工藤鍼灸院・院長のひとりごと2

真岡市(ハローワーク向かい)
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あなたの街のはり屋さん
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禅問答

2008年09月30日 20時12分17秒 | その他
今日で平成20年度の上半期も終了でございます。桜咲く4月から半年。あっという間に季節は秋となってしまいました。秋は収斂の季節ですから肺がよく働き、体内に陽気を引き込もうとする時期でございます。喘息や気管支炎など呼吸器系の持病をお持ちの方は発作のおきやすい時期でありますが故、どうぞご自愛くださいね。

はいどーも。院長でございます。

数日前の事なんですけど、家の茂みにヘビがいたんですよ。茶色くて結構大きなヘビがとぐろ巻いて日向ぼっこでもしてたみたいなんです。秋ですからね、そろそろ冬眠の準備に入るところで食べ物でも探しにやってきたんでしょうかねぇ。ところが私はその存在に全く気付かず、たまたまその側を通ったら突然ヘビが鎌首持ち上げて威嚇して参りましてね。噛み付かれそうになってびっくり致しました(^A^;)

早速、家にいた坊主に教えたんですよ。そこにヘビいるから外出たら気をつけろ~って。すると坊主、すぐに友達を呼んで参りまして、みんなで一斉にヘビ退治を始めたらしいんです。「でっかい石投げたら潰れちゃった!!」って平気な顔して言うわけですよ(・_・;)

・・・おいおい、かわいそうな事するなよ(-_-;)

な~んて申したわけですが、よく考えると私も幼少の頃はカエルやザリガニ、昆虫などを捕まえては結構残酷な事してました(私はヘビは怖くてやった事ないです・笑)。
大人になった今、あの行動を冷静に考えてみると、ああいうちょっとした残酷な経験から命について学び、死を身近な存在として感じていたように思います。ある意味子どもだからこそ許される「必要悪」なのかも知れないなぁっていう思いもございます。

男の子の遊びといえば昔は野球やサッカー、木登りに秘密基地作り。ところが今は、そもそも子ども達が外で自由に遊べる環境が限られてしまい、自然と接する機会も少なくなりました。木から飛び降りたり、深い川で遊んでみたり、みんなで山の中を散策したり。昔は大人の目を盗んでちょっぴり危険な事をやったものですが、いい悪いは別として、今はちょっとでも危険があればすぐに規制がかかり簡単には経験出来ない社会になりつつあります。当然、自然の中で生き物と触れ合う機会も減り、自らの手で命を奪う、他の命を絶つという経験はしづらい社会になりました。いい悪いは別としてね。
・・・何しろ今はゴキブリでも泡に包まれて死ぬ時代ですからねぇ(笑)。死ぬところが全く見えないのよ。ゴキブリにだって命があるはずなのに、殺すところ、死ぬ場面は直接目に触れない泡の中で起こっている。
まぁゴキブリの話はどーでもいいとしてもね、現代社会は生と死を切り離しすぎているように常日頃から感じております。

以前、我が家で飼っていた猫が車にひかれて死んでしまった事がありました。体の損傷も激しく、即死だったっと思われる痛ましい最期でしたが、私はあえてその亡骸を子ども達に見せ、触れる事を許しました。かわいがっていた猫だった事もありますが、それ以上に死を実感させるには死を隠してはいけないと思ったわけでございます。
生き物の死を見せるというのは非常に勇気のいる事でした。そんなもの見せちゃいけないと思う方もたくさんいるでしょう。それはそれで正しい判断なのかも知れません。しかし、死を見つめるという事は生を見直す事にもつながると思うんです。
生きているってどういう事なのか。死ぬってどういう事なのか。身近な生き物の死を通して何かを感じ取って欲しいとそう願ったわけですが、実際に子ども達がどう感じたかはわかりません。

私自身が一体どのくらい生きられるかわかりませんが、もし私の死が予見できるものであったとすれば、私は自分の死ぬ瞬間を子ども達に見せてあげたいと考えています。要するに「俺を看取れ」とお願いしたいわけですが(^^;)、それが私が子ども達にしてあげられる最後の教育だと信じております。

これを観てそんな事を考えた本日でございます。




命の授業。十数年ぶりに観ました。
大人になった今観ても正しい答えはわかりません・・・。
コメント (2)
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