクス)、あるいは外交政策、さらには安倍政権の志向したもの、残したものは何だったのか。それは大きな問題点だけど、今までにもずいぶん書いてきた。ここで書くのは、2009年に大量に当選した民主党議員は一体どうなってしまったかである。
そんなことはどうでもいいだろうと言われるだろう。その通りで、これは「趣味」なのである。2009年には民主党は小選挙区221議席、比例区87議席と、合計308議席という巨大な議席を獲得したのだった。今当時の当選者を調べてみると、全く知らない名前が多いことに驚く。2012年に落選して、そのまま政界を去った人も多い。10年も経ったので、もう亡くなったり引退した人もいる。当初の鳩山由紀夫首相、横路孝弘衆院議長も引退した。そして、仙谷由人、藤井裕久、羽田孜、鹿野道彦、渡部恒三、奥田健、松本龍各氏などは亡くなってしまった。
2012年には小沢一郎系が離党して、「日本未来の党」で選挙に臨んだ。以後、全部書いても仕方ないけど、「生活の党」「自由党」「国民民主党」などを経て、結局今は小沢一郎も「立憲民主党」に合流した。一方、同じ民主党系から「国民民主党」も結成された。また「日本維新の会」などに移って生き残っている議員もいる。
そしてかつては「敵」だった自民党に移った議員もいる。現在の岸田内閣には二人の「旧民主党議員」出身大臣が在任している。それは誰かというのは、現代日本政界検定の初級問題だけど、答えられるだろうか。山口壮環境相と松本剛明総務相である。他にも長島昭久、鷲尾英一郎、細野豪志氏が今は自民党議員。それぞれ自民に入る際は地元で揉めたり、いろいろあった。細野氏は無所属で勝ち残り、長島氏は菅直人元首相に敗れて比例で復活。鷲尾氏は小選挙区で出られず比例単独候補で当選した。ま、もともと保守系で、いるべき所に戻ったんだと思う。
(山口環境相)
(松本剛明総務相)
今は圧倒的に「立憲民主党」に所属する議員が多い。僕が数えたところでは49人が今も衆議院議員をやっている。他に参議院議員に転じたのが4人。もともと30代、40代で政界に入った議員が多く、今も50代、60代ぐらいなので、2012年は落選しても、何度もチャレンジして再び当選した人もいる。ただ、2009年の「政権交代」選挙で初めて当選した議員は、まさに「風頼み」だったから、支持基盤が小さくて苦労した。落選を繰り返すうちに、政界を離れて企業経営者、大学教授などに転じた人も多い。家族がいれば定職が必要だから、当然のことだろう。
立憲民主党立ち上げメンバー、枝野幸男、長妻昭、菅直人、海江田万里らは、おおむね09年以前からの当選メンバー。なお、辻元清美、阿部知子は09年には社民党だった。また今は立民にいる江田憲司はみんなの党だった。民主党政権の中枢にいた野田佳彦、岡田克也、安住淳、玄葉光一郎ら、また現在の立憲民主党の中心にいる泉健太、逢坂誠二、西村智奈美、小川淳也なども09年民主党当選組である。まあ改めて書くほどのこともない常識だけど、旧民主党政権の流れを人的に継承しているのは、立憲民主党。
それに対し、国民民主党は5人、岸本周平議員が和歌山県知事に当選したので、4人が当時から生き残っている。玉木雄一郎、前原誠司、古川元久、稲富修二の4人。「日本維新の会」には4人。2012年にはもっと多かったのだが、今はその後に入った「大阪系」の若い議員が多い。また「れいわ新選組」から出た櫛渕万里が山本太郎の衆院辞職により繰り上がって、久しぶりに政界に復活した。
もう一つ、民主党で当選した議員の中で、2021年には完全無所属で小選挙区を勝ち抜いた議員が5人いる。そのまま無党派のまま、院内会派「有志の会」を結成している。吉良州司、福島伸享、北神圭郎、仁木博文、緒方林太郎の5人だが、全国的知名度は今ひとつで選挙区を言える人は少ないだろう。しかし、無所属で勝てる「人気と実力」を持っているのだから、大したもんだと思う。
合計で、衆議院議員には現時点で64人が生き残っている。(と思うけど数え間違いがあるかもしれない。)これは多いのか少ないのか、よく判らない。2005年の「郵政選挙」で大量に当選した自民党の「小泉チルドレン」がどれだけ生き残っているのか。そっちも比べて、初めて評価出来ることだろう。母は入院中、世は(テレビ、ネットなど)はワールドカップの日本一次リーグ1位突破を何度も報じている。そんな中に、こんな人数を調べている。それが「趣味」で、気が紛れるのである。

その結果、自由民主党が294議席(小選挙区246、比例区79)、公明党が31議席(小選挙区9,比例区22)と野党が大勝して政権に復帰した。2009年に大勝利した民主党はわずか57議席と惨敗。連立を組んでいた国民新党もたった1議席だった。一方、あらたに国政に挑戦した「日本維新の会」が56議席。「みんなの党」が18議席。民主党を離党した小沢一郎系の「日本未来の党」が9議席。日本共産党が8議席。社会民主党が2議席。新党大地が1議席。無所属が5議席だった。


12月26日に自民・公明連立の第2次安倍内閣が成立した。結果的に「憲政史上最長の首相」になるなどと、その時点で誰が予想しただろうか。自民党の総裁任期は一期3年、連続2期までとされていたのだから、当然のことながら安倍政権は長くても2018年までだと思い込んでいた。しかし、2014年、2017年に不意打ちのような衆院選を仕掛けて、自民党は圧勝を続けた。この間の経済政策(アベノミクス)、あるいは外交政策、さらには安倍政権の志向したもの、残したものは何だったのか。それは大きな問題点だけど、今までにもずいぶん書いてきた。ここで書くのは、2009年に大量に当選した民主党議員は一体どうなってしまったかである。
そんなことはどうでもいいだろうと言われるだろう。その通りで、これは「趣味」なのである。2009年には民主党は小選挙区221議席、比例区87議席と、合計308議席という巨大な議席を獲得したのだった。今当時の当選者を調べてみると、全く知らない名前が多いことに驚く。2012年に落選して、そのまま政界を去った人も多い。10年も経ったので、もう亡くなったり引退した人もいる。当初の鳩山由紀夫首相、横路孝弘衆院議長も引退した。そして、仙谷由人、藤井裕久、羽田孜、鹿野道彦、渡部恒三、奥田健、松本龍各氏などは亡くなってしまった。
2012年には小沢一郎系が離党して、「日本未来の党」で選挙に臨んだ。以後、全部書いても仕方ないけど、「生活の党」「自由党」「国民民主党」などを経て、結局今は小沢一郎も「立憲民主党」に合流した。一方、同じ民主党系から「国民民主党」も結成された。また「日本維新の会」などに移って生き残っている議員もいる。
そしてかつては「敵」だった自民党に移った議員もいる。現在の岸田内閣には二人の「旧民主党議員」出身大臣が在任している。それは誰かというのは、現代日本政界検定の初級問題だけど、答えられるだろうか。山口壮環境相と松本剛明総務相である。他にも長島昭久、鷲尾英一郎、細野豪志氏が今は自民党議員。それぞれ自民に入る際は地元で揉めたり、いろいろあった。細野氏は無所属で勝ち残り、長島氏は菅直人元首相に敗れて比例で復活。鷲尾氏は小選挙区で出られず比例単独候補で当選した。ま、もともと保守系で、いるべき所に戻ったんだと思う。


今は圧倒的に「立憲民主党」に所属する議員が多い。僕が数えたところでは49人が今も衆議院議員をやっている。他に参議院議員に転じたのが4人。もともと30代、40代で政界に入った議員が多く、今も50代、60代ぐらいなので、2012年は落選しても、何度もチャレンジして再び当選した人もいる。ただ、2009年の「政権交代」選挙で初めて当選した議員は、まさに「風頼み」だったから、支持基盤が小さくて苦労した。落選を繰り返すうちに、政界を離れて企業経営者、大学教授などに転じた人も多い。家族がいれば定職が必要だから、当然のことだろう。
立憲民主党立ち上げメンバー、枝野幸男、長妻昭、菅直人、海江田万里らは、おおむね09年以前からの当選メンバー。なお、辻元清美、阿部知子は09年には社民党だった。また今は立民にいる江田憲司はみんなの党だった。民主党政権の中枢にいた野田佳彦、岡田克也、安住淳、玄葉光一郎ら、また現在の立憲民主党の中心にいる泉健太、逢坂誠二、西村智奈美、小川淳也なども09年民主党当選組である。まあ改めて書くほどのこともない常識だけど、旧民主党政権の流れを人的に継承しているのは、立憲民主党。
それに対し、国民民主党は5人、岸本周平議員が和歌山県知事に当選したので、4人が当時から生き残っている。玉木雄一郎、前原誠司、古川元久、稲富修二の4人。「日本維新の会」には4人。2012年にはもっと多かったのだが、今はその後に入った「大阪系」の若い議員が多い。また「れいわ新選組」から出た櫛渕万里が山本太郎の衆院辞職により繰り上がって、久しぶりに政界に復活した。
もう一つ、民主党で当選した議員の中で、2021年には完全無所属で小選挙区を勝ち抜いた議員が5人いる。そのまま無党派のまま、院内会派「有志の会」を結成している。吉良州司、福島伸享、北神圭郎、仁木博文、緒方林太郎の5人だが、全国的知名度は今ひとつで選挙区を言える人は少ないだろう。しかし、無所属で勝てる「人気と実力」を持っているのだから、大したもんだと思う。
合計で、衆議院議員には現時点で64人が生き残っている。(と思うけど数え間違いがあるかもしれない。)これは多いのか少ないのか、よく判らない。2005年の「郵政選挙」で大量に当選した自民党の「小泉チルドレン」がどれだけ生き残っているのか。そっちも比べて、初めて評価出来ることだろう。母は入院中、世は(テレビ、ネットなど)はワールドカップの日本一次リーグ1位突破を何度も報じている。そんな中に、こんな人数を調べている。それが「趣味」で、気が紛れるのである。
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