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白鵬の行方 Ⅱ 実戦教師塾通信六百八十九号

2020-01-31 11:27:25 | 武道
 白鵬の行方 Ⅱ
  ~不世出(ふせいしゅつ)のかげり~


 ☆初めに☆
こんな場所は二度とないでしょう。星数と関係なく最高位同士が結びを戦って来た千秋楽。それが今場所は、幕尻と大関の取組です。結局、最高位同士の取組はなかった。貴景勝はともかくも、豪栄道の屈辱は計り知れません。取組にあたった審判部の決断もどれほどのものだったでしょうか。今場所の様相は、まさに諸行無常でした。
 ☆ ☆
最大の立役者・徳勝龍のインタビューは、大相撲の魅力を改めて知らせたとさえ言える気がします。それと徳勝龍の奥さん、チャーミングですねえ。
 ☆ ☆
今回のタイトルは、以前の「白鵬の行方」(489号)の続編です。大横綱とはいっても盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理から自由ではありません。どのように最期に臨むのか、白鵬びいきの私が、かつての記事との重複をいとわず書きます。厳しい内容となります。


 1 泰然自若(たいぜんじじゃく)
 双葉山を尊敬し目標として来た白鵬は、双葉山の「よく稽古するものにはケガがない」「稽古場は本場所のごとく、本場所は稽古場のごとく」などを励みにして来た。北の富士が先日も言ったように「白鵬が一番稽古をしている」のは、その気持ちが健在なことを示す。「『泰然自若』の状態」(『相撲よ!』より)が、白鵬の信条だった。これは、かつてこだわりを持って語った「自然」「流れ」「勝ちに行かない」状態を指す。双葉山の「後の先」(後から出て先をとる)を目指したのは、必然の成り行きだった。
 「後の先」は武道の世界の話だ。「先に(勝ちに)行けば負ける」「相手より遅れないといけない」のが武道の原則である。武道のスピード化がかまびすしいが、それはスポーツの世界の話だ。スポーツがいけないとは言ってない。武道とは違うのだ。下の写真は、柳生新陰流第21世宗家・柳生延春が示す太刀(型)の場面(季刊『iichiko』1995年)である。

お互い正面から同時に振り下ろしている。右側の柳生延春が早く出したように見えるが、一瞬遅れて出した。そのことで相手の振り下ろす力が自分の刀に伝わり、相手の切り筋が外されている。こちらが「弾(はじ)きに行った」のでなく、相手が自ら「弾かれた」のだ。
 次の図は唐手/空手の組手の場面(摩文仁賢和『攻防自在 護身術空手拳法』)。

受けから攻撃に転じる瞬間に見える。本当は先手を「とってしまった」から負けることが、図で示されている(空手をやっている方は、これが「ナイファンチ」の動作であることに気付いたと思う)。富名腰義珍の「空手に先手なし」とは、そういう理念だ。「ケンカは売ってはいけない」という道徳的教えではない。ここに「こう来たらこうする」スポーツの道筋はない。「先に行かず」ぎりぎりの間合いを探り、相手の動きを封じ呑み込む「型」がある。
 白鵬の「自然」「流れ」「勝ちに行かない」は、武道に根ざしたものだったはずだ。

 2 「仕合」というあり方
 「勝つためにはなんでもやらないと」という言葉が、まさか白鵬の口から出ようとは思わなかった。そして、相撲ファンなら気付いているはずだ。白鵬の立ち会いが、思わせぶりで呼吸を合わせにくい、名前こそ言わないが、ある力士の立ち会いに似たものをするようになったことを。これも信じがたいことだった。「駆け引き」は、スポーツの世界のものである。いけないとは言わない。しかしそれは、白鵬が目指すものだったのか。
 「試合」とは、歴史上「仕合」と言われた。「仕(つか)え合う」ことは、互いを敬い尽くし合うことを意味する。「勝負」とはその関係の絶対性を言うのであって「勝敗を決する」ことではない。かつて、横綱朝青龍が千秋楽で大関の千代大海相手に「変化」して、この時大関だった白鵬とまんまと星を並べた。この日のことを忘れはしまい。直後の優勝決定戦で、今度は白鵬がよもやの変化をして優勝を決めたのだ。この時白鵬の顔は「こういうみっともないことはやめましょう」と雄弁に語っていた。乱れ飛んだ座布団は、朝青龍への半畳であり、白鵬への賛辞だった。白鵬が「日本人よりも日本人らしい」と言われた時期だった。
 遠藤戦では必ずと言っていいほど使われた「かち上げ」が、今場所その遠藤に封じられた。これも前に書いたが、今の白鵬の「かち上げ」は、10年前にもなろうという妙義龍戦で見せたものとは全く違う。あの時妙義龍は、白目をむいたまま土俵上に痙攣していた。その技をまた出せるよう研鑽を重ねたのは分かったが、結局今のような「ひじ打ち」に「落ち着いて」しまった。それが封じられた。もう気がついて欲しい。
 これら白鵬の変容一番の原因は、大横綱としての「実力」「品格」が求められたことだ。記録は伸ばせ、しかし勝ち方や取組に少しの抜かりがあってもいけない。監視とも言える人々の期待は、意地悪な色さえ帯びた。ひるがえって考えれば、ここまでの重圧は白鵬自身が作り上げてきたものだということだ。白鵬は、自分自身をはねのけないといけない場所にいる。
 「美しくない」白鵬がどんなに記録を伸ばそうと、私たちの誰が喜ぶだろうか。



 ☆後記☆
一方、前頭の隆の勝、千秋楽で惜しくも負け越しました。残念。引かれたり落とされたりする負けが目立ったなあ。一喜一憂せずに精進だ、頑張ろう。とにかく前より相撲は良くなってるんだから。
 ☆ ☆
私も脊柱管狭窄症にめげず頑張ります。1月も今日で終わりですが、2月は道場での稽古をレポートできれば、と思っています。

 我が家でいつも一番に春を告げてくれる、ちっちゃな梅さん。

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