実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

「死に損ない」(補)  実戦教師塾通信三百九十三号

2014-06-22 11:13:59 | 子ども/学校
 「死に損ない」(補)
     ~「思いがまま」の時代~


 1 「立ちふさがる現実」

 私たちがこんな悪ガキへの実際対応をどうやってきたのか、そのことから始めたい。自書『学校をゲームする子どもたち』(2005年刊)への補足(ほそく)でもある。
 授業によってはタバコもありなん、同じく授業中に昇降口や特別教室、そしてフェンスもない校舎のひさしへと、自由に出没(しゅつぼつ)する連中の修学旅行をどうするのか、私たちは議論した。連れて行って、連中が面倒(めんどう)を起こさないはずはなかった。しかし、私たちをなめきっている連中が、同時に修学旅行を楽しみにしていることは確かだった。さらに、「なめきっている」ことも「楽しみにしている」ことも、保護者は分かっていた。つまり、まずは連れて行くこと、これは私たちの「責任」であり「仕事」だった。このことがひとつ目の確認だった。だから、連れて行くにあたって、
「しないといけないこと」
「出来ること」
を、私たちは話し合った。まず、
「面倒を起こした時は、京都まで保護者が迎(むか)えに来て、本人を連れ帰ること」
と、保護者にお願いをした。そこまではならないと思いつつも、私たちの胸の内を伝えることは必要だった。この措置(そち)は私たち学校の「無能」を意味する。だから「お願い」なのであって、保護者を一方的に責めるわけにはいかない。次は「面倒」の定義(ていぎ)である。つまり、どんな場合「強制帰還(きかん)」となるのか。それは保護者から任(まか)された。それくらいに私たちは、双方で情報を共有しあっていて、信頼を得ていた。ここをきちんとしないと、「モンスターペアレント」問題が発生する。それゆえこの時は、
「ご迷惑をおかけしています」
という気持ちが保護者にあったわけである。
 次は困った連中へこの「強制措置」を伝える。そして連中への「警告(けいこく)」作業に移った。機会ある度(たび)にしつこく言わないといけない。タバコを見とがめて、
「連れて行かねえから」
授業でエスケープ(脱走)すれば、
「京都でそんなことする気か。連れて行かねえから」
を繰り返した。保護者には逐一(ちくいち)の報告と面談。その度に連中は、
「こっちは金払ってんだ」
と鬼の首をとったように毒づく。それで私達は、
「金なんか返すから。連れて行かねえから」
と応酬(おうしゅう)しないといけなかった。実際お金を返却するとなれば、そうとう煩雑(はんざつ)な手続きと混乱が生じたのだが、言わないといけなかった。
 こんなふうに少しでも、連中に「覚悟(かくご)」を促(うなが)した。気がついたと思うが、これらの作業はこいつらを、
「連れて行かずにすませる」
ものではなく、
「なんとか連れて行きたい」
という思いに支(ささ)えられていた。間違いなく行った方がいいのだ。そして、こうした作業は極(きわ)めてわずかではあっても、「変化」を生むのである。
 勝手放題のこいつらに必要なのは、自分たちのわがままが通らない、「たちふさがる現実」とやらを知ることなのだ。
「それでいいのか」
と、私たちが説(と)いたところで、こいつらは、
「別に」だの、
「普通/フツー」
だのと、宇宙語を発するだけだ。どっこい「そうは問屋(とんや)が卸(おろ)さない」という世界を、私たちは示さないといけない。
 「死に損ない」の学校では、連中に「反省文」などと言ってるようだが、まったく意味ないぞ。またしても大人の「お仕着せ」だ。どうせやったところで、出来上がったものには「別に(特に)ありません」なるメッセージが、行間(ぎょうかん)にあふれ返る。こんなものにどんな「明日」があるものか。


 2 「思いがまま」の現実
 我が塾生や近いところから、しょうもない話が多く舞い込んでくる。
「ラインのゲームで先輩と知り合った」
「ネットで自分の写真を投稿した」
「北海道に彼氏が出来た」
中には深刻(しんこく)な事態になったものもあった。遠距離恋愛とは呼べないだろう。声も、そして実物こそないが、他はなんでもありの「ディープなお付き合い」だ。メールでの立ち入った(打ち解けた?)内容は、次第に画像に過激(かげき)さを加えていく。確かに「ディープ」なのだろう。とんでもない画像は、男の嬉しさ余りに、やがてそいつの友人のもとに届く。ことは「お付き合い」ではすまなくなった。
 要するに、今という時代が、
「思いがままに」
「いとも簡単に」
「現実が手に入る」
かのように、私たちには思えている。スマホさえなかったら、定年を目前にしたお父さんが、駅で女子高生を盗撮したりしない。二十年前にそれをやろうとしたら、マーガリンのケースサイズのカメラを階段下で構(かま)えるしかない。それをまた写真屋で現像(げんぞう)してもらうしかない(ポラロイドカメラというのもあったが)。とてつもない道のりだ。出来るはずがない。お父さんたち(に限らないが)は、妄想(もうそう)にはげむしかなかった。しかし、時代は変わったのだ。そして、子どもたちにはまるで、
「現実が思いがままになる」
かのように見えている。


 3 「手応え(てごたえ)のある現実」
 若いものを使う、中堅の経営者の話だ。20代の連中の気持ちがさっぱり分からないという。言ったことが通じない、まして言われたことに想像や工夫を働かせる、なんてまったくありえないという。しかし、悪気があるわけではないんだな、という。
 ところがある日、
「コーヒー買って来ましょうか(飲みますか)」
と、その若者のひとりが言った。いや、驚いた。本人は何気なく言ったらしいが、こっちはびっくり仰天(ぎょうてん)だった。すると、こっちが驚く様子を見て、また向こうが驚いた。そして、えらく感激したらしい。という話だ。
 そういうつまらない、いや、ささやかな「人との会話/人の面白さ」を、今の若い連中は経験していない。「手触り(てざわり)/手応えのある現実」を知らない。この若者はその入り口をくぐったのだと、私は思った。
 希望はあるのだ。


 ☆☆
都議会のヤジ事件面白いですね。
「こんなおおごとになると思わなかった」
「もし私だったら謝罪(しゃざい)しないといけない」
等々と、本音がボロボロ出てしまってて、いやあ笑えます。こういう時、片山某や高市なんだかっていう「重鎮(じゅうちん)」は黙ってますね。あとからものものしく出てくるんだろな。

 ☆☆
「手術後の本田を出すな」とかいう声がネット上を賑(にぎ)わしているそうですね。日本が予選リーグを突破できなかった時のネガティブな反応を考えると、ヤですねえ。しかも最後の相手はコロンビアだし。「ゴミを片づける日本のサポーター!」と、世界に驚きを呼んでいるというのに、変なゴミ落とすなよってことですね。