実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

ユナイテッドアローズ  実戦教師塾通信三百九十号

2014-06-10 11:11:06 | 思想/哲学
 ユナイテッドアローズ


 1 「糸口」

        
          ユナイテッドアローズ原宿本店ウィメンズ館
 五月、ユナイテッドアローズ原宿本店で『男着物倶楽部(クラブ)』が開催(かいさい)された。
 十代目誉田屋源兵衛さんが、結城紬(ゆうきつむぎ)井上和也社長とのトークショーで語った。
「蚕(かいこ)が糸を吐(は)き始めたところと、吐き終わったところ」
「それが糸口や」
「繭(まゆ)の糸口さえみつかれば」
「1,5㎞にわたる絹糸は、誰でも取れる」
「糸は、糸口から切れることなく最後までつながる」
「よく見れば、糸口は必ず見つかる」
            
              季刊『iichiko』より
もうそれは修行僧(しゅぎょうそう)の出で立ちの源兵衛さんの口から、次々といちいちもっともな言葉が出るもので、
「それを『糸口』というのか」「それで『糸口』と呼ばれるのか」
と「糸口」の意味することが、ダイナミックにシフトしてしまう。びっくりだ。
 蚕が成虫となり、繭を突き破って羽化(うか)する前に、熱湯で蚕/繭を処理する。蚕の出ていったあとの繭からだって絹糸はとれるのに、もったいないと思ったのは小学生の時だ。でも、それだと繭から取れる絹糸がずたずたになるということが、もう65歳を越えているこの日に分かった。
 「金の(糸の)布」「孔雀(くじゃく)の羽の布」と、写真に撮るのも憚(はばか)れるものが「生」で並んでいる。でも「どうぞ触(さわ)ってみてください」と言うので、恐る恐る触ってみた。ひたすらすごいと思っているだけの私なので、触ったところで、同じくこれはきっとすごいんだと思うだけである。
 この孔雀の布のことで、源兵衛さんは、
「私は職人さんに『こうして下さい』って言うだけなん、ちっとも大変やない」
「大変なのは、実際作る職人さんや」
さらに、羽の方向までは指示しないのに、
「そこまで職人さんがやってしまう」
「そうしないと気が済まない、という気持ちがあるんや」
と言う。そして、これを「日本の職人さんの気質」だと、強調した。


 2 「非分離」「述語性」
 山本哲士氏がレクチャーする。着物は「述語性」の文化だ。
 このブログの読者には多少解説する。風呂敷/箸(はし)/着物はすべて、
「相手を選ばない」。
例えば、カバンは入れるものを選ぶが、風呂敷は入れるものに合わせて「包む」。これを
「相手/対象との非分離な状態」
と言い、
「相手は誰でもいい」
という、
「主(語)のない述語性の機能」
と呼ぶ。んだと思う。はしょり過ぎだと怒られそうだが、そんなことである。
            
            始まる前の会場。中央が山本氏
 山本氏が着ているのが結城の紬である。実は私も着た。山本氏は洋服で出向いた私をつかまえて、これを着ろ、と言って渡した。会場の着付け師の方が着せてくれた。見た目では、山本氏のものとまったく同じものだ。しかし、風合いがまったく違っていた。山本氏のものはひたすら柔らかい。私が着たものは機械がよりだした糸で作った生地(きじ)である。山本氏のは「手」なんだそうだ。値段は山本氏のものは、私の着たものの三倍である。山本氏は結城でいったんあきらめ、私が着ているものを買ったそうだ。しかしあきらめられず、現在のものとなったという。
 二人並んで、会場でその違いをみてもらおうということなのだった。
「財産はたいても買おうと思うのが『もの』で、どこでもあるものが『商品』だ」
というレクチャーだった。『なぜ安アパートに住んでポルシェを買うのか』(ペーパーバックス)を思い出した。


 3 武蔵/小次郎
  松竹衣装(いしょう)で歌舞伎や舞踊(ぶよう)の着付けをしてきた笹島先生は、
「明治になって男は着物を奪(うば)われた。着物を奪われて男は弱くなった」
「女は昭和になって着物を奪われた。着物を奪われて女は強くなった」
と話した。
 懇親会(こんしんかい)になったので、私はかねてから先生に聞きたかったことをたずねた。
「武蔵はね、すそについたひもで袴(はかま)のすそをまとめたの。小次郎は袴のすそをあげるひもで、すそを持ち上げたのよ」
私の下手くそな質問に、先生は武蔵と小次郎をあげて説明した。まさかの両雄(りょうゆう)の話となり、私はまたまたびっくりであった。
「男たちは生きるか死ぬかの前に、身拵え(みごしらえ)をちゃんとしてたのよ」
うほ~すごいなあ、である。別なことを聞いていたつもりが、私の身体に気がみなぎっていく。


 ☆☆
この日、山本氏は私の履物(はきもの)までは用意してませんでした。従って私は野暮ったいことに、靴をはいたままだったのです。着付けをしてくれた方は、
「ぜんぜんおかしくないですよ」
と言うのです。確かに最近、ブーツファッションで着物とかあるんですねえ。でも、ヤですけどね。

 ☆☆
つい先日、長崎で横浜市の中学生が、被爆者に対して、
「死に損(そこ)ない」
発言をしましたね。ニュースの中でもっとも滑稽(こっけい)、かつ許せないと思ったのは、校長の、
「こんなことは許されるものではない」
でした。私のこの反応にみなさんも同感だったらいいなと思ってます。ちゃんとレポートしなきゃと思います。

白鵬  実戦教師塾通信三百八十九号

2014-06-08 11:14:47 | エンターテインメント
 白鵬-稀代の横綱


 1 「本当のこと」

「紗代子さん、あなたを愛しています」
私は相撲取りであり横綱でありますが、ひとりの男であり夫でもあるのです、のあとにこの締(し)めくくりである。白鵬は何度、日本人を感動させただろう。やっぱりあなたはただ者ではない、と思うばかりだ。
 以前の白鵬は、負けをひきずったという。しかし今では、帰宅して子どもの顔を見ればすぐに気持ちが切り替わるそうだ。
「子どもの力、家族の力という目に見えないものがある」(角川書店『相撲よ!』より)
という。よく子どもたちが、
「おばあちゃんといるのが楽しい」
と言う。あれは、そこに、
「揺(ゆ)るぎない場所/時間」
があるからだ。外、または自分の世界とは違う時間が、そこに変わることなく流れているからだ。子どもたちがそれで落ち着く。それと似ているかもしれない。「家」の最大の役割というか、姿を白鵬は感じて言っている。
 そんな安定した状態で今場所は相撲を取れなかった。流産を知ったのは13日目だったという。もともと彼女の安否(あんぴ)を気づかって名古屋に来ていたわけである。『相撲よ!』には、
「私は五人兄弟なので、子どもは五人欲しいね」
と言っているが、
「これだけは授(さず)かり物なので、どうなることかわからない」
ともある。今回の出来事に白鵬がどんな態度で臨(のぞ)んだか、心中はわずかながら察することができるように思う。
 記者会見を中止することで、様々な憶測(おくそく)や勘繰りが生まれることは分かっていた。しかし、
「モンゴルの新聞によって、10回くらい結婚させられている」(同書より)
白鵬にとっては、たいしたことではなかったのだろうか。周囲の大騒ぎは彼女にも伝わっていただろう。二人がお互いを思いやる言葉を交(か)わしたことが、容易(ようい)に想像できる。
 海老蔵が泣いたという。そこで海老蔵は、
「本当のことがわからないと、外野の言うことが本当だと思えてしまう」
とも言っている。いろいろなことを教えてくれる横綱である。
        
        左端に幼(おさな)い頃の白鵬がいる(同書)


 2 「仕合」
 白鵬が「そんじょそこらの横綱ではない」ことを検証するために、取り組みを振り返っておきたい。
「取り乱す」
とは「通常の所作(しょさ)が出来ない」ことである。私がオヤと思ったのは、勝ち方だった。相手がまだ土俵下だったか、まだ礼をする状態にない時、白鵬がもう行司(ぎょうじ)の勝ち名乗りを待っている。これが一回ではなかった。驚いた。以前もこんなことがあったが、それは一年か二年前、最初の当たりで松鳳山が脳震盪(のうしんとう)を起こした時だ。あの時は松鳳山がまだ痙攣(けいれん)が納まらず起き上がれない状態のまま、勝ち名乗りを受けてしまった。いつもなら相手に手を添(そ)えることを忘れない横綱は、多分「取り乱した」。自分の力による相手の異変に驚いた。行司も驚き、そのまま勝ち名乗りを上げてしまった。という出来事だと思っている。それが複数回。今場所はそのほか「だめ押し」も目立った。
 いつもの横綱は、相手に仕(つか)える気持ちが満ちている。武道を志(こころざ)す私達が「試合」=「仕合」、つまり「つかえあう」と名付ける所以(ゆえん)である。この所作が身についている横綱が、今場所はそれを疑わせるような場面が複数あった。舞の海がやはり感じたようで、それを、
「強さを見せつけるような」
相撲だと言った。私には、横綱の気が散っているようにしか見えなかった。これを取り上げようとしたら、普通は「横綱の品格」という問題になるのかもしれないが、白鵬の場合は違う。私には、
「一体何があったのだ?」
という思いであった。でも分かった。今場所の横綱は、
「相撲のことを考える余裕(よゆう)がなかった」
「『勝ちに行く』しかなかった」
のだ。
 しかし、なんという懐(ふところ)の深さだろう。
            
                 同書から
 前にも言ったがもう一度言う。今生きている人の中で「日本人は誰か」と聞かれたら、私は迷わずに、ドナルドキーンと白鵬をあげます。


 ☆☆
マー君、9勝目ですね。アスレチックスは徹底(てってい)して「低めを打たない」作戦だったそうで、でも、マー君は、
「我慢比べなら負けないぞ」
と思ったという。いやあ、なんつーか、です。
楽天は、そのマー君と星野監督がいない。大変だ~
でも監督はゆっくり、そしてちゃんと治して欲しいですね。

 ☆☆
この間、雨あがりを歩いていたら、美容院の入り口からずっと外を見ている若いスタッフ(夫婦?)がいるのです。見ている先には、多分、今し方までお客さんだったおばあちゃんがいました。背中が大きく曲がって、両手で支(ささ)える歩行器に必死にしがみついている彼女は、もう倒れんばかりでした。そのおばあちゃんを心配そうに二人は見ているのです。私も思わず立ち止まって、遠くからでしたが、ずっと見てしまいました。おばあちゃんの頭は、それはそれはきれいに仕上がっていて、これからどこかへ出かけるのだろうかなどと、私の想像をかきたてました。よかったですねと思った私です。いいものを見せてもらったと思う私です。

AKBも犯罪も 実戦教師塾通信三百八十八号

2014-06-04 11:58:41 | 子ども/学校
 AKBも犯罪も
     ~承認と埋没(まいぼつ)の狭間(はざま)に~


 1 「虚像(きょぞう)」

 芸能界がいまさら「虚像」だと思った。私達が行っている第一仮設への支援(しえん)でのことだ。この活動に、芸能界の仕事をしているメンバーが、いっとき居た。その彼女は「裏方(うらかた)」と言っても、あるグループの先生だ。
 このグループの大ファンが第一仮設にいることを知った私は、サインをもらってもらえないだろうか、と彼女に頼んだ。
「出来ません」
実に簡潔(かんけつ)だった。「御法度(ごはっと)」なんだという。そういう「個人的な事情」にもとづく行動は「罰金(ばっきん)」で、場合によっては「追放」もありなんだとか。その事情は「被災者」もなにもあったもんではないという。
「たかがサインだろう」
と私は何度も言った。しかし、彼女の口から出るのは「会社(事務所)」の言葉だった。
 そう言われて、例の「握手会」のニュースなんぞ見てると、確かにやってるのは握手だけだ。「すきを見てサイン」なんてのはやはり無理みたいだ。仮にやったとして、係から制止されるか本人から断(ことわ)られるか、のどちらかだそうだ。
            
「彼らは『発展途上(はってんとじょう)』なのよ」
生活もがんじがらめなんだそうだ。やっとのデビュー後にはそんな「不自由」が待っており、一流になったとすれば、そんな「不自由からの解放」があるとも言う。仲村トオルが突然この仮設を訪れて、気軽に撮影やサインに応じるという屈託(くったく)のなさは、人柄(ひとがら)はもちろんなのだが、いわば「実力の証(あかし)」だったのか、とこの時知った。
 この話には後日談(ごじつだん)がある。彼女(先生)の支援活動を知ったこのグループのひとりが、こっそり味噌を渡してくれた。これも「抜け駆け(ぬけがけ)」になるわけで、覚悟がいるらしい。せっかくの機会なので、私は仮設の「追っかけファン」に、その味噌を渡した。しかしなんともむなしい話だ。サインも何もないその味噌が、本人からのものなのかどうかは「信じる」以外にないのだ。
 「多くからの承認」=人気を得るため、彼ら彼女らは自分を埋没(まいぼつ)させる。しかし、この瞬間から今度は「人気の埋没」を恐(おそ)れる生活が始まる。
 なんてこった。始まったら終わることを知らない世界だ。


 2 「徐悪」だと?
 突然、教え子から「会えないか」と連絡があった。なんだと思って出て行くと、
「あたし、芸能プロダクションからスカウトされたの」
と、でっかいサングラスとだぶだぶのトレーナーでしゃべった。
「だからよろしく」
なんだとか。何が「よろしく」なんだかさっぱり分からんが、どうも駅頭にいる黒い服のお兄ちゃんたちに「認められた」らしい。さっそく名刺(めいし)をあてがわれたみたいで「見せて」くれた。「よかったね」と応じる私が、正しかったのかどうか分からない。でも、手応え(てごたえ)というものを知らずに大きくなっていく子どもたちの「像(ぞう)」が、手にとるようだった。この子たちには、世界が小さく見える。いや、非現実的な世界がリアルに見える、と言った方がいいか。
 このネット社会では、例えば今までは「陰口」に過ぎなかったものが、
「公認された『事実』『現実』」
となる。不特定で「自分の知らない人まで言う」からだ。あるいは、
「修学旅行でお風呂に入りたくない」
けど、どうすればいいかをネット上で打ち明け、その答えを見て、
「みんなが教えてくれた」
と言ったりする。何が「みんな」だよ、と思うがホントの話だ。前者は「気持ちを大きくする」。ホントは腰抜けが、勘違いを始める。後者は「孤絶(こぜつ)感からの解放」なのかね。本当は何も始まっていないというのに。
 私は今年の3月に起こった柏での殺人事件に、今の子どもたちが抱える「闇(やみ)」を見たように思っている。犯人が人をあやめるということにリアリティがあったとは思えない。しかし、その結果「自分の存在が承認された」ことにリアリティがあった。自分が犯罪を犯(おか)した結果この承認がえられたことは、犯人にとってどうでもよかったと思われる。
「徐悪連合軍万歳!」
とは、
「オレはここにいるぞ!」
と言ってるだけだ。

 今、犯人も子どもたちもみんな、承認と埋没の間を揺れ動いている。


 ☆☆
柏の犯人て、今は帰化(きか)していますが、外国籍だったそうですね。それで「凶悪犯はみんな外国人がやる」と、これもずいぶんネットで触れ回ってる腰抜けが、やっぱりたくさんいるようです。今回の栃木の容疑者ももとは外国籍だったそうで、また大変だ。世界にはいい人も悪い人もいるってそれだけのことを、この連中は分からないっていうか、気が大きくなってるよねえ。

 ☆☆
この間地方版に、少しばかり引きつけられたニュースがありました。59歳の公務員が「盗撮」なんです。役職や名前まで出されちゃったこの人は、
「女子高生の足を見てムラムラしてしまった」
と容疑を認めたといいます。正直なひとだなあと思ったのですよ。
「盗撮に興味があった」
なんていう、オメエ正直に言えよ、みたいな見苦しい言い訳をしてないんです。(短い)スカートの中を写しただけだろって、誰か言ってあげられなかったかな。でも常習犯だったのかなあ。

知らないこと分からないこと(下) 実戦教師塾通信三百八十七号

2014-06-02 16:48:46 | 福島からの報告
 知らないこと分からないこと(下)


 ☆☆
いやあ、驚きました。突然コンピュータの電源が切れて、真っ青でした。すぐに対応してもらって直ったからよかった。IPUの冷却(れいきゃく)装置がどうでこうでと言ってました。
たった一日でしたが、パソコンのない時間を過ごしていろいろ考えてしまいました。
では、福島からの報告です。

 1 「変な病気」?

 『美味しんぼ』のこと、皆さんはどう思っていますかと聞くと、
「井戸川さんの鼻血ブー?」
レジのおばちゃんが間を置かずに、双葉の前町長を茶化(ちゃか)した。広野の野菜直販所でのことだ。もうすっかり顔を覚えてもらった私は、
「お茶やってったら」
と声をかけられ、お茶のみコーナーに座ったのだ。ご近所のお客さんも一緒に、たちまち話の輪が出来た。
「あれはね~ はっきり言って迷惑(めいわく)だわ~」
「もとに戻(もど)そうと思って一生懸命やってんのにさ」
「せっかく落ち着いたと思ってたのに」
と手厳しい。私はレジのおばちゃんが以前、ここで売っている米を、
「私達は食べないよ」
と言っていたことを思い出しながら、しかしもちろん絶対口には出さずに、
「でも、今は不安はないんですか」
と聞く。一体何が「落ち着いた」のか、確かめないわけには行かない。
 ここで詳(くわ)しくは書かないが、先だって環境省が行った甲状腺ガンの「広域(こういき)調査」は、実はむちゃくちゃだ。他の三県と福島で発症(はっしょう)が同じになるように操作(そうさ)している。
 放影研(放射線影響研究所)の検証した、広島・長崎の歴史的データの「低線量被曝による影響の『低さ』」を、私はバカにしてはいない。しかし、福島での甲状腺ガン発症(またはその疑い)の多さは異常と言える。
 次第におばちゃんたちの空気が変わる。話を切り上げる頃合い(ころあい)だったのかもしれないが、「もうたくさん」という空気とも思えた。テーブルを囲(かこ)んでお茶とおやつの漬け物を食べながら、私は何人かのおばちゃんと話を続けた。
「確かに、双葉の人たちには変な病気があるって」
「長いこと原発のそばに住んでるとよ、そんなことがあるらしいよ」
「去年の7月、検診(けんしん)に来た関西のお医者さんが言ってたけど」
「福井って原発多いのかい? あそこにも変な病気が多いって言ってたよ」

 いや、皆さんが住んでいる広野町も「双葉郡」なんですよと、私はじっと思うだけだ。この人たちの言う「双葉」は、きっと双葉町・大熊町のことを言う。そして、こんなことをどうしようもないのだろうかと、いまいましい気持ちが募(つの)る。


 2 『美味しんぼ』を支持する
 どうやらまた『美味しんぼ』のことに触(ふ)れないわけには行かないようだ。結局、ビッグコミックスピリッツの特集号を買った。「総合誌もかくやの充実ぶり」(斉藤美奈子)だった。そこには、
「根拠(こんきょ)のないものを振り回さないで欲しい」
に対する、
「科学的根拠はある」
議論が展開されている。私はマンガの前半を読んでないが、数値的なことで厳密(げんみつ)さを欠いた部分が、確かにあったようだ。そして、井戸川町長の「福島(全体)が住めない」発言と並ぶ、福島大学荒木田准教授の「取り返しのつかない汚れ」は、今までの『美味しんぼ』の、
「丹念な取材(しゅざい)や執筆(しっぴつ)の努力を台無しにする」
と、指摘したのは臨済宗住職の玄侑宗久氏である。ちゃんと『美味しんぼ』を読んでの発言である。一番まじめだったのではないか。みんなまじめなのだが、どれもそれぞれの立場で、
「相手の非科学性を批判する」
だけで、それほど違いを感じなかった。私も当初は、
「科学的な視点」で「不安や恐(おそ)れを持つべきだ」
と思っていた。でも、決してとれない不安は残った。なぜだろう。私は、こんな時いつも楢葉の牧場主さんの言葉を思い出す。
「国がずっと『安全/安心』って言ってきた原発が壊(こわ)れたんだよ」
「それで今度は食品100ベクレル以下は安全」
「年間被爆量20ミリシーベルト以下は安心」
「……て言われてもな……」

 実はこの特集号でもうひとつ、注目した発言がある。小児科医の山田真氏である。震災後、山田氏はすぐ福島入りしていた。ところが、この山田氏の福島報告を目にした私はたまらず、疑義(ぎぎ)をこの新聞(『救援』)に申し立てた。二点である。

「福島の子どもたちは、給食で県内産の食物を食べさせられている」
「福島の人たちは、国・行政に抑(おさ)えられて放射能の不安を言えずにいる」

いわき市で頑張っている議員さんから、給食の食材については、
「遠方、最低でも『県外』のものを使ってもらっている」(2011年当時)
という発言を私は確認していた。だから一点目は、
「『福島』の給食とは、一体どこを指(さ)しているのか」
であった。
 2011年の夏、私達ボランティア仲間が中通り(福島市・郡山市など)で活動した時、口々に言っていたことがある。彼らが道々、放射線量を測(はか)っていると、
「おい、なにやってんだ!」
こう言ってとがめたのは、役人でも警察でもなかった。これらは住民による『摘発(てきはつ』だった。
「国から言われて不安を言わないのではない」
が、二点目だった。
 特集号によれば、山田氏のかつての見解は、どうもだんだん「修正」されたらしい。山田氏はもちろん、健康調査や安心な避難先での生活という点で、国の姿勢を批判している。そしてこう言う。
「『美味しんぼ』では、福島の方々の避難を求めているようです」
これは、かつての山田氏の見解にほかならない。しかし、これが避難している人々の健康相談をしているうちに変わったという。「様々な事情で避難できない人」に、
「『ここにいるのは危険だから逃げなさい』と言ってもむなしいのです」
と言うのだ。
 山田氏と玄侑氏に、共通のものを見た私である。

 最後に誤解のないようにことわるが、私は『美味しんぼ』を支持する。そのことにどんな変化もない。

 続報(ぞくほう)によれば、福島大の荒木田氏は、
「自分の発言はマンガに載(の)せないという確認だったが、それが無視された」
と抗議し、小学館もそれを認めたとある。本当だろうか。「仕方のない取引」がされた、としか思えない。


 ☆☆
もっといただけないのは、山岡と雄山の「和解」です。今回の特集号でとうとう和解しちまいました。いやあ、もう『美味しんぼ』はおしまいだ、と思うのは私だけですかねえ。

 ☆☆
マー君、また勝ちましたね。またまたですが、すごいとしか言えない。
「どうして自分はこんなにダメなんだろう」
って思う気持ちがすごいんですねえ。

 ☆☆
新たに新刊本の書評が出ました。以前、一緒に本を作った(『学校幻想をめぐって』)岡崎勝氏が主宰(しゅさい)する雑誌、『おそいはやい』79号(5月25日)です。
            
いつもすっきりと私の本を評してくれます。今回の評も、
「子どもとまともにつきあうことを諦(あきら)めていない人の必読書」
としめる内容は、勢いがあって嬉しいです。
え~と、ついでにここでまた宣伝。
      
まだの方、ぜひ読んでくださいね。