実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

明日のために  実戦教師塾通信二百四十号

2012-12-29 18:53:01 | 日記
 近代の向こう側/こちら側に着陸して



 売らないといけない


 暮れにも色々な方にお付き合いいただいた。フリーランスの人で、いつも本を贈呈していただいている人もそのひとりだ。彼は今夏、ことのほか思いの強い本を執筆し、発行した。しかし「出版不況の折り」で、今回は贈呈ならない、買ってほしいという連絡をもらった。ということをいつだったかここに書いたと思う。とてもではないが、この本を買うお金のゆとりも時間のゆとりも私にはない、ということを書いた。端的に言おう。この本を買いたくもない、読みたくもないということだ。彼にじかに会って「忠告」したいと思った。私の考えを確かめるうえでも、それをしたいと思って出向いた。
 今、確かに物書き・出版業界は大変だ。本の単価の10%の原稿料(印税)で飯を食うのだが、実態を言えば、今は5000部発行の本に5000部分の原稿料が支払われるわけではない。多くが半分、あるいはそれ以下しか支払われない。さらに言えば、5000部の発行を約束される物書きは、業界の1%いない。10万人物書きがいたら、そのうちの数百人である。阿川佐和子の100万部(『聞く力』)なんて、問題外の外のまた外だ。少し具体的に詰めちゃおう。ようやく1500円の単行本が2000部発行となったとしよう。その半分の1000部分の原稿料が支払われることが決まったとなれば、入るのは150万円である。これが一年か二年に一度の報酬である。つまり殆どの物書きは、生活費もままならない。貧窮の生活、あるいはアルバイトや「ヒモ」でなんとか食いつないでいる。だから物書きは「書かないと生活できない」「売れないと電気代さえ工面できない」自転車操業のあげく、「どうしようもない」本しか書けなくなる、という悪無限的循環に入る。「我々は、あなたのような退職金も年金も約束された世界の人間ではない、書かないと、そしてそれが売れないと、生きていけない」と、彼は私に言うのだ。炬燵だけの部屋で、彼は着膨れしていた。私も上着を脱げなかった。
     
            (暮れの東京は浅草界隈)
 そんなあなたに言うのは悪いけど、そんなことを言っているうちは「売れる本」なんてこっちを向いてくれませんよ、と私は言った。

 私たちはなぜ本を読むのだろう。一番「読書家」らしい本の選び方と言えば、本を「放浪」しながら選ぶことだ。それこそ「目的」も「目的地(終点)」もない、そんな作業。しかし、大体がある目的を持って本を選ぶ。恋愛小説を求める人の多くは、恋に悩むことを動機とする。悩みに共感してくれる、あるいは導きの糸を見いだせる、そんなものを恋の迷路に入り込んだ人は、「恋愛小説」に探して求める。
 つまり、「自分が書きたいこと」と「人々の切実さ」は、どこかで交わっていないといけない。そもそもそれが「本を書く動機」となっているはずだ。自分の書きたいことばかりが一人歩きすれば、ひとりよがりになる。人々の求めることに応えようとしてばかりいれば、捨てられる。自分の書きたいことが、そんなに「大切なこと」なのか、あなたはそれを考えているのか、そう私は尋ねた。
 また言うが、という気持ちだが、彼に言った。「野球なんかやってていいのか」「映画なんか撮ってていいのか」「小説なんか書いてていいのか」、昨年の春、そんな多くの言葉があった。「大切なものはなんですか」。それを選ぶ、それを見つけるために、今はともかく、あの時日本のみんなが考えた。そして、ある人たちは結論を出し「許されるなら、また野球をさせていただきます!」と言った。あるいは怠惰にまかせて、考えることをやめてしまった人々、いやもっと醜悪に「もとに戻る」=「復興」とぶち上げている連中。しかし、今の言葉/行為が、「震災後の言葉/行為」なのかどうか、それは人々の心に今も影を落としている。
 あなたの今回の本はなんですか。一体、どこが「大切なこと」なのですか、と私は遠慮なく言った。昨年三月、彼もまた西の方に逃げようと思ったことがあったという。結局やめて、再びデスクワークを開始するその時までの、心の動揺と中味をどう整理したのですか、と聞いた。彼は再び言った。「売れないと生活できない」。


 悪いものが悪い社会を作る、のではない

 もう時代は、そして私たちは昔の場所にはない。遠くまで来てしまっている。まず、自分のひっくり返ったこの場所に気付かないといけない。そう私は続けた。子どものことで気付いたことを話した。このブログで繰り返し言ってきたことだ。
 彼が言った。
「大人が教えて来なかったからだな」「社会がそんな子どもにしてしまった」
予想通りに過ぎる反応。
「コミュニケーションが不要になった」ことを、「コミュニケーションを遮断する」と、彼は意図せず変換してしまう。だから、次に彼は当然のように、
「今の子どもはそれでコミュニケーションができない」
んだな、などと言う。それは結果だ。
大切なことは、子どもたちが自販機でドリンクを購入し、ICカードで改札を通り、レジで並び無言で商品を購入する、そして寿司も流れて来たものから選んでいくということだ。そんな子どもたちは、
「コミュニケーションを必要としない/して来なかった」
というそっちの方が重要だ。彼が言うように、
「子どもはコミュニケーションを避ける」
のではない。繰り返すが「その必要がなかっただけ」だ。だから、それを必要な時と場所に出会っては面食らっているのだ。こんなことがあった。クラス替えを終えて半年もたった後だというのに、同じクラスのメンバーの名前がわからないから教えて欲しいと、担任に聞きにくるという。なんと男子が男子の名前をわからない、だから教えてというのだ。それをまた担任に聞きにくる。加えてそれが結構な人数なのだ。こんな不可思議・宇宙的妙チクリンな現実が生まれている。
 さて、このすこぶる便利な社会は、誰かが悪意を持って作ってきたわけではない。例えば、丸いものが回転する方向にエネルギーを換えることを見いだした人類が、車や自転車を作った。それはいいことでも悪いことでもない。自然な成り行きだ。私たちはその自然の成り行きを、自分の望む方向だと思ってきた。ある時はそれを「夢」と名付けて邁進した。それを誰も責めることはない。それは自分たちが選んで来た道だ。
 「天と地」「自然と人間」「未開と文明」といった二項対立を総括した近代は、未だに「悪い原因が結果を生む」ことに道を見いだし、そこに解決を探る。
「そういうのをマルクス主義というのだよ」
と、私は彼に言った。私たちの不能化した身体と能力を作り出した産業的生産様式は「スマホで炊飯の予約をする」とかいうバカなことも生んでいる。しかし同時に、鳴門の渦潮のようになった渋谷のハチ公前でも、間違いなくデートの相手を見つけられる現実を約束もしている。私たちの動機付けとなった現実まで否定することはないはずだ。これまでのことをまた繰り返そう。
○いい匂いのする
○あたたかい
家庭は、いいのだ。それが「羨望の家」であるあいだは、希望はある。
 最後に、教え子からいい感想をもらった。そのメールをこの記事の結びとする。

 最近の先生のブログを読んでいても感じたことですが…、
 今日、現場でスタッフたちと、
「で、スポーツ以外にこの国に明るい話題はないの?」
などと話していました。
で、うちに帰って思うことは…、
サンタからの贈り物を喜ぶ娘がいて、暖かい部屋と食事があり、
この国が隣国と戦争を始めたというニュースはなく、
僕には幸い明日も寒い早朝からの仕事がある。
「これ以上、なにもいらない」
とは言いませんが、ほんのり明るい現実に
「ありがたいことだな…」
と思うクリスマスであります。

             
                 (浅草スカイツリー)

 皆さん、来年もきっと試練の多い年となることでしょう。
 めげながらも、少しでもいい年にしたいものですね。
 どうぞよいお年を。


 ☆☆
ついにやられました。愛車(四輪)がぶつけられたんです。様子がおかしい車だったので、早めにブレーキを踏んでいたため、私はほぼ停止状態でした。優先道路を直進の私に対して、相手からもよく見えたはずの私の車に、左折してぶつかったのです。
過失が少しでも私にあるようなことを言うなら「出るとこ出るから」と、私は少しばかり興奮しましたね。結果、私の過失はゼロとなりました。もちろん修理は来年。
確かにたいした事故ではなかった。右前方の角を3㎝ほど陥没といったところです。色々な方が「お怪我がなくて何よりでした」と言ってくれるのです。まったくその通りです。
でも、ですよ。あと二カ月で14年目となるけれど、走行距離がまだ34000㎞の愛車は、新車同様の光沢です。それくらい大事に大切に、無傷で乗ってきたんです。朝風呂と朝寝で、紛らわしました。
いやあ、でも年の初めでなくて良かったですね、と言われてなるほどと。そういうことですね。厄を落として新しい年を迎える、それがいい。
皆さんもお気をつけて。

 ☆☆
松井選手、引退しましたね。すごい人だった。メジャーの道も残されていたと聞きます。でも、私には素敵な選択肢だったと思います。私にとって松井最悪の選択は「巨人の選手として復帰」でした。ファンやスポーツメディアが「結果がすべてだ」という身勝手を、決して松井は責めません。冷静に、そして感謝を忘れない。これからきっと、コーチの道もたくさん用意されることでしょう。できるなら石川の星稜へと思うのは、きっと私だけではないですね。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
忘れてはならないもの (リーガルハイ)
2013-07-25 11:43:32
如来寿量品第十六
その心恋慕するによって。すなわち出てために法を
とく。神通力かくの如し。阿僧祇刧において。
つねに霊鷲山。および余の諸の住処にあり。
衆生刧つきて。大火にやかるると見るときも。
わがこの土は安穏にして。天人常に充満せり。
園林諸の堂閣。種々の宝を以て荘厳し。
返信する

コメントを投稿