尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

袴田事件再審の決定迫る

2014年03月26日 21時34分28秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「ウクライナ情勢を歴史的に考える」というのを書いてると長くなりそうだし、明日はまた違うことを書くことになるので、ちょっと後にしたい。僕ももう少し勉強して書きたいし。もっともウクライナ史の一般的概説書は、中公新書の「物語 ウクライナの歴史」しかないのではないかと思う。ウクライナ大使を務めた人が書いた本で、僕は読んでなかった(持ってなかった)ので、今読んでるところである。

 明日は違うことを書くというのは、「袴田事件の再審請求の判断」があるからである。1966年に静岡県清水市(現・静岡市)で起こったみそ会社専務一家殺人事件で、静岡地裁で判断が出る。この事件は、一審、二審段階では、ほとんど報道もなく知られていなかった。最高裁段階になって、ようやく無実ではないかという声が聞こえ始め、支援運動も始まってきた。1970年代末のことである。僕はその頃から冤罪支援運動に関わりがあったので、1980年の最高裁判決を傍聴している。もう詳しいことはほとんど覚えていないが、最高裁判決は主文だけだから、数秒だけの傍聴である。

 事件以来半世紀近くたち、判決確定からも33年が経ち、あまりにも長い年月が経過した。当初は「無実のプロボクサー」と呼ばれていたが、いつの頃からか長年月の拘禁、死刑の恐怖などから、親族との面会もできない精神状態になってしまったと伝えられている。最高裁判決当時は、まだ死刑確定事件の再審無罪判決が一件もなかった。だから、袴田事件の前に取り組まれるべき問題がたくさんあった。当時から問題となっていて、再審無罪にもならず、死刑囚が獄中で死亡もしていない事件は、名張毒ぶどう酒事件袴田事件だけになっている。

 再審に関しては、刑事訴訟法に再審開始の要件はあるが、審理については規定がない。つまり、弁護側が「新証拠」を提出(「新証拠」がなければ再審は請求できない)した後の手続きが決められていない。「新証拠」(かなりの場合は新しい鑑定)に意味があるかないかは、裁判官が勝手に判断してもよいのである。(通常の刑事裁判なら、検察側の証拠請求、証人尋問等に対し、弁護側の反対尋問等が認められているわけだけど。)だけど、新証拠に意味があると思えば、新鑑定をした鑑定人を呼んで事情を聴くはずである。だから、そうした「事実調べ」をきちんとしたかどうかが再審のカギであって、それがない場合は「棄却」が決定的に予測できる。

 実は3月31日に、「真犯人はそこにいる」という本の書評で紹介した「飯塚事件」の再審請求の判断も出る。かなり厳しい結果の可能性が高い。また昨日付けで、仙台の北陵クリニック事件の再審に「棄却決定」があった。この事件に関しては、まだ捜査段階の報道イメージを持っている人がかなりいると思うけど、「再審・えん罪事件全国連絡会」のホームページに詳しい説明が出ている。

 それに比べれば、審理経過から見て、今回こそは袴田事件の再審が認められるのではないかと期待を持っていたい。細かな争点に関しては、明日以後の報道で触れられると思うので今は書かない。今まで袴田事件に関しても何回か書いている。「『再審』の『最新情報』」(2011.11.17)、「袴田事件、DNA鑑定は『不一致』」(2012.4.17)、「袴田事件と名張事件」(2012.7.7)である。細かいことはそちらに多少書いてある。決定については、明日改めて書きたいと思う。
コメント (1)
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