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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

歴史教員の「詩と真実」-歴史教育を考える④

2018年06月03日 22時22分54秒 | 教育 (教育問題一般)
 「詩と真実」とはゲーテの自伝の題名だけど、ゲーテほどの詩人じゃなくても、人には「詩と真実」があるだろう。歴史(あるいは社会科系一般)の教員も当然何らかの理想を抱いて教員を目指したはずだ。まあ理想と言うと大げさかもしれないけど、何でもいいから単に職を得たいということじゃないだろう。教師は授業を受け持つし、授業で接する生徒が一番多い。でもなって見て判るのは、自分の仕事の中で授業が占める位置の小ささではないだろうか。

 社会科系授業時間が減らされていった話は先に書いたが、今では週あたり2時間、あるいは3時間程度の科目が多い。進学高校で「日本史B」「世界史B」を担当する人は週に4時間の授業をしているかもしれない。でも高校の「日本史A」「世界史A」は2単位もので、週2時間。公民科の「現代社会」「政治経済」「倫理」も2単位である。新学習指導要領で新たに設置される地歴科の「地理総合」「歴史総合」、公民科の「公共」も全部2単位科目である。

 週に2時間ということは、祝日や学校行事に被ることがあるから、時には週に1回しか授業がない。最近は月曜の祝日が多いから、月曜に授業があるクラスは他クラスと時間数の差が大きい。それを考えて時間割を工夫したり、行事の方をずらしたりするけど、この差はやっぱり大きい。テストのときには、時間数が最低のクラスに合わせた試験範囲になるから大変だ。一年中追われてばかりいる。国が学力の心配をするなら、まず「ハッピーマンデー」を止めたらどうだろう。

 2単位ものだと、一つの学年を全部やることが多いと思う。6クラスなら12時間だから、他学年の授業も受け持つ。少子化でクラス数が減っているから、多くの学校では2つか3つの科目を担当しているだろう。そうすると一つの科目だけに専念できない。それに6クラスあるとすれば、同じ授業を週に6回繰り返すことになる。僕の経験では、学年8クラスを担当して週に16時間の授業をやったことがあるけど、いくらその科目が好きだと言っても同じことの繰り返しには飽きてしまう

 自分が生徒だったときは常に一回切りの授業体験なので、こうしてみたい、ああしてみればなどと生意気に考えていたわけだが、実際になってみればそうも言ってられない。教師からすれば授業は「絶えざる繰り返し」という側面がある。一方、生徒指導や学校行事はやはり一回性が高く、どうしてもそっちの方が気にかかる。クラスに問題がある、保護者対応が大変といったときには、授業は「こなしていく」という意識でやっていくこともある。

 そんなに理想的な学校ばかりではないのだから、どうしてもそうなってしまう。そういう現実の中で、果たして「歴史総合」という科目はどうなるか。これは日本史、世界史を総合した近現代史に特化した高校の必履修科目だから、やがて国民のほとんどが受けることになる。指導要領の最初の方に、「諸資料から歴史に関する様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする」とあるように、「アクティブラーニング」的に展開することが求められる。

 こういう科目の必要性は理解できる。世界史、日本史のどっちかだけで高校を卒業できてしまい、世界の近現代のことはほとんど知らない…ということじゃいけない。だから方向性としてはいいと思うけど、多分2単位でこれを展開しても、あまり大きな成果はあがらないだろう。また今回の指導要領に顕著なことは、「領土問題」への過度なこだわりだ。地歴・公民のどこを見ても、北方領土、竹島、尖閣諸島のことが明記されている。科目の目標と時間数から見て、日本の領土問題はそれほど大きく扱うべきことなのか。もちろん実際には、できるもんじゃないだろう。

 このように政権の考え方が教育現場にストレートに持ち込まれる時代になっている。だからこそ教員側には「何のために教師になったのか」をはっきり意識することが必要だ。社会科教師であっても歴史が専門の人ばかりじゃないし、特に近現代史の史料をちゃんと読んでいるとは限らない。「歴史総合」を実施するためには、教員に対する研修も大事だ。しかし、そういうことだけでは多分ダメだと思う。教師であることの「詩」の部分、何のために過去の出来事を学ぶ意味があるのか、生徒に真正面から語る大切さである。「戦争」の歴史をちゃんと伝えていくこと、「民主主義」や「選挙」の意味を伝えていくこと。それは社会科の教員に課せられた歴史的使命だ。

 何のために教師になったのか。時にはそんなことを聞いてくる生徒もいる。その教科が好きだったとか、生徒と接することが好き、影響を受けた先生がいるなどいろいろあるだろうが、ここでは思い切って、「世界平和のため」とか「愛のため」と言ってみてはどうか。一度言っちゃえば自分でも恥ずかしくなくなるし、案外そういうことなのかと自分も生徒も納得しちゃえると思う。
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歴史が「暗記」じゃダメなのか-歴史教育を考える③

2018年06月01日 23時34分54秒 | 教育 (教育問題一般)
 社会科系の科目、中でも「歴史」(日本史、世界史)は「暗記」中心だからダメだとよく批判される。暗記じゃない「考える授業」をやるべきだと、歴史家や歴史教育者団体も言ってきた。今じゃ文科省まで「アクティブラーニング」推進だから、なんか今までと違う工夫をしないといけない感じだ。学力が高く、学習意欲も高い生徒を教えている教員は、どんどん様々な試みをすればよい。でも、問題行動もあれば不登校もある、ごく普通の中学や高校で「自ら学ぶ」授業なんかできるのか。

 そういう問題意識で書きたいと思うが、まず最初に「暗記」はバカにしたもんじゃないということを言いたい。数学(算数)は思考力を測る教科だとされるけど、じゃあ全国学力テストを前にして「過去問対策」をたくさんやるのは何故か。出題パターンと解法を覚えさせてしまおうということじゃないのか。また、多くの生徒にとって、一番の暗記科目は英語だろう。日本史の登場人物は大河ドラマなんかにも出てくる。でも英単語の多くは、実人生に出て来ない。慣用句や前置詞も丸暗記するしかない。英語はそれだけじゃなく、話す・聞く能力も大事な「実技教科」でもあるから暗記科目と思われないだけである。多くの生徒にとって、ほとんど勉強と言えば「暗記」なんじゃないか。

 そして実際に世の中では「暗記」が大切だ。この世の中にいっぱいある資格試験検定などは暗記が重要視される。もちろん資格によっては「実技」や「経験」の方が重視されるが、関連する法規などの暗記は必ず出てくる。それが多くの人の苦労である。世の中のすべての試験を全部「考える問題」にすることはできない。採点にかかる人的、時間的費用が多くなりすぎるので、実技や面接試験なんかの前に暗記中心のテストで選別するのが普通である。高齢になれば、認知症かどうかが「暗記力」で試されたりする。人生の最初から最後まで暗記が付いて回る。

 大体教員採用試験そのものが、まず「教職教養」なんかの暗記力テストで選別している。多くの採用希望者すべてに「授業体験」させたり、大論文を書かせたりしている余裕はない。教師になるにも、まず「暗記力」である。この冷厳な現実を無視して、学校では「自ら学び考える力」を育てるんだと意気込んでも、学力真ん中以下の生徒にははた迷惑なんじゃないかと思う。それよりもまず、どうすれば「暗記力」が高くなるのか、きちんと教えることが先決だろう。

 よく歴史の年代を「語呂合わせ」で覚えるというのがある。それもあっていいけど、僕の考える「暗記力」対策はそういうことではない。「内容をきちんと把握する」「ちゃんと自分の字で書いてみる」「100点じゃなくて90点でよい」である。最後のものから説明すると、社会科以外のテストもたくさんあるというのに、何も歴史で100点を取らなくていいだろう。いや、歴史が好きで、歴史で点を稼ぎたい人は100点目指して頑張って欲しい。でも他教科の方が得意な人はそっちに力を注ぐべきだ。普通は90点なら(難度や平均点にもよるが)ギリギリ「5」に入ってくる。歴史が得意じゃない人は100点じゃなくて90点を目指せば、うまく行けば95点、悪くても80点ぐらいにはなるだろう。

 「1560年、尾張の大名織田信長は、桶狭間の戦いで駿河の大名今川義元を破った。」
 まあ、こういう出来事を教えるわけである。以上の文章の中で何が一番大事か。
 「〇〇〇〇年、〇〇の大名〇〇〇〇は、〇〇〇の戦いで〇〇の大名〇〇〇〇を破った」
 これで〇の中に当てはまる言葉、数字を入れなさいと言っても無理だ。穴が多すぎる。だから、こんな問題は出ない。尾張とか駿河は出ないに決まってるけど、「尾張の大名〇〇〇〇」という風にヒントに使われるわけだから、覚え方が違ってくる。「織田信長」は人名として大事だからどこかで出るに違いない。どう出題されるか判らないけど、織田信長は出ると考え、書いて覚え込む。

 まあ普通戦国時代の勉強だったら、信長や秀吉が出ないわけがないに決まってる。上で書いたのは当たり前すぎて役立たない。だけど基本は同じだ。100点を目指すなら試験範囲全部をすべて理解しないといけないけど、90点コースならまずは大事なことを押さえて「自分なりのノートを作る」ことに尽きると思う。自分の字で書かないと、絶対に覚えられない。普通の人はそうだろう。そして、大事なことは「理解力不足の生徒ほど、大事なことを落として、どうでもいいことを覚えてしまう」ことである。これは法則である。

 だから「試験対策ノート」は教師が見た方がいい。「何がテストに出るか教えて?」と言われても、教師は誰も教えない。でも「試験対策のノートを作ってみたんですけど、これでいいかどうか見てくれますか」と持ってこられたら、「どんなに忙しい先生でも見ない人はいないよ」と僕は生徒に言ってきたけど、絶対そうだよね。違うかな? そうやって実際に持ってくる生徒は数からすれば少ないけど、必ずクラスに何人かはいる。そういうフィードバックの積み重ねで、自然に「暗記力」が伸びてくる。中身をちゃんと理解しないと暗記しようがない。当たり前である。

 週に2時間、3時間程度の授業で「考える授業」と言っても、大したことはできない。史料を基に自ら調べて考えるような授業をどこかでやるのはいい。でも超進学校は別にして、普通の学校では一年中そんなことをやってたら教科書がほとんど終わらない。社会科系も受験に出るんだから、どこかで「大事なことを詰め込む授業」もやるしかない。そして世の中の中高生の半数は大学進学ではなく、高卒、あるいは専門学校卒で何か資格を取りたいと思っている。だから、「暗記は大事」と明言してちゃんと暗記力の高め方を教えておかないと実社会で苦労させちゃうんじゃないか。
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社会科「虐待」の黒歴史-歴史教育を考える②

2018年05月31日 22時50分01秒 | 教育 (教育問題一般)
 社会科は学校教育の中で「虐待」され続けてきた。そういう風に感じている社会科教員が多いと思う。虐待どころか、高校の学習指導要領ではとっくの昔に「社会科」はなくされてしまったんだから、「虐殺」というべきか。「社会科」が高校にはないということは、1989年(平成元年)告示の学習指導要領で決められ、1994年から実施された。もはや平成も終わろうかというのに、いまだに「主要5教科」などと言う人がいる。(都立高校の進学指導重点校の「数値目標」を見ると、そう書いてある高校がある。都教委もその書類を訂正せずに受け取っているから驚く。)

 高校では「社会科」は「地理歴史科」と「公民科」に分割された。社会科教員で賛成した人はいないだろう。分けられたことにより、それ以後の教員免許は「地理歴史」「公民」となり、片方しか持っていない人も増えている。島しょ部や夜間定時制など教員が少ない高校、あるいは勤務形態が特殊な三部制高校などでは、困ってしまうケースも出てきているだろう。(大学で両方取れるように履修すれば両方取得できる。)それはともかく、この高校社会科解体は、中曽根内閣の「戦後政治の総決算」路線の一環だった。戦前は「国史」として皇国史観を教え込む教科だったものが、戦後の教育改革で「民主主義を担う人材を育てる」社会科に改編された。

 そういう意味じゃ「社会科」は常に教育行政を支配する保守派に疎まれて来た。「戦争はいけない」「憲法を護れ」と教える教員が多かったのは確かだろうし。それをはっきりと示しているのが、義務教育段階である中学での授業時間数である。1958年告示の指導要領では、1年・2年・3年の標準時数が「4・5・4」=計13時間もあった。1969年告示の指導要領でも、「4・4・5」と学年の配当は違うけれど、やはり卒業までに週13時間も勉強していた。自分はその頃の中学である。

 1977年告示の指導要領では、「4・4・3」と計11時間と2時間も減っている。僕が中学教員になった時はそれで、教えきれないことが多くて困った。しかし、それがまだ減っていく。1989年の指導要領では「4・4・2~3」と変則的な制度となり、さらに1998年告示では「105・105・85」になる。判りやすくするために、年間総時数を今まで週当たりに変換して書いてきた。学校は年間35週なので、105とは、つまり週当たりの時間割に3コマ社会科があるという意味である。「85」では割り切れない。僕はその頃は高校に転じていたので、一体どうしたのかよく知らない。

 こんなに減らしてどうするんだと言うと、「選択教科」と「総合学習」に回ったのである。土曜が休みになり学習時間が減ったこともあるが、それだけでなく「個性を育てる」の名目のもとで、中学社会をどんどん減らしたのである。これだけ時数を減らせば、当然のごとく駆け足的、暗記重視的な授業になるしかなく、社会的な批判意識を養うような授業をする余裕がなくなる。若い世代は選挙に行かないとか、新聞も読まないなどと批判されることが多いが、こうしてみると「文科省の意図した政策」によって作り出されたものだいうことが判る。

 その後、2007年告示の指導要領で選択授業がなくなり、社会科も「3・3・4」とある程度増やされた。(しかし、一番増えたのは各学年3時間から各学年4時間になった英語である。)2017年告示の指導要領でも時数は変わらない。それはまあ増えたとは言えるけど、中学1年、2年で3時間ずつでは、地理、歴史も終わらないだろう。この時数削減は高校に影響してくる。昔と違って、中学の歴史的分野では世界史がほとんど出て来ない。それもあって、高校の社会科がなくなった時から、地理歴史では「世界史」が必修となった。(それ以前は社会科で現代社会のみ必修。)この結果、進学校での「世界史未履修問題」が後に起こることになる。

 国語は全教科のベースだと言われ、数学は思考力を養う教科だとされる。英語は国際化する社会の中で重点的に取り組まないといけないという。このように「3教科」は大学受験もあってとりわけ大事だとされる。じゃあ、理科はと言うと「理科教育振興法」があり、予算的にも恵まれている。文科省肝いりで、「スーパーサイエンスハイスクール」(SSH)という国策も展開されている。理科に実験が必須なのは判るけど、多くの高校には「物理室」「化学室」「生物室」「地学室」など特別教室が整備されている。社会科系にはうらやましい限りだ。国が地歴・公民に分けたんだから、国が特別予算を組んで「地理歴史室」「公民室」と2つ作れと言いたいぐらいだ。

 しかし、まあ設備的な面は諦めよう。問題は何のために勉強するかも判らず、「暗記科目」と思い込んでいる生徒に対して何を言うかである。現実社会を考えるための必須の学習だとしても、近代・現代の日本の暗部に切り込んでいく授業をすれば、ともすれば「問題」とされる。校務分掌や部活動に加えて、社会科教員は多くの学校で「旅行行事」担当になることも多い。自分はすべての勤務校で、自分の学年の旅行担当をした。旅行の企画は大好きだからそれはいいんだけど、「社会科」にはよくそういう仕事も回ってくる。

 新指導要領では、地理歴史科で「地理総合」「歴史総合」、公民科で「公共」という新しい2単位科目が設置される。歴史系では初めて日本史、世界史の枠を超えた新科目である。「公共」というのもどうなるのか、今はよく判らないことが多い。そういう問題を考えるのも大事だけど、僕は高校で社会科を復活させることが先決なんじゃないかと思う。「社会科」に込められた思いを再確認するところから出発する必要がある。「アクティブラーニング」の掛け声に合わせて、歴史や地理も「考える授業」にしようなどと意気込んでもなかなか難しい。
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福沢「ゆきち」を漢字で書けますか?-歴史教育を考える①

2018年05月30日 22時50分54秒 | 教育 (教育問題一般)
 時々「教育問題」を書かないといけない気分になる。教師論や教育行政の話も大事だけど、教育の中身も考えたい。「英語教育」とか「部活動」など中途半端になってるんだけど、そもそも専門である歴史教育の話を書いてない。まあ僕は「先端的な歴史教育の実践家」とは言えない。様々な史料をもとにして、「考える授業」や「討論する授業」もあるけど、そういう報告を見るたびに「生徒に恵まれてるんじゃないか」などと思っていた方である。

 だから僕が特に何か書かなくてもいいんじゃないかと思ってた。しかし、このたび日本エッセイスト・クラブ賞を受けた新井紀子「AI VS 教科書が読めない子どもたち」を読んで、子どもたちの読解力が不足していると驚いていたのに、こっちは逆にビックリした。そんなことは誰でも知ってることだと思ってたのである。学力が低い生徒には様々のパターンがある。本人がただ単に怠けているわけではない。家庭環境もあれば、発達障害も見られる。遊んでいて試験勉強をしない生徒もいるけど、勉強のやり方を教えてもらってない生徒もいっぱいいると思う。

 どちらかというと、僕はそのような生徒と接してきた。授業は「学習指導」であるが、むしろ「生活指導」でもあるような指導を続けてきた。そういう生徒には、テストに向けて頑張ることで「成果」に結び付くような授業じゃないといけない。そのためには、むしろ一定の「暗記授業」も大切だ。「考える授業」は基礎学力の不足している生徒には辛いだけである。そういう問題は次回以後にまた考えたいと思うが、いま文科省を中心に「アクティブラーニング」を推進しているけど、学力が高い生徒でないと食いついていくのが難しくなることは知っておかないといけない。

 リクツの問題は置いといて、僕が実際に教えていて驚いたのは「字の間違いの多さ」である。水俣病を「みずたま病」とか、ヒマラヤ山脈を「ひらやま山脈」とか。どっちも実例だが、なんだか強烈に覚えている。日本史だと、戦国時代を終わらせた「三英傑」、織田信長豊臣秀吉徳川家康は極めつけに重要な人物だろう。日本史の勉強というより、日本人なら誰でも知ってる常識である。でも、これがけっこう書けない。「識田」とか「豊富秀義」とか書いてくる。

 そういう生徒が各クラスに数人はいるので驚いてしまった。書かせなくてもいいという考え方もあるかもしれない。でもこれほどの有名人だと、やっぱりちゃんと漢字で書けないとまずいんじゃないか。今はスマホやパソコンでレポートも書くんだから、何も字にこだわる必要もない。あまり難しい字は僕もそう思って指導した。「奴隷貿易」「奴隷解放宣言」の「隷」の字は、まあ普通一般生活で書くこともないと思う。読める必要はあるが、書けなくてもいいだろう。でも人名は書けて欲しいと思うのである。常識ということもあるけど、それだけじゃない。

 そこでタイトルの話になる。福沢「ゆきち」の名前の方を漢字で書けるだろうか。そんなのは簡単だという人ばかりではない。僕の経験では、「遣唐使」とともに事前に何度注意しておいても必ず何人かは間違う日本史用語ワースト2である。遣唐使に先立つ「遣隋使」の方を書かせると、もちろんもっと多くの間違いがある。でも「」はすぐ亡びたし、まあいいか。とにかく「」と「」、世界遺産と派遣労働、絶対に読み書きできないといけない「現代用語の基礎知識」だ。

 ホント言うと、「福澤」であってほしいところだが、それはまあいい。この人は教科書に必ず出てくるし、一万円札の肖像でもある。幕末から明治半ばまで、さまざまなところで出てくる。昔は「学問ノススメ」だけだったけど、今は「脱亜論」が取り上げられることも多い。「福翁自伝」というものすごく面白い自伝(語り書きだが)もあって、これは歴史教師だけでなく多くの人に読んで欲しい本である。歴史教育に使えるエピソードが満載である。

 「福沢ゆきち」をもとに多くの「考える授業」、「アクティブラーニング」を構想することができる。だが、それほど重要な人物だから漢字で書けないといけないというのではない。そういうことじゃなくて、「ちゃんと字の違いに注意して、テスト勉強できる」という生活習慣がないと、例えば運転免許の筆記試験でも合格できないんじゃないか。世の中で書かなくてはいけない書類に見落としをしちゃうんじゃないか。注意深く覚えるという習慣、そっちが大事なのである。そのために事前に何度も注意し、気をつけるように言う。そして実際に書いてみるように指導する。でも何人かの生徒は「論吉」「輸吉」ときには「輪吉」とさえ間違うのである。で、もちろん正解は判りますよね。
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これからの部活はどうなるかー部活を考える⑤

2018年01月29日 23時24分01秒 | 教育 (教育問題一般)
 先に行われた卓球の全日本選手権で、男子の張本智和選手が14歳で優勝した。これは最年少記録で、今までの記録は前年の女子、平野美宇選手の16歳だった。ところで、この二人の「所属」は「エリート・アカデミー」になっている。これは何だというと、JOCが全国から選抜した小中学生を集めてトレーニングするシステムである。東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターを拠点にして、生活を共にする。学校は北区立稲付中学校に通うが、学校の部活には参加しない。卓球だけでなく、レスリング、フェンシング、飛込、ライフル射撃でも行っている。

 義務教育段階の子どもを親元から離してトレーニングすることはどうなんだろうと思わないでもないけど、このような「世界的実績」がある以上、一応「スポーツ振興」としては「成功」なんだろう。ここまで来た生徒は、学校では全く指導できない。だから彼らは「全日本」には出るけど、中学や高校の大会には出ない。代わりに世界の大会に出る。それは他の競技、フィギュアスケートなど10代の選手が活躍している競技でも同じである。問題はこのような生徒にふさわしい高校がほとんどなく、通信制や高卒認定試験などを選択する生徒も多いことだろう。(その問題は別に書きたい。)

 話変わって、2018年春の選抜高校野球の出場校が決まった。全36校のうち、公立校は富山県立富山商(6回目)、静岡県立静岡(17回目)、滋賀県立彦根東(4回目)、京都府立乙訓(初)、福岡県立東筑(3回目)、宮崎県立富島(初)の6校と「21世紀枠」の秋田県立由利工(初)、滋賀県立膳所(4回目)、佐賀県立伊万里(初)の3校、合わせて9校である。案外多いなという気もするが、「21世枠」という特別選考を除けばほとんどが私立高。毎回おなじみの大阪桐蔭、日大三、明徳義塾、星稜、駒大苫小牧、花巻東、東海大相模…出身のプロ選手も思い浮かぶような私立高ばかりである。

 これらの私立高は有力選手を全国から集めている。もう地域対抗とは言えなくなっている。一方で、夏の予選に「合同チーム」で参加する高校が増えている。一校では選手が少ないので、そういう学校が集まって参加する。そういうやり方がいつから認められたか覚えてないけど、各地で増えているのは間違いない。結局のところ、もはや公立の中学、高校が部活動を担って行くことが無理になって来ているということではないだろうか。多くの教員が部活が大変すぎると声を挙げているのも、少子化で生徒も減る、教員数も減る、学校への要求だけは増えるという中で、部活動まで面倒が見られなくなりつつあるということだ。

 しかし、生徒の課外活動は大事だ。多くの若い世代にスポーツや芸術活動の機会を提供するのは「地域おこし」にもつながるし、ある意味産業的な意味も大きい。スポーツ用品や楽器は、それを使う人がいないければ誰も買わない。世界でも評価されている日本企業があるのも、プロだけでなく、それを使う幅広い裾野需要があるからだろう。学校で引き受けられない「高度の部活指導」は、地域で行う以外にやり方がない。私立に行ける生徒ばかりではない。通学する中学にない部活でも、地域ごとにまとまれば、他の学校や地域のスポーツセンターなどで実施できる可能性が出てくる。

 考えてみれば、野球やサッカーなどは小学校時代は大体地域で活動している。中学に入ったら突然、学校の部活動が中心になってしまう現状の方がおかしい。まあ、それも判らないではない。すぐそばにいる生徒で部活をやる方が簡単だ。世界レベルを目指す生徒じゃないなら、学校単位で参加する地区大会を突破して、都道府県大会に出るのが目標でいいわけだ。その代わり、各種目は「団体戦」になる。陸上競技の中距離走なんかでも、個人競技よりも「駅伝」が最大の目標になってしまう。もとは個人種目なのに、数人で組んで団体戦をやったりする。

 むしろ、その団体戦で養う(とされる)「団結力」、あるいは目標に向けて頑張る「努力」、仲間同士の「信頼感」や「友情」のドラマこそが、部活をやる意味のように思われているのではないか。それがまた「進路活動」で役に立つ。「部活体験」を評価する上級学校や企業が多いのは事実だろう。でも、それでいいのだろうか。そのような日本の教育の「集団主義」はもうダメで、「自ら考える力を養う」のがこれからの日本のためには大事なんだと言われているじゃないか。

 学校の部活を中心にする限り、野球、サッカー、バレーボール、バスケットボール、あるいは吹奏楽などの「団体競技」が中心になってくる。だけど、生徒も様々だろう。リオ五輪で銅メダルを取ったカヌーの羽根田卓也選手は、高校卒業後にスロバキアに渡った。強豪国で成長したいと思ったわけである。日本の学校ではあまり行われていない競技は、地域で取り組まないと外国へ行くしかない。陸上でも投てき種目など、は危険性もあって学校ではやりにくい。個人で取り組む方が好きだという生徒はいっぱいいるはずだ。文化部でも文芸、写真、囲碁、将棋などは地域で取り組んだ方がいい。

 今書いてきたことのイメージは、部活を学校から完全に切り離すということではない。指導者もいて、活動場所もある場合、地域のスポーツチームを作る。あるいは地域の楽団、合唱団、劇団などを作る。しかし、それに参加するには、一定の技量を見る選抜テスト、オーディションがあることになると思う。だから高い技量を持つ生徒は地域チームに参加し、それは非常に名誉なことだと周りも思う。参加できない生徒は、大会優勝などを目標としない、学校にある「同好会」で「楽しむ」を中心にした活動を行ってもいい。それは生徒の自主性を大切にし、教員も出来る範囲で参加し一緒に楽しむ。

 部活はそういう風になっていくしかないと思う。取り組める地域から動き始めるのがいい。必ずそうなると思う。小さな学校で部活を行い、大会では合同チームで参加するなんていうよりずっといい。地方でもスポーツや文化施設は整っている。指導者は退職教員を中心に、「元気な高齢者」が多いから、必ず見つかる。出来るところから始めて、政策的にも国家的な支援を行って欲しいと思っている。
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部活動のどこをどう変えるか-部活を考える④

2018年01月27日 23時18分01秒 | 教育 (教育問題一般)
 部活動のあり方をどう変えたらいいのか。どこをどう変えるのか、さまざまな発想で考えてみないといけない。理想を考えることも大事だし、現実にできることを考えることも大事。地域ごとにできることを試行してみることも必要だろう。論理的に整理して考えると、①部活動の時間の方を変える ②教員の勤務時間の方を変える ③学校と部活動の関係の方を変える という三つの方向性がある。

 極端に言えば、部活動そのものをなくしてしまえば「部活動による長時間労働」はなくなる。だけど、それはできない。生徒や保護者の要望もあるだろうし、部活をやりたい教員もいる。しかし、そういう問題ではない。学校の課外活動をすべて止めてしまえば、授業が終わったら生徒はすぐに下校することになる。家でおとなしく勉強する生徒ばかりじゃないだろう。コンビニで万引きしたり、たむろして喫煙するようなケースが激増しないか心配な教員が多いに違いない。今は「やんちゃなお子さん」の多くも部活に所属し、問題行動を起こすと部員全員が試合に参加できなくなる。そのような「歯止め」が無くなれば、問題行動が増えると思う教員が大多数だと思われる。

 そういう風に「生活指導の手段」にすることがいいとは思えない。だが、80年代の全国的な「校内暴力」の後で、特に中学では生活指導の一環として部活が奨励されてきた。原則的には、校門を出れば生徒も社会の一員で、問題行動があれば警察に任せるべきだ。でも、そういういわば「貴乃花方式」は、多くの学校では実行が難しい。電話一本で生活指導担当が自転車で駆け付けるのが、日本の学校だ。じゃあ、生徒が外へ出られないように宿題をいっぱい出すか。そうしたら、その点検で大変だ。「部活をなくすと、かえって仕事が増える」と多くの中学教員は思うはずである。

 じゃあ、部活動の時間を1時間程度に抑えだらどうか。部活を含めて全生徒が5時には下校するようにすれば、教師の勤務時間内に業務は終わることになる。だけど、これも難しい。すぐにできるスポーツはいいけど、ある程度長時間を掛けて仕上げていく団体競技はもっと多くの活動時間が欲しいだろう。音楽系やダンス、演劇なども、少なくとも大会に向けての期間は無理だ。それなら、土日の部活動は全面的にやめにして、部活は放課後だけにする。これも大会が土日に行われるわけだし、他校との練習試合、音楽・演劇等の通し練習は大会前の土日を使わないといけないはずだ。

 中学生の場合、スポーツ庁でも「部活のやり過ぎ」はよくないという見解を示している。週内は3日程度、土日は半日程度の活動を目安とすることは考えられる。だが、そうなっても、それだけでは教員の負担感はあまり減らないだろう。つまり、部活動の時間を減らすという方向性はかなり難しいように思う。それなら、教員の勤務時間の方を変えるしかないのだろうか。「部活を担当する教師だけ勤務時間を10時間とする」というような明らかに違法なことはできない。じゃあ、どうするか?

 一つは、「勤務時間を後ろにずらす」ということだ。担任は朝からいないといけないから、その年に学級担任ではない教員(これが最近は実働人員が少ないと思うが)で、部活に熱心な人に関して「部活動軽減」制度を作って、授業数を減らす。その分、1・2時間目の授業を外せるので、勤務時間をずらせる。他の部活も含めて、後始末や下校指導はそのような教員が中心に行う。あるいは、丸一日授業がない日を作って、土日の一日を部活のための勤務とする。実績のある教員を中心に、各校で3人ぐらい「部活軽減」を認められれば、ずいぶん楽なシステムが作れるだろう。

 もう一つ、「勤務時間の縛りのない教員」を作ってしまうというやり方も考えられる。教員人生の中で、ある時期になると選択を迫られてくる。管理職になるとか、授業や生徒指導にどこまで取り組むかなどである。そんな中に「部活指導教員」制度を作って、年間総労働時間のみを決め、年俸制とする。異動も他の教員と別に、部活ごとに行う。その代り、時間管理や翌年の報酬などの交渉はそれぞれで行う。そんな仕組みである。まあ、難しいだろうな。

 そうすると、やはり「部活と学校の関わり方を変える」ことを試みない限り、この問題は変わらないということになる。そもそも公務員には「職務専念義務」があるんだから、勤務時間内に「ボランティア的業務」があること自体がおかしい。それは勤務なのか、勤務外なのか、はっきりして欲しいというのは当然だ。だから、部活動を正規の教育課程と位置付けるべきだという意見もかなりある。しかし、それも相当難しい。そうすると正規の業務だけで労基法の規定を超えてしまう。

 正規の業務なら、部活指導の資格はどうなるのかということも出てくる。部活が正規の課程になるなら、生徒全員の履修が必要なのか。年間指導計画もいるのか。職員会議中に部活をやっていいのだろうか。生徒の自主的な活動というものは一切認めないのか。問題が続出することになる。かえって面倒くさい。こうして考えてみると、部活動のあり方は「こちら立てれば、あちら立たず」「あちら立てれば、こちら立たず」ばかりである。そうするとどうすればいいのか。ここで話を社会教育やスポーツのあり方に移してみたい。そもそも理想的な課外活動のあり方とは、一体どんなものだろうか。校内の教員の事情ばかり考えていると、結局何も変えられないじゃないか、で終わってしまう。
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避けられない「部活動改革」-部活を考える③

2018年01月26日 22時45分39秒 | 教育 (教育問題一般)
 2017年の暮れに、部活動に関して3つの記事を書いた。「2冊の部活本ーこれからの部活動のために」、「『好きの搾取』の部活動-部活を考える①」、「部活はそもそも残業なのだろうか-部活を考える②」である。その時に、新年になって続けて書くと書いたが、それを書きたいと思う。

 先に書いたのは、部活動の時間に教員が「時間的束縛」を受けるのなら、それはまさに「勤務時間」そのものであって、「残業」というのとは違うだろうということだ。正規に定められた勤務時間を超えて拘束されているのだから、まさに違法状態というしかない。部活は教育課程外のボランティア的な業務だというのなら、部活動をしている生徒を置いて帰宅していいのか。もちろん、本当にどうしても用事で帰らざるを得ない時は、副顧問や他の部の顧問に下校指導を頼んで帰ることもある。それにしても誰かはいないといけないのであって、教師全員が帰ることはできない。

 こういう現実はもう続けていけないと思う。続けてはいけないと強く思うようになった。少子化が今後も続き、さまざまの「教育改革」「授業改革」が進められている。(それが正しい方向のものとはとても思えないことが多いが。)日本全体がダウンサイジングしていく中、学校も教師も今までと同じような事を続けてはいけない。仮に続けたいと思っても、できない。変えるなら今しかない。現在は部活のあり方を変えるための、百年に一度の機会だと思う。

 そう思う理由はいくつもあるが、①政府が率先して「働き方改革」を呼びかけている。②電通事件などを機に、「過労死」問題への関心がかつてなく高まっている。③中学での部活のやり過ぎに関して、スポーツ庁でもガイドラインを作って制限を設ける動きが進んでいる。④教育学者や教員などによる「教員の長時間労働見直し」ネット署名が50万名以上も集まり、文科省に提出された。⑤文科省でも「教員の働き方のガイドライン」を作ろうとしている。こんなに様々な動きがいくつも重なることは珍しい。今を逃せば部活のあり方は変わらないだろう。

 主な論点になるのは、次のような観点だと思う。
①教師の長時間勤務をいかに変えていくか。「教員の働き方改革」の観点。
②教師の時間外労働はどう処遇するべきか。「給特法」と「職場のあり方」の観点
③学校の課外活動のあり方や社会教育との連携。自主的なスポーツ、文化活動推進の観点
④部活動の「指導」や指導者の資格はどうあるべきか。「指導者育成」の観点。
⑤特に「エリート」スポーツ選手(音楽、ダンス、将棋等を含む)の育成、高校・大学教育はどうあるべきか。
 順番通りというわけでもないけど、これらの論点を考えていきたいと思っている。

 僕が今思っているのは、教師の働き方が多くの子どもに対して「悪いロールモデル」となってきたのではないかということだ。教員労働運動は「教え子を再び戦場に送らない」を掲げて戦後の平和運動を支えてきた。それはそれで大事なことだと思うが、ちゃんと労働法も教えないまま卒業生を「違法残業」が横行する職場に送り込んできたのではないかということだ。それどころか、教師は自分の労働のあり方にさえ無関心だった。それでは生徒に労働法を教えることもできない。

 部活動で活躍して進学していった生徒も何人もいる。だが特にスポーツ系の場合、ケガで部活を続けられなくなり、そのまま高校生活も続かなくなって、定時制高校に転校する生徒も多い。長時間の部活動が、生徒自身の人生を壊してしまうケースも多い。私立高校で活躍してプロになるような生徒もいるが、一生スポーツ選手をするわけではない。引退後のことを考えると、ちゃんとした一般常識を身に付けていないような場合もあるんじゃないか。そういうことも含めて、日本の部活動のあり方は根本的に考えなければいけない時期だと思う。
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部活はそもそも残業なのだろうか-部活動を考える②

2017年12月26日 23時40分01秒 | 教育 (教育問題一般)
 「部活はそもそも残業なのだろうか」とタイトルに書いた。もちろん法律的には部活指導は残業に入らない。そんなことぐらい、もちろん知っている。中沢篤史さんの「そろそろ、部活のこれからを話しませんか」によると、残業代を払えという裁判をして最高裁まで争って退けられた判例が紹介されている。(その裁判は僕も知らなかった。)部活指導の大変さを訴えている人の中には、「残業時間の上限を定めて欲しい」という人もいるようだけど、そういう問い方では問題は解決しないだろう。

 一応法的な解説をしておくと、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(給特法)で、教員は一律に4%の給与加算を受けることになっている。その代わり、時間外勤務手当及び休日勤務手当は支給しない。だから教員に関する残業命令は基本的にはないわけだが、政令で特別な4ケースに関しては命令できるとされている。①校外実習など実習②修学旅行など学校行事③職員会議④非常災害 である。この法律ができた理由は今は省略する。

 しかし、そういう法律的な解釈は別にして、現場教員は「一種の残業」としてやっているという意識が強いと思う。部活動は教育課程外で、ある種ボランティア的な活動だと言いながら、部活動には「指導」が入ってくる。技術指導をどこまでするか、できるかは別にして、部活内部の人間関係がもめた時、教員が何もしないわけにもいかない。大会参加や練習試合など対外活動をするなら、教員がいないとできない。部活はボランティアだから大会引率はしないとは言えないだろう。

 部活顧問を決定するには、生活指導部で希望調査をして調整するだろう。その後に職員会議に顧問一覧表が出され、校長から(正式文書が出る学校はほとんどないと思うけど)「委嘱」される。確かに「職務命令」が出されたとまでは言えないかもしれないけど、事実上「職務」だと受け取るしかない。授業する教科は当然決まっているわけだけど、学級担任や校務分掌、部活顧問に関しては、誰が何をするかは決まっていない。どんなに校長独裁になっても、一応何らかの希望を聞くだろう。そうやって決まっていく以上、「校務」の一環として理解してしまうのは当然だ。

 教員時代の僕もずっとそういう風に理解していたと思う。部活に熱心な教員ではないけど、一応部活顧問は「職務」なんだと思っていた。教師は「特別な教育公務員」なんだと当時は管理職も教えていたように思う。だから、生徒がいるときは対応するのが当然。生徒が問題を起こせば、遅くまで指導に当たる。生活があるわけで、限界はもちろんある。でも、部活終了時間は決まっているんだから、その時間ぐらいまでは残っても当たり前。その代わり、生徒がいない時は「柔軟」な勤務になってよい。テスト期間で生徒がいなければ、教員も「自宅採点」でいい。夏休みで授業がない時は、「自宅研修」できる。そんな風に管理職も思ってたと思うし、自分も何となく思ってたわけである。

 そういう考え方は今は完全に教育行政によって否定された。そんな「特権」みたいなものは、勤務時間の縛りが厳しくなって認められない。国旗国歌問題で「処分」された教員が起こした裁判では、最高裁で処分内容には一定の限度があるとされた。しかし、基本的な認識としては、教員も単なる公務員だから、所属長の職務命令に従うしかない存在だとされている。それどころか、教員免許更新制によって、事実上「10年任期の公務員」に格下げされてしまったと言えるだろう。

 そんな情勢の下、最近部活問題に関する自分の考えを大きく変えた。「部活は残業にならない」ということである。そもそも残業とはなんだろうか。「本務」(本来の業務)が勤務時間内に終了しないために、管理職から命令されて行う時間外勤務のことだろう。主に「繁忙期」には避けられない。(日常的に残業があるなら、それは雇用者側に責任がある。)学校でも、定期テスト前に試験問題を作る試験後に採点して成績を付けるなどは、本務中の本務だから「残業」しても当然だろう。

 これに対して、「部活動」は授業や行事などの延長ではない。校内の教育課程でも、それぞれ別のものになっている。そして、教員も勤務時間はおよそ8時間(東京では7時間45分)しかない。休憩時間は45分だから、学校に拘束される時間は8時間45分(東京都立は8時間30分)である。朝は8時15分から勤務開始だとするなら、勤務時間は17時には終わってしまう。(勤務開始前に「ボランティア」として「あいさつ運動」などをやってる学校も多いだろう。)部活が夕方5時で終わる中学はないだろうから、一日の勤務時間内には絶対に終わらない。

 学校の勤務時間は学校ごとに多少違う。また部活の終了時間も学校ごとに違う。でも、教員の勤務時間内にすべて終わるという学校は基本的にはないと思う。土日の活動の問題もあるし、そっちの方が負担が大きい。だから、一日に30分や1時間の延長があるのは、あまり気にしない人が多いだろう。どうせ授業準備や会議などがあるのである。僕もそうだった。土日に出てくるのが毎週じゃいやだが、大会前なんかは時にはやむを得ない。でも毎日の活動は、教師としては出たくても多忙で出られない日が多いけど、生徒が自主的に活動できる時間的保証はある程度してやりたいと思っていた。

 だけど、よくよく考えてみれば、一日の勤務時間内に絶対に終わらないと当初から判っている勤務形態は、それ自体おかしいではないか。それなら、労働基準法に特別に規定がないとおかしい。あるいは完全なボランティアと考えて、一切の部活手当も出さない代わりに、事故などの責任も負わない。技術指導をしたい教員は、自分の責任で行う。あるいは、部活顧問を担当する教員は、学級担任から外れて、勤務開始時間を遅くするとか。他にも考えられるが、もっと実現性のありそうなことを考えないといけない。だけど、休養日を作るとか、土日は教員外の指導員に任せるなどではない、教員勤務の本質に即した根源的な解決法を考えないといけない。もう少しこの問題は年明けに書きたい。
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「好きの搾取」の部活動-部活を考える①

2017年12月24日 22時04分30秒 | 教育 (教育問題一般)
 部活動のあり方を考えていくと何回書いてもキリがないぐらいになる。とりあえず「問題整理」「問題提起」として2回ほど書いて、じゃあどうするというのは年明けに回したいと思う。まず、どうしても最初に書いておかないといけないのは、教員の中でも特に中学教員の超過労働が激しすぎて、「過労死ライン」を大きく上回っていることである。そのデータは異常としかいいようがない。

 「過労死ライン」とは月の時間外労働が80時間を超える場合を指す。週当たり60時間を超えると、このラインに達する。2016年度の文科省調査によると、この時間を超えているのは小学校で33.5%、中学校で57.7%にまで達している。東京都の場合、この全国ラインを超えている。11月に発表された「東京都公立学校教員勤務実態調査の集計について」を見るとよく判る。

 その調査によると、週60時間以上の勤務をしているのは、小学校教員が37.7%、中学校教員が68.2%、高校教員が31.9%、特別支援学校教員が43.5%となっている。また副校長は特別支援で86.7%、小学校84.6%、中学校78.6%、高校58.3%になっている。これは実感として、30年前に僕が中学校に勤務していた時からほとんど同じだったように思う。地域密着で部活動を行わなくてはいけない中学は、とにかく多忙を極めるのである。

 最近は教育改革、授業改善の動きが激しすぎて、今までの授業ではやっていけなくなったり、校内研修や校外研修が多すぎるのも大問題。だが、それ以上に少子化の影響が特に大きいのではないかと思う。若くて元気な独身男性が新採で何人も来れば、何となく部活顧問も決まってしまうだろう。でも少子化で学級数が減ると教員も減る。部活顧問が異動しても、後任が補充されないことも多い。

 それなら学校の部活も減らせばいいわけだが、そういう風にすぐは減らせない。サッカーは11人、野球は9人必要だから、それ以下になると試合に出られないはず。ある時期までは一学年で15人ぐらい入部して、レギュラーになるのも大変だった部活も、生徒が減ると難しくなる。でも、1年から3年まで合わせて9人いれば、なんとか試合に出られるじゃないかとなる。あるいは試合の時だけ他の部活から借りて来るとか。そして来年たくさん入部するかもしれないと言われてしまうと、急に廃部にはしにくい。そうやって、教員は減っても部活は減らない。

 そうなると今までは「副顧問」だった教師が「正顧問」にならざるを得ないことも起きる。全員が部活顧問になるというタテマエの下、顧問は引き受けられないけど「副顧問」ならという教員もいる。正顧問が出張や休暇のとき、あるいは試合引率の時などは副顧問の出番だが、土日の活動などでは基本的には行かないでよかった。家庭の事情でそれ以上はできないという教員でも、今度は時には家族を犠牲にして部活顧問をせざるを得ない。そんな教員の「悲鳴」が聞こえてくるわけである。

 それなら「顧問」を断ればいいじゃないかとも言える。だけど、それはなかなか現実には難しいだろう。教員の評価にも関わるが、そういうことではなく「生徒に頼まれれば断れない」ということだ。そして「好きで部活をやってる教員」も一定数いる以上、校内で問題提起するのも勇気がいる。生活指導部で顧問案を作るのも苦労だろうが、前例踏襲に走りやすい。運動部ならまだしも誰か引き受けようがあるが、吹奏楽や合唱など音楽系で実績がある学校で、音楽教員がいなくなると非常に大変だ。音楽教員は女性が多く、産育休を取った代替教員では対応できない。

 それでも何とか誰かが犠牲になって、部活が続いていることが多い。それをどうすればいいか。そもそも問題をどう捉えればいいのか。そう思い続けてきたけど、なかなか表現にしようもなかったんだけど、今年の初めにいい言葉を聞いた。「好きの搾取」である。人気ドラマのセリフで使われた「好きの搾取」っていう言葉、部活動にこそ一番当てはまるんじゃないだろうか。誰が誰を搾取しているのかは、なかなか見極めが難しい。でも、総額いくらぐらいの「搾取額」になるかは大体判る。

 それは前回書いた中澤篤史著「そろそろ、部活のこれからを話しませんか」の本に出ている。部活指導を全部地域の外部指導に切り替えるとどうなるか。そうすることの是非はともかく、「数十億円」がかかると書かれている(137頁)。数十億で済むかどうか知らないけど、少なくともそのぐらいにはなるらしい。教育予算が減らされ続けたので、もうそういう数字を聞くだけで、絶対ムリだと教員は考えがちだ。でも本来はその分が教員の「ほぼ無償労働」(一応多少の手当は出る)で手当てされているわけだ。これが「好きの搾取」の代償ということになる。本来は大きな社会問題になるはずではないのか。
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2冊の「部活本」-これからの部活動のために

2017年12月23日 23時12分14秒 | 教育 (教育問題一般)
 2017年も残り少なくなってきて、ぜひとも今年中に読んでおきたい本を読まないと。前から日本の学校、教育を考えるときに、「部活動の再検討」がどうしても必要だと思っていはいた。でもこの問題はあまりにも複雑に絡み合っている。大阪市の桜宮高校の体罰問題が大問題になったころ、僕も「体罰」などに関して書いているが、「部活動のあいまいな領域」と題して書いたぐらいである。

 部活動に関して書かれた一般的な本も今まで見たことがないんだけど、今年は2冊もあった。本当はもっとあるらしいけれど、僕が実際に手に取ったのは、中澤篤史「そろそろ、部活のこれからを話しませんか」(大月書店、「部活」のところが赤字なのは実際の本の通り)と島沢優子「部活があぶない」(講談社現代新書)である。どっちも読みやすい本で、これからの議論の前提となる。部活に関わらざるを得ない中学、高校の教員はもちろん、親や行政関係者など幅広く読まれて欲しい本。
 
 島沢著「部活があぶない」から紹介するが、読んで題名の通りの本。島沢氏は桜宮高校事件などを追いかけてきたフリーライターで、著者紹介を見ると筑波大女子バスケット部で大学選手権優勝、その後日刊スポーツ記者を務めたとある。「事件事故が多発し、児童虐待化する部活を徹底ルポ」と帯に出ている。実際にごく最近群馬県の高校で、陸上部のハンマー投げがサッカー部員にあたって死亡する事故が起きたばかり。春には栃木県の高校登山部が雪崩に巻き込まれて8人が死亡する大事故が起きた。体罰やいじめなんかじゃなくても、死亡するケースが起きるのだ。

 この本を読むと、それ以上に深刻な「事件」を含め、様々な悲劇的事例がたくさん出てくる。海外では柔道で死亡事故などどこでも起こっていない。日本では何件もの柔道による死亡事故が起きている。それはなぜか? まさに「ブラック部活」というしかない事例がレポートされている。そしてそれは「教師にとってもブラックな部活」なのである。それだけではなく、最終章では「ブラック」にならない指導例がいくつか紹介されている。まず教員と保護者が緊急に読んでおく本だろう。

 中澤著も読みやすいけど、部活動の歴史や海外の事例紹介なども豊富で、この問題を考えるときに必読の本になっている。著者は早稲田大学スポーツ科学学術院准教授で、「運動部活動の戦後と現在-なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか」(2014、青弓社)という大著の研究書もあるらしい。でも専門書を読むのも大変だし、そもそもその本の存在を知らなかった。そういう研究を踏まえて、一般読者向けに書かれたのが、「そろそろ、部活のこれからを話しませんか」である。

 この本を読んで思い出したけど、「部活動」という言葉自体がそんな古いものではない。僕の中学時代には「クラブ活動」だった。高校は独特で昔から「班活動」と言ってるところだったから「クラブ」も「部」もなかった。(慣習では言ってたような気もするけど。)僕が高校を卒業したのは1974年で、1978年に教育実習を母校でやった時には「必修クラブ」というのがあった。僕が中学に勤務した80年代にも「必修クラブ」があった。時間割に組まれているクラブと差別化するため「部活動」と呼ばれた。

 そうだ、そうだと思いだしたわけである。そんなもの(必修クラブ)があるなんて想像も出来ない世代からすると、大昔から「部活」だったと思うかもしれない。80年代には全国の中学で「校内暴力」が吹き荒れ、「学校再建」の中で「部活全入」などの動きも出てくる。しかし、僕にとっては「部活動」はもともと「クラブ活動」として生徒の自主的な要素の大きなものだったというのは実感でもある。

 教育課程の問題は細かくなるからここでは省略する。この本でも、生徒の生命、教員の生活を守るために、現在の大変な状況と今後の展望が書かれている。しかし、そういう部分は島沢著でも書かれているし、マスコミでも最近はよく取り上げられている。中澤著は実際の中学でのフィールドワークに基づく「部活の存廃をめぐる闘い」が非常に面白い。高校は生徒数が多く、従って教員数も多いけど、中学は学級数が少子化で減ると教員減が部活の存廃に関わる。そういう実態は中学教員以外、あまり知られていないと思う。多くの人に読んで欲しい部分。(僕も学校の対応には疑問。)

 もう一つ、海外の事例で「アメリカでは部活参加が特権と考えられている」というのが非常に大事な指摘だと思った。日本だったら、その学校の生徒である以上、部活参加は基本的に拒めないと思われているだろう。「君には部活より勉強が優先だ」なんて、とても言えない。アメリカ映画なんかでも、アメリカンフットボールなど高校の名誉を掛けた試合が出てくる。そういう「部活」は全員参加じゃなく、ちゃんと「トライアウト」で選抜される。「少数エリート」の特権活動なのである。なるほど、そうだったのか。この問題は日本でも大切ではないか。授業や学校生活はいい加減なのに、部活動だけのために登校するような生徒がけっこう多いと思う。それはやはりおかしいのである。

 という具合に、いろいろな問題がいっぱい出てきて紹介しきれない。コラムもたくさんあって、著者の体験や部活漫画の紹介などもある。全国の高校で、学校図書館にそろえて欲しい。残された問題として、「学校推薦の問題」と「生徒会活動との関わり」があると思う。全国の中学生は半分以上が一度は私立や公立の推薦制度を利用するんじゃないか。高校生でも、就職生徒はもちろん、大学でも推薦制度が複雑に出来ていて利用する生徒が多い。「学校推薦」の場合、学力は調査書で判るが「より広い人間性」を見るとされる。「部活」で成果をあげたとか、部長などを務めたと書きたいわけである。生徒会との関わりは今は省略。今後の部活を考えるときに前提として読んでいるべき本だろう。
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家庭訪問や遠足は不要なのか

2016年05月15日 23時02分49秒 | 教育 (教育問題一般)
 教育に関する問題を続けて。朝日新聞5月10日付に、「家庭訪問や遠足いらないの?」と題する投書が掲載されている。投稿者は静岡県に住み、小学生の子どもがいる母親。その子供が通う小学校で、今年から家庭訪問や遠足がなくなったというのである。学校側の理由は「新年度を迎えた時期は、先生方が忙しく、家庭訪問の準備や遠足の下見に時間を取られると、子どもたちとじっくり話をする時間が取れなくなるからだそうだ」とある。学校側がそうした理由で説明しているのだろう。

 家庭訪問と遠足は違う問題だが、各学校で「行事の精選」が叫ばれているのは、多分日本中で共通していると思う。「授業確保」が求められ、授業も大きく変わる中で、学校の負担は非常に増大してきた。「行事」しか「とりあえず削減できるもの」がないのが実情だろう。だけど、小学校の家庭訪問や遠足は、確かにとても大きな意味を持ってきた行事だ。「子どもが主体であるべき学校において、大人の都合で物事が決まることに疑問を感じてしまう」と投稿者は指摘している。

 僕は小学校の事情はよく知らないし、静岡県の事情も判らない。だけど、この投書は現在の日本の学校のあり方を象徴しているように思われるので、ここで考えてみたい。学校、特に小学校は日本社会で長い歴史を持っている。そういうところでは、大体「恒例」で行事も決められることが多い。この変更は、どこで決まったのだろうか。どこかからの指示ではないようだから、校内で昨年来議論してきて、決められたのだろう。そこに見えるのは、「そこまでしないといけないほど、学校現場は追いつめられている」ということである。例年通りにする方が普通はずっと簡単だろう。

 学年当初の出来事として、非常に大きな意味を持つのは「全国学力テスト」である。小学校6年と中学3年で実施されている。4月半ばに行われるが、単に「学力を測る」だけでなく、事実上「学校の競争」の場になっている。静岡では知事の意向で結果の公表することを求められ、もめにもめたあげく「平均を超えた学校の校長名を発表する」となったはずである。これは現場に対する非常に強いプレッシャーで、各学校は「過去問」対策などに忙殺されるのではないかと推測できる。学年当初におちおち遠足を企画できるような状況ではなくなりつつあるのかもしれない。

 しかし、5月頃に実施される遠足だと、前の学年で企画し、下見(東京では「実踏」(じっとう)と呼ばれる)は春休みに行うことも多い。春休み自体がなくなりつつあるのかもしれないが。事故対策が大変になってきたこと、家庭の負担金を減らしたいことなどの理由が大きいのかもしれない。遠足自体も、子どもにとって昔ほど楽しい行事ではないのかもしれない。遊園地などは家族で行く方が楽しいし、勉強的な遠足では後で書く作文などが面倒。班を作って活動したりするのも嫌で、人間関係が面倒。友だち同士だけならいいけど、いい子にしてると、先生からクラスの中で孤立している子を仲間に入れてあげてと頼まれたりする。親がその日のためにと一生懸命豪華弁当を作ってくれる時代でもない。

 全体的に、教師も親も「面倒感」が高くなっているのだと思う。だが、僕は遠足は実施した方がいいと思う。子どもが皆楽しみにしているとは限らない。バスに弱い子供など、雨で中止になるのを望んでいたりする。(僕もそんな感じだった。)だけど、そういうことも含めて、教室だけでは判らない子どもの様子は、行事をやってみないと把握できない。担任が変わった場合などもあるわけで、「遠足の班作り」をやることでクラスの人間関係を見ることができる。担任にとって結構うっとうしいものだけど、PTAの役員選びと違い、まさに教員の仕事なんだからやるべきだろう。学校は一日で帰る遠足だけでなく、宿泊行事が必ずあるはず。遠足をやらずに宿泊行事を行う方が、僕は不安である。

 遠足などの行事は確かに大変。やり方を考える必要はあるだろう。毎年行く場所を決めて、学年ごとに引き継いでいく。それなら行く場所から議論せずに済み、下見もいらない。事前学習なども極力簡単にして、楽しむ(親睦を図る)ことがメインでいいのではないか。新学年になって、勉強も大変だけど、連休中に勉強してもどれだけ効果があるだろう。授業日数を曜日ごとに調べると、祝日が多い月曜が少ない。平均化を図るために、授業が多い曜日に、連休前後の季節もよく、新年度の疲れも出てきた頃に遠足を入れる意味はある。お互いを知りあう(教師も生徒も)ということで、どこかへ行く。やった方がいいような気がするけどなあ。

 一方、家庭訪問の方はどうか。その学校では、家庭訪問の代わりに「月1回の教育相談日」を設けるという。保護者との連絡、相談だけなら、学校の外へ行かずとも、保護者の方から学校に来てもらっても同じという発想か。だけど、真に問題を抱える家庭は保護者会には来ない。この「教育相談日」にも相談には来ないだろう。多分、それは判っていて、「授業確保を優先する」ということではないか。何しろ家庭訪問となると、一週間も午前中だけの短縮授業にしないといけない。

 さらに保護者の方からも「なくして欲しい」という要望があったのかもしれない。プライベートな空間に、学級担任といえども入って欲しくないという「ホンネ」はあるだろう。片付けなくちゃいけないし。オートロック式のマンションなども多くなり、生徒が不登校になって家庭訪問してもマンション自体の中へさえ入れないということも多くなった。母親が主婦だという家庭の方が少ないし、中には夜しか会えないという家もある。教師としては近い家をまとめて訪問するのがいいわけだけど、各家庭の希望を聞いていたら調整がつかないことが多い。東京では「学校選択制」を行っているから、そもそも学区外の生徒もかなりいるだろう。それでは訪問することも大変だ。

 僕も中学担任時代は毎年行っていたわけだが、確かに面倒なんだけど、家庭訪問も是非実施した方がいい。世間話をしてくるだけみたいなことも多いが、それでも「教師の研修」としては多分一番役に立つ。保護者会に来ない家とは、家庭訪問の機会しか親と話せない。家庭が抱える事情をかいま見る意味は大きい。教師という集団は、勉強が(まあ)好きで、大学へ行けるお金があった家庭の出身者が多い。もっと勉強ができて、もっと金持ちなら、教師をしてないかもしれないが、でも生徒の平均よりは学力も経済力もあるだろう。実際に社会のさまざまな職業の家を訪ねる機会は少なかったはずだ。地域のさまざまな家を訪ねると、「自己認識」「社会認識」に大きな変化があると思う。

 教師が地域を知る手段としても、家庭訪問の意義は大きい。特に小中は地域に密着している。東京もそうだし、静岡も大きな地震が予測されている地域ではないか。生徒が住んでいる地域を見ておくこと。また、いざとなれば「避難所」の経営に当たらなくてはいけないという立場としても、地域を知っておくことは大切だと思う。ということで、僕は授業以上の価値を遠足や家庭訪問に認めるのだけど、それは判っていて削減せざるを得ないという現状があるのか。そういう段階に追い込まれているのかもとさえ思った次第。
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「絶対評価」と「相対評価」

2015年05月02日 23時49分02秒 | 教育 (教育問題一般)
 「絶対評価」と「相対評価」の問題をもう少し書くと前回書いてしまったので、やっぱり書いておかないと。あまり細かく考えつめたこともないので、今まで思っていたことのまとめだが。昔は、小学校、中学校は「相対評価」を行っていた。学年途中は違う付け方をする場合もあるが、「学年評定」あるいは「調査書に使う評定」(中学3年の2学期)は厳密に相対評価していた。後者の場合、生徒全員の成績一覧表が作られて、数があっているか各校の校長が集まって点検を行っていた。その点検済みの一覧表は願書の出願時に都立高校に提出されるのである。

 要するに、「5段階評価」の数が正しいかをチェックするわけである。その時には、「5」と「1」は7%、「4」と「2」は24%、「3」は38%にする。これは統計学上の「正規分布」を前提にしている。つまり、「地域全体の生徒を集めて来れば」、中には成績の良い生徒もいるし、成績が悪い生徒もいるけど、大よそは真ん中程度の平均点前後の生徒が多くなる(はずである)。つまり、横に成績を、縦にその成績の生徒数を書いたグラフを作ってみれば、「富士山型」になる。これが「相対評価」の原理である。

 1クラスに40人いるとすれば、「5」と「1」は3人程度になるわけである。このうち、「非常に成績の良い生徒」は一クラスに3人程度というのは、試験の難易度が適当であれば、大体はそんなものではないかと思う。でも、「1」に当たる生徒が「3人いなければならない」というのは、けっこう不条理である。付ける側にも、付けられる側にも。良い学校、良いクラス、良い教師、そして頑張る生徒達であればあるほど、中間程度の生徒も底上げされてくるので、平均点がアップしてきて、「5」はともかくとしても、「4」を付けてもいいような生徒も「3」、つまり「普通」の範囲の成績を付けないといけなくなる。学習状況も積極的で、試験も80点近く取っていれば、普通だったら「4」でいいのではないか。だけど、そういう場合も全員が頑張ってしまえば「3」にしかならない。

 だから、中学に勤務しているときは、もっと「絶対評価」に近い付け方にして欲しいと思っていたのである。だけど、その意味は上記のような場合、「4」を付けてもいいのではないかということである。教師としては、ボーダーラインの生徒が頑張っているのなら、できれば上の成績を付けてあげたいということになる。だから、相対評価を変えれば、多くの学校で評定平均が上がることになるだろう。中学段階であまりに厳しい到達目標を掲げて、生徒の成績をどしどし下げてしまうなどという学校があるはずがない。中学からすれば、自分の生徒が志望校に合格できた方がいいわけだから、中学の成績が「甘すぎ」になってしまわないかというのが、高校側、あるいは一般の懸念なわけである。

 ところで、高校や大学はもともと「絶対評価」である。これは、入学時点で「生徒(学生)が正規分布になっていない」のだから当然である。成績が似たものがその学校に合格するわけある。学校ごとに生徒の進路希望も大きく異なり、当然のこととして学校ごとに生徒に求める到達度が異なってくる。特に20世紀末頃から「新学力観」に基づいて、本人の意欲なども評価していくことになって、成績の考え方も大きく変わってきた。そうして、義務教育段階の評定にも「絶対評価」を取り入れていくことが始まっていった。東京都では、2002年から実施されている。しかし、そうなってくると、かえって「絶対評価」に潜む問題性もないわけではないということが判ってきた。

 もともと、各地域が同じように「正規分布」しているというのが、一種の幻想である。実は各校区で地域差が大きく、さまざまな生徒が一堂に会すると言えなくなってきた。東京では、各学区ごとに大きな成績差があったことは周知のことで、私立高校では各地域の評定を学校で読みかえたりしていた。(推薦入学希望者に対して。外部テストの偏差値を私立校に示せた時代には、学区偏差値を都全体の偏差値に換算して判断することになっていた。)しかし、幻想であれ、生徒が地元の学校に行かざるを得ない制度のもとでは、その「幻想」は維持して行かないといけないものだった。各校、各地域ごとに成績レベルが違うということを公に認めるなら、校区を維持して地域の生徒は原則的に同じ学校に通うというシステムもおかしいということになる。

 そして、実際に東京で始まって、その制度も無くなってしまった。小中の段階で、もう校区以外の学校を選んでもいい。「学校選択制」である。また、高校段階でも「学区」はなくなり、原則的にどこにある都立高校を受験してもいい。そういう「競争システム」になってしまうと、「あそこは成績のいい学校」だとして生徒が集まる、そうするとその学校に好成績の生徒が増える。それなのに、相対評価しかできないのでは困ったことになる。高校受験を考えると、内申点をよくするためにはむしろ「成績が低い」と言われるような学校に行かせる方が良いのかということになる。いわゆる「牛後」か「鶏頭」かを、小学校段階で考える必要が出てくる。公立校が、学校選択制だ、中高一貫や小中一貫だと、「エリート校」作りを始めていく以上、「絶対評価」への変更は必然の措置だったのである。つまり、絶対評価の方が「新自由主義的教育」に実は親和的だったのである。

 今思うのは、「世の中は相対評価」だということを教師はもっと伝えていかないといけないと思う。五輪の陸上や水泳では、「世界新記録を出せば全員金メダル」ということはない。記録的には遅くても、決勝のレースの順番で、金銀銅、そしてメダル外が決まる。実は、絶対評価に変えて行うという高校入試そのものが、相対評価で合否を判断する。何点以上が全員合格という「検定」のようなものも世の中にはあるが、大体は定員が決まっていて、上から順位を付けて合格になっていく。これはつまり「相対評価」ということである。学校も会社も、世の中の「入札」や「選挙」、さらには「婚活」も、大体は「相対評価」で行う。(まあ、結婚は「絶対条件」を下げないまま、独身を通す人も多いようだが。)世の中は相対評価だということを教えないと、選挙に「入れたい人がいないから行かない」などとのたまう人が出てくる。
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「英語」とは何か

2014年04月21日 01時08分00秒 | 教育 (教育問題一般)
 英語、英語というけど、「英語とは何だろうか」。僕はそのことをちゃんと教えてもらったことがない。ここで言っているのは、「人生を成功させるカギである」とか「世界帝国の支配言語である」とか、そういう問題ではない。「英語」という言葉そのものの意味は何かということだ。

 日本の学校では、勉強するときに教科や科目の名前を教えない。そのことが昔から僕には不思議で、特に自分が担当した「日本史」が一番ひどい。教科書の最初の方に、日本列島にクニが出来始め、古代中国の史書には「倭」と呼ばれていたと書いてある。だけど、ではその「倭」がいつ「日本」になったのか、どこにも書いてない。そういう教科書が多かった。最近まで、そのことを意識する人も少なかったのである。今は問題が違うので深入りしないが、きちんと答えられる人は少ないのではないだろうか。

 他にも、なんで「音」は「楽しむ」なのに、「体」は「育てる」で、「美」は「術」なのかも不思議である。絵やスポーツを楽しんではいけないのか。というか、「音楽」の授業も、内容的にはほとんど「音術」をやっているのではないかと思う。「理科」というのも不思議。「科」は「教科」という意味だから、学ぶ中味は「理」ということになる。「数学」は「数を学ぶ」だから、これは一番判りやすい。「理科」も本当は「理学」に変える方がいいのではないか。(「科学」でもいいけど、そうすると「化学」と同音になってしまう。)

 さて、これらの教科名は「学ぶ内容」ということだけど、「国語」と「英語」に関しては「学ぶ内容」というだけではなく、学ぶためのコミュニケーションとしての言語を「教育の対象」としてなんと呼ぶのかという問題となる。今後書くことになるが、「国語」という教科名もおかしなものだと思っている。現実の教育の場では、「三教科」(国数英、または英数国)と呼んで「最重要受験教科」となっている。(前回書いたように、本当は「英語」という教科は存在しないが、「国数外」などという呼び方はしない。)実際にわれわれが最初に「英語」を意識するのは、この「受験に重要な教科」というレベルではないかと思う。つまり、「英語」とは「日本の教育における科目の名前」であり、人によっては会社に入ってからも英会話学校などに通わないといけない「学びの対象」である。

 もちろん「英語」の「英」とは「英吉利」の「英」である。「英吉利」を「イギリス」と読んで、「英語とはイギリス語」というのが、まあ一番一般的な理解だろう。でも、そうすると2つの疑問が起こる。「英語の授業」では「イギリス」よりも「アメリカ合衆国」に触れることが多いということが一つ。また、そもそも「イギリスという国はない」わけで、正確に言えば「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」である。「連合王国」(UK)と略されることが多い。なお、マン島やチャネル諸島のような王室領が存在し、そこは「連合王国」ではないらしい。

 連合王国とは、つまりグレートブリテン島にある「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」とアイルランド島北部の「北アイルランド」の連合ということだけど、この名前になったのは1927年のことである。それまでは「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」で、アイルランド全体が連合の対象だったのである。それは1800年に成立した。それ以前をさらにさかのぼれば「グレートブリテン王国」である。1707年の連合法で、イングランドとスコットランドが連合したわけである。1603年から、イングランド王とスコットランド王は同じで、両国は「同君連合」という関係だった。(エリザベス1世が独身のまま長い治世を終えたことによる。)なお、ウェールズはもっと早くからイングランドに事実上併合されていて、1536年に正式に併合された。

 「イギリス」は戦国時代から江戸時代初期に、日本と貿易関係があった。ウィリアム・アダムズという航海士は徳川家康に仕え、「三浦按針」という名前をもらった。彼が乗ったリーフデ号が難破して豊後に漂着したのは、1600年のことである。この時点では「グレートブリテン王国」は成立していないのだから、南東部のケント州に生まれたアダムズは「イングランド王国」の人ということになる。シェークスピアも「イングランド王国」時代の人である。要するに「イギリス」と言っているものの実際は、大体は「イングランド」であるわけだ。

 スコットランドにもウェールズにも独自の言語があるので、「グレートブリテン語」などというものはない。だから「英語」というものは、もちろん「イングランド語」のことである。というか、“English”には「イングランド人」と「イングランド語」の両方の意味があるわけで、多分中国で最初に「英吉利」と表記した時には、「イングランド人」 の意味だったのだろうと思う。日本でも「英吉利」という書き方を受け入れ、幕末にはもう「英語」と言っている。その時代には、連合王国は産業革命が起こって強大な近代国家になっていて、「七つの海を支配する」と言われた。その連合王国の「事実上の公用語」(連合王国には憲法がないように、公用語という制度もないけれど)が、世界に広まっていく。

 現在、「英語」を母語として使用する話者は、中国語(北京語)に次いで、スペイン語とほぼ並んで世界第二位か第三位である。(資料により様々で、どっちが多いか判らない。)「英語」の話者の7割ぐらいは、「アメリカ合衆国」の人々である。アメリカ映画を見てると、昔のシーンでヨーロッパから来た移民に対しても、現在のシーンでメキシコ等のラテンアメリカ系の移民に対しても、「Englishを話せるか」つまり、”Can you speak English?”と問いただす場面がみられる。一般的に、アメリカ合衆国でも、「自分たちの言語はイングランド語である」と認識しているようだ。

 では、連合王国と合衆国で使用されている言語は同じだろうか。そこには深入りできないが、「同じだけど、文法も発音も慣用句も少しづつ違っている」ということだろう。同根の「スペイン語とポルトガル語」や「チェコ語とスロヴァキア語」と比べて、どう違うだろうか。「北京語」と「広東語」よりは、はるかに似ているのは確かだろうが。日本では、歴史的にも経済的にも文化的にも、連合王国よりも合衆国との関係の方が圧倒的に深い。(連合王国との関係も、西欧諸国の中では一番深いと思うが。)そこで、学校で教える「英語」の中でも、ほぼ合衆国の言葉を習って来たと思う。先生によっては、「イギリスでは、こういう時は違う風に言うんだ」などと教えてくれたりした。(例文はすべて忘れたけど。)

 「イングランド語」を公用語にしている国は、他にもカナダ(ケベック以外)、オーストラリア、ニュー・ジーランド、シンガポール、アフリカ中南部の多くの国(南アフリカ、ガーナ、リベリア、タンザニアなど)、カリブ海の国々(ジャマイカ、トリニダード・トバゴなど)、太平洋の国(パプア・ニューギニア、トンガ、キリバス、ツバルなど)、もういっぱいある。インドのように、州ごとの公用語が多すぎて「連邦準公用語」のイングランド語を用いないと国会の議論ができないという国もある。それぞれで発音や文法が多少違ってくるのではないかと思うが、その事情はもう僕には判らない。

 これをまとめると、「英語」とは、日本の学校では「事実上のアメリカ合衆国の大多数が使用する言語」(公用語という制度はない)のことで、世界的には「広大な英語圏で使用される言語すべて」であり、語義的には「(今は連合王国の一部である)イングランドの言語」ということになる。さて、もう面倒なので「英語」と書くことにするが、日本語とは音韻構造が違うから、発音に苦労するわけである。日本は中国から「漢字」を取り入れたが、やはり文法や発音が違うから、大分苦労した。「カタカナ」や「ひらがな」を作り出したことで、何とか漢字をもとにした言語表記が苦にならないように工夫している。この「発音」や「漢字と英語と日本語の問題」などを続いて考えたい。
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学校に英語という「教科」はない

2014年04月20日 00時43分18秒 | 教育 (教育問題一般)

 英語教育の話に戻って。英語そのものや、英語教育のスポット的問題(小学校での英語導入や大学入試など)を脇に置いて、学校教育の中で英語がどのような位置を占めてきたかを振り返っておきたい。人は自分の学校時代をもとに「教育論」を展開しがちだけど、実際はずいぶん変わっていくものである。特に高校の新学習指導要領において、英語は一番「科目名」が変わっている。教員でも、英語の先生以外は案外知らないものだ。

 現実問題として英語は重要なわけだが、どうも英語、英語と言い過ぎではないかと言う気がしてならない。そもそも、中学でも、高校でも、「英語」という「教科」はない。では何という教科なのかというと、「外国語」である。「教科」と「科目」というのは、例えば「理科」が教科であり、「物理」「化学」「生物」「地学」が科目ということになる。(実際は、新指導要領では「物理基礎」と「物理」などと科目が分かれる。旧指導要領では、物理Ⅰ、物理Ⅱなどとなっていた。)つまり、「外国語」という「教科」の中に「英語の各科目」があるわけである。じゃあ、英語以外の外国語でもいいのか。今はそれは(普通は)できない。

 しかし、昔は高校の「外国語」の中に、「ドイツ語」「フランス語」という科目があった時代もあるのである。だから、英語も大事だけど、「これからの生徒にとって、外国語教育はどのようにあるべきか」が本来は一番大事な問いではないだろうか。そうすると、「ハングル基礎」といった科目を作ってみたらどうだろうとか、「中国語基礎」「ロシア語基礎」「スペイン語(ポルトガル語)基礎」なども、これからの高校にはあってもいいのではないかといった意見も出てくるかもしれない。現実に、東京の定時制高校にはタイやフィリピン、ミャンマーなどのアジア各国の生徒がたくさん在籍している。

 地域的に外国出身生徒が多い地域もあり、そういう地域の高校では「外国語は必ずしも英語でなくてもよい」のではないか。でも実際の外国人生徒(ニューカマー)は、母国語とある程度の日本語しかできない生徒が多いと思う。それらの言語を全部高校で教えるというのも、無理がある。そうすると、「やはり英語」ということになるが、その時には「アジアの諸国民の共通言語としての英語」という観点が浮かび上がってくるだろう。

 さて、ちょっと細かくなるけど、中学と高校での英語の扱いを振り返ってみたい。まず中学だが、長いこと「外国語は選択教科」という扱いだった。1962年から実施の学習指導要領で、選択教科という扱いは同じながら、「英語、ドイツ語、フランス語、その他の現代の外国語のうち1カ国語を第1学年から履修することを原則とする」とされたとウィキペディアに出ている。しかし、英語以外を実施した学校はほとんどないだろう。実質的に英語が中学の必修科目になったのと同じようなものである。それ以来半世紀以上たっているから、もう日本では中学で英語があるのは当然と思い込んでいる。教師も親もそれ以外を知らないわけだから。

 1972年、1981年、1993年から実施の学習指導要領でも、内容は同じだった。つまり、20世紀に中学教育を受けた人は、英語は必ずやっただろうけど、実は学校がドイツ語やフランス語を選択することもできる選択科目の一つという扱いだったのである。通知表を取ってある人がいたら、そこには「選択科目」の「外国語」として英語を学んでいたことが示されているはずだ。それが21世紀になって、抜本的に変わった。2002年実施の学習指導要領で、「外国語が必修科目」になったのである。2012年から実施の新指導要領でも同じである。しかし、それでも教科名は「外国語」のままなのである。なお、2011年から小学校で実施の指導要領で、小学校5.6年に「外国語活動」が導入された。やはり「外国語」である。

 続いて、高校を見てみる。高校でも、長いこと外国語は必修ではなかった。しかし、外国語という教科はあるので、事実上「学校必履修科目」だったのだろう。1956年から実施の学習指導要領で、やっと「外国語」の中に「科目」が設定されるが、それは「第一外国語」「第二外国語」というものだった。1963年から実施の指導要領で、「英語A、英語B、ドイツ語、フランス語」という科目ができ、1科目は必履修と決められたのである。1973年、1982年から実施の指導要領でも基本的には同じだが、英語に関しては、「英語I、英語II、英語IIA、英語IIB、英語IIC」という科目が作られた。英語Ⅰ、英語Ⅱという科目名は、その後2回の改定を生き延び30年ほど実施されたので、多くの人になじみがあるのではないかと思う。

 一方、「英語ⅡA」という科目はオーラル・コミュニケーション、英語IIBはリーディング、英語IICはライティングにあたる内容ということで、1994年から実施の学習指導要領で、OC(オーラル・コミュニケーション)、リーディングライティングと名前が変わった。まだ多くの進学高校では、英語Ⅰ、英語Ⅱと置いていたのではないかと思うが、オーラル・コミュニケーションという科目名に、英会話力重視の動きが始まっていることが判る。なお、この94年から実施の要領まで、ドイツ語、フランス語という科目が明示されている。2003年から実施の指導要領では、ドイツ語、フランス語がなくなったけれど、英語の科目名は基本的には同じである。

 ところで、2013年から実施の新指導要領では、英語の科目名が完全に変わっている。高校の教員以外は、ほとんど知らないと思うから、全部示しておくことにする。「コミュニケーション英語基礎、コミュニケーション英語I、コミュニケーション英語II、コミュニケーション英語III、英語表現I、英語表現II、英語会話」というのである。英語Ⅰもオーラル・コミュニケーションもなくなってしまった。学校現場では、大学入試のあり方に大きく規定されるけれど、それでも科目名を読むだけで、英語教育の方向性が見える感じがするだろう。

 案外知らない人が多いが、英語科の専門教育高校というものが認められている。商業や工業などの専門教育を行う高校があるように、英語科の高校もあるのである。1982年から実施の学習指導要領で、初めて英語科が認められた。現在の新指導要領で認められているのは、「農業、工業、商業、水産、家庭、看護、情報、福祉、理数、体育、音楽、美術、英語」である。その英語科の高校ではどんな科目があるかというと、一般の高校と同じ科目の他に、「総合英語、英語理解、英語表現、異文化理解、時事英語」という科目を置けることになっている。

 ちょっと細かい話になったけれど、とにかく中学でも高校でも、「教科名は外国語」なのである。それなのに、「小学校で、低学年から英語を教科にするべきだ」などと論じる人がいる。日本中の学校で、英語という教科はどこにもないというのに。それは細かすぎる指摘というべきかもしれないが、教育現場ではそういう小さなところから、現場無視の議論だなあと感じていくものなのである。

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「英語教育問題」という問題

2014年04月16日 21時40分39秒 | 教育 (教育問題一般)
 何回か「英語教育」について考えたいと思う。そう思ってから1年近くたつので、そろそろちゃんと書かないと。きちんと書くと10回ぐらい続くと思うので、断続的に何回かに分けて書くことになる。最初に書いておくけど、僕は「英語教育」そのものには、特に関心があるわけではない。(もっと正確に書けば、「世の中のほとんどの問題にある程度の関心を持っているレベルを超えて、特にそれだけに強い関心があるわけではない」ということ。)だから、僕が関心があるのは「英語教育をめぐる言説」の方であって、「英語教育問題問題」とでも言うべきものである。

 教育に関しては安倍政権で様々な「改革」(僕からすればほとんど「改悪」ばかり)が進められている。社会科の教科書検定基準などはもう「改定」され、今は「教育委員会制度改革」や「道徳の教科化」などが重大な段階を迎えている。そっちの方も書きたい気はあるが、あえて自分の専門外の「英語」について書くのは、二つの意味がある。一つは自民党の「教育再生本部」などの議論を見れば判ることだが、「国や郷土を愛する心」の育成とか「いじめ対策」、「教科書の適正化」などをなしとげた後には、「大学入試制度の抜本的改革」と「英語や理科教育の充実」がめざされているのである。社会科や道徳などは「おとなしく言うことを聞く国民を育てる」ということだろうが、それだけが目標ではなく「グローバル化に適応したリーダー育成」を進めなければいけないというわけである。しかし、安倍政権の教育政策を危惧する人々の中でも、また現場教員などでも、英語や理科に関する「危機感」は乏しいのではないかと思うのである。

 もう一つの理由は、何で英語が標的になるのか、純粋に不思議なのである。それは「英語という科目の特殊性」ということでもある。例えば、2013年5月1日付の朝日新聞オピニオン欄「争論」は「大学入試にTOEFL」という特集を組んでいる。これは直前に自民党教育再生本部が言い出した、「大学入試の受験資格として、米国の英語力試験TOEFLを導入」という、現実には実現不可能としか思えない提言に関して、賛成、反対の意見を掲載している。そこで衆議院議員で自民党教育再生本部実行本部長である遠藤利明氏はまず次のように論を始めている。「中学高校で6年間英語を学んだのに英語が使えない。コミュニケーションできない。それが現状です。」と。

 僕はこういう意見を読むと、いやあ、さすがに自民党のエライ先生は出来が違うなあと感心してしまうのである。この人は多分、今でも微分積分や三角比などをよく理解しているのである。あるいは、きっと元素記号なんかも全部覚えているのである。小学校では算数と言うが、中学高校では数学と名前が変わる。だから「中学高校と6年間学んだ」のは「数学も同じ」である。でも、英語が使えないと「英語教育が間違っている」というんだから、論理必然的に「数学で学んだことは今でもすべて覚えている」という結論が導き出されるはずである。そうでなかったら、「数学教育も間違っている」というはずではないか。

 もちろん僕も英語が使えるというには遠い状況だけど、だからと言って「英語教育が間違っていた」などと思ったことはない。世の中の大部分の人も、「英語教育が間違っていたから自分は英語ができない」などとは言わないだろう。仮にもし言ったとしたら、「お前、サボってたくせによく言うよ」と言われてしまいそうである。だから、先の遠藤氏は「自分がサボっていたとはだれにも言わせない」という自信があるんだろう。それだけでも、庶民のレベルとは全然違うんですねえと思うのである。ま、皮肉だけど。

 世の中の人にとって、勉強というのは大体次のようなものだろう。多くの人にとって、①から順番に「有りそうなこと」ではないかと思う。
①試験前に一生懸命取り組んだけど、試験後は実生活に役に立たない知識だから、定着しない。
②試験前でも、やる気が出なかったり他の教科の勉強に忙しく、結局テストでもできない。
③そもそも勉強の時にも理解していなかったので、テストでも全く太刀打ちできない。
④勉強し理解し、生活にも役立つ知識なので、学んだことを今もよく理解できている。
⑤勉強したしテストもできたけれども、受けた教育の間違いにより定着しない。

 どうだろうか。学校の勉強というのは、全部覚えている人はいないだろう。そんな人がいたら、社会生活には使い物にならないのではないだろうか。社会生活に役立つことなら、学校の勉強と無関係に、自然と覚えて定着するものである。国語で勉強した漢字熟語なんかは、その後も覚えていて実生活でも使う人もあるだろう。でも、そういう言葉というものは、なんか新聞や雑誌、あるいはテレビのクイズ番組で覚えたのかもしれず、確実に学校の授業で教えられたのかどうか、もうよく覚えていないのではないか。

 それに対して、英語というのは、日本の社会生活では普通はほとんど必要ではないのである。英単語の理解が重要な場合もあるし、外国旅行で使うこともある。外国人に英語で道を聞かれたこともあるけど、でもそれは例外的なケースである。最近でこそ、勤務先の会社で英語が日常語になるというところも出てきたようだけど、一般的には英語が話せなくても、日常生活を送るのに特に支障はない。どうして日本では英語を必要とはしないのか。また、今後もそうなのか。それでいいのか、という問題はあるけど、まずは実態として、日本の日常生活では英語はいらない。

 その実態が変わらない限り、英語教育をどんなに変えても、試験が終わり、あるいは学校生活が終わり、日常生活が続いて行けば、自然と学校で学んだ英語は忘れてしまうはずである。それは三角関数や元素記号、歴史の年号などと全く同じである。でも、「家庭科教育をずっと受けていたのに、私の妻は料理が下手だ」などという人はいないのに、「英語教育をずっと受けていたのに、日本人は英語ができない」という人はいっぱいいるのである。何故だろうか。どうして「英語に向けるまなざし」だけが異なるのか?

 そして、問題として、さらに次のことを考える必要があるだろう。ここまで自民党が英語英語と言いだしているということは、今までの教育の前提としての日本人の日常生活の方を変えるつもりなのだろうかということである。外国人労働者の大量受け入れにより、日本人の労働環境として英語理解が必須となる社会、あるいは大学生の就職環境がさらに悪化して、学生の半数以上は日本以外で就職するという社会。そういった社会の到来を見越して、「できる英語教育」が叫ばれているのだろうか。ところで、英語、英語と書いてきたけど、そもそも「英語とは何だろうか」ということを次回以後で考えておきたい。
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