尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「三四郎」-漱石を読む⑤A

2017年07月18日 21時39分38秒 | 本 (日本文学)
 夏目漱石を読んでるシリーズ。ちくま文庫版全集も全10巻のうち、半分の5巻になった。「三四郎」と「それから」を収録している。まずは「三四郎」について。1908年(明治41年)9月1日から12月29日に朝日新聞に連載され、翌年刊行された。昔から青春小説の古典と言われ、僕も前に読んでる。

 以上の連載日時などは、今ネットで調べたが、いまや「三四郎」というのは、お笑いグループの名前として認知されている。でも、まあそれだって元は漱石なんだろう。三四郎というのは主人公小川三四郎のことだけど、どうしてこういう不思議な名前になったのかは出ていない。三郎や四郎はいても、三四郎という名は普通付けないだろう。それはともかく、高校を卒業した三四郎が上京して大学へ入る。クラスメイト、女友だち、先生などと出会い様々な体験を積んでゆく青春彷徨編である。

 多少古い点もないではないけど、今も十分に面白い青春小説の傑作だと思う。文章も読みやすく、東大がある本郷周辺の「都市小説」としてもよく出来ている。有名な場面名セリフが随所にあって、それらは僕も大体覚えていた。「草枕」を絵のような小説をめざしたというけれど、その目論見はむしろ「三四郎」の方が達成度が高いのではないか。東大の三四郎池でヒロインを見かける場面を初め、一編の美しい絵を見た思いがずっと残る。以下に名セリフを少し引用。

・「貴方はよっぽど度胸のない方ですね」(名古屋で相部屋になった女性に翌朝言われる。)
・「亡びるね」(東京へ向かう汽車に乗り合わせた先生が言う。)
・「可哀想だた惚れたって事よ」(友人の佐々木与次郎が「Pity's akin to love」を英訳。)
・「stray sheep」(団子坂の菊人形を見た帰り、疲れて迷った美禰子が三四郎につぶやく。)

 これらは一度読んだら忘れないだろう。僕もずっと覚えていた。だけど、忘れたことも多い。一番大きいのは、肝心の「広田先生」が、「食客」(「いそうろう」とルビがある)として佐々木与次郎を置いていたこと。広田先生というのは、汽車で会って「亡びるね」といった人だけど、なんで汽車に乗ってたのかは謎。その時点では謎の人物だが、大学で出会った友人、佐々木与次郎の先生でもあった。そして、先生の引っ越しを手伝いに行き、かつて見初めた里見美禰子と出会うわけである。

 「三四郎」の中で実際に出てくる主要人物として(手紙の中で出てくる三四郎の母などは除き)、文明批評を担当するのが広田先生である。名前も明示されていて、広田萇という。(「ちょう」である。草冠に長い。そんな字があるかと思うとパソコンに出てきた。)「こころ」の先生と混同していたが、こっちの広田先生はちゃんと高校で教えている。そして、与次郎君は広田先生の東京帝大招致運動をしている。そろそろ日本の大学にも外国人教授ではなく日本人教授を招くべきである。例えば、広田先生はどうかというもので、先生に諮らずに勝手に動き回る与次郎に、先生も三四郎も迷惑を蒙る。

 三四郎が美禰子に憧れる青春恋愛小説としか覚えていなかったのだが、小説内ではそういう世俗的問題がけっこう語られている。それはまた三四郎と美禰子が「貨幣」で結びつけられている事情にも表れている。先生が引っ越す費用20円を野々宮(三四郎の先輩で、寺田寅彦がモデルという)から借りる。それを返すため、先生は与次郎に金を預けるが、与次郎はそれを競馬ですってしまう。そこで与次郎は三四郎の仕送りから借りる。しかし、与次郎は返せないので、いろいろとあたって結局美禰子から貸してもらう。ただ美禰子は与次郎には貸さず、直接三四郎に貸すのならという。

 こうして、金を貸す、返すをめぐって、三四郎と美禰子の関係が語られる。ロベール・ブレッソンに「ラルジャン」という、お金が人々の手を周っていく様子を描いた映画があるが、そんな感じ。「貨幣」を媒介にして展開していく人間関係、というテーマは、以後の漱石文学の定型になっていく。その原型という意味がある。「貨幣小説」としての「三四郎」はもっと強調されるべき視点だろう。

 三四郎と美禰子は、同い年である。なんだか美禰子が年上みたいに思えてしまうが。20世紀初頭において、また旧制教育制度において、結婚においては男性が数歳以上年上だというのが通念だった。旧制中学、旧制高校、旧制大学を出たら、もう25歳程度になってしまう。現に三四郎が熊本の五高を卒業して上京したのは、23歳である。一方、女性が行ける大学はなかったし(1901年に作られた日本初の女子大「日本女子大学」は、1947年に至るまで大学ではなく専門学校である)、高等女学校を出たら、もう適齢期である。それなりの仕事を得て家族を養える男は30歳前後になる。

 ということで、最後に美禰子は結婚してしまい、三四郎は「失恋」することになるけど、案外淡々としているようにも思えるのは、当然そうなるだろうと思っていたからだろう。自分は結婚相手に選ばれるべき資格を欠いていることは自分でも判っていただろう。まあ、そうなるまでに菊人形を見に行ったり、美禰子が絵のモデルになったり…。音楽や美術の知識・関心と共有し、英語で本も読める知識階級のサロンのようなものが、ここでは普通に描かれている。会話も面白く、だいぶ文学を受容できる階層が誕生したことが判る。

 恋愛も大事だけど、そういう知的なサロンに東京で初めて触れたことが大きいと思う。ステキな女性がいることは、そういう知的会話を無理してでもできるようになりたい要因だけど、こうして人は大人になっていく。そんな青春上京小説というものを「三四郎」が作ったとも言えるだろう。小説に出てくる地名は、ちょっと大久保(新宿の隣)が出てくる他は、ほぼ今の東京都文京区に限られている。三四郎マップなんかは、探せば出てくるので書かないけど、文学散歩に格好の小説だなあと思った。「追分」「真砂町」など、今の地図には出てない地名も多いけど、本郷周辺である。東大内の心字池は、今では「三四郎池」と通称されるようになってしまった。数年前に散歩した時の写真。
(数年前に散歩した時の三四郎池)
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