尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

てがみ座公演「海越えの花たち」を見る

2018年06月21日 22時17分29秒 | 演劇
 てがみ座15回公演「海越えの花たち」を紀伊国屋ホールで見た。(26日まで)最近てがみ座の長田育恵さんの作品をよく見ているけど、初めての紀伊国屋ホールである。下北沢に本多劇場のグループができるまで、若い劇団にとっては新宿紀伊国屋が目標だった。もっとも最近東京都の耐震性調査結果が発表されて以来、紀伊国屋ホールに行くのはなんだか迷ってしまうのだが…。

 今回は慶州ナザレ園にインスパイアされた物語である。ますます大変なテーマに踏み込んでいる。「慶州ナザレ園」というのは、戦後韓国に残された日本人女性のための施設である。高齢化によって事実上「老人ホーム」となっているが、それだけではない大きな意味があった。上坂冬子の「慶州ナザレ園」(1982)という本が評判になって、80年代にはかなり有名だったけれどもう僕も名前ぐらいしか覚えていない。それをテーマにどんなドラマが展開されるのか。

 長田育恵の劇は一人の人物に焦点を当てることが多かったが、最近は多数の人物の出てくる群像劇で大きなテーマが語られるようになった。今回も「民族」「植民地支配」「女性」「戦争」といった大変なテーマに加えて、「朝鮮戦争」「原爆」「宗教」「障害」などの問題が後半の大きなテーマとして現れる。あまりにも重大なことが劇中で起こり過ぎ、うまく消化されているとは思えないが、常に問われているのは「国家とは何か」という痛切な問いだろう。

 日本の植民地だった朝鮮半島に残された日本人妻とは何か。敗戦後に支配民族だった日本人の大部分は帰国する。しかし、朝鮮人と結婚していた日本人女性には残った人もあった。戦前戦中は「内鮮一体」と称して、日本本国と朝鮮は同等であると宣伝されていた。(しかし「朝鮮」を「鮮」と下の語で略するところにもう差別心がある。「朝廷」の「朝」を避けたと言われている。)日本国内で差別視されていた朝鮮人に嫁ぐことは、日本の実家と縁を切る決心が必要だった。

 朝鮮の有力一家は男子を日本の大学に進学させることも多く、日本人女性と知り合う場合もあった。この劇の主人公風見千賀(石村みか)はそのケースである。朝鮮の名家に嫁ぐ意思で結婚したから、出征した夫を待ち続けることになる。一方、そこに転がり込む松尾ユキ(桑原裕子)は貧しい労働者と一緒になり、親に勘当されて朝鮮に来た。だから戻るに戻れないのである。日本人女性にも明確な階層差があった。

 「弱い国」の女性が「強い国」の男性と結婚することはよくある。占領期に米軍人と結婚した日本女性、経済発展した日本で農村男性の結婚相手を求めた「フィリピン人妻」など。一方、支配民族の男の通念は、「強い国」の女性は「強い国」の男に嫁ぐべきだというものだ。「自分たちの女」が被支配者に取られるのが許せないのである。朝鮮人留学生と結婚した主人公は、要するにオバマ前米国大統領の母親と同じケースだが、時代的、民族的にはるかに厳しい境遇にあった。

 しかし民族差別や女性の生き方といった大きなテーマをじっくり考える余裕もない。日本敗戦、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の建国、「6・25」(朝鮮戦争)という時代の流れが次々と登場人物に選択を迫る。朝鮮戦争が「北」の侵攻だったことは今や自明のこととして語られている。北の軍隊に対してキリスト教会を装い「堤岩里を忘れたか」と言って助かる。1919年の三一独立戦争時に日本軍に虐殺された教会があった場所である。こうしてキリスト教に基づく助け合いの集まりとなっていき、日本からも韓国からも忘れられた日本人女性たちの集う場となった。

 舞台はシンプルなセットで進行し、時には椅子に座って体験を語るというスタイルもある。それぞれの負っている運命があまりにも大きなもので、どうも話が拡散してしまう感じもした。それにしても野心的なテーマを取り上げたと思うが、これは現実の慶州ナザレ園とは少し違うんじゃないかと思った。このように国家を告発する存在としてあったわけではないだろう。それにしても無謀な戦争さえなければ、ここまでの悲劇は起こらない。何度でも言って行かないといけないことだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする