尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

部活動のあいまいな領域

2013年02月01日 01時13分02秒 |  〃 (教師論)
 間が空いてしまったけれど、「体罰問題」をもう少し考えたい。一番最初に「この問題は奥が深い」と書いた通り、日本中あちこちの学校で問題化し、さらにスポーツ界に問題が広がっている。これは「暴力事件」というべき問題だが、「パワハラ」と捉えると実は日本の会社で多数行われているだろう。奥が深いというのは、そういう意味で「日本の構造」を考えないと完全には理解できない。ただし、「根強い暴力体質」があるから「日本はダメだ」と言いたいのではない。他の国においては、声をあげたり問題を意識すること自体ができない社会も多いし、「むきだしの暴力支配」が日常化している軍事独裁政権なんかもある。日本ではそういうことはなく、「ある種の限られた特殊な空間」を除けば、「暴力的指導」がはびこっているわけではないだろう。

 いや、「体罰は絶えない」と言われるかもしれない。この10年ほど、毎年400人ほどが体罰で何らかの処分を受けているという。これには「暗数」(報告されなかった事件数)があるわけで、実際には数倍になるんだろう。でも、たぶん、「体罰は激減している」と思う。僕が生徒だった頃に比べて10分の1程度ではないか。僕の時代も、戦前に比べれば当然激減していたのだと思う。体罰問題で発言している桑田真澄氏は「生徒に聞くと半数程度が体罰を経験していて、自分の時代に比べて減っている」と語っている。少年野球の場でもそうなんだから、一般の授業などではかなり減っていると思う。親からも教師からも体罰を受けずに育った教師が今では大部分だと思うから、すぐに手が出るという発想にはならない。でも、「体罰事件」はある。減ったと言っても皆無にはならず、必ず一定程度は起きている。「日本社会の中の学校」という以上、このままでは問題が完全になくなることはないだろう。

 体罰事件が起きる状況を調べてみると、大体3つが多いように思う。部活動宿泊行事小学校である。小学校のことはよくわからないが、たぶん「学級王国」的な部分と「体格差」ということではないかと思う。中高になると生徒と教師の体格差はなくなっていくから、身体の大きさでは威圧できなくなっていく。戦前には「軍事教練」もあったし、中高は義務教育ではなかったから、教員の絶対支配権が確立していたので、体罰も可能だったかもしれないが。小学校の教員にけっこう体罰の処分事例が多いように思うが、まだ体格差があるので力で制圧しようとするとケガをさせやすいということか。一方、部活動と宿泊行事には共通な面があり、教師にとっても日常の授業と違った特別な時間だということである。

 体罰問題が明るみに出ると、いじめ事件の時と同様にやっぱり校長が出てきて事情説明をして謝罪している。学校長は学校の最高責任者だから当然で、部活動顧問も「校長から任命された校務分掌の一つ」ということになってしまう。でも、教員側からすると授業や学級担任なんかと違って、部活顧問を校長から任命されてやってるという意識は薄いと思う。各主任や学級担任は校長が教員の希望を無視して強権的に任命してしまうということが(今では)時々あると思う。でも部活顧問まで校長が決定している学校は多分ないだろう。各教員の希望を生活指導部の部活動担当が調整して、それをもとに校長が顧問を「委嘱」するといった学校が多いと思う。よほどもめた時(熱心だった顧問が異動してしまい、後を引き継げる教員が誰もいない場合など)を除けば、校長が顧問決定に乗り出すこともないと思う。授業や進路指導等、あるいは学級経営なんかでは、「年間指導計画」という「作文」を書かされることが今は多い。でも「部活動指導の年間計画」なんて作ってる学校もないだろう

 仕事というのはどんな仕事であれ、「仕事ではないもの」との「あいまいな領域」があるものだと思う。教員の場合は、特に「仕事」をはみ出る部分が常に存在する。「ボランティア」というか。「授業」そのものも、どこまで事前の教材研究、授業準備、事後の課題やテストの扱いなどをするかは、やりはじめていくとキリがないものだ。一回の授業に毎回全身全霊を込めるわけにもいかないけれど、教材を自分で買ってそろえたり、関連の書籍を読みあさったり、自宅で学習プリントを作ったり、教師は皆いろいろやったことがあるはずである。それでも授業自体は、教員の一番重要な仕事だから当然と言えば当然だろう。

 「教員の一番重要な仕事」などと言うと、それは学級担任ではないかとか、「こころの教育」ではないかとか言われるかもしれない。「いじめを防ぐ」とか「次代の国民を育成する」とか「やっぱり進学・就職の実績向上」とか、言い出せばいろいろ言える。でも、教員全員が毎年学級担任をするわけではない。担任ではない年もあるし、担任をしていても、進路決定に直接かかわる卒業学年は数年に一度である。校内には様々な仕事があるが、毎年必ず行うのは、採用試験時の教科の授業を担当することである。担任のない年はあっても、授業のない年はない。教員採用試験も教科ごとに行われ、合格者は各校に教科ごとに配属される。各校に配属されてから授業以外の仕事が割り当てられる。最後に部活顧問が決まる。学生時代によほど活躍した実績があれば別だろうが、各校にはすでに前年度の顧問をしていた教師がいるわけで、たまたま異動して空いてる部活を頼まれることが最初は多い。新人の間は言われた通りに部活顧問を引き受けるしかない。

 ただ、別格がある。例えば音楽の教員である。吹奏楽や合唱などは、普通音楽の教員しか専門的指導ができない。非常に熱心だった若い男性教員が年限で異動し、(音楽は女性教員が多いので)育休明けの女性教員が赴任してきたりすると、なかなか大変な事態が起きることがある。保健体育の教員もそうで、専門的指導ができるスポーツが必ずあるわけだから、必ず主要な運動部の主顧問になるだろう。でも、部活指導員という資格はない。教科で取るだけで、バレー部指導員、バスケ部指導員とかで取るわけではない。だから、誰が何の部活顧問をやってもいい。自分の生徒時代に経験のない運動部や文化部を担当することはとても多い。だからどうしても「部活顧問のボランティア的性格」が出てくる。これは本来おかしなことである。まあ、卓球部とか文芸部とかで活動中に死亡事故が起きることはないだろう。だけど、かなり危険がある部活もあるのである。陸上部で砲丸が当たったり、弓道部で弓が当たったり…。柔道部や体操部で頭を打ったり、サッカー部や野球部で真夏に過酷なランニングをさせて熱中症になったり…。毎年のように事故が報告されている。柔道部なんかは顧問をする資格が本来はいるんではないだろうか。

 本格的に強くしようと思ったら、土日も活動しないわけにはいかない。生徒や保護者も望むが、平日は時間も限られるし、他の部活もあるわけだから、例えばバスケ部が毎日体育館全面を利用するわけにはいかない。だけど、毎週のように休日に活動するという場合、教員の勤務時間はどうなっているのだろう。教員の私生活がなくなってしまうということもあるが、そもそも一週間に一日も休みを取らず働くということが労働法制上許されるんだろうか。だから、当然のこととして、土日の活動は校長が命令して行っているわけではない。命令したら労基法違反である。顧問の方から施設利用願いかなんかを出して、校長が許可してボランティア的に活動している。ただし東京では部活動の本務化が進んで、土日に4時間以上の活動をした場合、長期休業中に振り替えを取れるようにはなってきた。それにしても土日に出勤したら月曜に授業あるのに代休ということはありえない。

 また毎日遅くまで、時には朝練などもあったりして、部活顧問は時間外勤務になってしまうことが多い。もちろんこれも、勤務時間終了で活動をやめて帰宅しても、校長にはなんら止める手立てはない。毎日遅くまで活動し、土日も出て来る、それならものすごい額の時間外手当がもらえるだろうと思われるかもしれないが、それはもちろんない。教員には「時間外手当」そのものがない。(代わりに教職調整額4%が教特法で支給される。)校長が時間外勤務を命じることができる4条件というのがあって、「①生徒の実習、②学校行事、③職員会議、④非常災害、児童生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合等」ということになっている。部活動は入ってないから、毎日の顧問の指導は「ボランティア」の時間帯がある。

 今部活動で「体罰」があったというが、その体罰があった時間帯はいつだろうか。多分、その日の部活終了時の反省の時間、あるいはまとめて活動できる土日の活動が多いのではないか。その場合、その時間は本来の教員の勤務ではない時間帯になっていることが多いはずである。今「ボランティア」と書いてきたが、もっと正確に書くと「奉仕」である。自分は「奉仕」しているのに生徒がダラダラやってれば、それは怒るだろう。一方、土日に活動に出てきて指導する校長はまずいないから、管理職はなかなか休日の部活動の実情を把握することは難しい。この「部活動指導という領域のあいまい性」がある限り、「専門的技量を生かして奉仕しているという教員の意識」が存在し、その結果「体罰」ではないとしても一方的な暴言などが生じやすい。教師が来なければ学校の施設を使えないから、教師は開始予定時間に遅れられない。でも生徒は中には遅れてくるものがいる。殴らないまでも、「やる気がないならお前なんかやめてしまえ」「もうお前なんかいらない」と言ってしまうことが起きやすい。

 この問題はいずれ、部活を社会体育に移行させるということを聞いた時代もあるが、それは今思うと無理だと思う。東京都杉並区では、保護者が負担して土日の部活を業者に委託するという試みを始めているが、それが一つの方向だろう。でも公式試合はもちろん、練習試合に教員が立ちあわないわけにはいかない。また実際好きでやってる教員はいっぱいいるわけで、なかなか難しい。でもこの「あいまい性」にもいい面もあると思う。部活動は本来課外活動なんだから、生徒の趣味特技を伸ばすという意味で、教員の側も専門性だけでなく一緒に活動すればいいとも言える。だけど、この校内での「あいまい性」が、教員によっては「自分の王国」を作らせてしまい、誰にも立ち入ることができない領域を作ってしまう第一の原因である。どうすれば一番いいかは、誰にも結論は出ないと思うけど。
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