工藤鍼灸院・院長のひとりごと2

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紘子先生退職のお知らせ

2010年03月12日 20時56分42秒 | 工藤鍼灸院の出来事
副院長の紘子先生が本日付で退職する事になりましたので、皆様にご報告申し上げます。

紘子先生は今春、以前から本人の夢であった介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格を取得しました。
今後はそちらを専門とし、十年ぶりに介護職の世界へ戻る事になります。
以下、紘子先生が2時間かけて作成したごあいさつです。

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私は大学卒業後、デイケア(通所リハビリ)の施設で働いていました。そこに通う70前後のおじいちゃん、おばあちゃんは地元を離れ京都で生活する私にとって本当に祖父母のようでした。脳梗塞の後遺症を持ってる方がほとんどでしたが、毎日明るく穏やかな雰囲気でした。利用者さんが一番頼りにしているのはケアマネさんです。心配事、わからない事、予定の変更、体調の変化なんでもケアマネさんに連絡してからじゃないと・・・と言っていました。
京都での事があり、ケアマネには興味がありました。仕事もして見たいと思っていましたが、何もわからないまま進んでいく研修でかなりへこみました。資格を持ってるだけでいいかなぁと弱気になってましたが、研修後半の特別講義でやっぱりやりたいと思いました。その講義の内容は、ケアマネになるまでの過程やケアマネの一ヶ月の仕事だったり、今まで立ち上げたネットワークだったりでした。この先生の下で働きたいと思い、講義終了後に先生を訪ね、働かせて欲しいと伝えました。この先生に出会ったことも縁だと思います。
患者さんの皆さん、今まで本当にありがとうございました。これからはケアマネとしてがんばります。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

・・・なんだかよくわからない文章ですが、「私は理系の人間なのでこれで許してください」と申しておりました。
いやいや、そういう問題じゃないと思うんだけど(^^;)

紘子先生に代わってご説明申し上げます。

紘子先生は大学卒業後から当院の立ち上げに至るまでの期間、数ヶ所の介護福祉施設に勤務していた経験がございます。その経験から介護支援専門員(ケアマネジャー)のお仕事に興味を持ち、いつかは介護支援専門員として働きたいという夢を抱いておりました。
この3年間は資格取得のため、家事と育児、そして仕事をこなしながら独学で勉強をする毎日でした。昨年12月、合格率20%の難関を乗り越えて見事合格し、先日ようやく研修期間を終えたところでありました。ご縁があってこの資格を生かす事ができる職場からお誘いを受け、本当に急な話となりましたが、この度の退職に至った次第でございます。
産休を2度はさみましたから、紘子先生は実質8年間の勤務となりました。話好きで世話を焼くのが大好きな紘子先生は、当院にとってかけがえのない人でした。当院にとっては大幅な戦力ダウンとなりますが、私としては長年の紘子先生の夢を叶えてあげたいという思いもあり、本日付けでの退職を了承した次第でございます。

紘子先生は、時にはお年寄りの話し相手となり、時にはお子さん方の遊び相手となってくれました。

紘子先生が大好きなお年寄りも多く、治療はしないけど紘子先生と話に来るという患者さんもおりました。

ひとり暮らしのおじいちゃんが来れば、突然おじいちゃんの耳掃除を始める紘子先生。

ちょっと出かけてくると言い残し、そのまま夕方まで7時間帰って来ない事もあった紘子先生。

足りない物はすぐにそろえてくれた、とっても気が利く紘子先生。

「私しゃべる人、あなた動く人」という名言を残してくれた紘子先生。

出産の前日まで普通に仕事していた紘子先生。

「明日から夏休みをいただきます」と言い残し、突如40日間の長期休暇に入る紘子先生。

院内の洗濯物は全部ひとりで引き受けてくれた紘子先生。

でも掃除は苦手だった紘子先生。

得意のお裁縫を生かしていろいろなものを縫ってくれた紘子先生。

小さなお子さんに「おねえさん」と呼ばれて大喜びする紘子先生。

「おじいちゃん」と呼ばれた私を指差して笑い転げる紘子先生。

情に厚く涙もろい紘子先生。

そのくせ私には冷たい紘子先生。

泣き言を言いつつもお勉強をがんばった紘子先生。

長年の夢がかなった紘子先生。

「好きな時に来て、好きな時に休める。こんな楽な仕事なのにざ~んね~ん」と最後まで毒を吐き続けた紘子先生。

でも最後の患者さんの時にはちょっぴり寂しそうにしていた紘子先生。

たくさんの思い出がありますけれど、一旦ここで紘子先生は当院を離れる事となります。

紘子先生は患者様方にとっても愛されていました。きっと紘子先生にとっては幸せな8年間だったと思います。患者様の皆様には心より御礼申し上げます。
紘子先生、今まで本当にありがとう。これからは介護の世界でそのおせっかいぶりを如何なく発揮していただきたいと願っております。



まぁ、とりあえずがんばれ。いつ戻って来てもいいからね。
コメント (2)
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