尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

女性監督の映画「美しき青春」ー「細雪」姉妹が見た「リケジョ」映画

2022年03月21日 22時59分24秒 |  〃  (旧作外国映画)
 国立映画アーカイブで「フランス映画を作った女性監督たち―放浪と抵抗の軌跡」という特集上映をやっている。シネマヴェーラ渋谷でも、4月から5月に「アメリカ映画史上の女性先駆者たち」という特集が予定されている。無声映画時代にフランスからアメリカに移って映画を製作したアリス・ギイという人は両方で上映される。最近発表された国立映画アーカイブの来年度の予定にも、2023年になるが「日本映画と女性(仮)」という特集が予告されている。

 これらは世界的に共通する問題意識があることを示している。映画草創期から「女優」は存在したが、女性の映画監督は少なかった。日本では歌舞伎では「女形」がいるが、初期の映画も「女形」から始まった。職業的に俳優をしている女性がいなかったのだから。しかし、顔が大きくクローズアップされる映画では、すぐに女優に取って代わられることになった。そのように「見られる側」としては女性も映画に必須だったが、製作スタッフには女性はいないと思われてきたのである。

 一般的な通念として、個人で創作可能な作家や画家には「女流」がいても、多くの人を束ねるオーケストラの指揮者映画や演劇の演出家などは「男の仕事」とみなされてきた。最近でこそ少しは女性の映画監督が登場したが、歴史的にはほとんどいなかったと思われてきた。しかし、実は映画が始まった頃から、女性は映画製作に関わっていた。確かに数は多くないけれど、今までは「消されていた」のである。それは科学史における女性研究者の貢献が消されてきたのと似たような事情がある。

 と言っても全部見るのは大変だから、あまり見てない。その中で「美しき青春」と「ガールフッド」という2作品を見て興味深かった。「美しき青春」は1936年に作られ、日本でも1939年に公開された。当時からあったキネマ旬報ベストテンで第8位に入選している。これを見たのは、「細雪」に出て来るからである。下巻124頁には、妙子が家を出てしまった侘しさを紛らわすために、幸子と雪子姉妹はほとんど二日おきぐらいに神戸で映画を見て歩いたと出ている。見たのは「アリババ女の都へ行く」「早春」「美しき青春」「ブルグ劇場」「少年の町」「スエズ」などと出ている。
(「美しき青春」)
 この年の日本映画では「」(長塚節原作、内田吐夢監督)や「土と兵隊」(火野葦平原作、田坂具隆監督)などが話題作だが、確かにそれは幸子が見るような映画ではない。ではこれらの映画はどのような内容だったか。新潮文庫の注を見る。「美しき青春」は「一九三九年製作のフランス映画。ジャン・ブノワ=レヴィ監督。音楽に憧れつつ、家を継ぐために心ならずも医科大学に学ぶ学生が、父の癌を知って自殺するまでを描く。主演ジャン・ルイ・バロー。昭和一四年封切り。」と出ている。

 この注は何をもとに記述したのか不明だが、映画アーカイブのチラシでは「(監・脚)マリー・エプシュタイン、ジャン・ブノワ=レヴィ」と書かれている。そのことは映画のクレジットで確認できた。マリー・エプシュタイン(1899~1995)は日本語で書かれたサイトがないが、フランス語のウィキペディアを見ると生没年や作品名を確認することが出来る。まさに女性監督が消されていたのである。マリー・エプシュタインはジャン・エプシュタイン(1897~1953)の妹で、兄の作品の脚本を書くなどして映画界に関わりが出来た。ジャンは無声映画「アッシャー家の末裔」(ポー「アッシャー家の崩壊」の映画化)で知られている。
(マリー・エプシュタイン)
 1936年製作だから、先ほどの注は間違っているが、実はもっと重要な問題がある。川本さんの本にもジャン・ルイ・バロー(1910~1994)主演と出ているが、それが間違いなのである。映画の原題は「Hélène」(エレーヌ)で、タイトルロールのマドレーヌ・ルノー(1900~1994)が主演なのである。ルノーはコメディ・フランセーズ所属の人気俳優だったが、36年当時のバローはまだ知名度が高くなかった。この映画の共演をきっかけに二人は40年頃に結婚し、戦後になってルノー=バロー劇団を結成した。1960、77、79年の3回来日公演を行っていて、僕も70年代の来日は(見てないけど)記憶している。バローは1945年の映画「天井桟敷の人々」の主人公として有名になり、日本で夫婦の知名度が逆転したため、どこかで情報が間違ったのだろう。

 映画「美しき青春」の内容はさらに興味深いものだった。エレーヌマドレーヌ・ルノー)はグルノーブル大学で基礎医学を研究して修士号を取得した。さらに研究を深めたいとパリから列車で大学へ戻る時、教授と一緒になる。教授夫人の歌手はパリに残ってしまい、切符が余ったから一等切符をあげるという。列車内で相談をすると、女は台所や客間に居るのが似合っていて、研究室はふさわしくないと言われる。しかし、エレーヌは「定規のようにまっすぐ」研究者の道を進みたいと訴える。そして教授もエレーヌを助手として雇ってくれた。教授のテーマは「人工的にマウスにガンを発生させて、ガン抑制物質を見つける」ことである。DNA発見以前には最前線の研究じゃないか。エレーヌはそれを手伝いたいと言うのである。
(マドレーヌ・ルノー)
 マドレーヌ・ルノーは昔から大好きな女優で、もう30代半ばになるのに顔立ちが若いから20代の院生に違和感がない。そして、ピエールジャン・ルイ・バロー)という恋人も出来る。ピエールは歌を作っていて、医者向きではない。歌を教授夫人に送ると、歌って貰えることになった。もうすっかり音楽の道へ進みたいピエールは悩み多き日々を送り、エレーヌは彼と結ばれてしまう。そして妊娠、産めないと訴えるが、医者は健康に問題ないから産むしかないと言う。ピエールに相談出来ないまま、彼と山に行くと研究室から毒物を持ち出した彼は自殺してしまう。何とか警察の疑いを晴らしたエレーヌは頑張って博士号を取得したのだが…。

 もちろん時代の制約、幕切れの甘さなどがあるが、何と1930年代に「リケジョ、シングルマザーになって頑張る」という映画が作られていたのである。単に監督が女性だったというだけではない。時代に先駆けた問題意識に驚くしかない。もちろん死んじゃうピエールではなく、博士号を取るエレーヌこそ主人公である。理系の女子学生を描いた映画は世界的にもあまり思いつかない。吉永小百合が「女医」を目指す「花の恋人たち」(1968)という映画があったけど、他にあるんだろうか。そもそも学生が出て来る映画は山のようにあるが、何を勉強しているのか判らないことが多い。きちんと研究テーマが出て来るのも貴重。女性スタッフが関わることの重要性が理解出来る。
(「ガールフッド」)
 セリーヌ・シアマ監督の「ガールフッド」(2014)は簡単に。「16歳のマリエム(トゥーレ)は3人の少女との出会いをきっかけに今までとは違う自分になろうとする。『燃ゆる女の肖像』(2019)がカンヌ国際映画祭で2冠に輝き、世界的に注目を集めるセリーヌ・シアマ(1978-)の長篇第3作。前2作で自伝的な要素を盛り込み、思春期におけるジェンダーとアイデンティティを題材として取り上げたシアマが、緩急を効かせた演出によって思春期の少女の悩みと衝動、解放感を描き出した青春映画。」とある。
(セリーヌ・シアマ)
 これを真に受けたら全然印象が違った。まずマリエムは黒人で、勉強が出来ない生徒。すでに中学を1年留年していて高校には行けないと教師に言われる。学校を飛び出したら、3人の女子がつるんでる。この不良グループが実に日本のそれとそっくりで笑える。何見てんだよ、インネン付けるのかと言ってケンカを吹っかける。それが「3人の少女との出会い」で、結局マリエムも仲間に加わる。そしてケンカに勝って得意になるが、それも空しいと思い始め、地域ボスのアブに近づく。そして彼のもとでヤクの売人になるって、思春期の悩みとか解放感と違うだろ。セクシャルマイノリティを描くことが多いシアマ監督が描く「スケバン映画」だった。
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