あなた、いじめやめますか?人間やめますか?
~上げ底化される議論~
☆☆
都議会のヤジ、都議会は、
「ヤジ再発防止案採択」
なんだそうで。まあいつも通りというか、あいまいになりそうですね。いつもここで言ってますが、問題が明らかにならないうちに「再発防止」は不可能なんですよね。「謝罪」や「辞任」も、問題が解明された後でないといけないというのに、やはり今回もさっさと「謝罪」だ「辞任」だとなってます。「なぜ?」を簡単にやめてはいけませんよ。あの時どっと沸(わ)いた都議会議場の不可解を、なんとかしないといけないですよ。
「いつも彼女をかわいいと思っていたもので」
「ヤジられた彼女の困った顔を見て興奮してしまって」
「原稿をまる読みする彼女が初々(ういうい)しくて」
等々というこいつらの胸の内を聞きたかった。ま、無理なんだけど。
この件でましなのは、こういう時に必ず原則的な態度を示す自民党の野田聖子。
「非常に不愉快だ。私もこういうことと戦ってきた。男の本音(ほんね)が通用する時代ではないと思った方がいい」
と言ってますね。
それにしても「セクハラやじ」が、どうしても「セクハラおやじ」に読めてしまうのはなぜでしょう。
1 輸送兵
日本が平和憲法を施行した直後の朝鮮戦争時(1950~53)、日本が出兵したことはあまり知られていない。海上保安庁のからの派遣(はけん)となっているが、そこで旧帝国軍人が徴用(ちょうよう)され、機雷を片づける掃海(そうかい)活動に従事し、死者まで出している。前線で戦ったものまでいるらしいが、明らかにされていない。ついでだが、今の自衛隊の前身である警察予備隊が発足(ほっそく)するのは、この時と同じ1950年だ。また、日本が次に機雷の撤去(てっきょ)活動に従事するのは、この50年後のペルシャ湾でのことだ。
空前の朝鮮特需(とくじゅ)のおかげで、私たちは武器・弾薬の材料となる金属を道々で探しては拾(ひろ)った。「屑屋(くずや)」に持っていけば、私たちのような子どもでも、またどんなに少量でも買い取ってくれたからだ。銅は倍の金額だった。私たちの小遣いをそれで十分まかなえた。
平和憲法は、
「帝国日本の武力を完全に抹殺(まっさつ)する」
ことが目的のひとつとなって出来たのは間違いない。しかし朝鮮戦争での出来事は、平和憲法が生まれた当初からすでに、
「後方支援」
の足かせとなっていたことを示している。
昨年の暮れ、自衛隊が韓国軍に銃弾を提供した件を覚えているだろうか。南スーダンの治安悪化に伴い(ともない)、PKOに参加していた韓国軍が、国連を通じて要請(ようせい)したものだ。なぜかそんなに大きく報道されなかったが、この時のいきさつも結果も、実に示唆(しさ)に富んでいる。
これは日本の自衛隊手持ちの銃弾が、人を殺傷(さっしょう)されるために使われる、という事態だったのだ。もちろん銃弾提供は日本の法律では「やってはいけない」ことだった。しかし緊急性(きんきゅうせい)が高いという判断のもと、これは、
「例外的措置(そち)」(武器輸出禁止三原則)
「物資協力」(PKO法)
として行われた。
これを踏まえて考えてみたい。私たちの多くは知らないが、国際軍、そして自衛隊法では、武器や弾薬のみならず、医療器具・薬品、そして食料さえも前線に運搬する時、それに従事するものは、
「輸送兵」
として位置づけられている。立派な兵隊なのだ。こういう活動自体、立派な「参戦」として位置づけられている。驚いた方がいいのは、こんな基本的な言葉で今回の「解釈改憲」の議論がされてないことだ。
2 検証のない議論
このところ話し合いとなっていた「魚雷の掃海」だが、1991年のペルシャ湾での自衛隊による魚雷撤去活動は、戦争が停止したあとやられた。しかし、今回の掃海活動は、
「戦時中でも」
行うとしている。それが、
「国民の幸福にかかわる重要な案件」
という理由からだ。
また、少し前に、
「日本の人質を助けたアメリカ艦を守れないのか」
なることが議題となった。私たちはこの時、2004年に高遠さんたちがイラクで人質になったことを思い出したはずだ。あの時、高遠さんたちを、
「非国民」「自己責任」
とけなした連中が、今度は、
「助けないといけない」
と言っている。しかし、だ。これらのことについて、私たちはどれほどの意見を聞けただろうか。前者については、わずかばかり。後者の議論にイラクでの事件はうってつけの例だったはずなのに、議論はちっともされなかった。
なぜか。簡単なことだ。国会の責任を負う連中の誰もが、これらのことについてきちんと検証してこなかったからだ。仮に野党の誰かが質問したとして、
「あれ(イラクの事件)は、自作自演でないのか」
なんて政府から切り返されたらどうしようなんて二の足踏んでいるのは間違いない。だから、その議論の幕を切って落とせない。
3 「後方支援」
韓国軍へ提供された銃弾がその三週間後、年が明けて日本のもとに返されたことは覚えているだろうか。その返却理由は、韓国側が、
「日本からの援助を受けることは、屈辱(くつじょく)に耐えない」
としていたことが興味深い。
さて、今回のブログの標題へと移る。
「平和憲法を守れっていうのはみんな朝鮮人らしいぜ」
「原発再稼働反対するのは中国人」
などと、ネット上でうろついてる連中がいるらしい。これは見かけ上、憲法や原発のことを取り上げているように見える。しかし、ここでこいつらが迫(せま)っているのは、
「オマエは中国人(朝鮮人)か、それとも日本人か」
ということであって、憲法や原発ではない。議論が出来ない、あるいは議論を必要としない状態を作り出し、結論を押しつけている。こういうたぐいを私は「踏み絵」と言ってきた。
この「踏み絵」に似た状況が、今回の「解釈改憲」の議論で生まれているなあ、という思いを禁じえない。そして、子どもを取り巻く環境の中で、
「あなた、いじめやめますか。人間やめますか」
なる言われ方をしてきたことを思い出す。やはり社会は議論を上げ底して来たのだ。
☆☆
そんなわけで、与党内で繰り広げられている論戦で一番まっとうなのは、
「何をそんなに急いでいるのか」
という公明党の主張だと思われます。公明党よ踏ん張れと願っている自分に気づき、私は愕然(がくぜん)としています。
☆☆
日本負けましたね。
「期待が大きすぎるよ」
と言っては仲間から顰蹙(ひんしゅく)をかっていた私です。本田はじめ、選手たちの掲(かか)げた「優勝」は、今となっては辛さを味わうものとなってしまいます。が、とにかく熱狂のスタジアムを見ることが出来ただけでも(もちろんテレビで)、私は感謝ですね。
それより、マー君、いつの間にか二敗目喫(きっ)しました。なんてこった。しかも、ニュースちっちぇえ。3失点。味方の援護(えんご)があったら、と思わなくもないけど、終わったことを切り換える名人のマー君です。また「反省」後の次を楽しみにしてますよ。
☆☆
7月からブログ発行を金曜日だけにしたことについて、
「もっとちゃんと読める」
「今までどおり週二回発行して欲しい」
などという、いずれもありがたい意見をいただいています。
頑張ります。
~上げ底化される議論~
☆☆
都議会のヤジ、都議会は、
「ヤジ再発防止案採択」
なんだそうで。まあいつも通りというか、あいまいになりそうですね。いつもここで言ってますが、問題が明らかにならないうちに「再発防止」は不可能なんですよね。「謝罪」や「辞任」も、問題が解明された後でないといけないというのに、やはり今回もさっさと「謝罪」だ「辞任」だとなってます。「なぜ?」を簡単にやめてはいけませんよ。あの時どっと沸(わ)いた都議会議場の不可解を、なんとかしないといけないですよ。
「いつも彼女をかわいいと思っていたもので」
「ヤジられた彼女の困った顔を見て興奮してしまって」
「原稿をまる読みする彼女が初々(ういうい)しくて」
等々というこいつらの胸の内を聞きたかった。ま、無理なんだけど。
この件でましなのは、こういう時に必ず原則的な態度を示す自民党の野田聖子。
「非常に不愉快だ。私もこういうことと戦ってきた。男の本音(ほんね)が通用する時代ではないと思った方がいい」
と言ってますね。
それにしても「セクハラやじ」が、どうしても「セクハラおやじ」に読めてしまうのはなぜでしょう。
1 輸送兵
日本が平和憲法を施行した直後の朝鮮戦争時(1950~53)、日本が出兵したことはあまり知られていない。海上保安庁のからの派遣(はけん)となっているが、そこで旧帝国軍人が徴用(ちょうよう)され、機雷を片づける掃海(そうかい)活動に従事し、死者まで出している。前線で戦ったものまでいるらしいが、明らかにされていない。ついでだが、今の自衛隊の前身である警察予備隊が発足(ほっそく)するのは、この時と同じ1950年だ。また、日本が次に機雷の撤去(てっきょ)活動に従事するのは、この50年後のペルシャ湾でのことだ。
空前の朝鮮特需(とくじゅ)のおかげで、私たちは武器・弾薬の材料となる金属を道々で探しては拾(ひろ)った。「屑屋(くずや)」に持っていけば、私たちのような子どもでも、またどんなに少量でも買い取ってくれたからだ。銅は倍の金額だった。私たちの小遣いをそれで十分まかなえた。
平和憲法は、
「帝国日本の武力を完全に抹殺(まっさつ)する」
ことが目的のひとつとなって出来たのは間違いない。しかし朝鮮戦争での出来事は、平和憲法が生まれた当初からすでに、
「後方支援」
の足かせとなっていたことを示している。
昨年の暮れ、自衛隊が韓国軍に銃弾を提供した件を覚えているだろうか。南スーダンの治安悪化に伴い(ともない)、PKOに参加していた韓国軍が、国連を通じて要請(ようせい)したものだ。なぜかそんなに大きく報道されなかったが、この時のいきさつも結果も、実に示唆(しさ)に富んでいる。
これは日本の自衛隊手持ちの銃弾が、人を殺傷(さっしょう)されるために使われる、という事態だったのだ。もちろん銃弾提供は日本の法律では「やってはいけない」ことだった。しかし緊急性(きんきゅうせい)が高いという判断のもと、これは、
「例外的措置(そち)」(武器輸出禁止三原則)
「物資協力」(PKO法)
として行われた。
これを踏まえて考えてみたい。私たちの多くは知らないが、国際軍、そして自衛隊法では、武器や弾薬のみならず、医療器具・薬品、そして食料さえも前線に運搬する時、それに従事するものは、
「輸送兵」
として位置づけられている。立派な兵隊なのだ。こういう活動自体、立派な「参戦」として位置づけられている。驚いた方がいいのは、こんな基本的な言葉で今回の「解釈改憲」の議論がされてないことだ。
2 検証のない議論
このところ話し合いとなっていた「魚雷の掃海」だが、1991年のペルシャ湾での自衛隊による魚雷撤去活動は、戦争が停止したあとやられた。しかし、今回の掃海活動は、
「戦時中でも」
行うとしている。それが、
「国民の幸福にかかわる重要な案件」
という理由からだ。
また、少し前に、
「日本の人質を助けたアメリカ艦を守れないのか」
なることが議題となった。私たちはこの時、2004年に高遠さんたちがイラクで人質になったことを思い出したはずだ。あの時、高遠さんたちを、
「非国民」「自己責任」
とけなした連中が、今度は、
「助けないといけない」
と言っている。しかし、だ。これらのことについて、私たちはどれほどの意見を聞けただろうか。前者については、わずかばかり。後者の議論にイラクでの事件はうってつけの例だったはずなのに、議論はちっともされなかった。
なぜか。簡単なことだ。国会の責任を負う連中の誰もが、これらのことについてきちんと検証してこなかったからだ。仮に野党の誰かが質問したとして、
「あれ(イラクの事件)は、自作自演でないのか」
なんて政府から切り返されたらどうしようなんて二の足踏んでいるのは間違いない。だから、その議論の幕を切って落とせない。
3 「後方支援」
韓国軍へ提供された銃弾がその三週間後、年が明けて日本のもとに返されたことは覚えているだろうか。その返却理由は、韓国側が、
「日本からの援助を受けることは、屈辱(くつじょく)に耐えない」
としていたことが興味深い。
さて、今回のブログの標題へと移る。
「平和憲法を守れっていうのはみんな朝鮮人らしいぜ」
「原発再稼働反対するのは中国人」
などと、ネット上でうろついてる連中がいるらしい。これは見かけ上、憲法や原発のことを取り上げているように見える。しかし、ここでこいつらが迫(せま)っているのは、
「オマエは中国人(朝鮮人)か、それとも日本人か」
ということであって、憲法や原発ではない。議論が出来ない、あるいは議論を必要としない状態を作り出し、結論を押しつけている。こういうたぐいを私は「踏み絵」と言ってきた。
この「踏み絵」に似た状況が、今回の「解釈改憲」の議論で生まれているなあ、という思いを禁じえない。そして、子どもを取り巻く環境の中で、
「あなた、いじめやめますか。人間やめますか」
なる言われ方をしてきたことを思い出す。やはり社会は議論を上げ底して来たのだ。
☆☆
そんなわけで、与党内で繰り広げられている論戦で一番まっとうなのは、
「何をそんなに急いでいるのか」
という公明党の主張だと思われます。公明党よ踏ん張れと願っている自分に気づき、私は愕然(がくぜん)としています。
☆☆
日本負けましたね。
「期待が大きすぎるよ」
と言っては仲間から顰蹙(ひんしゅく)をかっていた私です。本田はじめ、選手たちの掲(かか)げた「優勝」は、今となっては辛さを味わうものとなってしまいます。が、とにかく熱狂のスタジアムを見ることが出来ただけでも(もちろんテレビで)、私は感謝ですね。
それより、マー君、いつの間にか二敗目喫(きっ)しました。なんてこった。しかも、ニュースちっちぇえ。3失点。味方の援護(えんご)があったら、と思わなくもないけど、終わったことを切り換える名人のマー君です。また「反省」後の次を楽しみにしてますよ。
☆☆
7月からブログ発行を金曜日だけにしたことについて、
「もっとちゃんと読める」
「今までどおり週二回発行して欲しい」
などという、いずれもありがたい意見をいただいています。
頑張ります。