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「死に損ない」  実戦教師塾通信三百九十一号

2014-06-15 11:48:30 | 子ども/学校
 「死に損(そこ)ない」
    ~「現実」に追いつけない学校化社会の「現実」~


 1 8,6/ハチロク

       
 これが言わずと知れた「ハチロク」である。エンジンはスバル(富士重工)、ボディがトヨタで共同開発した新型だ。それは初期型と比べて燃費がよくなったとはいえ、とても「エコ」を語るものではない。コンセプトは「スポーツカー」なのだ。
 老人にも若い世代でも売れ続けている、この車のあるキャンペーンのいきさつをご存じだろうか。
「ハチロクには8月6日がふさわしい」
というものだ。「8月6日」とは、誰もが記憶するあの広島に原爆が落とされた日だ。トヨタは、このキャンペーンにあたって広島の関係者に了解をとりつけたという。この「場違い」とも言えるキャンペーンが、どのように提案され議論されたのか、私達には分からない。しかし、ハチロクは「8月6日」のCMで、堂々と比叡山を走った。ドライバーはなんと、前回ブログで登場いただいた、誉田屋源兵衛さんなのだ。
 はっきりしていることは、トヨタが「ハチロク」を示すにあたって「8月6日」を回避(かいひ)しなかったことだ。あるリスク、というより「無礼(ぶれい)」がここで発生する。そのことに向き合わないといけない、と考えたことだ。つまり、
「私達(トヨタ)は、むろん忘れてはいない」
ことが、前提となった。広島とトヨタの両者で「日本の過去と未来」が語られたことも疑いない。舞台は比叡山で、着物職人がドライバーだ。


 2 「回避する」
 トヨタが「回避しなかった」こと対して、今回の「死に損ない」暴言をめぐるやりとりには、「回避する」ことが満ち満ちている。
 報道の伝えることが事実としてだが、校長のコメントは想定内と言えるものだ。今回の出来事は自分の学校の生徒が起こしたというのに、おそらく無意識ではあるが、校長はその事実を「回避」した。「普通」だったら、校長は、
「許せない」「情けない」「申し訳ない」
と言わないといけない。しかし、校長は、
「許されることではない」
なる「客観的(きゃっかんてき)」表現をした。誰が許されないかって、その中に校長自身が含まれるというのに、「自分が恥ずかしい」気持ちのまったく見えない発言は、当事者であることを「回避する」習慣が出来上がっているからだ。
 まだある。出来事の原因は、校長が言うような、
「長崎/戦争の悲惨(ひさん)を教える事前の学習が不十分だった」
からではない。学校は「長崎を教える」前にやるべきことがあった。例えばそれは、
○ものごとにちっとも関心を持てない
○相手の気持ちを分からず
○自分の気持ちもはっきりしない
しょうもない生徒の現実に向き合うことだ。それを学校は「回避」した。いや、もしかしたらやっていたのかもしれない。しかし、それは徒労(とろう)に終わったはずである。今回の結果がそれを示している。その時は長崎行き、あるいは語り部による体験は「断念」するしかなかった。私は学校の人間だから分かるが、そういう結論はかなり前に出せるものだ。しかし、学校は生徒たちの現実を「読めない」まま計画を進めた。その結果、生徒にとって戦争や長崎が、
「お仕着せ」
になった。修学旅行として「場違い」なところに連れて行かれた生徒は、そこで「場違い」を演じる。「連れて行けば変わる」と思ったのだろうか。「命の大切さ」がこんな時言われる。人間としてそれでいいのか、などと言われる。そんないい加減ででたらめな見通しを許す現実ではなかったはずだ。
 それでもチャンスはあった。すでに全体説明会の時、語り部(かたりべ)が、
「話を聞かないなら、出てもらっていい」
と注意している。生徒を連れて来てしまったのだから、学校としては「出てもらう」わけには行かない。学校/教師は(一部)生徒の動きに向き合うチャンスをもらったと考えないといけなかった。登山で一部生徒が行方不明になったのと同じに考えていい。登山は中止だ。「行方不明になった生徒」という現実に向き合わないといけない。せっかくこちらが頼んだというのに、それでは語り部に対して失礼だなどと学校が言うのは間違いない。そして、
「まじめに聞いている生徒もいた」
などと言う。ひっくり返ってるよ。失礼は語り部だけに対してだけではない、「まじめに聞いている生徒」に対しても降りかかってるというのに、だ。暴言ガキや下着姿になったとかいうこのガキ共の失礼を止めるためには、とりあえず、
「すみません、いったん話をやめてもらえますか」
と、語り部に頼むしかない。そしてこの場を、悪ガキ処理への場に向かわせないといけない。どうせこいつらの失礼の動機は、
「大人/学校を困らせる」
といったものだ。「死ぬ」の「生きる」のと、まったく分かってない連中だ。それを「死に損ない」と言ってみたかった。一番いいのは、この悪ガキと語り部がみんなの前で、
「なぜ死に損ないか」
の話し合いをするのがいいが、間違いなくこの悪ガキも学校もそれを「回避」する。だからとりあえず、この失礼をまずは止めないといけない。
「すみません、いったん話をやめてもらえますか」
である。


 ☆☆
東京新聞はこの出来事に対して、
「ヘイトスピーチと同根」
なんて言うんですよ。な~んにも分かってないですね。私はこのことが許されるなどと言ってはいませんよ。でも、あの悪ガキどもの行動が「弱者を排除する」という積極的なものを動機としているとは思えません。マルクス主義健在なり!と、いまいましく思うわけです。

 ☆☆
夏の訪れを告げる手賀沼です。
      
「ワニ亀」が手賀沼でつかまりました。ニュースにもなったらしいですね。この日、トレーニングに出かけた私も、この「大捕り物」に遭遇(そうぐう)したんです。水辺にたくさんのお巡りさんと釣り人たち。すわ、水難事故かと思いましたよ。やがて、一メートルぐらいの檻(おり)に入れられたそれは、まるで泥のかたまりでした。とても身体に引っ込めそうもない太い首/顔には、すんごいキバ/歯がでてました。困った飼い主が無責任に捨てたんでしょうねえ。怖い怖い。