2022年12月の訃報。最初に外国人の訃報を書きたい。外国人の訃報は没後すぐに報道されることが多いので、日本人を後にする方がよい。非常に有名な人物の訃報がないなと思っていたら、月末に相次いだ。以下、29日以後の訃報が続く。まず「サッカーの王様」ペレ。29日死去、82歳。日本でも非常に大きく報道されたが、ブラジルでは3日の服喪期間が発表された。本名はエドソン・アランテス・ド・ナシメントで、ペレは愛称。父もサッカー選手で、父の所属チームのゴールキーパー、「ビレ」の大ファンだったが、幼児期にビレと発音出来ずに「ペレ」と呼ばれるようになったという。15歳でプロデビュー、通算1363試合に出場して1281得点。ブラジル代表のエースとして、ワールドカップで3回優勝、クラブ選手権でも2度の世界一となった。
まあペレがいかに素晴らしい選手だったかは、様々な情報をすぐに得られるのでこれ以上は書かない。そんな素晴らしい選手だったら、現役時代の活躍を見ただろうと思うかもしれないが、ワールドカップ優勝時(58、62、70)は時代的に知らない。それに90年代以前はワールドカップのテレビ中継はほとんどなかった。日本チームも出場してなかったし、野球の大リーグもやってない。オリンピックだけしか外国のスポーツ大会の中継はなかったのである。しかし、日本でも引退試合が行われ、それを見に行ったという人もいたので驚いた。人格高潔で、単なるスポーツ選手を超えた影響力を持った人である。ところで案外報道されていないのは、ミステリー小説も書いたこと。『ワールドカップ殺人事件』は創元推理文庫から翻訳されている。なかなか面白いので、是非一読を。
(ペレ)
前ローマ教皇ベネディクト16世が31日に死去、96歳。本名はヨーゼフ・ラッツィンガーというドイツ人で、保守的な神学者として知られていた。1981年に教理省長官となり、教皇就任までその地位にあって教皇庁を実質的に取り仕切っていた。2005年、ヨハネ・パウロ2世の死去後に教皇に選出されたが、その時すでに78歳という高齢だった。ドイツ人の教皇は約950年ぶりだった。教皇としては世俗化に対抗する保守化路線を維持した。2015年に高齢を理由に在位中の退位を発表した。これは約600年ぶりの出来事。カトリック教会による児童への性的虐待事件に関しては、隠ぺいしてきたとの強い批判を浴びた。
(ベネディクト16世)
アメリカで初めて女性のテレビ司会者となったバーバラ・ウォルターズが30日死去、93歳。1974年にNBCの朝のニュース番組『トゥデイ』の司会者となった。1962年から番組に関わり、一部のコーナーのプロデューサーなどを担当した。出演者が欠席した時に自分で出演するようになり、やがて人気を得るようになった。1976年には『ABCイヴニング・ニュース』で女性初のアンカーとなり、2014年まで務めた。女性が深刻な政治、経済ニュースを議論すると思われていなかった時代に、時代を切り開いた人である。番組では有名人物へのインタビューで知られ、キューバのカストロ首相と自由に関して議論を交わした。1999年のモニカ・ルインスキー(クリントン大統領の性的スキャンダルの告発者)のインタビューは7400万人が視聴したと言われる。
(バーバラ・ウォルターズ)
イギリスのファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドが29日死去、81歳。70年代にパンクやニューウェーブの先駆的ファッションで知られた。店の常連だったロックバンド「セックス・ピストルズ」のプロデューサーとして活躍し「パンクの女王」と呼ばれた。政治的活動でも知られ、気候変動、核軍縮、公民権運動などを支持した。しかし、ファッションと環境保護活動が矛盾するなどと批判もされてきたらしい。2006年に英女王からデイムの称号を与えられた。
(ヴィヴィアン・ウエストウッド)
フランスの女優ミレーヌ・ドモンジョ(Mylène Demongeot)が1日死去、87歳。17歳で出演した1957年の『サレムの魔女』で注目され、以後『悲しみよこんにちは』『黙って抱いて』『アイドルを探せ』など50年代後半から60年代前半にアイドル女優として活躍した。日本映画『ヨーロッパ特急』『東京タワー』にも出演している。
(ミレーヌ・ドモンジョ)
・エドゥアルド・アルテミエフ、29日死去、85歳。ロシアの作曲家。タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』の映画音楽で知られた。1980年のモスクワ五輪のテーマ曲も作曲した。シンセサイザーを使ってソ連の電子音楽の祖と言われる。
まあペレがいかに素晴らしい選手だったかは、様々な情報をすぐに得られるのでこれ以上は書かない。そんな素晴らしい選手だったら、現役時代の活躍を見ただろうと思うかもしれないが、ワールドカップ優勝時(58、62、70)は時代的に知らない。それに90年代以前はワールドカップのテレビ中継はほとんどなかった。日本チームも出場してなかったし、野球の大リーグもやってない。オリンピックだけしか外国のスポーツ大会の中継はなかったのである。しかし、日本でも引退試合が行われ、それを見に行ったという人もいたので驚いた。人格高潔で、単なるスポーツ選手を超えた影響力を持った人である。ところで案外報道されていないのは、ミステリー小説も書いたこと。『ワールドカップ殺人事件』は創元推理文庫から翻訳されている。なかなか面白いので、是非一読を。
(ペレ)
前ローマ教皇ベネディクト16世が31日に死去、96歳。本名はヨーゼフ・ラッツィンガーというドイツ人で、保守的な神学者として知られていた。1981年に教理省長官となり、教皇就任までその地位にあって教皇庁を実質的に取り仕切っていた。2005年、ヨハネ・パウロ2世の死去後に教皇に選出されたが、その時すでに78歳という高齢だった。ドイツ人の教皇は約950年ぶりだった。教皇としては世俗化に対抗する保守化路線を維持した。2015年に高齢を理由に在位中の退位を発表した。これは約600年ぶりの出来事。カトリック教会による児童への性的虐待事件に関しては、隠ぺいしてきたとの強い批判を浴びた。
(ベネディクト16世)
アメリカで初めて女性のテレビ司会者となったバーバラ・ウォルターズが30日死去、93歳。1974年にNBCの朝のニュース番組『トゥデイ』の司会者となった。1962年から番組に関わり、一部のコーナーのプロデューサーなどを担当した。出演者が欠席した時に自分で出演するようになり、やがて人気を得るようになった。1976年には『ABCイヴニング・ニュース』で女性初のアンカーとなり、2014年まで務めた。女性が深刻な政治、経済ニュースを議論すると思われていなかった時代に、時代を切り開いた人である。番組では有名人物へのインタビューで知られ、キューバのカストロ首相と自由に関して議論を交わした。1999年のモニカ・ルインスキー(クリントン大統領の性的スキャンダルの告発者)のインタビューは7400万人が視聴したと言われる。
(バーバラ・ウォルターズ)
イギリスのファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドが29日死去、81歳。70年代にパンクやニューウェーブの先駆的ファッションで知られた。店の常連だったロックバンド「セックス・ピストルズ」のプロデューサーとして活躍し「パンクの女王」と呼ばれた。政治的活動でも知られ、気候変動、核軍縮、公民権運動などを支持した。しかし、ファッションと環境保護活動が矛盾するなどと批判もされてきたらしい。2006年に英女王からデイムの称号を与えられた。
(ヴィヴィアン・ウエストウッド)
フランスの女優ミレーヌ・ドモンジョ(Mylène Demongeot)が1日死去、87歳。17歳で出演した1957年の『サレムの魔女』で注目され、以後『悲しみよこんにちは』『黙って抱いて』『アイドルを探せ』など50年代後半から60年代前半にアイドル女優として活躍した。日本映画『ヨーロッパ特急』『東京タワー』にも出演している。
(ミレーヌ・ドモンジョ)
・エドゥアルド・アルテミエフ、29日死去、85歳。ロシアの作曲家。タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』の映画音楽で知られた。1980年のモスクワ五輪のテーマ曲も作曲した。シンセサイザーを使ってソ連の電子音楽の祖と言われる。
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