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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

自民「大勝」、さっそく「改憲」話-参院選の結果①

2016年07月12日 23時20分05秒 |  〃  (選挙)
 昨日書くつもりが、永六輔さんの追悼を先に書いた。どっちが僕にとって大事かなと思ったら、まず永さんの追悼かなと…。先月の追悼特集も用意してあるのだが、なかなか書くヒマがない。参院選の結果も、多くの人がすでにいろいろ書いているが、まあ恒例なのでやはり書いておきたいと思う。

 今回の参院選に関しては、安倍首相は「改選議席(121)の過半数をめざす」と言っていた。1人区が多いということと政権支持率がなお高いということから、これはまあ簡単にクリアするだろうと思われていた。もちろん参議院全体の過半数は、非改選の議員がものすごく多い(65議席)ので、絶対に取れるに決まってる。だから、大方の見るところ、「改憲志向の4党で3分の2を獲得するか」(78議席)、「自民党単独で過半数を獲得するか」(57議席)が焦点となっていたわけである。

 そこで自民党の獲得議席を見てみると、神奈川県の追加公認を入れて、「56議席」だった。公明党は14議席、おおさか維新は7議席、日本のこころを大切にする党はゼロだから、「合わせて77議席」である。おお、なんと、改憲4党で3分の2も、自民単独過半数も、実現しなかったのである。

 えっ、そうだったの。それでは報道と違うではないか。例えば、11日の産経新聞は大喜びで「憲法改正 発議可能に」と大見出しを掲げている。さらに言うと、自民党の規定を変更して総裁3選を可能にして、安倍首相が2018年9月以後も首相でいられるようにせよと1面で主張している。(阿比留瑠比編集委員の「極言御免」)いや、さすがにそれはありえないでしょ。でも、もしかすると、あるのかも。

 それは「改憲勢力」という風に考えるのである。「改憲4党+改憲支持の無所属議員」のことである。「みんなの党」や「日本維新の党」というものがなくなった後で、所属議員は星雲のごとく散らばってあちこちに存在する。無所属のうち、井上義行は前に書いたように、もう自民党会派に所属している。(「みんなの党」で比例区に当選しているので、法律上、選挙時にあった他党には入党できない。「会派」というのは、議会内でまとまって活動するときの名前。)他に、アントニオ猪木、松沢成文、渡辺美知太郎が改憲賛成派だという。(渡辺美知太郎は、渡辺喜美の甥にあたる。)無所属を含めて「4党」でまとまると、憲法改正を発議できる数字に達すると考えるわけである。

 安倍首相はさっそく記者会見で「憲法改正の議論を進め、意見集約をめざす」と語っている。「わが党の案をベースにしながら、三分の二を構築していくの政治の技術」なんだそうである。安倍首相の下での憲法改正を掲げる民進党に対しては、「建設的な対応とはいえない」と批判した。しかしだなあ、「自民党草案」をベースにするというなら、そもそも「建設的な改憲」にならないのは判り切っている。国会で話し合うと言っても、議席の数が圧倒的に違うんだから、意味がない。

 それにそもそも、選挙中に訴えていないじゃないか。だけど、それを今さら言う気も起きない。これが安倍首相であり、経済を掲げて勝って、選挙が終われば改憲を言う。誰でも判るだろ。だまされたなどというわけにはいかない。そうそう何度もだまされては、だまされる方の責任の方が大きい。それに、「アベノミクス」と言ったって、財源もないのに公共投資をばらまくという昔の自民に戻っただけ。リニア新幹線の早期完成など、後世に膨大な借金を残すだけである。未来を先取りして今使って、かりそめの支持を獲得するというやり方で、亡国的である。

 とにかく、今回自民党が「大勝」したことは間違いない。比例区で、20,114,748票を獲得している。2千万票を超えたのである。2001年の小泉首相誕生直後の参院選で、2011万票。2003年の総選挙では、2066万。2005年の「郵政民営化解散」の時は、2588万票。自民党が今までに2千万票を超えたのは、この3回しかない。参院選は選ぶ議員が少ないし、選挙区が広いので、どうしても投票率が衆院選より下がる。だから、参院選で2千万票を獲得したのは、15年ぶりなのである。3年前の参院選は、1846万。2年前の衆院選は、1766万票だった。

 今回改選の議員は、2010年の参院選で当選した人々である。その時は民主党政権だった。だから、比例区の第一党は民主党だったのである。今回民進党が少し党勢を回復したとは言っても、6年前に比べて議席を減らすのは仕方ない。そして、2010年の参院選は非常に大きな特徴があった。今回もそうだが、この50年ぐらい、大体選挙結果の一番は自民党、2番は社会党か民主党(民進党)である。そして、3番目は公明党。それが定例である。「新進党」というのがあった短い時期を除いて、大体そうである。(新進党時代には、公明党議員も新進党から出馬していた。)ところが、2010年には「みんなの党」が公明党を上回ったのである。

 もうなくなっちゃったから忘れている人が多いだろうけど、「みんなの党」が794万票で7議席。公明党は764万票で6議席。公明党は一時は8議席獲得したこともあり、その時までは大体重点候補を7人立てて、細かい地域割りをして票が均等に出るように運動していた。このときに1人落としたことで、以後は重点候補を6人に絞っている。7人当選すると、すごく少ない得票の党職員が当選する。今回は宮崎勝という人が、18,571票で当選になった。しかし、票数はいつも大体同じ。2005年、2009年の衆院選のように投票率が高いときは、800万票に行くこともある。だけど、参院選の場合、ここ4回を見ると、777万、764万、757万、757万となる。あれ、前回と今回は同じか

 くわしくみてみると、2013年が「7,568,082.149」票(14.22%)。2016年が「7,572,960」票(13.52%)。細かくいうと、4878票違っている。だけど、全国で考えれば、驚くほど同じ数である。投票率が前回より2%多く、有権者も増えたので、割合で言えば減っている。選挙区であらたに愛知、兵庫、福岡で候補を立てて当選させたので、そっちに力を注いだことはあるだろう。だけど、要するに、勢力は固定されていて、選挙運動で獲得できる票数も決まっているということなのである。

 野党勢力の方は別に見たいと思う。今回、自民が増えたのは、6年前の「みんなの党」、3年前の「日本維新の会」や「みんなの党」がなくなったことによるものだろう。みんなの党が解体し、今回民進党から出ている人もある。だから、民進党にも流れただろうが、結局元は保守票であり、今回も自民から出た人もいる。与党支持でも公明にはいかないから、結局自民党に入れるしかない。

 もう一つ大きいのは、完全に「郵政票が自民に戻った」ことである。自民党比例区でトップは旧全特(全国郵便局長会=昔は特定郵便局長会の略で全特といったが今は「特定」がなくなった)の徳茂雅之という人である。自見庄三郎(国民新党に所属し、民主党政権で金融相を務めた)の娘、自見英子(はなこ)も自民党比例区から当選している。こうしてみると、郵政民営化とはなんだったのだろう。郵政票が自民を離れたことも、民主党政権成立の大きな原因だったのである。郵政票がすっかり自民に回収されたことも、今回自民票が2千万を超えた大きな理由だと思う。
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衆議院を比例代表制に-選挙制度論⑥

2016年01月27日 23時37分43秒 |  〃  (選挙)
 選挙制度論がちょっと長くなっているので、頑張って今回で最後に。どの国も、その国の歴史のありように基づき、それぞれにあった選挙制度を持つ。(普通選挙制度がいまだにない国も世界にはいくつかあるが、やがてどの国でも普通選挙が導入されるだろうと思う。)日本では最初の選挙は1890年に行われた。125年の歴史があるのである。そして一貫して、「候補者名を自書する」というやり方で行われてきた。もちろん、最初の頃は「男性のみ」「財産制限あり」の制限選挙だったけど、有権者が選挙会場に行って名前を書いてくるというやり方は、ぞの後もずっと継続されている。

 まあ、その時代の政府は「超然主義」と言って、国民が結成した「政党」を認めない立場を取っていた。だから、当然のこととして、政府支持の政党を作ってその党への支持を訴えることもなかった。よって、政党ごとに争い合う「比例代表制」になるわけがない。また、財産家が投票する、つまり字を書けるのは当たり前ということで、自分で候補名を書いた。その後、財産制限がなくなり、女性参政権も認められたわけだが、有権者が字が書けるのは当然視された。実際に、世界有数の識字率であって、選挙に行く人は候補の名前ぐらい書けるだろう。なかなか書けないような難しい字の候補は、立候補時にひらがなで届けたりしている。それなら、まあ書けるわけだ。

 このやり方はホントはけっこう大変である。支持する党、というか首相(または支持しない党、首相)は判っていても、自分の選挙区でその党(または反対党)から出てる人の名前を覚えて行かないといけない。でも、それが定着しているのは確かだろう。今さら、党の名前しか書けない、党の決めた順番で当落が決まってしまうというのでは納得がいかないのではないか。

 小選挙区か比例代表かというのは、一長一短あって難しい問題である。だけど、ここ4回衆議院で3分の2を超える巨大与党を生んでしまった今の制度は問題が多いと思う。(もちろん、実際に3分の2を超える支持率の党が当選するというのなら問題はないが。)優勢な党が小選挙区の大半を制し、同時に比例区でも多くの票を集める。その結果、小選挙区で勝ちぬけた当選者が多くて、比例名簿の下位の方の「本人も当選する気がなかったような候補」まで当選してしまう。そういう選挙結果が繰り返されていて、どうも納得できない。今の小選挙区比例代表並立制は問題が多い

 完全な小選挙区制だと、僕が先に書いたような決選投票や順位付け投票を取り入れたとしても、小党が当選できないという問題と、「一票の格差」が是正しにくいという問題がある。特に後者は決定的で、今のままでは毎回の選挙で「違憲判決」が出るだろう。ということで、「小選挙区比例代表併用制」(当選者数は比例で決め、どの候補が当選するかは小選挙区で決める。比例票が少なくても小選挙区で当選したら有効で、無所属も小選挙区で立候補できる。だから、議員定数は選挙結果で変わる)か、あるいは「非拘束名簿式比例代表制」(今の参議院と同じ制度)が望ましい。

 僕が思うに、衆議院議員は「人口20万人に1人」と決めて、総定数を都道府県に割り振って、「候補者名または党名」で当選者数を決めるのが一番納得できるのではないか。当選者は個人票の順で決めるという、参議院の比例代表区と同じやり方である。人口や面積が大きい東京都や北海道などは、高校野球と同じく2つに分けた方がいいかもしれない。「20万人に1人」というのは、鳥取県に3議席を想定した数である。毎回、人口で都道府県の議席数を変えるから、一票の格差が生じない。

 一方、そうすると衆議院が600人ぐらいになる。多すぎるとも思うが、人口減で減っていくから、やがて400台になるはずだ。一方、参議院議員が思い切って減らす。各地方から選ばれる「選挙区」は、1人区から6人区までという状態で、訳が分からない。今夏の選挙から宮城、新潟、長野各県が1議席となる。また、島根・鳥取、高知・徳島が合区される。島根・鳥取の合計人口は約126万人。高知・徳島の合計人口は葯148万人。この4県は人口ランキングの下位4県だが、次の福井県は78.5万、佐賀県は83万弱。山梨、和歌山、香川が100万人以下の人口である。一方、宮城県は葯232万。次の京都府から260万人で2議席である。この差は理由が見つからない。

 一部には、憲法を変えて、参議院は各都道府県から一人は選ぶようにすべきだという意見がある。しかし、これはどう考えても無理である。連邦制度ではないのだから、「法の下の平等」を理由にした「一票の平等」を否定する改憲はできないし、してはならない。(連邦制度にして、各県に一国並みの権限を与えて法律の制定権を認め、日本連邦からの離脱権も認めるところまで考えているのなら、また別だが。)だから、思い切って参議院の「選挙区」は廃止して、比例区だけにすればいいではないかと思う。そうすると、今なら96議席、前に戻して100議席。少ないと思えば、120ぐらいにしてもいいか。問題は、それでは少なすぎて国政上の意義が薄れて、投票率も下がるだろうということである。だからこそ、選挙制度論の前に書いたように、参議院選挙ごとに「国民投票」をすることにすればいい。

 もう一つ問題があり、それは比例代表選では、無所属が出られないということである。政党は憲法に規定がない私的結社である。政党に所属しない限り国政選挙に出られないということになると、憲法違反ではないかという訴えが出てくると思う。だけど、実質は政党に属さないと国会内の政治活動もままならない。供託金を大幅に下げて政党を作りやすくすることも必要だろう。しかし、それより、無所属は「一人一党」扱いにする特例を設ければいいだけだと思う。まあ、絶対実現しそうにないアイディアだから、これ以上考えるのは止めにするが、政治の中心は衆議院にして、参議院は衆議院のチェックに徹する。そのために、例えば国民投票の発議は参議院のみに認めるといった考えもありうるだろう。まあ、国民投票が実現する方が先だが。でも、そういう憲法改正は大いに議論するべきだと思う。
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衆議院議員が少なすぎる-選挙制度論⑤

2016年01月26日 00時08分47秒 |  〃  (選挙)
 選挙制度に関して、長くなっているので、あとちょっと書いてしまいたい。まず、「衆議院議員が少なすぎる」という問題である。エッ、「多すぎる」の間違いではないかと言われるかもしれないが、僕が書きたいのは「少なすぎる」という話である。このことに関しては、4年ぐらい前に「衆議院の定数削減に反対する①」(2012.2.12)という記事を書いてるけど、もう誰も覚えていないだろうから再論。

 この問題に関して、東京新聞(1月20日付「私説 論説室から」)に面白い記事が出ていた。桐山桂一記者の記事によれば、もともと「衆議院の議員定数は人口で決められた」という。1925年に男子普通選挙権が認められた時に、「人口12万人に一人」の割合で「466議席」と決められた。戦後の新憲法制定の時も「人口15万5千人に一人」と計算されたという。こういう風に人口をもとに、「1議席当たりの人口はどのくらいが適正か」を論じるのが本当のやり方だろう。なお、国会議事堂の議席は、将来の人口増を見越して、「635議席が設置可能」に作られたとその記事にある。

 前に書いた記事から引用すると、諸外国の場合は以下のようになる。
①議会政治の祖国イギリスは、人口6100万で下院議席数650だから、「1人当たり9.5万人」。
ドイツは、630議席で「1人当たり12.8万人」。
フランスは大統領制だけど、国会は577議席で「1人当たり11.3万人」。
イタリアは、630議席で「1人当たり9.5万人」。
カナダは308議席で「1人当たり11.4万人」。

 これは欧米のサミット参加国を見たものである。もちろん、アメリカやロシアは超大国だから、同じようなわけにはいかない。アメリカは、72万人に1人ロシアは31.5万人に1人となる。

 一応近隣アジア諸国を見ると、韓国は300議席で、人口は5143万人だから、1人当たり17.1万人。最近行われた台湾では113議席で、人口2346万人だから、1人当たり20.8人

 さて、では日本はどのくらいか。今、各国を見るときに、「下院」を見ている。上院と下院がある国では、世界中で下院が「優先する院」である。上院は身分制で選ばれるか、連邦制の各加盟国代表であることが多い。日本も参議院は旧貴族院だから、衆議院が下院にあたある。衆議院議員は前回から削減されて「475議席」。日本の人口は1月1日の概算値が「1億2682万人」となっている。そうすると、1人当たりの議員数は「26.7万人」である。

 これを見ると、「日本の衆議院議員はむしろ少ない」という現状なのである。もちろん、日本の人口の方が多いので単純な各国との比較はできない。イギリスやイタリア並みに、「10万人に一人」にすると、「1200人の衆議院議員」ということになってしまう。これでは国会議事堂に入れない。しかし、せめて「20万人に一人」でもいいのではないか。そうすると、600議席ほどという勘定になるが、先に見たように設置可能な議席数である。もちろん、衆参で合わせると、もっと多いことになる。だけど、一番大事な「下院」の議員数こそ第一に考えるべきではないか。そして、今後人口が減っていけば、それに比例して議席数を減らしていくことになる。数はピッタリした数(500とか、600とか)でなくてもいい。それより「人口、または有権者数で何万人に1人とするか」ということから考えていくべきではないか。

 今、小選挙区と比例区を合わせて議員数としたが、小選挙区だけで言えば、295である。人口から割れば、なんと「43万人に一人」である。これでは、国会議員をよく知らない、遠い感じがする、選挙中でもほとんど見ない、自分が選挙に行かなくても当落に関係しない気がする…となるのは当然である。もし「10万人に一人」の国会議員だったら、もっと身近だし、一人ひとりの票が当落に影響してくるはずだ。
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比例代表制の諸問題-選挙制度論④

2016年01月23日 23時26分11秒 |  〃  (選挙)
 さて、選挙制度論に戻ってあと数回。その後「18歳選挙権」問題も書きたいと思っている。現実政治の諸課題や選挙情勢と同じぐらい「選挙制度」というものもに関心があるもので。さて、3回目に、もし「比例代表制」だけだったら、日本の政治はどうなっていたかということを見た。そうすると、「郵政選挙」の小泉首相は確かに勝ったが、圧勝というほどでもなく、同様に2009年の民主党圧勝もなかった。また、2012年に至っては、自公連立政権が復活するかどうかわからなかった。「衆参のねじれ」というのも実際には起こらなかったかもしれないということになる。

 もちろん実際には違っていたかもしれない。小選挙区では自民党有力議員に長年投票するが、決して自民党支持ではなく、比例区では別に投票する人もいるだろう。また、小選挙区で現職が圧倒的に強いから、投票に行かなかった人もいるだろう。比例代表だけになると、安定政権をつくるために小党に浮気せず、与党に票を集中させる動きも起こる。一方、もう大勢が決まっているから行かなかった「弱い安倍批判票」が比例代表なら行くかもしれない。自民党にとってプラス効果もマイナス効果も予想されるので、やってみないと判らない。

 比例代表制度の良い点としては、各党の当選者数が国民が投票した割合の通りになるということに尽きる。だから、国民に選挙結果の不満が起きない。もっとも実際の投票では、きれいに割り切れる得票にならないから、いくつかの決め方がある。それによって多少の増減はある。(日本はドント式という決め方をしている。)だけど、誰が当選するのかという点に関しては、不満が起きることがある。各党があらかじめ順番を決めておく(拘束名簿式=1983年から98年まで6回の参議院選挙のやり方)方式だと、自民党とか民主党など大政党の1番目や2番目の候補が落選するわけがなく、候補者も国民に訴えるより、党内で順番を上げてもらうことの方に熱中しやすい。

 そこで候補者の名前を書いてもらい(党名でもいい)、個人票の順番に当選を決める「非拘束名簿式」に2001年から変わった。それなら問題はないだろうというと、そうでもない。大組織に支援された候補がズラッと上位に並ぶことに毎回なっている。あるいは人気のあるタレント的候補を立てると、その候補の人気で弱小候補も救済されることになる。一方、個人票を多く獲得しても当選できないこともある。前回も緑の党から出た三宅洋平が176,970票を獲得し、個人票の順番では27位(48人が当選)だったが、他候補や党名得票が少なく、緑の党全部合わせて0.86%だったので落選になった。

 そういう問題もあるけど、一番大きな問題は「多数派を形成しにくい」ということである。もちろん、それでいいという考えもあるだろうが、選挙前に「政権の枠組み」を決めて選挙をしても、どの党も多数を取れないことが起こりうる。そうすると、選挙前の公約と違って、議席を見ての裏交渉で政権が決まることになりやすい。1993年の衆議院選挙は、いわゆる「中選挙区」最後の選挙だったが、選挙前に「新生党」(小沢一郎らのグループ)や「新党さきがけ」(武村正義や鳩山由紀夫らのグループ)が自民党を離党したために、自民党が過半数を割り込んだ。そこで、社会党、新生党、公明党、民社党らが、選挙前にはどちらに付くと明言していなかった「日本新党」(細川護熙らのグループ)や「新党さきがけ」と協議し、少数派の細川護熙を首相に推すことで連立交渉がまとまった。非自民政権成立で人気が出たが、選挙前の公約にない枠組みだった。比例代表だと、毎回そうなるかもしれない。

 外国の例を挙げると、ベルギーでは非常に長期間にわたって政権が作られなかったことがある。ベルギーは北部のオランダ語圏と南部のフランス語圏の対立という特殊事情があるが、比例代表制のため2010年6月の選挙では12の党が議席を獲得し、政権の枠組みがなかなか決まらなかった。次の政権が発足したのは、2011年12月となり、なんと541日も政権ができなかった。(その間は前政権が政治の実務を担当した。)日本では憲法で、衆議院選挙後の特別国会を30日以内に召集すると決められ、内閣総理大臣指名選挙で過半数獲得者がいない場合は上位2人の決選投票が行われる。だから、こんなに次期総理大臣が決まらないことがあり得ないが、衆議院の過半数を持たない「少数内閣」ができることはある。1994年に、前年に成立した細川内閣の後を受けた羽田孜内閣が、成立後に与党第1党の社会党が連立を離脱して「少数内閣」となったことがある。(不信任案が出れば成立するので、それを待たずに自発的に総辞職した。次が社会・さきがけに自民が乗った村山内閣。)

 またイスラエルの国会(クネセト)も完全な比例代表制を取っている。その結果、全120議席を10の政党で分け合うことになり、ここのところずっと首相を出している右派政党リクードだが、30議席しか持っていない。小党をいくつか束ねて連立内閣を構成することになる。今の連立与党は「61議席」なので、宗教的に強硬な主張を持つ小党が離脱すると政権は崩壊しかねない。イスラエルの右派政権がパレスチナ問題などで柔軟な対応ができない理由の一つは、このような政治体制にある。だけど、宗教的な少数派保護のため、比例代表制を変えることはできないだろう。今までイスラエルの選挙でどこかの党が勝半数を制した事は一回もない。それもまた、ちょっと極端で困ったことではないだろうか。

 こういう風に、一票の格差、少数勢力でも議席を獲得できる(多くの国民を議会政治に包摂できる)など、比例代表制の長所は大きいけど、同時に弱点もあるということである。じゃあ、小選挙区と比例代表を組み合わせればいいんじゃないかという発想になり、日本のような「並立制」もできた。でも、これはこれで多くの人が感じているようにさまざまな問題がある。理念的に完全な選挙制度は存在しないけど、ではどういう制度が「より良い」んだろうか。次はそういう問題を。
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比例代表制だけなら、どうなるか-選挙制度論③

2016年01月19日 00時44分32秒 |  〃  (選挙)
 小選挙区の当選に決め方について、「決選投票」と「順位付け投票」という案を書いた。まあ、選挙の仕組みなんか、あまり関心がない人が多いと思うけど、世の中の仕組みの作り方、あるいは「代表というものの選び方」は、社会の中心的なテーマである。本来は、「頭の体操」として、ビジネスマンの研修などに使われるべきだし、理科系の学者も大いに意見を出すべき問題だ。(僕は社会科の授業の中で「文化祭の出し物をどう決めるのが、クラスにとって一番いいか」を話題にした。)

 その問題は「ひとつの結論を出す際に、どうすれば参加者の公平感が保障されるか」という問題である。しかし、一つに決めてしまえば、違う意見の人はどうしても不満が残るものだ。どうしても一つ(一人)にしないといけない場合は別だが、何百人も決める国会議員選挙なら、「完全な比例代表選挙」一本にしてしまえば、少なくとも「ある党派が選挙制度のせいで取りすぎる」という不満はなくなる。

 そして、原理的に「一票の格差」がなくなるから、国政選挙のたびに繰り返される「違憲訴訟」、「違憲判決」はなくなる。それはとても大切な観点だと思う。だけど、比例代表にすればいいというものでもない。「当選議員の決め方」もその一つだけど、そもそも比例だけだと多数派が作りにくい。その結果、世界各国でかなりあるように、「政権のかたちがいつまでも決まらない」ということになりかねない。実際に、比例だけだとどうなるかを以下で見てみたい。

 ここ10年ほどの日本政治を簡単に振り返ると、2005年の「郵政民営化解散」で、自公与党が3分の2の勢力を得た。しかし、後任の安倍政権時代に、2007年の参院選で自民が大敗し、「衆参のねじれ」が生じた。2009年の衆院選で、民主党が大勝利して政権を獲得したが、2010年の参院選で民主党(菅内閣)が敗北し、再び「衆参のねじれ」が生まれた。その後、2012年暮れの衆院選で、自民党が大勝利して、第二次安倍内閣が成立し、2014年暮れの衆院選でも再び自民・公明の与党が大勝利した。という風に、衆院選では4回連続で与党が3分の2の勢力を得ている。一方、参議院では2回にわたって「衆参のねじれ」が生じて、それが政権運営に大きな影響を与えたわけである。

 ところで、衆議院も参議院も、比例代表とそれ以外の選挙を同時に行っている。だから、それぞれ比例代表で当選した議員数だけを比べてみることができる。まあ、比例だけとなると、国民の投票行動も変わるかも知れないが、それを言っては先に進まないから、一応の参考資料として提示するわけである。そうすると、衆議院は180人(過半数は91人)、参議院は96人(過半数は49人)になる。

衆議院の場合
 比較のために、2003年の衆院選から見ておく。自民69、公明25で与党計94。過半数をわずかに超えているので、自公政権が成立する。民主党は72、共産9、社民5。野党計86で、比例で当選した政党はこの5つしかなかった。2005年の衆院選は、自民77、公明23の与党計100で、確かに大勝利である。しかし、3分の2の「120」には遠く及ばない。民主は61、共産9、社民6の他、国民新党2、新党日本1、新党大地1が当選した。「100対80」だから、郵政民営化で圧勝というほどの印象は持てない。

 さて、2009年の衆院選。自民は55、公明は21で、計76だから、過半数を割り込み下野する。民主は87、社民4を加えて91。国民新党の比例当選はなかった。共産9、みんなの党3、新党大地1である。だから、民主党政権は成立するだろうが、社民党が連立を離脱したら崩壊する可能性がある。自民、公明が出す不信任案に社民が同調すれば可決される数である。

 2012年の衆院選。驚くのはここで、民主が分裂して自公が圧勝して安倍政権が成立と皆が思い込んでいるだろうが、実は違う。自民57、公明22で、合計79だから、過半数には遠く及ばない。民主は30に激減して政権は失う。しかし、日本維新の会が40で民主より大きい。みんなの党14、日本未来の党7、社民1、新党大地1である。だから、恐らくは自民、公明に維新を足した政権になっていたのだろう。2014年の衆院選は、政権に復帰した自民が12年よりは好調だった。自民68、公明26で与党計94。民主は35、維新の党30、共産20、社民1である。だから、自公政権は成立するが、過半数ギリギリである。このように政権の枠組みは同じだが、3分の2を取るほど大勝利した時はない。

参議院の場合
 もう面倒な人が多いと思うけど、資料として示しておくので、テキトーに流し読んで欲しい。まず、2001年の小泉政権直後の参院選から。この時から「非拘束名簿式」になり、それが続いている。自民は20、公明は8で、半数改選の半分24を超えている。民主8、共産4、自由4、社民3、保守党1.自由党はその後丸ごと民主党に合流するので、民主12と考えてもいい。
 2004年の参院選。自民15、公明8、民主19、共産4、社民2で、前回の非改選と合わせると、「2004~2007」の参議院は、自民35、公明16、保守1で、与党は52。民主は31、共産8、社民6。

 2007年の参院選。自民14、公明7、民主20、共産3、社民2、国民新党1、新党日本1。非改選と合わせて、「2007~2010」の参議院は、自民30(保守党を含む)、公明15で、与党計46。民主39、共産7、社民4、国民新1、新党日本1。野党計52。議長を出しても確かに野党が少しだけ多い。

 2010年の参院選。自民12、公明6で、当時政権にあった民主16、共産3、社民2だが、他にみんなの党7、たちあがれ日本1、新党改革1となる。非改選と合わせると、「2010~2013」の参議院は、自民26、公明13に対し、民主36、共産6、社民4、みんな7、たち日1、改革1。民主は大敗し「衆参ねじれ」になったとは言えない。確かに民主は過半数は持たないが、みんなの党がカギを握っている。共産、社民は自民に同調はしないだろうから、実際の政局で起こった「自民、公明、民主」の「三党合意」はなかった可能性がある。

 2013年の参院選。自民18、公明7で改選の半数は超えている。民主7、共産5の他、維新6、みんな4、社民1。これ以後は今現在の参院と同じだから、その後の政党の離合もあるから、現在の議員の中で比例当選のみを取り出しておく。自民30、公明13。与党計43。あれれ、参院は今現在、自公の与党で過半数を持っていなかったことになるのである。民主22、共産8、社民3の他、「維新・元気の会」8、「おおさか維新」5、「日本のこころを大切にする党」2、生活の党1、無所属クラブ1、無所属2となる。現実に比例だけとなると、また変わってくると思うが、自公圧勝も民主圧勝もなく、「ねじれ」もない時があった。現在でさえ、参院で自公だけでは過半数はないということになる。比例だけにすると、こういう風に小選挙区で圧勝する党が亡くなるから、良くも悪くも「マイルドな差」になるのである。いや、少し選挙マニア的な数の羅列になった。じゃあ、それが何なんだという話は今後。
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「順位投票」というやり方-選挙制度論②

2016年01月17日 23時03分21秒 |  〃  (選挙)
 先に「決選投票」の必要性を書いたけど、理念的には必要だと思うけど、現実には難しいだろう。一番大きな問題は、一週間後(例えば)に決選投票をやっても、果たしてどれだけの人が投票に行くのかという点である。2週連続で、投開票作業をするのは大変だし、お金もかかる。「期日前投票」もしないといけないし、準備が大変そう。そういう事態を避けようと、有権者の方で有力候補にこぞって投票してしまわないとも限らない。それでは本末転倒である。

 それに前回挙げた「秋田1区」では、1位と2位の差が比較的少なく、2位も40%以上取っているので、決選投票するべきだという議論をしやすい。だけど、「東京16区」なんかはどうか。
大西英男 68 自由民主党 前 98,536票 46.3% 当選
初鹿明博 45 維新の党 元 56,701票 26.6%  比例区で当選
大田朝子 30 日本共産党 新 36,976票 17.4%
石井義哲 57 次世代の党 新 11,484票 5.4%
岡本貴士 34 無所属 新 9,334票 4.4%

 ここは江戸川区の大部分で、かの「失言大王」大西氏の選挙区である。大西さんのことは前にちょっと触れたけど、昔の勤務校のPTA会長だった。それはともかく、46%だから過半数ではない。だけど、第2位の初鹿候補とは20%ほどの差がある。それに第4位の「次世代の党」は自民より右っぽいから、まるまる初鹿候補に行くとは思えない。元は民主党だけど、「維新の党」から出た初鹿氏を共産党支持者が全面的に支持するとも思えない。やる前から判り切ったような決選投票をやる必要があるのか。まあ、リクツ上では過半数を取ってないわけだけど。

 しかし、以上のような問題をクリアーする方法がある。「決選投票を先取りして行う」ということである。つまり、自分の支持した候補が第3位以下だった場合、決選投票をしたら誰に入れたいか、順番を付けておいてもらうというやり方である。そんな面倒くさいこと…と思うだろうが、オーストラリアでは現にそういう制度を取っている。それどころか、オーストラリアは投票が義務で、選挙に行かないと罰金がある。そして、候補者全員に順番を付けるのである。世界はいろいろだなあ…。

 今書いていることは、「小選挙区制度の場合の当選の決め方」である。だから、すべてを比例代表にしてしまえば、こういうことは考える必要はないけど、しかし、それは国政選挙の場合である。地方の首長選挙は、必ず「一人を選ぶ」、つまり小選挙区と同じなんだから、僕はこの「順位付け投票」は真剣に考えてみてもいいのではないかと思う。

 だけど、全候補に順位を付けるのは大変である。自民党に民主党、それに共産党、そして幸福実現党なんて選挙区ならば、まあ多くの人が順番を決めやすいだろう。でも、社民党もあれば、「維新の党」もある。その前は「日本維新の会」だった。「みんなの党」というのもあった。「維新」から別れた「次世代の党」はまた名前を変えてるし、順番付けが可能になれば、少数政党も出やすいので、もっとたくさんになるかもしれない。全然支持していないのに、自分の選挙区から、「みんな」と「維新」が出てるから順番付けてくれと言われても、わけ判んないよねえ。

 だから、付けるとすれば「2位まで」でいいだろうと思う。一位得票者が過半数にならない時に、最下位候補の票から「2位の開票」を行う。そして、過半数が出るまで、下位候補から同じことを行っていく。2位候補を指定しない票もあるだろう。それを無効にするわけにはいかない。どうしても、この党しか支持してないんだと言われれば、それも良しとするしかない。だから、場合によっては、「2番まで」では過半数が出ないこともありうる。だけど、その場合は「決選投票を棄権」と同じだから、もう多い方が当選でいいんだと思う。むしろ、僕が考えるに、「1位候補がなく、2位しか指定しない」票を認めれればいいと思う。ホントはどの党も支持してないけど、まあ誰も過半数に行かないんだったら、この人でもいいやという票である。これがあれば、投票意識はかなり高まると思う。

 だけど、今の日本のように「候補の名前を書く」というやり方では、2人を順番を付けて書き分けるのは非常に大変だろう。投票用紙に真ん中から線を引いておいて、上の方に一番、下の方に2番を書くとか。やっぱりそれは無理だから、候補者の名前を書いておいて、そこに「1」と「2」を書く。それを郵便番号のように機械で読み取る。その後、人力で再確認する。まあ、そういうやり方がいいんだろう。ただし、人間が「1」と「2」を書きなぐると、かなり似てくる場合がある。他のやり方も考えるべきかな。

 それより、2番までつけるなら、今より長い選挙期間が必要だと思う。以前に書いたように、1か月前頃から、「第一次解禁」としインターネットと文書による運動開始を認め、10日ぐらい前(選挙対象によって変わるが)に「第二次解禁」として、街頭演説と電話を許可するというのがいいと思う。まあ、そうやって、2番まで順位を付ければ、決選投票をすることなく過半数当選者を出すことができる。そうすれば、自民党や民主党は、小党に対して「2位投票を呼びかける」必要も出て来て、少数派に対する配慮が大事になってくる。その方がいいじゃないかと思うんだが。
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「決選投票」を導入すべきだ-選挙制度論①

2016年01月15日 23時45分36秒 |  〃  (選挙)
 「国民投票」という話を書いたけど、今度は選挙制度に焦点をあてて何回か。野党の選挙協力も大事だけど、本来それはどういう意味があるのか。野党が乱立すると、「共倒れ」して与党を利してしまう。それを防ぐべきだという話になるが、野党が協力しても与党候補が有効投票の過半数を取っているなら意味がない。問題は、当選者が「比較第一位」であっても、過半数を獲得していない場合である。その場合は、仮に野党が全部協力していれば勝っていた可能性がある。もっとも、政策が違うから別の政党になっているんで、統一候補を立てたから支持者がついてくるかどうかは未知数である。

 だけど、そういう選挙対策的な問題ではなく、もっと本質的なことを考えたいのである。つまり、「有効投票の過半数を獲得していない候補が、その小選挙区を代表して国会で活動していいのか」という問題である。(「有効投票」と書くのは、無効票を入れた人や棄権した人は抜いて考えていいだろうからである。棄権した人も考えて、「有権者の過半数」を取らないと当選できないとすると、永遠に議員が出られない選挙区が出てくるだろう。)

 国会議員は全国民の代表である。選ばれた地域の代表だと間違って思い込んでいる人がいるが、そうではない。沖縄で当選しても、北海道で当選しても、沖縄の基地問題や東京五輪の問題に関わっていい。国会議員は全国民の代表だから、国会が決めたことが全国民を拘束するのである。(という風に考えるのが、議会制民主主義のシステムである。そんなのウソだろ、選ばれた議員は自分の選挙区や支持団体の事しか考えてないでしょと思うかもしれない。現実にはそうかもしれないが、それでは誰も国会の決定に納得できない。「一種のフィクション」には違いないけど、「全国民の代表」が決めたと見なすわけである。)

 昨年の安保法審議のような、憲法違反を指摘され、国民世論の反対が強いような法案に対して、各議員は一票を投じる。それは所属する党の決定に従うことが多いだろう。そして、その行動が国の将来に大きな影響を与える。そんな重大な責任がある議員は、小選挙区制度ならば、選挙区で過半数の支持を得ている必要があるのではないだろうか。実際、こんな選挙区がある。
 秋田一区
  富樫博之(自民) 66,388 (47.02%) 当選
  寺田学 (民主) 57,782 (40.92%) (比例区で当選)
  山内梅良(共産) 11,579 (8.20%)
  伊藤正通(社民)  5,441 (3.85%)

 小選挙区で落選した候補は、民主、共産、社民だから、支持者も集団的自衛権容認反対派がほとんどだろうし、安倍政権反対の人である。過半数近くを自民候補が得ているが、秋田一区の民意は「安保法案反対」だと考えてもいいのではないか。それなのに、富樫議員が秋田一区で当選して、安保法案に賛成する。それはおかしいのではないだろうか。

 ここで、富樫候補と寺田候補(第2位の得票者)が、「決選投票」を行えばどうだろう。そういう制度があれば、民主党と共産党と社民党が選挙前に選挙協力を決める必要もない。決めてもいいけど、とりあえず皆が立って、自民候補を過半数割れに追い込むために頑張ればいい。あるいは、こういう制度があると、保守系の無所属候補もたくさん出るかもしれない。小選挙区制度になってから、党執行部の力が大きくなり、自民党が一色化しているという人もいるが、「決選投票」制度があれば、もっと自由闊達な気風が出てくるかもしれない。

 議員選挙の決選投票制度はフランスで行っている。小選挙区で一回目の選挙で過半数を取った候補がいない場合、一週間後に一位候補と二位候補で決選投票を行う。この制度があるから、極右の国民戦線が決戦に残った場合、社会党が「国民運動連合」(=サルコジ前大統領派の保守政党)を支持して、極右の当選を阻むことができる。「一回投票」制度だったら、国民戦線の当選者がもっと出てしまうはずだ。アメリカのように、事実上、民主党と共和党の二大政党の国はそのままでいいかもしれないが。ドイツは、小選挙区だけど比例代表併用制である。それなら決選投票はいらないが、日本が今後も小選挙区制度(比例代表並立制)を取るのであれば、決選投票が必要だと思う。

 なお、ちょっとケースは違うが、日本でも地方の首長選挙では「4分の1を取る候補がいない場合は、再選挙」という規定がある。知られている事例では、2003年の札幌市長選がある。4月の選挙はいずれも新人候補の戦いで、民主党が支援する弁護士の上田文雄に対し、民主党元参議院議員の中尾則幸、自民が推薦する道見重信らが争った。その結果は以下の通り。上田候補は21.6%だった。

 上田文雄 無所属 新人 172,512 民主党・市民ネット
 中尾則幸 無所属 新人 168,474  
 道見重信 無所属 新人 159,787 自民党・保守新党
 秋山孝司 無所属 新人 97,327
 坪井善明 無所属 新人 76,405
 山口たか 無所属 新人 67,785
 佐藤宏和 無所属 新人 54,126 共産党

 その結果、6月に再選挙となったが、決選投票ではないので誰でも出られる。候補を変えてもいい。自民は石崎岳を立てたが、結局上田が当選した。共産党も候補を変えて再度立候補したが、選挙戦の最中に選挙運動を中止し自由投票とした。結果を一応載せておくと以下の通り。 
 上田文雄 無所属 新人 282,170 (41.67%)(推薦)市民ネット(支持)民主党・社民党
  石崎岳 無所属 新人 256,173 (37.83%)(推薦)自民党・保守新党(支持)公明党
  中尾則幸 無所属 新人 126,488 (18.68%)
  青山慶二 共産党 新人 12,315 (1.82%)

 もう忘れている人が多いだろうが、1999年の東京都知事選も、もしかしたら誰も25%に行かないのではないかと言われていた。現職の青島幸男が立候補を断念し、新人候補が乱立した。自民党は元国連事務次長の明石康を立て、民主党は当時兄弟で民主党にいた鳩山邦夫を立てた。他に舛添要一柿沢弘治、共産党の三上満などが立候補を表明した後で、石原慎太郎が立候補を表明したのだった。結局、石原は約166万票で、30%を獲得して当選した。次点は鳩山邦夫で85万票、次いで舛添83万票、明石69万票…といった結果。石原と鳩山邦夫で決選投票をする意味があるかどうかは難しいが、こういう過去を見れば、少なくとも都道府県知事と政令指定都市市長は、権限が大きいので決選投票制度があった方がいいのではないか。
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各党の比例票を見る-総選挙の結果②

2014年12月18日 23時52分11秒 |  〃  (選挙)
 もう少し選挙結果の話。各党の党勢を比例区票で見ておきたい。その前に投票率の問題がある。今回は2005年の衆議院選挙(郵政解散)以後の衆参両院選挙を主に検討の対象とする。まずはどのくらいの人が選挙に行っているのか、時系列的に。衆院選は赤参院選は青で示す。

 2005年衆院選(小泉首相)  67.51% 67,811,069票 
 2007年参院選(安倍首相)  58.64% 58,913,700票
 2009年衆院選(麻生首相)  69.28% 70,370,255票
 2010年参院選(菅首相)    57.92% 58,453,432票
 2012年衆院選(野田首相)  59.32% 60,179,888票
 2013年参院選(安倍首相)   52.61% 53,229,614票
 2014年衆院選(安倍首相)  52.66% 53,334,447票

 この数字を見て気付くことは、05年、09年の投票率が近年になく高かったことだ。もっとも1990年に行われた海部内閣時の総選挙は73.31%で、それ以前は何回かの例外は除き70%台は行っていた。ところが、1990年を最後にすべての国政選挙が7割以下なのである。この理由は、単に一回の選挙の問題ではなく、もっと大きな社会の変化が投票率低下をもたらしていることを示していると思う。(例えば、高齢化社会の到来や地域共同体の崩壊。) 

 09年に投票した人は約7千万票だが、今回は約5千3百万票
1700万票が消えた。しかし、最近の参院選はほとんどが、5割台。特に2013年参院選と今回の衆院選は、ほぼ同じである。これは「安倍首相を特に評価する人、全く評価しない人、とにかく選挙には行く人」の数が、13年7月の参院選と同じ数だということか。そう考えると、「今回の選挙は参院選だった」と言うべきかもしれない。選挙区が広く、政権選択ではない参院選は投票率が低くなる。今回は「政権選択が不可能だった」うえに、選挙までの期間が短く「候補者の周知が難しい」(実質的に「選挙区が広い」と同じ効果)という選挙だった。それは参院選の特徴を備えた衆院選だったということである。

 
 さて、各党の比例区の当選者数を見ておく。
 自民=68、民主=35、維新=30、公明=26、共産=20、社民=1
 与党合計は94議席で、過半数を超えている。(比例区は全180だから、過半数は91となる。)
12年総選挙を見ておくと、
 自民=57、維新=40、民主=30、公明=22、みんな=14、共産=8、未来=7、社民=1、大地=1
09年総選挙を見てみると、
 民主=87、自民=55、公明=21、共産=9、社民=4、みんな=3、大地=1

 もし、完全比例代表制だったら、前回は自公政権は誕生しなかった。民主か、または維新・みんなのどちらかと組むことが必要だった。前回は「維新」が第2党だった。今回は民主党が第2党に戻った。まだ09年からすると、半数にも回復していないが。「維新」と「みんな」は前回すみわけ、共同推薦をしたから、合計して54議席と考えると、今回はやはり維新は「大幅減」と見るべき。共産党は、確かにこの3回だけを見ると「大幅増」であるが、00年は21議席、96年は24議席を獲得していた。ただし、96年の比例区は200議席だったが。そうすると、現行の180議席になってからの最大は、2000年の21議席である。(今回は沖縄の小選挙区で当選したので、合計は21議席で並ぶことになるが、比例だけでは20議席。)03年から減り始めたのは、反自民票が民主に流れるようになったからだと思うが、民主の失墜、未来の解党、社民の低迷とあれば、「混り気なしの反安倍票」は共産党に入れることになるのだろう。

 社民党は1議席を九州ブロックで維持した。これは主に沖縄で自民に次ぐ第2党であること、村山元首相の出身地である大分で、第4党(自民、民主、公明に次ぐ)で7万票近く取っていることが大きい。しかし、他の党はどこの地区でも議席を獲得できなかった生活の党は東北で4.72%、次世代の党は東京で4.39%を得ているが、それが最大。社民党は九州で5.26%。全21議席の中でひとつを死守したわけである。この程度は取らなければ当選しないが、ほとんどは2%台。それでは落選である。20議席程度を比例配分することを考えると、小党には厳しい。そうすると、次世代の党は、その極右的イデオロギーが忌避されたというより、小さくて当選しそうもないから投票の対象にならなかったというべきか。社民党、生活の党も似たような感じで、要するに主義主張、人脈のうえで「純化主義」を取ると、今は議席を減らすという現実である。

 ということで、主要政党の比例での獲得票数を時系列で紹介しておきたい。千票単位四捨五入。 
 05衆院選07参院選09衆院選10参院選12衆院選13参院選14衆院選の順番

自由民主党
 2589万1654万1881万1407万1662万1846万1766万
民主党
 2100万2326万2984万1845万963万713万976万
公明党
 899万777万805万764万712万757万731万
日本共産党
 492万516万494万426万369万515万606万

「日本維新の会」 12年衆=1226万→13年参=636万
「みんなの党」  09年衆=301万→10年参=794万→12年衆=525万→13年参=476万
「維新の党」   14年衆=838万
社会民主党
 372万263万301万224万142万126万131万
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小党の運命-参議院選挙の結果を考える④

2013年07月30日 00時43分03秒 |  〃  (選挙)
 さて、参院選の結果をあと二回書いておきたい。もちろん重要なのは、自民党と安倍政権のゆくえであり、あるいは民主党や日本維新の会が今後どのようになるのだろうかといった点だろう。でも、まあそういうことはいろんな人が書いてるし、当面国政選挙はないんだから、3年後にはどうなっているか。おいおい考えていけばいいだろう。僕が書きたいのは、もっと小さな党の話である。

 小さな党は選挙区では当選が難しいが、比例区なら当選も不可能ではない。そう思うから今まで多くの党が比例区に候補を立ててきた。「女性党」のように何回も出てるけど一度も当選したことがない党もある。1983年に、それまでの全国区が比例代表区に代わった時に、当選者を出した党は9つあった。順に書けば、自民、社会、公明、共産、民社、サラリーマン新党、福祉党、新自由クラブ、第二院クラブである。今はなき小党を解説したい気もするが、長くなるから止める。

 その後、新しく当選者を出した党を順番に書いておくと、86年に税金党、89年にスポーツ平和党、92年に日本新党、95年に新進党、新党さきがけ、98年に自由党、01年に保守党、07年に新党日本、国民新党、10年にみんなの党、たちあがれ日本、新党改革、13年に日本維新の会…ということになる。何十年も政治を見てきた世代には懐かしい名前が多いかもしれない。

 今回、生活の党、新党大地、緑の党、みどりの風は議席を獲得できなかった。生活の党は岩手県では17パーセントを得ている。新党大地も北海道だけなら11.7%取っている。他の都府県ではすべて1パーセント未満なんだから、参議院比例区で立つのは無理がある。衆院比例区北海道ブロックならともかく。緑の党はちょっと成り立ちが別だが、生活、大地、みどりの風が社民党と一緒のグループを作ったら、単純に合算すれば6%ほどになり、2~3議席になっただろう。

 それでもこれらの党は出ただけ存在感はあるわけで、舛添要一が自民党を出て作った「新党改革」は立候補も出来なかった。前回も当選できなかった国民新党は、役割が終わったとして解党してしまった。2010年参院選では、国民新党から出馬した長谷川憲正が40万6千票を得たが、国民新党全体では100万票ほどで議席に結びつかなかった。今回郵便局長会から自民党で出た柘植芳文は42万9千票で(自民党で個人票の1位である)、郵政票という意味では前回と同じだが、自民から出たので当選した。つまり、小党が生き残るのは大変難しいということである。「たちあがれ日本」は太陽の党を経て、今は日本維新の会として残っている。現職の中山恭子も当選した。「たち日」だけだったら1議席も厳しかったのではないか。

 05年の郵政解散、09年の民主党勝利の後、自民党を離れて新しい政治グループを作る動きがいろいろあった。しかし、時間が経った今となってみると、ガマンして無所属で通しやがて自民に復党した方が賢かったのかもしれない。国民新党を作ったり、民主党に入ったりした人はほとんどが2012年の総選挙で落選してしまった。自民にいた当時は総裁候補と言われた舛添なども、離党後には政界に居場所がなくなってしまった。

 民主党の政権運営を批判して離党したグループも、2012年衆院選と2013年参院選でほとんど消え去った。衆議院では「日本未来の党」の名前で当選した比例区の議員が少し残っているが。小沢一郎の神話も全く消え去ったと言えるだろう。これは何故だろうか。小沢自身に関しては、被災地を訪れるのが遅れたということにつきるのではないか。小沢自身の第4区は沿岸部を含んでいないが、それでも隣の選挙区に有力者がなかなか行かなかったということが岩手においても小沢神話の崩壊の始まりになったのではないか。かつての自由党には、新進党内の右派グループが結集した。小沢は当時は「普通の国」を主張し、グローバリズム的な「改革」を掲げていた。印象としては、当時の小沢「自由党」は、むしろ今の「日本維新の会」などに近い感じがした。いつのまにか、TPPと原発に反対する党のような感じで選挙に臨んでも、どうも今一つ信用できないということもあるのではないか。

 「みどりの風」は何故当選できなかったのだろうか。候補者に新味がなかったのではないか。反原発ということで言えば、もっと大きな連合を作ることに全力で取り組まなければならなかったと思う。もともと、山形、埼玉、愛知、島根で現職を抱えていた。このうち代表の谷岡は比例区に回ったが落選。埼玉の行田邦子はみんなの党に移り当選した。「みどりの風」で選挙区に出た山形、島根は落選した。今さら一つ二つの選挙区で、反TPP候補が当選しても政権のTPP参加方針が変わるわけではなかろう。では、抵抗県と政権に見られるよりも、政権と直結した議員を誕生させ、いくらかでも有利な方策を探る方が良いのではないか。そう考えた有権者の方が多いということではないか。

 民主党に反対して離党した時には、政権批判の世論をつなぎとめるのは自分たちだと思ったのだろうが、民主政権批判票は自民党に入れればいいのであって、より左の立場には向かわなかったのである。もともと自民、公明、共産以外は、地域に組織と言えるほどもものがない。それでも民主党は有力組合などの組織票が残っている。民主を離れた議員は、人気が落ちて見る影もない民主党からさえ離された票しか獲得できなかった。こうして見ると、自民党と民主党は「腐っても鯛」だったんだなあ。

 いいか悪いかではない。小党が生き残るのは今の制度では難しい。ある程度当選して政党助成金を得ないと政治活動が困難なのが実情である。結局、政治家として生き残って仕事をしたければ、ある程度大きな党にまとまっていくしかない。ところがまとまるためには、自分のこだわりの政策を薄めなければならない。それが嫌なら、小さなグループで挑戦を続けるしかない。そうして小さくても存在しているのが新社会党だが、今ではほとんど存在感はない。今度は社民党そのものも非常に小さな党になりつつある。しかし、そうした今までの教訓を学ぶことはできるだろうか。多分できないのではないか。思想を持って立つ人々は小さなことにこだわるのである。また左でも右でも同じだが、関連の社会運動団体との関係が難しく、お互いにケンカしてきたようなグループはなかなか一緒にできない。でも、民主党と自由党が一緒になったほどのインパクトがあるまとまりを作れなければ、自民党一党体制がしばらく続くのではないか。(いや共産党があるではないか、あるいは「緑の党」のような党を育てていくべきだという意見もあるだろうが、それは次回に。)
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政党力の盛衰-参議院選挙の結果を考える③

2013年07月24日 23時07分08秒 |  〃  (選挙)
 今の選挙制度では、衆参ともに政党名を書く比例区がある。(参院は個人名も書けるが、それも含め。)そこでここ何回かの選挙で得た得票数を見ておきたい。比例は得票数そのものではなく、得票率で議席を配分するわけだが、選挙運動としては一票でも多くの票を獲得したいと考えるわけである。その結果としての比例区の得票数にこそ政党の力が現われる。(選挙区の方では、個人的な人気票が重要な場合がある。)

 参院選は、98年、01年、04年、07年、10年、13年とあった。その間、衆院選は、00年、03年、05年、09年、12年である。(衆院はカッコに入れる。)
 98年から見るのは、95年の参院選、96年の衆院選は、「新進党」という今は忘れられた不思議な政党をめぐって行われたからである。新進党が解体し、現在の民主党が事実上発足し、初めて選挙に臨んだのが98年と言える。その選挙では、自民党が大敗し、参院で「ねじれ」が起こった。そこで当時の小渕首相は自由党(小沢一郎の党)を連立に引き込み、続いて公明党と連立を組んだ。従って、2000年の総選挙から、自民党と公明党は選挙協力をしている。01年に小泉内閣が出来て、01年参院選は自民が圧勝。続いて、2002年に民主党と自由党が合併した。

 以下、98参→(00衆)→01参→(03衆)→04参→(05衆)→06参→(09衆)→10参→(12衆)→13参、である。

自民党
 1412→(1694)→2111→(2066)→1680→(2589)→1654→(1881)→1407→(1662)→1846
 自民はかつて小泉時代に2000万票以上を集めていたのである。それが3年前の参院選では1400万票にまで落ち込んだ。つまり、敗北した07年ではなく、勝利したはずの10年が最低なのである。それは98年と同じ水準。昨年の衆院選でだいぶ回復したが、今回投票率が下がった中で、さらに200万票を上積みした。しかし、それは小泉時代には遠く及ばない。他党に比べ圧倒的に強かったとはいえ、けっして盤石ではない。経済の好調が続く間は支持されるだろうが、その他の課題が支持されたわけではない。

民主党98年から01年は、民主+自由で計算。
 1740→(2165)→1321→(2200)→2113→(2104)→2325→(2984)→1845→(962)→713
 04年、07年の参院選で2000万票を超え、ぼろ負けした印象の05年総選挙でも2100万を集めていた。09年総選挙では3000万に迫り、10年参院選は2000万を割ったが第一党だった。それでも第2党なのだが、ついに700万票ほどに落ち込んだ。もはや回復のきっかけさえつかめない。

公明党
 775→(776)→818→(873)→862→(899)→776→(805)→764→(711)→757
 あれれ、前回は6人、今回は7人が比例で当選したが、得票は減っているではないか。かつては国政選挙で800万票を集め、900万が壁かと思われたが、今では700万票台しか集票できない。しかし、昨年の衆院選より50万票上積みできたのは、与党の恩恵というか、自民へのけん制期待票かもしれない。
 
共産党
 820→(670)→432→(458)→436→(492)→440→(494)→356→(369)→515
 共産党は98年には800万票を超えていた。その時は比例区8人、選挙区7人で合計15人も当選したのである。その後漸減を続け、近年は300万票台だった。これは反自民票が民主に集まっていたからだろう。今回21世紀になって初めて500万票を超えた。今後どうなるかは、非常に注目。 
 
社民党
 437→(560)→362→(303)→299→(372)→264→(300)→224→(142)→126
 社民党こそ、減り続けている。ちょっと前までは、小なりといえども大体300万票は取っていた。昨年の衆院選から100万票台に落ちた。回復の兆しは見えない。衆院で知名度のある政治家が沖縄の照屋寛徳しかいなくなった。これでは沖縄以外で票が出ないのも当然だろう。

 ずっとあるから継続観察が可能なのは以上の5党である。その間、国民新党などもあったが、解党してしまって、「全特」(特定郵便局長会、もう特定郵便局というものはないけど)の組織内候補は今や自民の比例候補のトップで当選である。一体郵政民営化騒動と言うのは何だったのか。それはともかく、近年に出来た2つの党は見ておかないといけない。
みんなの党(09衆)→10参→(12衆)→13参 
 (300)→794→(524)→476
 みんなの党は好調続きのように思っている人もいるだろうが、票を見れば判る通り、10年参院選が最高で票が減っているのである。一定の固定客は付いてるようだが、維新ができ、自民が好調なら票は取られるということなのだろう。特に維新がある以上、近畿で得票できないのが大きい。

日本維新の会(12衆)→13参
 (1226)→636
 維新は昨年の衆院選の票を半減させた。それを強調してみるか、それでも近畿を中心に票を集め、自民、民主、公明に次ぐ第4党に踏みとどまったと評価するか。ここは難しい所だが、好き嫌いは別にして、共産党やみんなの党より多数の支持があるという現実はあるのである。
 ちょっと今回もデータの紹介で終わらざるを得ないが、こうして時系列でみ見ればいろいろ判る。それを他のところでやってくれないのだが、こういうのは選挙マニアには苦にならない。こういう細かなデータにこそ政党の力が現われるということが判ると思う。 
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参議院選挙の結果を考える②

2013年07月23日 23時47分05秒 |  〃  (選挙)
 参議院選挙のデータ分析。3つの観点で見てみたい。
選挙予測は当たったか
 最近の新聞は数字を明記しない場合も多いのだが、18日付朝日新聞は数字を出している。それをもとに。
 選挙区はほぼすべて当たっている。が、まあこれは誰でも当てられる。民主が「8~11~15」とあるが、実際は10。「みんな」が「1~3~4」だが、実際は4。範囲内に入っているから間違いではない。だが、他の党はすべて中心の予測ドンピシャリ。これは宮城でみんなの党が民主党現職の岡崎トミ子を破ったのが、今回の唯一の番狂わせで、後は大体最後のころの勢いそのままだったということだ。

 比例区はしかし、少し違っている。自民は「19~21~24」と比例が削減されて以後の最大の勝利を予測していた。実際は18議席だから、予測の最低を割り込んでいる。自民は予想より不振だったのである。民主、みんな、社民は当たり。生活に一人当選を予想しているが実際はゼロだった。つまり、自民で3、生活1の4議席が予想より下。その分増えたのは、維新が「3~4~5」なのに、実際は6議席。公明と共産が1議席ずつ予想の中心から上積み(しかし上限の範囲内には入っている。)非常に意外な感じを受けるかもしれないが、今回自民が思ったより少なく、維新は事前予想より獲得したのである

 これは多分、投票率が思ったより高かったということだと思う。投票率が低い、低いと言う人が多いが、これほど事前予想がはっきりしている選挙で、52.61%は僕の予想より上。5割行くか行かないかではないかと予想していた。

 つまり、多少は自民が多くなり過ぎるのはどうかと思った有権者がいて、その人々は、与党内でも公明に、自民より維新へ、反自民は共産へと3つのパターンで行動したのではないかと思う。反自民票は今では民主には向かわない。そこで与党は支持するが公明に暴走を止める役を期待する、あるいは共産に期待する。では予想より維新が増えたことはどう考えるか。これはまだ僕にも判断が付かない。
都議選との比較
 局所的データになるが、直近に都議選が行われた。都議選とは選挙のやり方がかなり違うが、東京の比例区票と都議選の結果を比べてみたい。都議選では全区に候補を立てていない政党が多いので完全に有効な比較とは言えないが。まず最初が参院選の票で、カッコ内が都議選。

 自民180万(163万)、共産77万(62万)、みんな71万(31万)、公明69万(64万)、維新63.5万(37.4万)、民主58.5万(69万)…
 他党は都議選に多くの候補を立てていないので比較に意味がない。一応参院選の得票を紹介しておくと、生活12万、社民11.6万、緑の党9万、みどりの風7万、大地4万、幸福実現党1.4万。

 民主党は、都議選段階でははかろうじて第2党を維持していたが、参院選比例では何と第6党である。それに代わり、共産党が第2党で、都議選段階から15万票も増やしている。ネット選挙や選挙区との連動など理由はいろいろあるだろうが、東京では都議選で第3党になったことで「共産党が発見された」のではないか。それまでは負けを承知で入れる老舗左翼政党だったのが、当選を意識して反自民票を託せる可能性が出てきたわけである。みんなや維新は、都議選では候補がいない選挙区が多いのであまり比較の意味がないが、都議選の倍を獲得している。

 ちなみに、前回2010年を見ておくと、民主191万、自民125万、みんな92万、公明70万、共産50万、社民25万だった。民主の激減は言うまでもないが、社民は半減、みんなの党も維新ができたこともあり、20万票を減らした。公明も実は微減である。自民は55万票を増やし、共産は23万票、維新が40万票以上増やした。(維新は「立ち上がれ日本」と「日本創新党」の合計が26万票あり、それを基に考えた。)

 これを見ると、都議選以後に、自民と共産が勢いづき、民主の票離れがさらに進行したと言えそうである。まあ、常識をデータで裏付けただけだが。
各党の地域ごとの党勢は
 ついでに各地域での政党の強弱を簡単に見ておく。各党がその県で比例区票の何割を得ているかを見てみたい。自民は全国的に比例で3割以上を獲得しているが、ただ一県沖縄での支持が25%となっている沖縄では社民党が第2党で約20万票弱を獲得した。自民は山口、鳥取など幹部のいる県では、4割を超えている。北陸、中国、四国、九州で圧倒している。

 維新は大阪で100万票以上を獲得、第一党である。面白いことに大阪選挙区の東徹は105万6815票で、維新の比例票は105万3036票。ほとんど同じである。選挙区の個人票が全く流出していない。「橋下信者」がまだまだ多いということではないか。全国的にはまだら模様で、西日本でも少ない県もあり、東日本でも1割以上の支持がある県もある。まあ関西中心であるのは間違いないが。

 共産はほぼ全国で1割程度だが、京都と高知で高い。一方、東海と九州が弱い。公明はほぼ全国で1割半ばになっている。富山、石川、福井の北陸で9%台だが、これは真宗王国なので創価学会信者が少ないのだと思われる。「みんな」はほぼ愛知県以東で1割を超える支持があるが、西日本と北陸で5%程度の得票しかない。民主は、東京、大阪、沖縄と候補のいない富山、和歌山で1割未満の得票であるが、それでも多くの県では15%程度を取っている。民主が強い東海では、共産やみんなが少ない。そういう関係がありそうである。
 時系列に沿って各党の盛衰を見たかったのが、時間が遅くなったので次回に回す。
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参院選の結果を考える①

2013年07月23日 01時08分16秒 |  〃  (選挙)
 参議院選挙が終わり、与党の圧勝と言う、各マスコミが予測し、僕も公示前後に書いておいた通りの結果が出た。

 比例区は自民が18、公明が7で、過半数は超えているが、与党25、野党23で差は2つ。2人区では、民主が共産、みんな、維新に競り負けたところがあるが、それはそれとして自民は一人しか立てていないから差は付かない。3~5人区では、埼玉、千葉、東京で自公合わせると一つ多いので、合計3差。結局は1人区で、29勝2敗という自民の大勝になったということが、今回のすべてだった。その詳しい分析は次回に回す。

 僕はこのような、人口比例に著しく反するような一人区のあり方に根本的な疑問を持っている。参議院の役割から言って、衆議院より多くの議員を出す必要はない。だから各県の選挙区というやり方をする以上は、一票の格差が解決しようがないという問題を抱える。結局、比例区だけにすればいいのである。そういうことを前に書いた。もし、参議院が比例区のみ96議席だったとしたら、以下のような議席配分になる。

 自民30、民主22、公明13、みんな11、共産8、維新7、社民3、生活1、改革1 計96

 つまり、比例だけなら自公では過半数ではなかったということになる。

 しかし、とりあえず自公で大きく過半数は越えた。自民党は115議席、公明は20議席。参議院の半数は121だから、まだ自民は公明を必要としている。(数字上は9議席の維新と連立すれば、公明が離脱しても過半数にはなる。)ところで改選数の半分は61だから、今回は65で4つ超えている。次回2016年参院選で自民は久しぶりに(1986年以来)、参議院の単独過半数獲得が見えている

 さて、今後の政治日程を考えておきたい。衆院選後、僕は「次の総選挙は遠くない」という記事を書いた。その当時はその分析は当たっていたと思う。安倍首相は今回、衆参同日選をやるのではないかという観測がある時点までかなりあったのである。しかし、それはなくなった。来たるべき総選挙は、維新の橋下大阪市長が出馬する可能性が高いと見られている。大阪都構想を掲げる以上、2016年にならないと立候補できないと見られている。しかし、今の時点で自民に代わって維新が大きく伸びると言う可能性は全くなくなった。首相候補のライバルとしての維新、という問題はなくなった。早めに総選挙を仕掛けると、自民は精一杯伸びきっているので、伸びしろが少ない。憲法改正の同志たりうる維新が減って、共産のみ増えるという可能性が高い。従って、安倍首相が早めに総選挙に踏み切る可能性はほとんどない。

 安倍首相の、自民党総裁としての任期は2015年までである。今のまま高支持率を保っていれば、再選も視野に入ってくる。当面はそこに向け、2014年に何をするかという問題に絞られる。高支持率、衆参の過半数と条件はあれど、これがいつまでも続くかどうかは判らない。問題は4つ。消費税、TPP、スキャンダルや失言、首相の健康である。これに後継争いが加わる。すでに2回総理をやった安倍が自民党総裁に再選されれば、もう3年も続く。そうすると、次は一気に若返る可能性が高い。それを快く思わない人もいるだろう。それが消費税やTPPの政策課題の判断という形を取って、党内の政争が起きるわけである。当面は秋に、消費税増税とTPPの条件の最終判断をしなければならない。

 だから秋までは、安倍首相は低姿勢を続けざるを得ない。衆参で大勝したけど、案外安全運転を続けているではないかというムードが求められるのである。しかし、政界は一寸先は闇。何が起きるか判らない以上は、多数を持っている間に思ったことをやってしまおうという誘惑が強くなる。それが2014年。つまり来年こそが真に重大な政治の季節になりそうであると僕は予感する。野党のどこが少し減ろうが増えようが、最後は国家と民衆が直接対峙するという政治の本質は変わらない。いよいよ、来るのではないか。あっちにつくか、こっちにつくか、一人ひとりが決めなくてはならない時が。
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民意を反映しない中選挙区制⑤

2013年06月22日 00時06分58秒 |  〃  (選挙)
 さて、この問題も最後。なんで日本で「中選挙区」という制度ができたのかという歴史である。日本の最初の選挙は、1890年、明治23年。それは制限選挙(25歳以上の男性で、かつ直接国税を15円以上納めているもの)だったけど、とにかく欧米以外で最初に行われた国政選挙だった。その時は、基本は小選挙区だけど、有権者の多い農村部で2人を選ぶ選挙区(2名連記)だった。有権者は裕福な地主が多い農村部の方が多かった時代である。軍人なども選挙権はなく、人口の1.1%しか投票できなかった。(また北海道と沖縄では選挙がなかった。)何で小選挙区が中心だったかと言っても、政党政治以前だから比例代表にはできない。政府に少し物申せる人民の代表を選ぶための仕組みだから、個人を選ぶという意識だろう。欧米にならって小選挙区を基本としたんだと思う。

 その後20世紀になると、大選挙区を基本に一部で小選挙区となる。それがしばらく続いて、原敬内閣の時代に完全な小選挙区となり2回行われた。ここまでが制限選挙。それが、1928年の第1回普通選挙の時から、いわゆる「中選挙区」になる。普通選挙(財産制限のない選挙)を求めた第2次護憲運動は、いわゆる「護憲3派」が主導した。憲政会(後の立憲民政党)、立憲政友会、革新倶楽部である。これらの各党が協力するために、小選挙区をやめてお互いが当選しやすい「中選挙区」を作ったと言われている。その後、政友会対民政党の、戦前の短い「二大政党制」時代があったわけである。だから、中選挙区というのは初めから妥協というか、政治家同士がお互いに落ちないように工夫した選挙だったのである。

 戦後になるとまた変わる。戦後第1回の1946年の選挙は、都道府県ごとの大選挙区だった。(東京、大阪など6都道府県は2つに分けた。)この時は2人、または3人に投票できる「連記投票」が採用されていて、初めて立候補できるようになった女性が39人も当選した理由である。一つの県で10人以上を、一人で2~3人に投票して選ぶという実に不思議な制度で、3人も名が書けるんだったら一人くらい女にするかというような人が多かったということだろう。それが新憲法が制定された1947年の総選挙からまた「中選挙区」に戻ってしまう。何で変えたのかよく判らないが、46年が不思議過ぎて、長年慣れた仕組みに戻したということではないか。それがしばらく続き、93年の「政治改革」で「小選挙区比例代表並立制」となり、1996年以来6回行われている。

 こういう風に、選挙制度もずいぶん変遷があるものなのだが、日本で一度も変わっていない点がある。それは「候補者名を有権者が書く」(自書式)という点である。世界的にはこっちの方が不思議で、日本では地方選挙の一部で「機械投票」が試行されたこともあるが定着しなかった。投票用紙や開票システムの改善が進んで、午後8時まで投票していても12時頃までには大勢が判明するようになったことも自書式が変わらない理由だろう。明治の初めから、有権者が字を書けるのは選挙の前提で、国内に多民族がいて公用語が通じないとか、字が読めない有権者が多いのでシンボルカラーでを選ぶとか、そういう必要はない。でも、同姓の候補は多いし(特に地方選挙の大選挙区の場合)、候補に○をするという生徒会選挙なんかでよくある方法も悪くないと思う。(愛媛県第3区は、09年に民主党白石洋一が当選し、自民党白石徹が落選した。12年には逆に白石徹が当選し、白石洋一が落選した。2回続けて白石対決である。○をした方が判りやすい。)ただし実際に○方式を採用すれば、最初に書いてある人に○をするとか、×を書いた人はどうするかとか、いろいろなケースも出てくるだろう。

 だから、候補の名前を有権者が書ける制度でないと選挙した気分にならないのではないか。衆参すべて政党名しか書けないという制度は、とても国民の支持がないと思う。もちろん完全な比例代表にすれば、一票の平等問題は解決するし、実質的な「首相公選制」になるはずである。でも、そのことのメリットがどれだけあるとしても、多分地元の先生の名前を書けなくなるというのでは国民の支持が得られないと思う。だから中選挙区制度へのノスタルジーがなくならない。しかし、そういうことを主張する人の多くの中には、意識するとぜざると、「党利党略」があるのではないか。かつて公明党が「定数3の中選挙区150を作る」という案を主張したことがある。これなら都市部で、自民、民主の次に3人目で公明が当選できる。他は自民か民主が2人当選するが、公明がキャスティングボードを握れる一方、共産党以下は当選できないという「スグレモノ」の発想である。もちろん公明党にとって。

 一見判りやすいように見えて、この制度は党利党略としか思えない。定数2の選挙区を200作れば定数削減になるし、同じ450議席でも、定数5の選挙区を90作ってもいいではないか。その場合は島根と鳥取など合県するところが出るだろうが。もちろん定数4の選挙区を100程度作ってもいいだろう。つまり選挙区の定数には理由がないのである。一票の平等を考え、つじつま合わせで数字をいじるだけである。今やっている都議選でも、東京の真ん中にある千代田区と中央区は定数が1人になっている。ずっと自民党の重鎮が当選を続けたが、前回両方とも民主党が当選した。(今回は千代田の民主議員は維新に移って他区で立候補している。)では都議選では基礎自治体ごとに選ぶのかと言えば、多摩地区なんかでは市が2つか3つ集まって一つの選挙区になってるところもある。多摩市と稲城市で構成する南多摩選挙区は、前回当選した民主と自民の議員が今回も出ている。もし、千代田区と中央区を合区して定数2の選挙区にすれば、前回も民主と自民が分け合っただろう。

 何が言いたいかというと、比例にするか、全部小選挙区にするかでないと、リクツが立たないのである。あるところでは定数が3人、あるところでは4人さらに5人、などという制度は、その地区の有権者にとって理由が判らない。党利党略を離れて、論理で考えてみれば誰でも判ることである。その上で個人の名前を書くという日本の歴史に根付いている制度を生かすにはどうすればいいのか。これはまたいずれ書きたいと思う。比例代表にすればいいという話でもない。ベターな改善はあっても、選挙にベストはない。
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民意を反映しない中選挙区制④

2013年06月20日 23時05分03秒 |  〃  (選挙)
 前回までの話で、「中選挙区」制度は、有権者が当選者の決定に部分的にしか関与できないという原理的な問題があるということを書いた。それでも世の中には「中選挙区の方が良かった」という人がかなりいるようである。それは「中選挙区」という制度が、「疑似比例代表制度」とでも言うべき制度であり、また「人を選ぶ」という選挙制度だったからだと思う。

 定数が5人もあれば、大政党は2人以上を立てないと過半数を取れない。かつては自民党だけで5人全員を独占するような選挙区もあった。しかし、都市部では多党化が進行して、自民、社会の他に、公明、共産、民社というかつての主要な5政党が勢ぞろいして当選するような選挙区もあった。この結果は、「ほとんど比例代表制」である。しかし、地方では自民党の有力者が長く議席を当選し、社会党は複数立てても共倒れするので候補を絞らざるを得なかった。社会党、公明党、民社党で「非自民政権を目指す」などと言っていた時もあるが、この3党の全候補者がすべて当選したとしても、衆議院の過半数にはならなかった。選挙する前から、自民党政権の継続が約束されていた時代だったのである。そういう時代の選挙制度の方が良かったという人が僕には理解できない。

 しかし、この制度には「隠された意味」があった。それは社会党などの野党勢力が3分の1以上は当選できたということである。つまり、「絶対に過半数は取れない」が、「ほぼ確実に3分の1は取れる」という制度だったのである。日本全部で130程度の選挙区があったが、地方の選挙区でも役所や学校はあるわけだし、大工場なんかも少しはあるものである。そういう労働組合票が選挙区レベルでまとまれば、社会党の1人くらいは当選できることが多い。だから都市部で公明党や共産党が当選できるところも加えると、野党勢力が200程度は取れるわけである。(衆議院の総定数は一番多い時は512議席。)そのため「改憲を党是とする」自民党といえども、憲法改正を実現することの無理は判っていた。だから、憲法の条文はそのままに、解釈の方を変えていく「解釈改憲」を進めてきたわけである。そのことの是非は議論があると思うが、とにかく「中選挙区が明文改憲を阻止してきた」または「中選挙区が解釈改憲を促進してきた」という事実はあるわけである。

 もう一つ、中選挙区は同じ党の候補がぶつかるので「政党より候補者を選ぶ」という特性があった。これは国会が首相を指名するという制度の下では、考えてみればおかしなことである。が、見方を変えれば、有権者にとっても「選択メニューが多い方が面白い」という面があるのは間違いない。(例えば都議選の世田谷選挙区=定数8では、自民(3)、民主(2)、維新(2)、公明(2)、みんな、共産、社民に加え、地域政党の「生活者ネットワーク」の現職、「行革110番」の元職と14人もそろっている。1票しか投票できないのでは困ってしまうぐらいである。)

 かつての国政選挙では、有名な「群馬3区」(定数4人)があった。中選挙区になった1947年選挙で中曽根康弘が当選し、1952年に福田赳夫が当選した。この両者が自民党の有力議員に成長する中で、1963年に小渕恵三が当選した。社会党は一番勢力が強かった1950年代に2人当選した時代もあったが、後には山口鶴男しか当選できないようになった。驚くべきことに、1967年から1986年まで、8回もの衆議院選挙で、この4人のみが当選し続けた。福田(赳夫)と中曽根が首相になる中、小渕は「ビルの谷間のラーメン屋」と自嘲したが、その小渕も1998年に橋本龍太郎の後で首相を務めた。山口鶴男も土井たか子委員長時代に社会党書記長を務めた人物で、群馬3区は有力政治家を一番輩出した選挙区といえるだろう。ここまで有名人がそろうと、もう他の人が食い込めない。興味は順番争いだけとなる。トップ当選回数を比べれば、福田赳夫10回、中曽根5回、小渕1回、福田康夫1回、他1回である。 

 はっきり言って、選挙するまでもなく当選が約束されている政治家がいたのが「中選挙区」である。メンツにかけてトップ当選を目指すというのなら別だが、4人か5人の中に入ればいいんだったら大体当選できる。大臣を務めたような有力政治家には、なかなか「美味しい制度」だったのである。だから、まあ失言が少しあったって(時には汚職事件で逮捕起訴されたって)、自分の親の代から支持していたというような地盤を固めれば何とか最下位には滑り込める。小選挙区だと選挙区の全有権者を意識していないといけないが、中選挙区だと「自分を毎回支持してくれる固い支持者」だけを意識していればいい。その固い支持者が離れない限り、浮動票は逃げて行っても最下位当選が見えてくるわけである。

 2005年の「郵政解散」では「小泉チルドレン」なる自民党新人議員が誕生し、2009年には彼らはほとんど落選して民主党新人に代わり、2012年の総選挙でまたまた民主党議員が大勢落選し、自民党に替わった。これでは政治家としての経験が積めて行かない、政治家の幅が小さくなってしまう、昔の自民党にはもっと幅があったという人もいる、確かに昔の自民党には、極右というべき政治家からリベラルで知られる政治家までがいて、お互いに争いながら一党の中で切磋琢磨していたという面はある。でも、そういう政治家がいた理由が、「有力政治家は中選挙区ではほとんど落選しないので、有権者にこびるポピュリズムにならなかった」というのはどうだろう。毎回当選を約束され緊張感が足りなくなり、汚職やスキャンダルが絶えなかったという面も中選挙区にはあるはずだ。自民、民主、自民と3回続けて、比例区の下位の方で当選できると思っていなかったのに党の勢いが良くて当選できてしまった、というような議員が大量に出た。これは確かに問題だと思うけど、これは「小選挙区比例代表並立制」の問題というべきではないのか。

 選挙の歴史を振り返る余裕がなくなったので、この問題でもう一回書きたいが、日本では「候補者の名前を書く」という選挙が続いてきた。だから、日本の有権者は、多くの候補の中から候補者の名前を選ぶ選挙になれているし、議員その人を直接選ぶ権利があると思っている。党の名前とかシンボルカラーだけ選んで、誰が議員になれるかは政党におまかせ、という選挙には「NO!」というだろう。中選挙区の中のいい面を残し、中選挙区の弊害の面をなくし、同時に一票の格差をなくし、直接議員の名前を書く。こういう制度があれば一番いいのではないかと思うけど…。
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民意を反映しない中選挙区制③

2013年06月19日 23時07分11秒 |  〃  (選挙)
 「中選挙区」とカッコをつけていたが、はずすことにした。単にブログをパソコンで見るときに、数字だけ次の行になってしまうから。「中選挙区」の定義ははっきりしないので、本当はカッコがいると思う。かつての衆議院選挙は、基本的に3人、4人、5人を選んでいた。昔は参議院に「全国区」というのがあり、一挙に50人を選んでいた。全国を駆け回る必要があるので「残酷区」と呼ばれたりして、86年から「比例代表区」に変わった。それは確かにものすごい「大選挙区」だったから、それより少ない衆議院を「中選挙区」と呼ぶようになったのだと思う。でも都議選にある定数8は中選挙区か大選挙区か、誰にも答えようがないだろう。

 歴史的にどうして衆議院が「中選挙区」になったかは別に書くとして、原理的な話を先にすれば、「小選挙区」と「比例代表区」は、有権者の投票行動が議会の構成を直接決定する制度である。「比例代表」の場合、政党ごとの当選者数は有権者の投票割合通りに決まるわけだから、有権者の一票がそのまま生かされる。支持政党が少数の得票しかなくて誰も当選できなかったとしても、誰も恨むわけには行かない。だけど、当選者の顔ぶれは有権者の期待通りでない場合もある。(政党が事前に名簿を作り、その順番で当選が決まる場合など。)だから比例代表は、政党の当選割合を決めるにはいいけど、欠点もあるわけだ。

 一方、「小選挙区」の場合は、それぞれの選挙区で得票が一番だった人しか当選できない。その意味では確かに「死票」が多いわけだが、それを「死票」と呼ぶべきだろうか。どんな選挙制度にしても、少数政党の支持者はガッカリする結果になる。それでも比例、または「中選挙区」なら、第2党、第3党、第4党辺りまでは当選する可能性がある。小選挙区では一つの党しか当選しないわけだが、でもどの党が第1党になるかは、開票してみないと判らない。小党の支持者も選挙に行った結果として、得票がより少ない候補が落選するのであって、「死票」というより、「多数を生かすための票」とでも言うべきではないか。(もっとも今は「出口調査」などというものがあり、開票が始まった瞬間に当選確実が出たりするが。)それぞれの選挙区で一番の候補が当選するので、有権者はその候補の当選そのものには文句のつけようがない。だから、その結果として、有権者の一票が議会構成を決めるということも間違ない。(ただし、得票1位の候補が過半数に達しない場合は、1位と2位で決戦投票をすべきだという考えはある。フランスはそういう制度。)

 それに対して、「中選挙区」の場合だと、有権者の一票が決めるのは定数内で一人の候補が当選するかどうかしかない。3人区の場合、自分の支持した候補が当選したとしても、残りの2人には責任がない。定数3人の中で、有権者が決めるのは3分の1でしかない。僕が理論的な面で「中選挙区は民意を反映しない」と言ってるのは、この点なのである。

 映画でベストテン選びという行事があるが、評論家なんかが10本の映画を選び、1位に推す映画を10点、以下9点、8点…と数えて、10位の作品を1点として集計するというやり方が普通である。映画に完全に合理的な採点をすることはできないだろうが、このやり方で集計した結果が「参加した評論家が選んだ10本」を反映しているのは間違いない。一方、「思い出の映画3本」などという企画を雑誌が行う場合がある。それで上がってきた映画の数を単純に数えて、「思い出の映画ベストテン」などというなら数字的な信用性がない。(単なる「思い出企画」だから目くじらを立てるほどではないが。)もちろん今の場合、「思い出の映画ベスト3」ならいいのである。皆が3つまで選んでいるのなら、集計の信用性があるのは3位までである。評論家に一本の映画を選んでもらったら、「昨年のベスト映画」しか選べない。一本の映画を選んでもらい、その結果でベストテンを作ったら、間違いになってしまうではないか。

 この間違いが、つまり「中選挙区」なのである。3人を選ぶというのに、1人にしか投票できないだから、その結果は当然のこととして有権者の多数意思を反映していない。3人を選ぶんだったら、有権者は3票を投じる権利があるはずなのである。これが「理論的に見た場合の中選挙区制の最大の問題点」なのである。ただし、政治家一人一人が「政党ひとり」に所属しているものとみなすと、「中選挙区」でも「政党ひとり」を比例代表制で選んでいるのと同じ結果となる。事実、昔の有権者は自民党ではなく、「福田党」「中曽根党」「小渕党」などに投票しているような意識を持っていた。同じ党の候補どうしで、お互いに負けられないと競っていたのである。

 よく学校の生徒会選挙なんかで、会長は1人だから「小選挙区」だけど、副会長は2人なんて言うことがある。今はなかなか立候補が少ないから信任投票しかやらないことが多いかもしれないが、もし副会長に3人が立候補したらどうするか。3人の名前を印刷した投票用紙を配り、その中の2人に○をするようにという選挙をするのではないか。大人の団体の選挙、例えば労働組合の選挙なんかでも同じだろう。副委員長2人に、主流派から2人、反主流派から1人が立つ。有権者は2票入れられるから、結局主流派の候補者が執行部を独占してしまったりする。だから、「中選挙区」の方が「面白い選挙結果」が出ることはある。(前回見た参議院選の結果もそうだろう。与党が票割で失敗して、新党が当選するという「面白い結果」になっている。)しかし、それはそれとして「有権者の投票意思」を全議席に生かすためには、定数分の投票権がなければならないのである。なんで「中選挙区」という選挙制度ができたか、「中選挙区」の方が良かったという人は何をいいと言っているのかなどをもう一回。
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