尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

麻耶雄嵩「さよなら神様」

2017年07月27日 21時01分15秒 | 〃 (ミステリー)
 麻耶雄嵩(まや・ゆたか 1969~)というミステリー作家がいる。最近ドラマ化された「貴族探偵」シリーズを書いた人。メルカトル鮎シリーズとか、単発の「隻眼の少女」なんかで知られるが、こういうジャンル小説分野には関心がない向きは全然読んでないと思う。京大推理小説研究会出身の、いわゆる「新本格」系の人だけど、その中でもマニアック性が高い。僕は「新本格」派はそれほど読んでない。麻耶雄嵩もほとんど読んでないけど、文春文庫に入った「さよなら神様」を読んだので報告。

 「さよなら神様」は2014年に出た小説で、その年の「このミステリーがすごい」の2位に選ばれた。その前に2005年に出た「神様ゲーム」という小説がある。講談社ミステリーランドという児童書ミステリーシリーズの一冊だったけど、そのあまりの「ぶっ飛び度」から大人向けのミステリーランキングにも入選した。今は講談社文庫にあるけど、そっちをまず読んだ方がいいかと思う。

 どっちも、転校生の鈴木君が「神様」だという設定。神様だから何でも判る。身近に起きた謎の殺人事件の犯人をつい聞いてしまうと、意外な真犯人を鈴木君が名指しする。そういう趣向は両作とも共通で、これは「究極の反則ミステリー」だろう。謎の事件が起きて、それを神ならぬ人間が数少ない証拠をもとに捜査を積み重ね、何人かいる怪しげな人物の名から犯人を見つける。それが「推理小説」というもんであって、探偵が神様だったら捜査するまでもなく犯人が判る。

 それじゃあ、推理するまでの過程を楽しめないじゃないか。などと思うかもしれないけど、それは大丈夫。神ならぬ人間は神の「御託宣」を疑うわけで、そこで「神の託宣を確かめる」という捜査がある。捜査というか、両作とも小学生の話だから、捜査みたいな聞き込みや推理の真似事である。それに大体、「なんで鈴木君が神様なんだ? 信じられるかよ。」と思うけど、小説は何でも書けるから、「転校生が自分が神だと宣言して真犯人を名指しする」という設定で書くこともできるわけである。

 それは「神」ではなく、霊感とか超能力というものではないのか。そうかもしれないけど、鈴木君は「自分が世界を創造した」と言っている。何で日本の小学校で勉強しているのかというと、まあ永遠の生には退屈するから、時々いろんなものになっているんだという。ホントに神様なら、そもそも犯罪事件が起きないようにして欲しいもんだけど、いったん創造した後は人間に任せてあるんだという。だけど、神だから事件の真相は判るので、聞かれたから答えたというわけである。

 なんでこの本を事を書いているかというと、こんな本が出てることも知らない人が多いと思うから。このロジックの転倒のような設定を楽しむととともに、頭の体操もたまにはいいのではないか。ロジックの転倒と書いたけど、どういう意味か。「神様が名指しする」というけど、それは作者が設定した仕掛けなんだから、読んで楽しめる逆転を味わえるような筋を考えたのは実は作者である。凶器を持って犯人が自首したといった事件じゃない。何も判らない不可思議な事件で、意外な真相を言い当てるけど、それは神様が作ったことではなく、作者が仕掛けた事件である。

 今回の「さよなら神様」は、大人向けの雑誌に書いた連作短編集。小学生が登場人物だけど、とても小学生とは思えない論理が語られる。とんでもない発想の究極ミステリーが収められた作品である。神が言い当てたんだから真犯人なんだろうけど、警察は他の人を犯人にしちゃうとか。起こってない事件を引き起こしてしまうとか。「久遠小探偵団」なんていうから、油断していると途中から「叙述ミステリー」になってしまう。そしてラストはほとんど「バカミス」である。

 いやいや、ビックリだけど、ところで「神様は本当にいるのか?」。世界の多数派は一神教信者だけど、日本では子ども時代はともかく、大人になるまでにそういう問いを忘れてしまう。だからこそ、神は面白がって、日本の小学生「鈴木君」になりたいのかもしれない。今度の「さよなら神様」はちょっと上級編だと思うが、「神様ゲーム」なんか子どもと一緒に読んでもいい。夏の暑い時期でもミステリーなら読めるだろう。まあ日本の殺人事件発生率からすると「殺人」が起きすぎるわけだが。そもそも殺人が出てくる本は嫌だという人もいるかもしれない。でもミステリーは大人の趣味として認められている。論理の力を味わうためには時々読んだ方がいい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする