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年末年始(4) 実戦教師塾通信八百九十五号

2024-01-12 11:24:00 | 日記

年末年始(4)

 ~牡蠣の繋がり~

 

 ☆初めに☆

岡山の友人が毎年送ってくれる牡蠣。「海がおかしい」のは、瀬戸内の牡蠣も同じだという。今年の実入りが良くないと言ってましたが、暮れには大きいのが獲れたと。一斗缶に溢れんばかり、見事な牡蠣が届きました。

この牡蠣を楽しみにしている仲間や友人と、今年も様々なやり取りがありました。変わらない元気な姿、弱ってしまった身体。嬉しい近況や情けない姿など。いずれにしても、牡蠣の取り持つ縁は、今回も健在です。

 ☆御巣鷹山☆

話は牡蠣から少し飛びます。暮れに、剛柔流本部道場で稽古した後のことです。いつものそば屋で食べていると、この日は二人連れの同世代と思われるお年寄りが、隣で飲んでました。世界は陰謀で出来ている的おしゃべりな奴の話は、アルコールも手伝って機関銃のようでした。一番面白かったのは、政府がなぜ拉致問題に踏み込めないのか、という謎解き。横田めぐみさんは、金正日と横田佐紀江さんの間に生まれた子どもだから、という。金正恩が父親の正妻から生まれてないことぐらいは知ってましたが、この時は思わずそばを吹き出しそうになりました。もうひとつは、御巣鷹山での日航ジャンボ機墜落の真相。自衛隊によるミサイル誤射なんです。この事故を引き起こした隊員は自殺。

ここからは、牡蠣をあげた友人が話したことです。ジャンボ機のことを笑って話す私に、真顔で「真相」をさらに突っ込んで話してくれる。その筋の連中には有名な話だという。正確には、ミサイルの攻撃対象とする自衛隊の無人機が日航機に接触した、のが原因だという。生き残った人たちは目撃しなかった。見た人はいたはずだが、みんな亡くなってしまった。と。私は開いた口が塞がりません。陰謀論者として、昨年と変わらぬみっともない姿に、一体どうしてそんな不都合な「真実」が拡散されるのか、抜かりないはずの隠蔽もザルのようだなと皮肉って終わりにしました。

 ☆農業始めちゃいました☆

広い庭の草取りや樹木の間引きをやってるうちに、土地の有効活用を思いついてトラクター(新車!)を買ってしまった友人。どうせやるなら無農薬・有機栽培と、作物と会話しながら始めてしまった「農業」が面白いと言います。節くれだった穴だらけの芋だけど美味しい、そしてお金がかからない。農薬も肥料も使わないからです。牡蠣のお礼にと、いつも日本酒を持って来てくれていた友人ですが、来年はぜひ美味しいサツマイモを、と頼みました。

 ☆遺品整理☆

昨年、たった四日間のうちに兄二人を亡くした友人は、遺品整理に追われています。中でも長兄の遺品には手を焼いている。長兄は自由に生きた人で、高校を卒業すると田舎を飛び出しアメリカに渡る。そこで美人の奥さんをみつけ、向こうとこっちでビジネスを始めた。もともと好きだった絵は、自分で描くばかりでなく画商も始めた。遺品の中には藤田嗣治の絵もあるというのです。私が高校の頃は話す機会もあって、学生運動の話にも付き合ってくれました。それならこれを読んでみたらと、ペーパーバック版「Fight For Freedom」(ラングストン ヒューズ)をもらったりもした。

晩年は帰国したがアメリカとの往復も欠かさず、車は国際免許での運転だった。コロナがあって渡米出来ず、免許を失効したままで運転を続けたらしい。たまに検問で引っかかるが、捕まらなかったと言います。国際免許は結構分厚い書類という感じらしく、おまけに当然だが英語なので、お巡りさんが速攻であきらめるんだそうです。

 ☆フリーランス☆

そんな兄を持つ、ご本人も面白い。何度かここに登場している。こちらは中学校卒業と同時に、家を出ます。東京では沖中仕(港湾労働者)からバーテンダーと様々な仕事を転々とする中、中学校から好きだったギターで店に呼ばれるようにもなる。頼まれるジャンルは様々だったが、一番好きなフラメンコでプロを目指すようになる。もの書きになったきっかけは良く知らないが、単行本はもちろん週刊誌の連載も担当し、東大に関する著書で国会に呼ばれることもあった。大手の会社から声がかかっていたことは間違いない。でも彼は、最後までフリーランスの道を貫いている。60代に差し掛かると、公務員はいいよな、と弱気をむき出しにする日も出て来ました。自分の選んだ道を汚すようなことを言うな、といさめたものです。何度か手術や入院もしました。でも、脳梗塞の後遺症があってねと言いながら、見事な指遣いを見せてくれる現在です。そして、牡蠣は「暮れのとびっきりのご馳走だ」と、喜んでくれます。

 

 ☆後記☆

その他、親の認知症が進んだ知人や、車の運転に自信がなくなったので牡蠣を取りに来れない友人(届けました)など、年ごとに牡蠣周辺のつながりに変化が見えます。でも、ありがとう美味しかった、の声は変わりません。

今年も恒例、広幡八幡まで出向きました。「出来ることを出来る限り続けます」と、お願いというよりは決意を祈念して参りました。改めて、今年もよろしくお願いします🎍


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