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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「懐かしい年への手紙」、壮大な人生の総括ー大江健三郎を読む③

2021年06月28日 23時30分25秒 | 本 (日本文学)
 1回目に書いたように、僕の大江読書史において「躓きの石」となったのが「懐かしい年への手紙」(1987)だった。30年以上経ってようやく読んでみたのだが、これは素晴らしい傑作ではないか。しかし、昔頑張って読んでも感銘は少なかったかもしれない。ダンテ神曲」(それも文語版)やイエーツの引用が多いし、英語のダンテ研究も出て来る。外国語だけでなく一種の「引用の織物」になっていて、そこには自分の作品も含まれる。メキシコ滞在中の話もあれば、自分の家族(と思われる)人物も出て来る。まるで「私小説」のように語られるが、すべてがフィクション。時制も入り組んでいて、過去と現在を自在に行き来する。
(一般的に入手しやすい講談社文芸文庫版)
 そういう風にかなり「読みにくい」小説であるのは間違いない。だがそれだけなら頑張って読み切ることも出来るだろう。しかし、この小説の「キモ」は人生をある程度生きてきて、過去を振り返って自分を総括するというテーマにある。「懐かしさ」(ノスタルジー)を基底に置き、ある作家の文学人生(だけでなく結婚生活や性体験までを)、ユーモアたっぷりに振り返る。その悠然たる筆致を味わうには多忙な現役時代は不向きである。そもそもある程度の人生体験を経てないと、しみじみと読める小説ではない気がする。原稿用紙1000枚を超える大長編で、フランス語訳「Lettres aux années de nostalgie」があってノーベル賞の対象になった。

 「」という小説の語り手は、小説内で「K」とか「Kちゃん」と呼ばれている。久しぶりに村に住むアサ)から電話があり、ギー兄さんの妻であるオセッチャンから相談を受けたという。村に戻ったギー兄さんが何か始めるらしく、そのことで村人と揉めているという。老母もKの子どもたちに会いたがっているので、一度四国の村に帰って欲しい。K一家は四国を目指すが、長男「ヒカリ」は障がいを持っていて空港へ行く途中で具合が悪くなる。松山便を逃してしまうが、下の子どもたちが高知までの便があるから、高知から松山行きのバスに乗って途中下車すれば大丈夫と知恵を出す。まるで実際の大江一家の報告のように小説世界が始まっていく。
(今回読んだ初版単行本)
 このギー兄さんというのは、Kの5歳上で村の山林地主に生まれた人物である。そして一生を通じてKの「師匠」(パトロン)でもあった。戦後の貧しい中で、Kはギー兄さんの勉強相手に選ばれ、英語の手ほどきを受ける。その後もずっと文通を続け、作家になった後もいろいろと示唆に富む助言を受けてきた。このKは紛れもなく大江健三郎である。イニシャルや生まれが同じということではなく、「奇妙な仕事」や「死者の奢り」で注目を集め、「セヴンティーン」第2部の「政治少年死す」が右翼の怒りを買って逼塞を余儀なくされるなど現実の作品名が明記されている。ギー兄さんはそういうモロに政治的なテーマよりも、村の歴史や神話をこそ書いて欲しいと望む。そうして取り組んだのが「万延元年のフットボール」なのだった。

 ところがある時期から、Kの人生からギー兄さんが消えた。何故かといえば、村で起きたある事件によって、ギー兄さんは刑務所で服役したのである。その事件の詳細はなかなか語られないので、物語はミステリアスなムードをたたえたまま、終盤になって刑期を終えたギー兄さんがKの現実へ再登場するわけである。このギー兄さんは架空の人物とは思えないほど、生き生きとした描写がなされていて忘れがたい。そもそも「万延元年のフットボール」などの作品で「森の隠遁者ギー」という謎めいた神話的イメージの人物が出て来る。これは本名が「義一郎」といって、村を捨てて山で暮らす人物であるとされる。ギー兄さんは出所後に、自分の名前を使ったなと手紙に書いてきたという挿話が出て来る。

 物語は三部に分かれていて、一部と三部は現在だが二部で過去が語られる。そこで語られるのは、Kとギー兄さんの知的、文学的、性的な冒険の日々である。東京の大学を出た後に学者への道を断念して村へ帰ったギー兄さんのもとに、東京から二人の女子大生が訪ねて来る。そこで繰り広げられる愛と性の冒険の日々。それがギー兄さんのいたずらで突如終わる。Kは東京で若い作家となり、高校時代の友人秋山の妹「オユーサン」と結婚する。結婚式に出たギー兄さんは長い演説をして彼の行く末を心配する。安保反対運動のただ中で、Kも反対運動の中にいたが作家の訪中団に加わって肝心の時に日本にいない。ギー兄さんは妻のオユーサンが夫に代わってデモに参加し暴力にあうのではないかと心配する。わざわざ上京したのだが、ギー兄さんの方が新劇団に襲いかかる暴力団に殴られて大怪我をしてしまった。
(単行本の裏)
 誰も助けてくれない中、その時に必死に介抱して病院へ運んでくれた二人の新劇女優がいた。そしてその一人「繁さん」とは深い仲になって、二人は一緒に村へ戻ってきたのである。そしてギー兄さんは村で新しい農林業を中心にした「根拠地」作りを始め、繁さんも村の文化運動を始めて若者たちと演劇レッスンを行う。「根拠地」は60年代、70年代に全世界でたくさんあったコミューン運動を思わせる。その人間関係の葛藤の中である「事件」が起こり、ギー兄さんは獄囚となったのである。それはどのように起こり、どのような過ちだったのか。我々の世代は何を目指し、何に失敗したのか。痛切な反省とともに、60年代のコミューン主義的な夢が総括される。この痛切な感情が、ノスタルジックな青春の思い出を単なる懐旧的青春譚に終わらせない。

 この小説は明らかに「万延元年のフットボール」の自注であり、再説である。だから「万延元年のフットボール」を先に読んでいる必要がある。「万延元年のフットボール」は読んだ後にいくつかの「謎」を残す。一つは異形なスタイルで「自殺」した友人が主人公根所蜜三郎に取り憑いているが、友人の具体像が書かれていないこと。もう一つが弟の鷹四が起こす「事件」を、蜜三郎はむしろ「事故」ではないかと推察するのだが、その真相の解明。その2点の謎は「懐かしい年への手紙」を読めば氷解する。というか、どっちもフィクションなのだから「真相」も何もないわけだが、要するに「万延元年のフットボール」で書かれたことは現実にはこうだったんだとされる。こういう複雑なナラティブは過去の文学作品の中でも珍しいと思う。

 全体にノスタルジックなムードが漂うのも大江作品には珍しい。自分の周辺の人物らしき人物を多数登場させながら、壮大なホラ話になっている。描写はユーモラス、今では男目線と言える部分もあるかと思うけれど、若かりし日の性的冒険もあけすけに語られる。しかし一番印象に残るのは「谷間の村」の宇宙観である「永遠の夢の時(ジ・エターナル・ドリーム・タイム)」という感覚である。これを作者は作中で柳田国男を引用して「懐かしい年」と呼ぶ。僕らは何事かを成し遂げたが、また何事をも成し遂げずに世を去って行く。すべては循環する時の中にある。そういう感覚を共有する掛け替えのない友人の痛ましい人生。

 僕らは皆掛け替えのない友人や恋人と出会った「懐かしい年」を記憶していると思う。僕もまた何事をなし、何事を失敗したのか、「懐かしい年への手紙」を書きたいと思わせる。そんな心揺さぶられる小説で、大江文学史上一二を争う感動作ではないか。「コミューン」(共同体)への憧れを持った人なら、この優れた作品をじっくり読んで過去を総括して欲しいなと思う。
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「万延元年のフットボール」、性と暴力と想像力ー大江健三郎を読む②

2021年06月27日 20時44分41秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎の「万延元年のフットボール」は傑作で、大江健三郎の代表作とされている。ノーベル文学賞の対象作品でもある。もっとも僕はこの本を半世紀以上前の中学生の時に読んでいて、その時も凄いとは思ったものの判らないところが多かった。(それでも三島由紀夫仮面の告白」よりは判った感じがしたけど。)なんで中学生の時に読んだのかの個人的な思い出から書きたい。今は「ヤングアダルト」という分野が確立され、高校生直木賞なんかもある。しかし、半世紀前には「坊ちゃん」や芥川龍之介の次に読む本がなかった。
(今一番入手しやすい講談社文芸文庫版)
 北杜夫どくとるマンボウシリーズなどを読んだら、もう文庫本を自分で探すしかなかった。最新の小説として三島由紀夫大江健三郎が入っていた。学校で中学生向けの本を借りたくても、生徒急増期で僕の学校では図書室も教室として使われていた時代だった。確か朝日年鑑で「万延元年のフットボール」を知ったと思う。中央公論社の「日本の歴史」シリーズを持っていたので、本屋の方から売り込みがあったと思う。世界情勢だけでなく、後ろの方に文学賞などの情報もある。そこに最新の傑作は「万延元年のフットボール」だと出ていた。
 
 「万延元年のフットボール」は1967年1月から7月に「群像」に連載され、9月に刊行された。第3回谷崎潤一郎賞を(安部公房の戯曲「友達」とともに)受賞した。今に至るまで最年少受賞である。この書かれた年代、つまり「60年代」が本の中に息づいているのである。何が凄いのかはよく判らなかったけれど、僕は本を買って、読んで、凄いと思ったわけである。1971年に講談社文庫が創設されたとき、第一回配本に「万延元年のフットボール」もあった。その時に文庫も買ったのは、解説(松原新一)を読むためだったと思う。つまり判らないところを少しでも解消したかったのだ。その後半世紀読まなかった本を、今回ようやく読んだことになる。
(講談社文庫第一回配本の「万延元年のフットボール」)
 あらすじを書くと長くなるから細かい話は書かない。読んでみて「古さ」を感じるところがあった。最初は「マゾイズム」と書かれているのに驚いた。今の版を確かめてみると、さすがに「マゾヒズム」と直されている。主人公根所蜜三郎には障がいのある子どもが生まれたが、その子は「白痴」とか「精薄」(精神薄弱児の略)と書かれている。今じゃ使われない言葉だが、確かに60年代には使われていたと思う。全体的に政治状況がベースにあるので、それも今では通じにくい

 「万延元年」というのは、西暦1860年のことである。安政と文久にはさまれて、わずか一年しかなかった。細かくいうと1860年4月8日から1861年3月29日までである。安政7年3月3日(1860年3月24日)に「桜田門外の変」が起こり改元されたと言われる。「安政」時代には欧米との貿易が始まり、孝明天皇としては望ましくない元号だったのだろう。しかし、「万延」時代は短かすぎて知っている人は少なかった。その年が「60年安保の100年前」だと気付いたのが、まずアイディアの勝利である。その年に根所蜜三郎と弟鷹四が生まれた四国の山奥の村では、百姓一揆が起こり彼らの祖父の弟が指導者だったと伝えられていた。その祖父は弾圧を逃れて土佐から東京へ逃れたともいわれているが、詳細は不明とされる。

 この村は大江健三郎自身の生まれた愛媛県大瀬村(現内子町)を思わせる。初期からずっと書かれてきた村だが、江戸時代には大洲藩領で実際には万延元年に大一揆が起きたという史実はないようである。(なお「一揆」は当時の研究状況を反映して、村人による「抵抗運動」を指している。一揆勢が武装して藩権力に立ち向かうようなイメージは、現在の研究では否定されている。)100年前に起こった一揆の祖父とその弟が、村へ戻った蜜三郎と鷹四に重なる。鷹四は村の青年たちを組織しフットボールのチームを作る。100年を隔てた土俗と近代の重なりが「万延元年のフットボール」という卓抜なネーミングの由来である。ここはやはり「サッカー」ではダメだろう。「フットボール」という言葉の喚起力が作品を成立させている。
(単行本の「万延元年のフットボール」)
 それにしても作品を覆う「死のイメージ」に改めて驚いた。冒頭から異形な形で自殺した友人のイメージが蜜三郎につきまとっている。蜜三郎と妻の菜採子は障がい児が生まれて以来夫婦関係が壊れている。蜜三郎、鷹四の兄弟は本来5人兄妹だったが、長兄は戦死、次兄は戦後起こった朝鮮人集落との暴力事件の際に死んでいる。さらに妹も自殺し、戦時中の父の死にも不審がある。というように三浦哲郎の「忍ぶ川」「白夜を旅する人々」みたいな一族なのである。

 鷹四は安保反対デモに参加していた時に暴力に目覚めて、転向してデモ隊を襲う暴力団に加わる。その後は保守政治家が組織した「改悛した日本人」の一団として渡米し、放浪し、今帰国しようとしているが、帰国便が遅れている。そうやって始まる物語は、冒頭が非常に「晦渋」でなかなか内容に入れない。村では強制連行され森の伐採に従事していた朝鮮人の中で、土地を買い集めて実業家になった「スーパーマーケットの天皇」がいた。村にもスーパーが出来て他の店は皆借金を抱えている。鷹四は村に残る倉屋敷を「スーパーマーケットの天皇」に売り払う契約を勝手に結び、車で村へ向かう。安保闘争を通して鷹四の信奉者となった星男桃子という「親衛隊」も付き従っている。村でやり直そうと誘われた蜜三郎、菜摘子も村を訪れる。

 村で彼らの家を守っていたジンは、食べることを止められない巨女になっている。村では兄の死、祖父の弟などに関して蜜三郎と鷹四の記憶や見解はことごとく対立している。幼い頃に祖母からは「チョウソカベが来る」と恐怖をあおられる。洪水で橋が落ち、冬は雪に閉ざされる山奥の村で、ついに大事件が起きる。この「雪に閉ざされた村」の緊迫感は凄い。ミステリーみたいな設定だが、「全小説」の解説で尾崎真理子がトルコのノーベル賞作家オルハン・パムクの「」に言及している。僕も読んでいるときに、これは影響しているなと思った。
(ジョン・ベスター訳の英語版「The Silent Cry」)
 村で奇怪な出来事が起こっているのもガルシア=マルケスを思わせるが、世界に大きな影響を与えた「百年の孤独」が刊行されたのは1967年である。「万延元年のフットボール」と同じ年なので、影響関係はない。大江健三郎とガルシア=マルケスは同時に同じような作品世界を構想していたのである。これは両者ともにウィリアム・フォークナーの影響を受けているのだと思う。フォークナーはミシシッピ州をモデルにした架空の地で起きる「ヨクナパトーファ・サーガ」を書き続けたが、それに当たるのがガルシア=マルケスの「マコンド」や大江健三郎の「四国の森」である。

 村の青年たちが飼っていた鶏が寒さで死ぬ。そこから一気にカタストロフィに至る緊迫感は、日本文学史上に類例が思い浮かばないぐらいの迫力だった。それは短期的には60年代末の「性と暴力の革命」を予見した。しかし、今になってみれば、むしろこれは「ヘイトクライム」である。鷹四グループによってあおり立てられた村人は、朝鮮人経営のスーパーマーケットを略奪する。そこで積み重なった道徳的退廃が破滅をもたらす。鷹四と妹の秘密、祖父の弟の真実が明かされるとき、多くの犠牲を出した小説世界は未来へ向かってほのかな灯りをともして終わる。

 多くの人が死に、性と暴力に彩られた作品世界。間違いなく日本文学が世界文学に通じた作品だ。イマジネーションによって歴史と現在がつながり、未来を展望する。そして「60年安保」の10年後(「70年安保」)を目前にしていた時代精神に働きかける。そのような「性と暴力」を通して再生がもたらされる世界は、今読んでも迫力に満ちている。だけど、ジェンダー的、あるいは最新の歴史認識からは読み直しも可能かもしれない。僕はそこまで踏み込む元気はないけれど。大江作品を読むときは最初は初期の短編から初めるべきで、この作品からチャレンジするのは大変かもしれないなと思った。
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大江健三郎を読まなくなった頃ー大江健三郎を読む①

2021年06月25日 23時32分09秒 | 本 (日本文学)
 ここしばらく大江健三郎(1935~)を何十年ぶりかで読んでいる。というか、実は去年「日常生活の冒険」を再読し、一昨年頃に文庫で「河馬に噛まれる」「いかに木を殺すか」を読んだのだが、そこで途切れてしまったのである。僕は大江健三郎だけでなく、谷崎潤一郎ドストエフスキーなどもずっとずっと読みたいと思い続けてきた。何でかというと、「持っている」からだ。改めて買ったり借りたりする必要はなく、「今、そこにある本」なのである。そういう状態はもう何十年も続いてきた。いっぱいあって読み始めると時間が取られるから後回しにしてきたのである。でも、持っているんだから「読まずに死ねるか!」(by内藤陳)である。
(大江健三郎)
 まず最初に「僕はなぜ大江健三郎を読まないようになったのか」を書いておきたい。最近講談社から「大江健三郎全小説」が出て改めて注目された。また、新潮文庫には初期の短編を中心にずいぶん残っているし、講談社文芸文庫にもずいぶん入っている。だから今もそれなりに読まれているんだろうと思う。まあ世の中には川端康成を知らない人もいるんだから(テレビで見た某芸人は知らなかった)、大江健三郎の名前も知らない人もいるだろうけれど。

 それにしても1994年にはノーベル文学賞を受賞したわけだから、名前ぐらい知ってる人が多いだろう。読書家だったら、少しは読んでいるだろう。でも60年代、70年代には単なる小説家を越えて「政治の季節を熱く生きる」ための必読書だった。時代が違ってしまったから、今読み直すとどのように感じるのだろうか。僕は若い頃に大江作品のほとんどを読んでいた。知的で冒険的でイマジネーションをかき立て、さらに性的な描写に満ちていたのも大きい。若い文学ファンを魅了するアイテムがいっぱいだったのである。大江は21世紀になっても多くの長編小説を送り出した。文学賞は一作家一回という規定が多く、若い頃に多くの賞を取ってしまった大江の後期小説は文学賞を受けることがない。僕もその頃になると、全然読んでいない。でも買っていた
(デビュー当時の大江健三郎)
 何で読まなくなったのか。一番の理由は「仕事が忙しかった」ということだ。大江作品は長くて重いうえに、プロットが入り組んでいて、外国語がそのまま引用されたりして読みにくい。社会科の教員は常に本職に関係する本を読まないといけない。(社会科の全分野に精通している人はいないので、得意じゃないところを教えるときには関連の最新知識をインプットしないと不安なのである。)僕が読まなくなったのは、1987年の「懐かしい年への手紙」からである。その年は中学3年の担任をしていて、本が出た10月は私立高校の説明会が毎日のように行われる。僕は某高校へ向かうバスの中で読んでいて、これは今読んでられないと思った。そして高校のある終点まで寝てしまって、そこで一端読むのを中止したのである。以後は「懐かしい年への手紙」から再開したいと思って他の本は買ったままになった。(本は30年以上枕元に置かれていた。)

 しかし、忙しいだけが理由でもないだろう。それなら長期休業中に読めるはずだから。それは「大江健三郎に代わる作家」が現れたということだ。大江健三郎は東大在学中に芥川賞を受賞し、20代から世界に注目される作家だった。その時点では「青春の文学」だったのである。それが次第に変わっていった。それは当然のことで誰でも年齢を重ねて作風も変わっていく。だけど大江健三郎には特別な事情もあった。よく知られているように大江健三郎は高校時代の友人伊丹十三の妹ゆかりと結婚し、生まれた最初の子どもに障がいがあった。「個人的な体験」以後のほとんどの大江作品には、何らかの形でその体験が語られている。長男の大江光の成長とともに、大江文学は「親としての視点」が多くなり「中年文学」になっていった。20代、30代で子どものいなかった僕には村上春樹の世界の方が近くなったわけである。
(ノーベル賞授賞式に向かう大江健三郎と大江光)
 あまり語る人がいないのだが、大江健三郎と村上春樹の世界には共通点が多いと思う。青春の挫折と痛みを卓抜な奇想で描き出す共同体への憧れと絶望がテーマに見え隠れする、性や犯罪の描写を恐れず小説世界を展開するなどなど。いつも穴に落ち込む村上春樹だが、「万延元年のフットボール」を読めば、穴に落ちた最初の作家は大江健三郎だと判るはず。マジック・リアリズムとかグロテスク・リアリズムなどというのも、今では珍しくない手法になっているが、大江健三郎が日本初と言って良い。しかし、大江文学が「中年化」していくと、いつまでも青春している村上春樹の方が読みやすいから、それでいい気がしてしまう。かくして大江作品の新作は買っておくだけで、村上春樹の新作を延々と読み続けることになったのである。

 ノーベル文学賞を1994年に受けたということは、授賞対象作品はずっと前に書かれているわけである。僕が80年代後半に大江作品を読まなくなったのも、「すでに最高傑作は書かれている」と思ったからだ。それは「同時代ゲーム」(1979)である。これはかなり難しいし、方法的にも技巧を凝らしている。この頃から大江はそれまでにも増して「方法的関心」を強め(1978年に岩波現代選書から「小説の方法」を出している)、山口昌男、武満徹、中村雄二郎らと雑誌「へるめす」を出していた。そこに連載された「M/Tと森のフシギの物語」(1986)まで僕は読み続けたが、これは「同時代ゲーム」の完全なリライトだった。まあ「同時代ゲーム」が難しいと敬遠されたから語り直したらしいのだが、何だかもういいよと思ってしまったわけでもある。

 芸術家が年齢とともに「セルフ・リメイク」が多くなっていくのは避けられないのか。小津安二郎の晩年の映画は、娘(あるいは妹など)が「嫁」に行くことを延々と違う形で描き続け、よほど詳しい人でないとどれがどれだか判らない。画家なら終生のテーマを見つければ、「富士山の画家」「馬の画家」などともてはやされ、似たような絵に高値が付く。世界にそれ一枚しかないから、似ていても価値があるんだろう。作家の場合は印刷されて出回るから、似てると避けられる。(エンタメ作品のシリーズは別で、同じテイストじゃないと売れなくなる。)長く読んできた村上春樹作品も、最近は特に短編などデジャヴ感が強まっている。すでに最高傑作を書いてしまったということなんだろう。大江作品も障がいのある子ども、四国の森の不思議な力、外国文学のお勉強など似た感じが強まってしまったので敬遠したのである。

 大江健三郎は「戦後民主主義者」を自認し、核兵器原発問題に常に発言してきた。護憲平和主義者としての立場も常にはっきりさせてきた。だから保守派、右派には読まずに敬遠する人が多いと思う。一方、方法的に難しくなったから、ニュートラルな本好きでも避ける人がいる。「戦後民主主義」を批判した新左翼にも受けが悪い。政治的立場が同じ人でも直接の運動に関わらない大江文学を読まない人が多い。かつて本多勝一は文藝春秋や新潮社のような「右派出版社」から出し続ける大江を批判していたものだ。これは「純文学」雑誌が、新潮(新潮社)、文學界(文藝春秋)、群像(講談社)、すばる(集英社)、それと季刊になった文藝の(河出書房)しかないのだから、小説家にとってはやむを得ないと思う。(昔は中央公論社の「海」や福武書店の「海燕」があったものだが。)性や犯罪の描写も激しいから、それで読みたくない人も多いだろう。

 かくして今や「有名だけど読まれてない」作家になっているのではないか。それはある意味石原慎太郎も同じかもしれないが。僕は今回、大江健三郎を読み直す前に開高健石原慎太郎を読んでみた。文学的現在地の感覚を昔に戻すために。60年代初期にはこの3人が最新の文学だった。その後立場は別れていくが、当時持っていた意味を思い出すことも意味があると思う。同時に石原慎太郎ばかりでなく、大江健三郎もジェンダーやセクシャル・マイノリティ、病気や障がいの語り方などを検討する必要がある。半世紀以上経つと、我々の認識もそれなりに深まり変化してきているのだから。読み始めると長くなって、今後時々書き続けるつもり。今度は途中で挫折せずに読み切るのを目指している。
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辻原登「卍どもえ」、女と男の性愛と陥穽

2021年05月16日 22時07分09秒 | 本 (日本文学)
 一昨日から辻原登卍どもえ」を読みふけっていた。2017年から2019年にかけて「中央公論」に連載され、2020年1月に刊行された本。辻原登は僕が大好きな作家で、今まで何回も書いてきた。何でこんなに面白いんだろうと思う作品が多い。読み始めたら途中で止められない。450ページもある単行本が重くて一年間放っておいたが、もっと早く読めば良かった。

 辻原作品では歴史に材を取ったものも多いが、今度の「卍どもえ」は現代が舞台になっている。現代と言っても2007年ごろだが、時間をさかのぼったり世界を駆け回ったり、ずいぶん作品世界が広い。登場人物も多くて、誰だっけと前を読み返したりするが、それぞれの人物が流れるように人生の変転を経験していく。その様が美味しい蕎麦をツルツル食べちゃうように読み進めてしまう。最後になって、男の人生には「陥穽」(かんせい=落とし穴)が潜んでいることが判る。

 一方、女の人生にも思わざる出会いが起こる。それは新しいセクシャリティの目覚め、もっとはっきり言えば「同性愛」、つまりレズビアンの世界である。男性作家が女性の同性愛を描くといえば、谷崎潤一郎」で、題名はそこから来るのだろう。真性のレズビアンよりも「バイセクシャル」が多く、女と男ばかりでなく、女どうしの複雑な駆け引きや心の揺らぎも興味深い。ただセクシャリティだけでなく、むしろ経済や社会状況などの描写こそ面白いかもしれない。
(辻原登)
 辻原作品で現代を描くときは「寂しい丘で狩りをする」「冬の旅」「籠の鸚鵡」のように「犯罪」が描かれることが多い。しかし、「卍どもえ」は成功者の世界を描く。アート・ディレクター瓜生甫(うりゅう・はじめ)とその妻ちづるが第一章の中心人物である。瓜生甫は博報堂に勤めた後、独立して青山に自分の事務所を開いて成功した。今はスクーバダイビングに熱中していて、夫婦仲は悪くはないが生活はすれ違い。セックス相手も複数いる。一方、千鶴は同窓会で教えて貰ったネイルサロンで塩田可奈子と知り合い、新しい性愛の世界を知る。

 第2章になると、中子脩毬子夫妻が登場する。中子夫妻が逗子の高級住宅地に新築した家に瓜生夫妻が招待される。中子毬子は近畿日本ツーリストに長く勤めていて、瓜生が海外で仕事をするときに旅行の企画を頼んで知り合った。住宅の新築に建築士を紹介した間柄である。毬子の夫、脩はかつて商社に勤めていて東南アジアではずいぶん遊んだ過去もある。二人はロスで知り合い結婚したが、ある事件で脩は商社を退職した。その後フィリピンで英会話学校を作る仕事で成功して、今度は大阪にも分校を開く予定。

 こんな筋書きみたいなことをいくら書いても面白さは伝わらない。現実に起こった出来事、地下鉄サリン事件や渋谷の松濤温泉爆発事故(2007年6月19日)、さらにロッキード事件日中戦争などが登場人物と意外な関係を持っている。瓜生は世界陸上ドイツ大会のエンブレムを狙っている。(それは思わぬ展開を見せ、似たようなケースを思わせる。)中子はフィリピンの上院議員の娘と関係を持ち、いずれは共同経営者にしようと思っている。男は「野心」に燃えて、欲望も昂進するのだが…。男の世界の裏で、女たちも結託し性愛だけでなくはかりごともめぐらす。
 
 東京(青山、渋谷、赤坂等)、横浜(ホテル・ニューグランド、市営地下鉄)、大阪京都に加え、フィリピンタイアメリカモロッコなど日本、世界のあちこちが出て来る。さらによく食べ、よく飲む。デートのガイドブックとしても使えそうな情報も多い。横浜駅東口から山下公園まで水上バスが出ているなんて僕は知らなかった。大井競馬場トゥインクルレース(ナイター競馬)も行ったことがないから興味深かった。

 いつものように(「寂しい丘で狩りをする」に次ぎ)映画の話題も多い。「フライド・グリーン・トマト」や成瀬巳喜男の「浮雲」「流れる」などは、作品と密接に関係している。それ以外にも何十本も出てくる。そもそも「雑談」が多い。数多い登場人物が話題豊富で、映画や旅、お酒などの話をひっきりなしにしている。時間軸も地理的情報も人間関係も複雑だが、その雑談的おしゃべり、特に映画の話題が興味深い。だが、やはり一番描かれているのは、「人間にとって性愛とはどんなものか」ということだ。お金や情報も大事だが、最後は「人間の尊厳」が人を支えている。
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姫野カオルコ「彼女は頭が悪いから」を読む

2021年05月04日 22時45分30秒 | 本 (日本文学)
 姫野カオルコ彼女は頭が悪いから」が文春文庫に入ったから、早速買って読んでみた。2018年7月に出たときは、ずいぶん話題になった本だ。かなり厚いし(文庫本で550ページぐらい)、「嫌な本」に決まってるから文庫で読めばいいやと待っていた。もちろん「嫌な本」だったし、僕には疑問もある。だけど、この読後の嫌な気分はまさに現代日本に根差しているものだから、読んで置くべき本だ。それは本を読んだときの感動とは違う種類のもので、カテゴリーも小説だから一応「日本文学」にしたが、「世の中の出来事」にすべきかもしれない。

 文庫に書かれている紹介。「郊外生まれで公立育ちの女子大生・美咲と、都心生まれで国立大付属から東大に入ったつばさ。育った環境も考え方も異なる二人が出会い、恋におちた結果……東大生5人による強制わいせつ事件となり、被害者の美咲が勘違い女として世間から誹謗中傷される。現代社会に潜む病理を浮き彫りにした傑作。第32回柴田錬三郎賞受賞。」

 さらに帯を見ると、「あんたネタ枠ですから!」「被害者の美咲は東大生の将来をダメにした“勘違い女”なのか? 現代人の内なる差別意識に切り込んだ問題作!」「あんたの大学で、あんたの顔で、あんたのスタイルで……思い上がりっすよ。」と書かれている。これは現実に起こった事件にインスパイアされて書かれた小説だが、ノンフィクションノベルではない。取材によって現実を再現するのではなく、ここで描かれる人物はあくまでも創作である。美咲は神奈川県の進学校・藤尾高校から水谷女子大へ進んだ。そんな学校はない。でも、理解出来る。

 水谷女子大は東京都文京区と横浜市瀬谷区にキャンパスがある。文京キャンパスで開かれた入学式で、ある女性教授が式辞を述べる。文京区にあるお茶の水女子大日本女子大に対し、みんな判っているように水谷女子大は一番偏差値が低い、と。この教授は後で思いがけぬ時に登場するので注意しておく方がいい。美咲は教授が言ったことに納得し、電車内で化粧はしない。水谷女子大でもふとした偶然で出会った近くの横浜教育大(架空)の学生たちと知り合うが、何故か友だちはカップルになるけど美咲は縁遠い。ホント、何故なんだろうって思う。
(姫野カオルコ)
 この小説の特徴は、「神立(かんだつ)美咲」と「竹内つばさ」を高校時代から描いてゆくこと。すれ違ったこともあった。さらに家庭環境を祖父母にさかのぼって描く。他の東大生も、また他大学や高校時代の知り合いも多く出て来る。ミステリー小説のように「登場人物一覧表」が欲しいところだ。大学でも日芸(日大芸術学部)やSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)、東京女子大などの学生が出て来る。それらの大学の「記号学」、つまり首都圏で偏差値、経済力など、どの程度のレベルとみなされているかの予備知識がないと判りにくい。でもどこの世界にも上下格差は作られているから、ニュアンスで理解可能だろう。

 なんで親以前にさかのぼって描くかと言えば、「東大生」は「製造物」だから、「製造物責任者」を知らないと理解出来ないからだ。それは「格差」と言ってもいいが、もはや「分断」されきっていて、今さら変えられない世界だ。だから有利に生きていくしかなく、無意味なノイズを人生からシャットアウトしなければならない。しかし若い男として性欲は旺盛だから、「東大生目当て」に「自分からパンツを脱ぐ女」を確保したい。それだけなら、彼らは単に「嫌なヤツ」で済んだだろうが、彼らはそれを「組織化」することを考え「星座研究会」なるサークルを立ち上げる。男は東大、女はお茶大と水大。ここら辺が怪しくて気持ち悪い。

 つばさは「横浜教育大付属」から東大に進むが、その時点で「パドルテニス」をやってる。僕は知らなかったが、アメリカ生まれのニュースポーツである。協会のサイトを見ると、「サッカーとフットサル」と同じような感じのテニス版だと出ている。新規の団体だから学校では同好会扱いで、だから近くの藤尾高校の女子がマネージャーになるのが慣例となっている。この女子マネは実名と別に「朝倉」と「」と呼ばれることになっている。(これは漫画「タッチ」から。)

 この辺の描写から見えてくる「ホモソーシャル」な組織の気持ち悪さ。そもそも男には「学力」とともに「運動神経」という評価軸がある。東大はAO入試では入れないから、部活一辺倒ではなく勉強しなくてはいけない。大体勉強がすごく出来る生徒は、スポーツ系じゃないことが多い。しかし、「東大に入って、さらに女にモテる」を達成するためには、「スポーツをしていた」経歴も有利となる。兄が運動音痴なつばさは、そこでパドルテニスという新しくて、ゆるそうなスポーツに目を付ける。そこら辺の事情があからさまに語られる。

 女子の事情はもっとシビアに語られるが、ここでは僕は書かない。直接本書で読んで欲しい。一言で言えば、あからさまに描かれすぎて「イタい」を通り越して、リストカットを繰り返しているような小説。だから面白いかと言えば、どうなんだろうか。確かに一気読みしてしまうが、結果は判り切っている。そして姫野カオルコの小説には多いのだが、説明が多すぎる。説明を少なくして主人公の心情を浮かび上がらせるのではなく、司馬遼太郎の小説のように登場人物が作者の手の中で動いて行くのである。そこにどうしても引っ掛かるのが正直なところ。

 だから何だか「情報小説」を読んだみたいな読後感になる。登場人物はすれ違ったままで、何も変わらない。人物が作家の手を離れて自立してしまうのが優れた小説を読む楽しみだとすれば、この小説は「考える素材」だろう。なんですれ違ったままなのか。ここで出て来る「東大生」の方が「勘違い」人生を送っているのだが、そこを最後まで理解出来ない。「美咲」の方も今後どうなっていくのか描かれない。正直、美咲が「善人」すぎてもどかしい。なんでカレシが出来ないのか、僕には全く理解出来ない。だが、人生は確かにそういうもんだった。なお、「東大生」は一つの記号である。現実の東大卒業生は何人も知ってるが、「勘違い」している方が少ないだろう。
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石原慎太郎「太陽の季節」「星と舵」などを読んでみた

2021年04月20日 23時22分30秒 | 本 (日本文学)
 読んでおきたいと思っている本がある。「カラマーゾフの兄弟」とか「失われた時を求めて」ではない。どっちも持っているけど、長いから何年も手を付けていない。「資本論」とか「プロ倫」(マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)でもない。まあ、これらはもういいかと思っている。僕が言っているのは「アンネの日記改訂新版」や「カサノヴァ回想録」、ソルジェニーツィンの「収容所群島」、吉川英治「宮本武蔵」なんかである。どれも持ってはいるのである。これらの本は「読んでますよ」と「」マークを押してしまいたいのである。

 そんな本の中に石原慎太郎太陽の季節」があった。いや、これは文学史を超えた社会的事件だったから、読書好き、歴史好きなら読んでおくべき本だろう。そう思うんだけど、そう思ってから半世紀読まなかった。僕が持っているのは、「新潮日本文学」という一人一巻を割り当てた全64巻全集の第62巻「石原慎太郎集」である。刊行されたのは1969年5月だが、それじゃ中学時代だから多分もう少し後の高校時代に買ったと思う。ちなみに定価700円。

 先の日本文学全集の63巻は開高健、64巻は大江健三郎だった。つまり60年代末において、石原、開高、大江が最新の日本文学だったのである。しかし、石原慎太郎は1968年の参議院選挙で、自民党から全国区に出馬して300万票を超える得票で当選していた。だから僕が本を買った時点ですでに政治家だった。1972年に衆議院に転じ、1975年には都知事選に立候補、三選を目指した美濃部亮吉に敗北。その後衆議院に戻って、自民党内でも右派に属して活動。環境庁長官運輸大臣も務めた。そういう右派系政治家の本はなかなか手に取る気にはなれない。
(2012年に都知事を辞任する時)
 1999年から2012年にかけて石原慎太郎は東京都知事だった。給与明細を見ると、給与支払者が石原慎太郎だった。ますます読む気にならない。しかし、それもずいぶん昔の話で、開高健を読み直した今となっては、そろそろ石原慎太郎も読んでおきたい。そう思ったわけだが、上下2段組で430ページ以上あって、長い。半分ぐらいが「星と舵」(1965)というヨットレースに臨む長編で、もう一つ「行為と死」(1964)という長編が入っている。他に「太陽の季節」「処刑の部屋」「完全な遊戯」「乾いた花」「待伏せ」の5短編が収録されている。全部政治家になる前の作品。

 これを読んで判ったのは、石原慎太郎は短編作家である。長編は面白くないし、短編の集まりみたいな作品だ。しかし、文章的には今もなお古びてない。戦後派の作品などを読むと、今ではもう文章が古いと感じる時がある。やはり石原慎太郎で変わったのである。開高健や大江健三郎の先駆けだったのは間違いない。文体的に今も文学史的価値を持っている。ただ相当に内容に問題ありだ。「栴檀は双葉より芳し」の正反対で、やはり石原慎太郎は若い頃から性差別的であり、権威主義的な香りが漂っている。

 「太陽の季節」は高校生の話なので驚いた。今では書けないかもしれない。石原慎太郎の作品は、弟の石原裕次郎主演でたくさん映画化された。「性と暴力」に明け暮れるイメージが作られ「太陽族」という言葉が生まれた。倫理無き若者たちの生態をヴィヴィッドに描き出し、面白いには面白い。しかし、無理に「反倫理」にしている気がしないでもない。敗戦と占領を若くして経験した世代ととして、虚無感反逆心を持ったに違いない。だがそのような思いを形にするときに、自我にとって真に切実な描き方になっているか。

 「太陽の季節」は石原慎太郎の実体験ではない。神奈川県立湘南高校から一橋大学に進学した石原慎太郎は、当然高校時代は受験勉強したはずだ。一方弟の裕次郎は、逗子中学から慶応義塾高校を受験して失敗、慶応義塾農業高校に進んだ。そんな高校があったのかと思ったら、今の慶応志木の前身だった。途中で慶応高校に転じ、慶応大学に内部進学した。相当の放蕩生活を送ったとされ、裕次郎から聞いた放蕩する高校生のエピソードから「太陽の季節」が生まれたらしい。その意味で「受け狙い」的な感じを受けてしまうのである。

 文学は道徳ではないから、主人公が反倫理的であっても構わない。人間性の中には「」もあるし、「自己逃避」や「歪曲」もある。若い世代が主人公だから、無知や臆病も当然ある。人間は肉体を生きているんだから、「暴力」や「」を真っ正面からテーマとするのは正しい。頭で考えたような行動をする人間では文学にならない。そうなんだけど「完全な遊戯」はやり過ぎだろう。「処刑の部屋」もそうだが、世の中には「レイプ」という現実もあるが、「準強制性交等罪」をここまで読まされると辛くなる。「準」の付く意味は自分で調べて欲しい。
(若き日の慎太郎と裕次郎)
 「行為と死」は発表当時性描写が議論を呼んだという。しかし、今読むとそれほどではない。むしろ「スエズ動乱」を背景に、エジプト女性と人生を賭けた恋をしたという設定に驚いた。イスラム教が身近な存在じゃなかったんだろう。いや、当時のアラブ民族主義が燃えさかった時代には、イスラム教と社会主義が両立するという主張もあったぐらいで、日本人(一応仏教徒として多神教徒)と対等な恋をすることも無かったとは言えないのかも。その想い出を胸に、帰ってきた日本で不毛の愛に耽る主人公の男。どうも純文学と娯楽小説の中間の感触。

 「星と舵」はトランスパック・ヨットレースというロサンゼルスからホノルルを目指す外洋レースに参加した日本艇を描く。しかし、レースになるまでが長く、そこはほとんど女の話。ヒマなときにメキシコまで売春婦を買いに出掛けるぐらい。行きの飛行機では、機長室まで招待され一緒に女の話をする。おかしいだろ、いくら何でも。ヨット自体が「女」の象徴とされ、まさに「処女航海」を楽しげに語る男たちのクルー。男だけのスポーツの結びつきが、いかに「ホモソーシャル」な言説空間になるか。ある意味、歴史的に貴重な文献かと思うけど、今となっては居心地悪い。

 もう90歳近い石原慎太郎だが、今年になって「男の業の物語」なんて本を書いている。「男が「男」である証とは。自己犠牲、執念、友情、死に様、責任、自負、挫折、情熱、変節…… 男だけが理解し、共感し、歓び、笑い、泣くことのできる世界。そこには女には絶対にあり得ない何かがある。」んだそうである。まさに「栴檀は双葉より芳し」の正反対というゆえんである。 国会議員となってもずいぶん本を書き、「化石の森」「秘祭」「生還」などかなり評価された。読んでもいいんだけど、探すのも面倒だしもういいか。

 短編の「乾いた花」は篠田正浩監督の映画の原作。これは面白かった。まあ映画を見ている人は、池部良、加賀まりこの顔が浮かんでしまうけれど。今は初期短編も文庫から消えているのが多いので、「石原慎太郎映画化短編傑作選」という文庫をどこかで出してもいいと思う。最後に言えば、60年代は安部公房遠藤周作大江健三郎などのノーベル賞レベルの作品が書かれていた時代だ。僕も若い頃に「砂の女」「沈黙」「万延元年のフットボール」などを読んでいる。あえて石原慎太郎を読む必要が無かったわけだと今回思った次第。
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面白くて深い「評伝 開高健」ー開高健を読む④

2021年02月23日 22時51分09秒 | 本 (日本文学)
 開高健に関して4回書いたので、一端お休み。まだ読んでない本もあり、書きたいスピンオフもあるから少し後で再開予定。2017年に出た小玉武評伝 開高健ー生きた、書いた、ぶつかった!」が2020年10月にちくま文庫に入った。そこで今回読んでみたが、ここ最近読んだ本の中では圧倒的に面白かった。読み終わるのが惜しくなって、他の本と掛け持ちで読んだぐらいだ。開高健も逝去から時間が経って関係者の多くも亡くなりつつある。そのため失われたものも多いが、逆に新資料や新証言も集まるようになったのだろう。

 前回までに芥川賞受賞サントリー宣伝部の話は書いた。今度の本は評伝だから、生育や文学修行時代が初めに追跡される。そこは今細かく書かないが、小学校教員だった父親が1943年に急死して、13歳の健が「戸主」となって空襲下の大阪を生き延びたのである。妹二人は疎開したものの、母と健は残っていた。学校はもはや授業ではなく、勤労動員に明け暮れた。操車場で大人に交じって働き、機銃掃射にもあった。敗戦後は貧困の中を何とか生き延びた。

 それらの体験は後に「青い月曜日」などで書かれたが、出発時の開高健は決して焼け跡時代の思い出を叙情的には書かなかった。苛酷な戦争体験は開高健を「日本的叙情」から遠ざけたのである。初期短編は「自我」の外側にテーマを設定している。「パニック」はネズミの大発生、「巨人と玩具」はお菓子会社の宣伝競争、「流亡記」に至っては秦・始皇帝の万里の長城建設をテーマにしている。それらはもちろん「現代」と「人間」を考える仕掛けだが、幼児期や恋愛・失恋の思い出を甘く語るような「青春文学」ではない。
(開高健と牧羊子)
 開高健にとって、牧羊子と出会い、サントリー(寿屋)に入社したことが人生を決めたが、その経緯が細かく検討される。開高健は晩年にテレビCMに出たときは、ずいぶん太っていた。しかし、結婚当時の写真を見ると痩身の文学青年である。東京に出てきて「裸の王様」で芥川賞を受けたが、仕事と家庭を抱えながらではすぐにアイディアが枯渇する。「文學界」への受賞第一作が書けずに、「群像」から書き直しを求められていた「なまけもの」を流用した。以後「群像」(講談社)と絶縁された。「開高健短編選」にある「なまけもの」は自伝的作品だが失敗作だろう。

 この評伝はいくつかの作品を読んでないと面白くないだろう。それを挙げれば「日本三文オペラ」「輝ける闇」「夏の闇」「オーパ!」だ。苦闘する開高健が挑んだのは、地元の大阪を舞台にした「日本三文オペラ」(1959)だった。これは大阪城近くの砲兵工廠跡に残された金属を盗み出そうとする集団を描くピカレスク(悪漢)小説である。小松左京日本アパッチ族」や梁石日(ヤン・ソギル)の「夜を賭けて」と同じ題材である。つまり主人公は本当は在日朝鮮人だった。開高は牧羊子を通して、詩人金時鐘や後の作家梁石日に取材したのである。
(小玉武氏)
 全部書いてると終わらないが、一段の凄みを感じたのは「夏の闇」をめぐる考察である。これはどことも知れぬヨーロッパの町(明示されてないだけで明らかにパリやベルリン)で、過去の因縁を抱えた女と性に耽溺するある夏の話である。小説だから「事実」である必要はないが、その「熱」には現実のモデルがいたのだろうか。年上の妻を持つ作家は外国で妻ならぬ女性と関係を持っていたのか。どのような事情が背景にはあるのだろうか。そこを追跡していくと、様々な事実が発掘される。「文学探偵」の妙味だが、それは哀切なエピソードだったと言えるだろう。

 細かいところは本書に譲るが、開高没後に娘道子妻初子(牧羊子)に訪れた運命も哀切なものだった。僕も新聞で訃報を読んで絶句した思い出があるが、事情を知って言葉を失う。そして開高自身も59歳と早死にだった。石原慎太郎や大江健三郎が今もなお存命であるだけでなく活動もしていることを思えば、開高健が今も現役作家であってもおかしくはないのだ。1930年生まれ、1989年没と日本の元号で言えば、ほぼ「昭和」を生きたと言ってよい。冷戦終結、バブル崩壊を前に亡くなったのである。

 そして著者は恐るべき指摘をしている。ヴェトナムを共に取材した朝日のカメラマン秋元啓一も49歳で亡くなった。死因も同じ食道がんだった。これはヴェトナム戦線取材時に浴びた「枯葉剤」、つまりダイオキシンの影響なのではないか。それは今では確かめられない。開高は喫煙家だったし、がんの原因は誰にも判らない。しかし、戦後を駆け抜けて去って行った作家には、その幅広い活動の中でそんな指摘もあるということだ。
(左から開高、佐治敬三、山崎正和、高坂正堯)
 なお、著者は「日本三文オペラ」の考察の中で、梁石日の原作を映画化した崔洋一監督の「月はどっちに出ている」を岩波ホールで見たと書いているが、それは明らかな勘違いである。「月はどっちに出ている」は1993年11月6日に公開され、自分は11月20日に「新宿ピカデリー2」で見た。(記録を付けているから確か。その日は先に中国映画「香魂女」をテアトル新宿で見た。)その時岩波ホールではシンシア・スコット監督「森の中の淑女」という「老女映画」が大ヒットしていた。9月4日から12月10日まで上映され、翌94年の3月19日から6月10日まで再上映されたぐらいのヒットだった。岩波ホールのホームページには過去の全上映記録が掲載されている。
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開高健のサントリー時代ー開高健を読む③

2021年02月22日 23時21分59秒 | 本 (日本文学)
 開高健寿屋宣伝部に勤めていたことは芥川賞受賞時から有名だった。「寿屋」は現在のサントリーだが、戦前来宣伝広告の上手な会社だった。僕も昔のウイスキーやビールのCMをよく覚えている。現在もビールの「金麦」や缶コーヒーの「BOSS」など有名だろう。またサントリー宣伝部には芥川賞作家の開高健だけでなく、1963年に「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞した山口瞳もいた。そんなサントリーで開高健はどのように働いていたのだろうか。
(『洋酒天国』とその時代)
 それがよく判る本が小玉武『洋酒天国』とその時代」(ちくま文庫)である。2007年に出て、織田作之助賞を受けた。小玉氏はサントリー宣伝部で開高、山口の後輩として働いた人物だが、単なる会社員ではない。早稲田大学新聞部では在学中に大隈講堂で開高健、大江健三郎の講演会を実施して、学生時代から開高を知っていた。サントリーでは広報部長、文化事業部長を歴任し、「サントリー・クォータリー」を創刊し編集長を長く務めた。サントリーの文化的な面を伝えるには絶好のポジションにいた。本来は「小玉武を読む」だけど、まあ「開高健を読む」として書く。

 開高健は作家活動を続けながら、本業としては芥川賞受賞前から雑誌「洋酒天国」の編集長をしていた。この雑誌は知る人ぞ知る存在で、僕も名前を聞いたことはあった。1956年に創刊され、1963年に休刊したから、もちろん読んだことはない。そもそも市販した雑誌ではなく、サントリーが全国展開した「トリスバー」の常連に無料で配られた宣伝雑誌である。それがいかに都会的でオシャレで知的好奇心に満ちた雑誌だったかは、小玉著に余すところなく書かれている。僕の時代でいえば「面白半分」とか「ビックリハウス」みたいなものか。僕の世代だとトリスバーそのものを知らないんだけど、時代相は何となく通じる。

 そして1961年1月に新聞広告のコピーで開高健の最高傑作が生まれる。
 「人間」らしく
 やりたいナ

 トリスを飲んで
 「人間」らしく
 やりたいナ

 「人間」なんだからナ (「ナ」は小文字)

 トリスを飲むことが「人間らしく」あった時代だった。もっと時代が後になるが、70年代には「ネスカフェ ゴールドブレンド」のテレビCMで著名人が「違いのわかる男」と呼ばれていた。今ならば違いが分かる「人」は、自分で豆を選ぶところから始めるだろう。だから、日本はまだ貧しかったのだが、欧米に憧れる洋風の生活がウイスキーやコーヒーからスタートしたのである。
(柳原良平作の「アンクルトリス」)
 では開高健はなぜ寿屋に入社したのか。それは妻の詩人・牧羊子(本名初子)との入れ替わりだった。7歳年上の牧羊子とは、大阪の同人雑誌で知り合って学生時代に同棲して子どもが出来た。牧羊子は当時珍しい「リケジョ」で、寿屋の実験室で働いていた。二代目社長になる佐治敬三は自分の趣味のような「ホームサイエンス」という雑誌を作っていた。それはアイディアが早過ぎて売れなかったけれど、牧羊子も編集に加わっていた。そして開高健にコピーを書かせて買い取ったりしてた。1954年2月に正式に入社し、代わりにその時に牧羊子が退社した。

 だから大阪で勤め始めたのである。最初は全国を営業で回ったり、労働組合でも活躍するなどしていた。そのようなことは小玉氏だからこそ、サントリーの内情が調査できたのだろう。そして今も使われる「アンクルトリス」を生み出した柳原良平や遅れて中途入社した山口瞳ら多士済々の顔ぶれが集結して、独自の社風の中ではつらつと活躍する。この本はまさに高度成長期の「多幸感」がいっぱい詰まっていて、読む側も面白い時代だなあと感じ入るしかない。開高、山口は後にサントリーの70年史を書いているぐらいだ。正式の社史の中に小説みたいな叙述がある。今では山口瞳・開高健「やってみなはれ みとくんなはれ」として新潮文庫に入っている。

 それを読むと、創業者の鳥井信治郎が傑物だった。そして宣伝の巧みさは昔からだった。有名な「赤玉ポートワイン」のポスターは一度は見たことがあるだろう。(この製品は今も「赤玉スイートワイン」の名で売られている。ポートワインはポルトガルのポルトということだから、クレームが寄せられたという。)鳥居の長男吉太郎が31歳で亡くなり、次男の佐治敬三(名前だけ親族の姓を名乗っていた)が後継となった。佐治敬三は独自の文化人的経営者で生前は誰もが知っている人だった。開高とは終生の友人となった。東京にはサントリーホールやサントリー美術館があり、サントリーの文化事業の恩恵を受けている。
(赤玉ポートワインの広告)
 僕は開高健があんなに世界を飛びまわり、ヴェトナムで従軍したりしたから、当然ながら60年代初期に退社して作家に専念したのだと思っていた。それが実は間違いだったことが小玉著でよく判る。サントリーは確かに従業員の社外活動に許容的だったが、忙しくて遅刻すれば給与をキッチリ差し引いたという。そのため「サン・アド」という別会社を作って開高健も非常勤取締役となった。80年代初期には出版社の「TBSブリタニカ」にサントリーが出資し、開高も関わった。「ニューズウィーク日本版」などの発足に尽力したのだという。この会社は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(ヴォーゲル)や「不確実性の時代」(ガルブレイス)をヒットさせた会社である。

 「『洋酒天国』とその時代」はただサントリー文化人に止まらず、植草甚一や山本周五郎などの興味深いエピソードが詰まっている。自分が前に記事を書いた「夜の蝶」や大岡昇平「花影」をめぐる問題も書かれている。「戦後酒場史」であり「戦後文壇史」でもある。貴重な名著だが、やはり一読して脳裏に印象付けられるのは開高健ではないか。
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開高健の短編を読み直すー開高健を読む②

2021年02月21日 23時16分44秒 | 本 (日本文学)
 開高健の最高傑作は、間違いなく「輝ける闇」(1968)と「夏の闇」(1972)だが、今回は長編は読み直さない。2019年1月に大岡玲編「開高健短編選」が岩波文庫に収録されたが、560頁を超える厚い文庫本なので、なかなか読む気になれなかった。2020年12月に集英社文庫で「流亡記/歩く影たち」が刊行されたので、合わせて読んでみたわけである。デビュー頃の作品はほぼ半世紀以来、後期の作品は刊行当時にリアルタイムで読んだから30年ぶりぐらいの再読だ。
(開高健短編選)
 開高健は1958年1月に「裸の王様」で芥川賞を受賞した。その当時は寿屋(現サントリー)に勤務しながら、短編を書いていた。1957年8月に「パニック」を「新日本文学」に発表して評価され、文藝春秋の文芸誌「文學界」10月号に「巨人と玩具」、12月号に「裸の王様」を発表した。「新日本文学」は左翼系文学団体の新日本文学会の機関誌である。開高は寿屋の「洋酒天国」の編集をしていて、1956年11月に大阪から東京へ出てきたばかり。「パニック」は以前から交友があった文芸評論家佐々木基一に託したら「新日本文学」に掲載されたのである。

 「文學界」編集長が注目し、続けて短編を依頼され芥川賞候補にもなった。同期の有力候補には大江健三郎死者の奢り」があり、東大の学生作家大江が注目されたが、結局開高が受賞した。大江健三郎も次回(58年7月)に「飼育」で芥川賞を受賞する。1956年1月には石原慎太郎太陽の季節」が芥川賞を受賞していた。芥川賞が社会的に注目されるのは、その頃からである。1956年7月発表の「経済白書」は、「もはや戦後ではない」と記述して流行語になった。時代の変化に合わせたかのように、文学界に新しい世代が続々と登場したのである。

 今の若い人には感覚がつかめないと思うので、少し詳しく当時の事情を書いている。これらの「若い世代」はお互いにつながってもいた。1958年に岸信介内閣が国会に提出した「警察官職務執行法改正案」は女性週刊誌が「デートもできない警職法」と書き、国民的な反対運動が起こった。その時に石原慎太郎谷川俊太郎永六輔らが「若い日本の会」を結成した。彼らは「60年安保」にも反対した。参加したメンバーに開高健大江健三郎もいたが、他にも黛敏郎寺山修司江藤淳浅利慶太羽仁進武満徹などそうそうたる顔ぶれが揃っている。石原慎太郎、江藤淳、黛敏郎など後に右の論客になる人たちも、その時は「若い世代」だった。

 僕がどうして同世代じゃないのに書けるかというと、岩波新書の中村光夫日本の現代小説」を中学生で読んで文壇的知識を得たからだ。今では2年か3年もすれば文庫になるが、当時は文庫に入るまで時間が掛かった。70年頃に「文学青年」になったので、最新の日本小説は大江か開高、その上の三島、安部公房なんかだった。若い世代向けの小説なんてなかった時代だから、三島由紀夫潮騒」とか大江健三郎セヴンティーン」なんかを読んだのだ。そして開高健の初期短編を読んだけど、確かに新しかった。日本的な「私小説」でもなく、日本軍の横暴や革命運動の挫折を描く小説でもなかった。「組織の中の個」を描く新時代の小説だった。

 学生だった石原、大江と違って、開高健はデビュー時にすでに「会社員」だった。その経験が違いを生んだのだろう。「パニック」は120年に一度のササの開花でネズミが大繁殖したことで、人間社会が大パニックになる様を風刺している。「巨人と玩具」は製菓会社の宣伝競争、「裸の王様」は子ども向け画塾を舞台に、抑圧された子どもの魂の解放をテーマにした。未だに他の誰とも違った独自の世界だと思う。でも、はっきり言えば、ずいぶん古い感じもした。「戦後」も75年以上経つ今となっては、「戦後12年」で書かれた短編群は認識の枠組がずいぶん昔風なのだ。

 「巨人と玩具」は1958年に大映で映画化された。増村保造監督によるスピーディな演出は今見ても面白く、当時ベストテン10位になった。映画では「ワールド製菓」のキャラメル販売戦略が興味深く描かれていて、僕は映画で使われたコマーシャルソングを覚えているぐらいだ。ところがビックリしたことに、小説では「サムソン製菓」だった。そして映画には出て来ない時代分析や商品宣伝の仕掛けが事細かに分析される。案外観念的な小説だった。それは、いかにも「戦後小説」的な感じがする。僕が昔読んで「新しい」と思ったものが、今読むともう古びて見える。
(流亡記/歩く影たち)
 開高健の短編小説をずっと読むと、やはりヴェトナム体験で文体も変わったと思う。日本では一時「行方不明」と伝えられるぐらいの激戦に巻き込まれた。またサイゴンで秘密警察長官が裁判なしで「ベトコン」青年を銃殺するシーンも見た。解放戦線側の爆弾テロで日本の特派員が死んだところも見た。確かに人生が変わるような体験だ。そういう体験を通過して書かれた後期の短編は素晴らしい。ヴェトナムものは急逝する10年ほど前にまとめて書かれ「歩く影たち」に収められた。岩波文庫にも「兵士の報酬」「飽満の種子」「貝塚をつくる」「玉、砕ける」が収録されている。やはり、この4篇が抜きん出ていると思う。

 特に「玉、砕ける」は短編に与えられる川端康成賞を受けた傑作中の傑作。ヴェトナムではなく香港を舞台に、60年代末の中国文革時代の苦難をスケッチする。「貝塚をつくる」も釣りを描くと思わせながら、ラスト付近で転調する構成が見事に着地した名篇。これらの作品を通して、「絶望」をくぐり抜けた作家がどのように生きたかが伝わってくる。安易に時代や政治を語らず、人間の運命を見つめている。初期の短編は古くなったかと思ったけれど、後期の作品群は今もなお魂に触れる。岩波文庫にある「掌のなかの海」は没後に出た「珠玉」に入っているが、人生の奥深い凄みを描きつくした傑作。このタッチ、重くて軽くて深みがあるのが開高健の魅力だ。
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開高健のエッセイの魅力ー開高健を読む①

2021年02月20日 20時58分04秒 | 本 (日本文学)
 昨年来、開高健(1930~1989)を読み直している。読み方は正式には「かいこう・たけし」だが、大方の人は「かいこう・けん」と読んでいた。2020年は開高健の生誕90年だった。あまりにも早過ぎた急逝にビックリしてから早くも30年以上経った。今もなお開高作品は新しく文庫に入ったりする。そうすると買ってしまうのである。開高健は存命中に大体の本を読んでいたから、そんなに読まなくてもいいはずなんだけど。今回少し読み直して感じたことを記録しておきたいと思う。
 
 開高健は小説に加えて、ぼうだいなエッセイやルポを残した。早過ぎた晩年には「オーパ!」などの大評判になった海外フィッシング紀行を書いた。60年代にはヴェトナム戦争に従軍し、「ベトナム戦記」を書いた。1957年に「裸の王様」で芥川賞を取る前から、サントリー(寿屋)の宣伝部に勤めていた。その関係は以後もずっと続き、テレビでサントリーのCMに出ていたから、多くの人が開高の名前を知っていた。戦争や釣りで海外に出かける「行動派」の作家と当時は思われていたと思う。日本のヘミングウェイのように思われていたのである。

 しかし、少し小説を読めば作家が深いウツ状態を繰り返す悩みが読み取れる。本人はそれを「滅形」(めつけい)と読んでいた。(もともとは梶井基次郎の言葉だという。)開高健はその中でも、自らを奮い立たせるように社会を見てルポを書き、外国へも出掛けた。まだ日本人が自由に海外旅行が出来ない時代(外貨管理の問題から、1964年まで日本人は自由に外国へ行けなかった)に、新聞社の特派員としてイスラエルのアイヒマン裁判を傍聴し、ヴェトナム戦争に従軍した。また作家の代表団の一員として「社会主義圏」の中国やソ連にも出掛け、ポーランドでアウシュヴィッツへも行った。これほど海外を駆け回った文学者は他にいないだろう。
(「魚の水(ニョクマム)はおいしい」)
 2020年10月に「魚の水(ニョクマム)はおいしい」が河出文庫から刊行された。これは文庫オリジナルの「食と酒エッセイ厳選39篇」である。ニョクマムはヴェトナムの魚醤で、日本の「しょっつる」のような調味料だというのは、今では大体の人が知っているだろう。しかし、70年代は日本でようやく「ハンバーガー」や「ピザ」が食べられ始めた頃で、東南アジアの料理なんか知らなかった。(インドネシア料理の「インドネシア・ラヤ」という店はあったが。2008年閉店。)

 日本人の多くはヴェトナムは戦争とクーデターばかりの国と思っていただろう。しかし、ヴェトナムは中国とフランスという世界2大美食民族に支配された歴史があるから、奥深い食文化を持っている。当時は多くの人がヴェトナムへ行って戦争のルポを書いたが(もちろん開高健もたくさん書いた)、ニョクマムはフークォック島産に限るなんて話は他の人は書かなかった。フークォック島というのは、ほとんどカンボジア領にはみ出ているような島で、後に傑作短編「貝塚をつくる」に出て来る。開高健の「食レポ」は「味覚」はもちろん「嗅覚」の世界を書き綴っている。争乱のサイゴンは美しくない面も多かったが、それでも開高健が魅せられた何かがあった。

 開高健のエッセイが注目されたのは、2018年の小玉武編「開高健ベストエッセイ」(ちくま文庫)の力が大きいと思う。好評だったとみえて翌年に「葡萄酒色の夜明け (続)開高健ベストエッセイ」も出た。編者の小玉武氏はサントリー宣伝部で開高の後輩だった人で、その後もずっと関わりがあった。2017年には「評伝開高健」も書いている。「開高健ベストエッセイ」は満遍なく開高の世界が抽出されている。そうすると当たり前のことながら、開高健はヴェトナムと釣りと美食だけの作家ではないことがよく判る。

 生まれ育った大阪のこと、焼け跡時代を生き抜いた苦難の青春時代、文学への目覚めなどを読むと、開高健が戦後日本を生きた作家だということがよく判る。社会派でもあるし、文学論議も多い。今になると少し読みにくいところも多い。話題が古くなってしまったものも多い。アルジェリア問題はもちろん、ヴェトナム戦争だって知らない人も多いだろう。開高健は大江健三郎とともにサルトルに会いに行き、その前日に反右翼デモ(当時はアルジェリア独立問題で右翼のOASがテロを起こしていた)に巻き込まれてもいる。時代を感じさせるところも多い。

 続編の冒頭では、没後に見つかった若き日の手紙が収録されている。埴谷雄高中村光夫広津和郎の3人宛てで、こういう「何者でもなかった」日々をよく示している。エッセイというより「文芸評論」に近いもの、あるいは当時有名になった東京ルポなども入っている。池袋にあった「マンモス・プール」を読むと、いかにも「高度成長時代」を思い出させる。僕はそのプールを知らなかった(自宅の近くに「東京マリン」という大プールがあったから、他のプールは知らないのである。)池袋の大プールも1993年に閉鎖され、豊島清掃工場になっている。「ずばり東京」など当時人気があったルポだというが、そこには今はもう失われた東京が封印されている。

 開高健を今どう評価するかは、今後書いていく。だがエッセイなんかすぐ読めると思って取り組んだ割には、けっこう長く掛かった。今の作家の文章はもっとライトで、サクサク読み進めるなと思った。僕は小説も好きだが、「オーパ!」などの写真付釣り紀行を愛読した思い出がある。とにかく豪快で面白いのである。そういう印象があったので、久しぶりに読んだ開高健はずいぶん昔の文学者だったのかと実感した。「今日から見ると不適切な表現」がずいぶんあったのもビックリ。特にハンセン病(らい病)を「悪いもののたとえ」に使う表現に何回か出会った。まだ問題意識が全くなかった時代だったのである。
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「イマジネーションと戦争」ー「戦争と文学」を読む⑧

2021年01月25日 22時35分28秒 | 本 (日本文学)
 集英社文庫のセレクション「戦争と文学」を毎月読んできたが、今月でいよいよ終わりで、我ながらよく読んだと思う。一巻が600頁を超える長さで、持ち歩くのも重い。全20巻ある全集の中に文庫化されなかった12巻が残っているが、とても読む気にはなれない。最後は「イマジネーションと戦争」の巻で、SF・寓話・幻想文学と帯にある。他の巻よりは読みやすくて、いつもなら10日ぐらい掛かっていたのに今回は5日で終わった。しかし、逆に一番面白くなかったと思う。寓話的作品はすぐ読めるけど時代的制約が多い。
(カバー=会田誠「紐育空爆之図」1996)
 芥川龍之介桃太郎」に始まるが、文学史的、思想史的価値はあるが、今では面白くない。「桃太郎」伝説を鬼の立場からひっくり返した作品で、こういう作品があったという価値は大きいが。安部公房鉄砲屋」、筒井康隆通いの軍隊」、宮沢賢治烏の北斗七星」なども同様。早世したSF作家、伊藤計劃は初めて読んだけど、「The Indifference Engine」はなかなかよく出来た戦争小説だった。アフリカのルワンダ虐殺などを思い起こさせる少年兵の恐怖の体験を内面から描き出している。しかし、同時にこれは何のための小説なんだろうという気もしてきた。

 小松左京春の軍隊」は、多分書かれた時代(1973年)には衝撃的で面白かったのではないか。突然日本各地に謎の軍隊が出現してホンモノの戦争を始める。どこかから侵入したわけではなく、いわば異次元空間から突如出現する。合理的な説明はない。これを「平和の風景の裏に、戦争が潜んでいる」と言われても。当時の日本は戦後28年、戦争が「風化」したと言われながら、ベトナム戦争が大きく報道されていた。小松左京は「日本沈没」がSFを超えたベストセラーになった時期で、経済成長した日本は果たして正しい道を歩んでいるのかという問題意識があったのだろう。最後に掲載された小松左京のインタビューにそのことがうかがえる。
(小松左京)
 長崎で原爆小説を書いてきた青来有一スズメバチの戦闘機」は、スズメバチを戦闘機と思い込んで、一人で戦争を遂行する子どもの話。星野智幸煉獄ロック」は、近未来(?)のディストピア小説。人間は完全に管理されていて、子どもは10歳になると男女別に隔離される。10年間の「禁欲」を課せられが、20歳になると子作りが強制され、2年間の間に出産しないと「市民階級」になれない。そんな体制に反逆するカップルの苦難を描いている。筋とともに「接窟」とかの独自用語が面白い。これはセックスのこと。地名も「捕和」「大営」とか浦和、大宮みたいな名前がパラレルワールド感を出している。僕はこれが一番面白かった。
(星野智幸)
 SF系では山本弘リトルガールふたたび」が面白かった。2109年の東京都内の小学校が舞台である。日本は21世紀後半にとんでもない状態に陥った。人々がフェイクを信じるようになり、ついに「広島に原爆は落ちなかった」などという言説がネット上で支持される。政治にも進出して、やがて日本の核武装を目指す党が勝利する。その後どうなるかは直接読んで貰いたいが、最後まで風刺が効いている。この小説は「現在」に関わっていて、残念ながら古びていない。全然知らなかった作家だが、「トンデモ本」を楽しむ「と学会」初代会長だという。
 
 赤川次郎悪夢の果て」は、大学教授が敗戦直前の1945年の東京にタイムスリップする。家族構成は同じ、本人も同じ大学教授なのだが、東京はもう空襲で破壊されている。食糧難の中で息子に召集令状が来る。冒頭は現代で、主人公が教育関係の審議会に出ているが意見は何も取り入れられない。過去の教訓をないがしろにして国家主義的教育を進める日本(発表は2001年)への、ほとんどナマの批判のような小説だ。それでも心に刺さるものがある。

 非常に珍しく貴重だったのは、高橋新吉うちわ」という作品。高橋新吉(1901~1987)は、1923年に「ダダイスト新吉の詩」で一躍有名になった新進詩人だった。ヨーロッパで起こったダダイズムを日本で名乗った詩人である。その後仏教に傾倒したが、ずいぶん後まで長生きしていたのは知らなかった。入手しやすい本はないと思うし、僕も初めて読んだ。戦争中に「狂気」に駆られた男の物語で、1949年の作品。作中の人物は日米戦争開始の号外を見るが、それは自分を狂気に陥れるために作られたフェイク号外だと思い込んでいる。戦時中でも「戦争」を意識しない(できない)生があったのである。
(高橋真吉)
 他にも入っているが省略。各巻の終わりにインタビューが付いている。元の本は2011年から2012年に刊行されたが、この10年の間にインタビューされた人がずいぶん亡くなっている。列挙すれば、林京子水木しげる伊藤桂一小松左京小沢昭一大城立裕の6人である。存命なのは美輪明宏竹西寛子だけ。この10年で戦時中を肌で知っている人がどんどんいなくなってしまった。それでも本の中に残された言葉を我々が引き継いで行くことは出来る。
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「少年と犬」と「雨降る森の犬」ー馳星周の犬小説②

2021年01月12日 20時36分29秒 | 本 (日本文学)
 ノワール小説で直木賞候補に6回もノミネートされてきた馳星周(はせ・せいしゅう、1965~)は、2020年に7回目の候補作「少年と犬」でついに直木賞を受賞した。直木賞はミステリーが受賞しにくいが、今でもそれは言えるらしい。(横山秀夫伊坂幸太郎など選考に疑問を感じて、候補になることを拒否した作家までいる。)ペンネームの「馳星周」は、香港の俳優周星馳(チャウ・シンチー)の名前を逆にしたもので、やはりノワール系で受賞して欲しかったかも。

 最近では直木賞作品も文庫化まで待つことが多いが、今回は年末にまとめて馳星周の犬小説を読みたくなって買ってしまった。集英社文庫に「雨降る森の犬」(2018)という小説もあると気付いて、それも読んでしまった。結論的には「犬と少年」は確かに傑作だが、前に書いた「ソウルメイト」「陽だまりの天使たち」の方が読みやすくて感動的。「少年と犬」は「連作短編」で、一頭の犬が日本を横断して行く様が6編の短編でつながっている。「泥棒と犬」「娼婦と犬」などのように、犯罪者など裏社会を描く作品もあるから、ちょっと子ども向けには勧めにくい。

 変な言い方になるが、「少年と犬」はちょっと「ブンガク」が入っている。そこが直木賞につながってくるところだろう。「少年と犬」は東北を大津波が襲い原発事故が起こった年から10年、そして2016年に起きた熊本地震からも5年という年に是非とも読んで欲しい本である。飼い主が「多聞」(たもん)と名付けていた犬(シェパートと和種のミックス)が仙台である男とともにいる。その時点では「本名」は不明である。ICチップから「多聞」という名前が判明するのは作品の半ば過ぎである。犬はいろんな飼い主に出会って、いろんな名前を付けられる。

 飼われるたびに飼い主に幸運と癒やしを与えながら、その犬は何故か車の中では「」または「西」を向いている。初めは東北にいた犬が、次第に日本を西へとたどってゆく。その理由は何なのだろうか。「男と犬」「泥棒と犬」「夫婦と犬」「娼婦と犬」「老人と犬」と日本各地で不遇に生きる人々の暮らしに一瞬の癒やしを与えていく。しかし、飼い主は理由あって飼い続けることが出来ない。犬は山の中で食物を探しながら、西へと向かっていく。
(馳星周)
 最後の短編「犬と少年」になって、初めてすべての事情が明かされる。エンディングに向かって緊迫感が高まり、真相が判明したときには大きな感動が待っている。僕は確かに感動したけれど、でもいくら不思議な能力を発揮することが知られる犬とは言っても、この小説は不思議過ぎではないだろうか。犬小説としてはその点で疑問もあったんだけど、しかし「災害小説」という読み方も出来る。我々の心を打つのは、「」に加えて「大地震」という要素があるからだろう。

 「雨降る森の犬」は文庫本で500頁近い長編小説で、さすがに「犬小説」だけでは持たないぐらいに長く、「青春小説」という方がいいだろう。主人公は「広末雨音」という中学生で、冒頭で伯父の住む蓼科の別荘に向かうところ。父が小学生時代に死んで、その後一緒に暮らしていた祖母も亡くなった。母は若い「芸術家」と恋人と一緒にニューヨークに行ってしまった。雨音も誘われるが、何でも自分のペースで進める母を嫌っている。そこで親の残した別荘に住んで山岳写真家になっている伯父の道夫のもとで暮らすことにしたのである。

 その家には昔マリアという犬がいた。しかしマリアは死んでしまって、道夫は同じバーニーズ・マウンテン・ドッグワルテルと暮らしている。ワルテルは「犬のジャニーズ系」と言われるほどハンサムだが、「男尊女卑」の気味がある。雨音のことは自分の子分とみなして、最初は全然従わない。次第に懐いて一緒に寝たりするようになって、傷ついた雨音の心はワルテルによって癒やされていく。また隣の別荘を持っている家に、近所で噂のハンサムな高校生がいる。夏休みや連休しか来ないけれど、その「国枝正樹」という青年も親との葛藤を抱えていた。

 夏休みに道夫とワルテル、雨音と正樹は蓼科山に登る。初めは山登りなんかしたくなかった雨音だが、山と写真に魅せられた正樹とともに次第に登山の楽しさを知ってゆく。ともに親との葛藤を抱えた二人の絆はワルテルとともに深まってゆく。というような小説で、常にワルテルが傍にいる生活なんだけど、やはり小説の読みどころは「親との葛藤」がどうなっていくかだろう。しかし、犬好きの馳星周だけあって、この小説を読むことでたくさん犬のことを学ぶことが出来る。

 またこの前書いたばかりの蓼科山、その石ころだらけの頂上、雲海越しに見るパノラマ風景が重要な場所として出てくる。その暗合に驚くとともに懐かしくなった。「広末雨音」と「国枝正樹」なんて、どうも「少女漫画的命名」であるが、ワルテルが物語を救っている。二人とも貧しい暮らしではない。正樹の家は金持ち一家だから大きな別荘を持っている。「格差」「貧困」の中で困窮する子どもたちばかりではなく、この二人のように家庭環境で「精神的困窮」になっている子どももいる。金持ちに生まれるのも大変だ。「犬」と「山」はやっぱりいいなあ。
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馳星周感動の犬小説、「ソウルメイト」2部作

2021年01月05日 21時07分54秒 | 本 (日本文学)
 2021年年明け読書は馳星周(はせ・せいしゅう)の直木賞受賞作「少年と犬」にしようと思った。馳星周は新宿を舞台にチャイニーズ・マフィアなどの激しい抗争を描いた「不夜城」で衝撃的にデビューした。最初は面白いと思って何冊か読んだが、次第に飽きてしまった。ずっと読んでなかった間に、あれほどドンパチ小説を書いてたのに、いつの間にかをテーマにした作品を書いていた。「少年と犬」の前に「ソウルメイト」(2013)や「陽だまりの天使たち ソウルメイトⅡ」(2015)という小説があるので、まずそっちから。(どちらも集英社文庫。)
(「ソウルメイト」)
 どちらも短編集で、これがえらく感動的だった。まあ「ソウルメイト」、つまり「魂の伴侶」たる犬の話なんだから、感動的なのも当たり前。僕は「動物小説」というのが大好きで、シートン動物記とか、日本だったら戸川幸夫など愛読してきた。「動物」も好きだし「小説」も好きだから、合わされば最強だ。しかし、日本では最近は余りないなあと思ったら、馳星周が書いてたのか。
(「陽だまりの天使たち」)
 どの話も「犬種」が題名になっていて、その種の絵が表紙になっている。人間たちも犬たちも、普通に生きているというよりも、余命間近だったり被災したりしている。あまりに普通な日常を生きていると小説に向かないんだろう。でもシチュエーションが劇的であるだけ、犬をめぐる物語は心に沁みる。例えば、福島の原発事故避難地域に残された犬。母は津波で亡くなり,犬だけが残された。その犬が生きているらしいとネットの写真で見て、男は仕事を辞めてレスキューに参加した。人に見捨てられ野生のように生き抜いてきた犬は果たして見つけられるのだろうか。
(柴)
 人間社会にはいじめもあるし、夫婦や親子の争いもある。そんな時でも,犬は自分が属する「群れ」が平和であるように心を砕いている。犬を飼ったことがある人は判っているだろうが、家族がケンカしてると犬は必死に仲裁しようとする。時には犬を虐待して捨てる人もいる。そんな目にあった犬が保護された時、引き取ってもなかなか心を開かない。果たして人と犬の心が通じ合う日は来るのだろうか。あるいは盲導犬という犬もいる。犬は人間の仕事をすることが喜びなんだと言うけど、犬が犬である以上やっぱり遊びもしたいのだろうか。そんな多くの犬の心を代弁してくれるような小説がここには詰まっている。
(バーニーズ・マウンテン・ドッグ)
 そして犬の寿命は短いから,犬を飼っていると犬の最期を看取ることにもなる。病気になっても痛い痛い、病院に連れてってなどと訴えない。病院に行けば静かに診察されているけれど、終わったら早く帰ろうよと全身で訴える。犬種によれば,遺伝的に病気になりやすい種類があることをこの短編集で教えられた。犬が病気になって死んでゆくことは誰にも止めることは出来ない。時にはあまりにもつらそうなので「安楽死」を選ばざるを得ないことさえある。そして死んでしまってからも、もっと散歩に行ってあげれば良かった、一緒に遊んであげれば良かったとずっとずっと思い続けるのである。そんな様々な死んでしまう犬も出てくる。犬の思い出を抱えている人は、小説の中の名前ではなく自分の飼っていた犬の名前を呼びかけながら読むことだろう。
(フラット・コーテッド・レトリーバー)
 どんなときにも人間に寄り添ってくれる犬たち。そんな犬について、著者も何頭もの犬を飼ってきて、多くの人に伝えなければいけないことがある。そんな強いメッセージも背後にうかがえる。この小説は多くの子どもたちに読んで欲しいと思う。小学校高学年ぐらいから読めると思う。学校の図書館にも置いて欲しい。犬じゃなくて,猫や小鳥や金魚だっていいとは思うけれど、犬をめぐる物語ほどドラマティックなものはなかなか難しいだろう。人間にとって優しさとは何か、それを犬たちが教えてくれるのである。

 ホワイトハウスの主が代わったからといって、世界がすぐに良くなるなどという幻想は全然持っていない。しかし、バイデン大統領になれば,ホワイトハウスに犬が戻ってくる。それだけでも「世界がほんのちょっと良くなる」と僕は思う。これはジョークで書いているのではなく、完全に本気である。もしトランプ大統領が犬を飼っていたら、再選も可能だったかも知れない。愛犬家が投票するなどというのではない。そうじゃなくて、人を癒やす犬が近くにいてくれれば、あんなに多くの閣僚や補佐官をクビにしたりしないし、攻撃的なツイートを連発したりしないと思うのである。

 なんで飼わなかったのか、僕はよく知らないけれど、アメリカの富豪の家ならば大型の番犬や狩猟犬を飼っているもんじゃないだろうか。もしかしたら幼少期に犬に悪い思い出でもあるのだろうか。犬も人間を見ているから、いじめっ子タイプや気持ちが安定しない人間には懐かないものだ。子どもの頃に犬が懐いてくれなかったのではないかなどとつい憶測してしまう。
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「小説 琉球処分」(上下)ー大城立裕を読む④

2021年01月02日 22時31分37秒 | 本 (日本文学)
 2020年に亡くなった沖縄の作家、大城立裕を読むシリーズ。しばらく放っておいたけど,何とか2020年のうちにと「小説 琉球処分」上下巻を年末に読み終わった。何しろ上下巻合計で千頁を超えるので、そう簡単には終わらない。2010年に講談社文庫に入ったのを持っていたんだけど、10年間読まなかった。でも、読み始めたら案外読みやすかった。歴史的な基本用語が「本土」と違うから当初は戸惑うけど、慣れてくると次第にスピードが上がった。
(上巻)
 講談社文庫上巻の帯には、菅総理大臣の「数日前から『琉球処分』という本を読んでいるが、沖縄の歴史を私なりに理解を深めていこうとも思っている」という言葉が載っている。菅総理の読み方は「スガ」ではなくて「カン」である。2009年に成立した民主党・鳩山由紀夫首相が辞任して、菅直人内閣が成立した時期だ。普天間基地の移転先について「最低でも県外」と言っていた鳩山首相だったが、結局「辺野古移転」に転換して、社会民主党が連立から離脱した。

 その時点では絶版だったので、首相の言葉で古書が暴騰し講談社文庫で出されることになった。もともとは1959年に琉球新報に連載された著者最初の長編小説だが,長くなりすぎて完結する前に連載中止となった。芥川賞受賞後に、残りを書き足して講談社から1968年に刊行された。後にファラオ企画、ケイブンシャ文庫というところからも刊行されたが初版止まりだったという。そして2010年に講談社文庫に入った。一応今も生き残っているようで、ネットならすぐ買える。「カクテル・パーティー」の次に知られている大城作品だろう。

 文庫に入ったことは名誉だが、この本が「いずれ歴史にすぎないと見られる時代になることを、願っているが、私の存命中には無理であろうと思っている」と著者はあとがきに書いている。実際に読んでみて,僕もこの本はまだ歴史になっていないと思った。何度も刊行されたことについて、「琉球=沖縄が、日本にとって国内軍事植民地としての重要な(?)の価値をもっていて、そのなかからさまざまな意向で訴える声を、国民読者が一定量だけ持ち続けた。そしてその一定量だけに止まったということだろう」と冷静な分析をしている。
(下巻)
 一番最初に「物語の背景」という文があって、当時の琉球王国の歴史と政治制度が簡単に紹介されている。読み方として、「親方」が「うえーかた」はまだ判るが、「親雲上」が「ぺーちん」とか、里之子が「さとぬし」、筑登之が「ちくどん」とか。文中で出てくる時に,全部ルビがあるわけじゃないから、最初は戸惑うし時間もかかる。まあ本土の江戸時代でも、「家老」とか「勘定奉行」とか今とは違う政治制度の言葉があった。でもそういうのは時代劇や時代小説で何となくイメージが出来ているが、琉球王国になるとこんなにも知らないのかと思った。

 琉球王国は、清に朝貢して「王」を認められつつ、江戸時代初期に薩摩藩の侵攻を受けて服属していた。薩摩の支配は苛酷を極め、そのことが琉球王国に大きな傷を残した。その薩摩藩というものが、「廃藩置県」によって無くなってしまった。日本全土が「天皇」のもとに統一され、薩摩藩主も土地を天皇に奉還した。そんなことを聞かされても、琉球では全然判らない。江戸時代には将軍代替わりの時に慶賀使を送っていたので、同じようなものと考えていたら、1873年に国王尚泰を「琉球藩主」に封じ、薩摩藩に負っていた多額の負債も今や無くなったとされた。

 なんだか判らないうちに、突然「近代」に直面した琉球王国の苦難をこのあと延々と描くわけである。「台湾征討」がその当時の心配事だった。その後1875年に大久保利通のもとで内務大丞を務めた松田道之(1839~1882)が「琉球処分官」を命じられて沖縄に赴く。松田の残した「琉球処分」という記録がこの小説のネタ元になっている。以後、1879年の「琉球処分」で「旧藩王」が首里城を明け渡し上京を命じられて沖縄を去るところまで、長い長い政治闘争が描かれていく。
(琉球処分官、松田道之)
 全部書いても仕方ないが、琉球側には抜きがたい中華への恩顧意識があった。だから、いずれ清国が軍艦を派遣するといった噂が流れる。だが、実際にはそのような動きはなく、英仏露などとの抗争を抱えた清国にはそんな力は無いのだった。ただ、外交交渉では清は領有権を完全に放棄したとは言わず、日清戦争まで決着しなかった。日本側から、宮古・八重山を清に割譲する案も出していた。松田らはそれとは関係なく、琉球側に日本の制度への服属を求めることで一貫していた。理解しない、出来ない琉球側には、ある程度までは待ちながらも、最終的には軍事力、警察力で強行するということが決められていた。

 そのような「軍事的制圧」による強圧が、まさに現在を見ているかのようなのである。当時の政府が考えた「国防の最前線」としての「琉球王国」という判断である。しかし、武力というものを持たなかった琉球の人々は、日本の軍隊が置かれることでかえって軍事的危機が起こると心配した。その危惧は1945年に現実のものとなった。その後も「沖縄」は「国防の最前線」とされて、現代でも自衛隊が先島諸島に配備されている。大城氏が予言したように、大城氏の存命中にこの本は歴史にならなかったのである。

 この小説は、琉球処分の政治過程を細かく描き出す。暑い国に派遣され、言語も文化的習慣も異なる中でひたすら消耗する松田道之にも、なんだか同情したくなるほどだ。琉球王国の「頑固党」、つまり幕末の「攘夷派」は水戸藩の徳川斉昭みたいな頑迷な指導者がいて、現実的対策を立てられないまま「清の救援」を信じている。しかし、この小説の読みどころは、仲が良かった若者たちが次第に政治的立場を異にしていく様だろう。あるものは日本政府に仕え、別のものは清国に密航する。世界の様々なところで同じような話を見聞きした。同じような青春の悲劇が沖縄でも起こった。今も読み応え十分な大河小説だった。
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柳美里「JR上野駅公園口」を読む

2020年12月27日 22時05分04秒 | 本 (日本文学)
 柳美里(ユ・ミリ、1968~)の「JR上野駅公園口」(2014、河出文庫)が翻訳されて、全米図書賞の翻訳部門を受賞したことが大きく報道された。英語の題名は『Tokyo Ueno Station』になっている。候補になっているというニュースを聞いたときには、そんな本があったのかと驚いた。そう言えばずいぶんユ・ミリの本も読んでなかった。直後には売り切れていたが、今では帯に受賞とうたった文庫本が本屋に並んでいる。さっそく読んでみたので、その感想。

 柳美里はまず劇作家として知られ、1993年に最年少で岸田戯曲賞を受賞。その後、小説を書き始めて、1997年に「家族シネマ」で芥川賞を受賞した。僕も1999年の「ゴールドラッシュ」ぐらいまでは読んでいた。その後、子どもが生まれて「」4部作を書いた。「3・11」以後は東北に通ってラジオ放送を担当し、2015年には福島県南相馬市に転居し、2018年には書店を開業した。それらの話はマスコミを通して知ってたけれど、なんだか「作家」としては忘れていた感じだ。

 ということで、久しぶりに手に取って満を持して読み始めたが、そんなに長くない割には大変だった。それは「物語」ではなく、本質的には「民族誌」(エスノグラフィー)のような作品だからだ。資料も多く取り込まれていて、戦後を生き抜いた「出稼ぎ労働者」の「聞き書き」的な小説だった。だが、一人の人物ではなく多くの人の声を合わさって「小説化」されているんだと思う。

 福島県の「浜通り」、やがて原子力発電所が作られる前の時代、事実上の「国内植民地」に生まれたある男性が、ほぼ全生涯を「出稼ぎ」で暮らしてきたライフヒストリーが事細かに記録される。彼に対して祖母が述べたような「不運」の人生を歩み、最後は東京で「ホームレス」となって上野公園に住むことになる。上野駅は東北本線、上越本線の終点駅で、東日本の貧しい労働者が最初に東京に降りる駅だ。そこで「ホームレス」となるという人生最終盤の「アイロニー」(皮肉)がこの小説全体を象徴している。それは翻訳では解説があっても伝わるだろうか。
(ユ・ミリ)
 「」は昭和8年1933年)に生まれた。この主人公の名字はあるところで出てくるが、名前は最後まで書かれない。他の「ホームレス」と話すときも、自分のことは語らない。生年は現在の「上皇」(昭仁)と同じである。そして彼の長男が生まれたのは1960年2月23日で、「皇太子の長男」(今の天皇)と同じだった。彼は「浩宮」から一字取って長男を「浩一」と名付けた。

 もっと前、幼少期に「彼」は昭和天皇の戦後巡幸を見ていた。そして人生の終期になって、上野公園に住むことになると、皇族がよく博物館や美術館に来るから、そのたびごとに「山狩り」に合う。つまり警察によって、一時的に「ホームレス追放」がなされるのである。このように「彼」の人生は、「戦後天皇制」とリンクしていた。そこで「JR上野駅公園口」という小説のテーマを「天皇制」と考える人も出てくる。もっと言うと「反天皇制小説」だから日本では評価されなかったとする見方もある。だが、それはちょっと違うのかなと僕は思った。

 そういう読み方を否定するわけではないが、むしろ僕には「移民労働者」の「生活誌」のように感じた。そもそも彼の一家も福島には江戸時代後期に加賀から開拓者として移民した人々だった。加賀での信仰である「浄土真宗」を持ち続けた少数派だった。葬儀の様子も細かく記述される。真の地元民じゃないから、有名な「相馬野馬追」でも重要な役は果たせない。地元に大家族を養う産業はなく、弟妹のため、やがては妻子のため、地元を離れて働き続けた。

 そして「不運」が彼を襲うのである。しかし、「ホームレス」になったのは、書いてしまえば「孫」に迷惑をかけないようにと考えて、自ら家を捨てた。しかし、家にいたならば「3・11」で大津波と原発事故にあっていたのだから、ここでも彼の人生は「皮肉」というしかない。そういう彼の人生を描くときの「補助線」として「天皇制」が使われているが、それが最大のテーマではないように思う。アメリカでどこが評価されたのかはよく判らないが、「移民労働者」や「ホームレス」のライフヒストリーとして共感されたのではないかと思う。

 日本ではそれほど評価されなかったのは、柳美里がちょっと読まれなくなっていたのもあると思うが、端的に言えばあまり成功していないからではないか。資料的な部分が多く、小説としては「生煮え」感がある。「ホームレス」になった事情が納得しにくいし、「上野公園」にいる意味も判らない。歴史に詳しい「ホームレス」がいて、折々に「解説」が入ることにより、「彰義隊」「西郷像」の「歴史的意味づけ」が語られる。でもまあ知ってる話だし、日本人には新鮮な感じはない。

 このような「下層労働者」、もう家族に送金するだけのために生きている「移民労働者」に近いだろうが、細かなライフヒストリーを書いた小説は珍しい。小説じゃない本ではあると思うけど、読むのは大変だから、若い人にはまずはこの本を手に取って現代史を考える材料にして欲しい。小説的感興を求めるというより、日本を考えるときの基本という本じゃないかと思う。
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