実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

温度差 実戦教師塾通信八百三十号

2022-10-14 11:46:05 | 福島からの報告

温度差

 ~11年のその先へ・下~

 

 ☆初めに☆

楢葉町・伝言館の宝鏡寺は、金木犀が満開。

所狭しと積まれた書類と資料の奥から、マスク外して! あいさつ代わりに早川住職は叫ぶのでした。マスクのお陰で聞こえないし、しゃべりにくいし、という住職の言葉にホッとします。来年の春に始める、国相手の裁判の準備で、ワタシの小さな頭はひどく大変な思いをしているんだよと笑いながら、それは丹念に美味しいお茶を淹れてくれました。

以前から興味をそそられていた雑誌でした。その『月刊住職』を、今回初めて購入したのです。すると、トップ記事が宝鏡寺の「原発悔恨・伝言の碑」だったのには、もう驚きました。買ったのかい、ご住職は笑いました。

急速に秋の始まりを告げる福島で、皆さんの元気な顔にエネルギーをもらいました。

 

 1 東電の次へ

 多くの読者の皆さんはご存じでないと思う。今年の6月、東電は楢葉町や南相馬など210人の原告住民に謝罪している。最高裁の判決が確定した。この損害賠償請求裁判の団長が、宝鏡寺の早川篤雄住職だ。法衣を着た早川住職に、東電幹部が謝罪する記事は福島で大きく報道された。何度聞いても50年の闘いは重みがある。

「71年に第一原発が稼働する。不安を感じた我々は翌年、反対住民の会を結成した。73年に全国公聴会を申し入れたら応じた。あっけないほどだった。何のことはない、それは説明会であって東電の証拠作りに加担しただけだった。86年のチェルノブイリ原発事故があっても、東電は平気だ大丈夫だの一点張り。東大の安斎育郎先生は我々の学習会の講師を引き受けてくれて、あんなのはウソだ出鱈目だと言った。東日本大震災で、第一原発事故が起きた。そして我々は東電を訴えた。いわき地裁は不当判決。訴状をちゃんと読んだのは仙台高裁だ。この高裁の賠償命令を、最高裁が採用した」

東電訴訟のあとに残ったのは、国の責任である。原発訴訟は、どこでも国と電力会社の両方を訴えている。それで多くが「一部勝訴」となっている。我々はそうしなかった。多くの方は、国の責任が無理な注文と考えるに違いない。しかし、よく見れば司法界も頑張っている。高裁までならば、国は責任を「とるべきだ」とする判決は出ている。早川住職は齢82歳を数える。ここの読者の中でさえ、福島や原発事故に対する関心の差は大きく、その温度差に私はいつも驚いている。しかし、ご住職のやせた身体からは、このままでは終わらせない、というエネルギーがみなぎっていた。

 

 2 「和牛」とは

 天神岬の鳥居が新しくなったよ、楢葉の渡部さんが言った。福島民友でも大きくアップされた。たまたまこの日は、お披露目の翌日だった。震災の時のことを話すのってコトヨリさんが来た時ぐらいだなぁと、奥さんがしみじみ言う。あの日、奥さんは自宅近くのこども園にいた。そこから町役場近くの福祉会館に避難。晩御飯は、子どもたちだけにバナナがひと口だけ出たという、この日はそんな話をした。しかし、この鳥居建設という出来事も、震災・原発事故からの新しい一歩だとうたわれているのである。

鳥居をくぐって正面を行けば天神岬公園。右側の石柱の鳥居を抜けると北田天満宮へとつながる。県はおろか東北でも最大級(『福島民友』)という木製の鳥居は、17mの高さを誇っていた。こんなに大きい木を一体どこから持ってきたのだろうと、こちらは空を見上げるばかりだ。

 娘さんの職場に顔を出した。牧場の様子が変わったと思うはずですよ、と言われた。前回来たのは6月。この夏は千葉柏に限定しても、1日の感染者1000人なるコロナの勢いのおかげで、こんなに久しぶりとなった。

この間まで新しいと思っていた牛舎。前はガラガラだったのが、ずい分増えている。「変わった」とはこのことかと思ったら違っていた。なだらかな斜面を下ると、前は林だった山が削られて真新しい牛舎が建っていた。どうも「息子さん専用」の牛舎となっているらしい。息子さんが、あるカテゴリーの牛たちを「責任もって育てる」のである。

手前にいるのが奥さん。向こう側から私たちは降りて来た。牛舎全体が分かるように、坂の上からも撮ればよかった。秋のさわやかな日差しが、さんさんと降り注いでいる。

 しかし、収支の方は思わしくないようだ。一番は円安とウクライナ戦争による飼料の高騰だ。倍近いという。牧場の牛は前より増えているのに、だ。採算は取れてるのですか、私の質問への答はなかなか返ってこなかった。対策のひとつに、「いい肉質のものを、より多く」があるようだ。オスを去勢したものがそれなんだとか。以前にレポートした時は、それをF1種と呼ぶと書いたはず。違うようだ。ここで改めて確認しておきましょう。「和牛」という呼び方に、渡部さんたち和牛農家のプライドがのぞいている。私はいつも「肉牛」と確認しながら話すのだが、渡部さんが話す時は、常に「和牛」だ。そもそも「国産牛」と「和牛」とは違う。選び抜かれた黒毛など何種類かの「国産牛」、それを「和牛」と呼ぶのである。スーパーに行ったらラベルを確かめよう。

 さて、では去勢した牛がどうなのか。まず、雄牛の方が大きい。たくさんの肉が取れる。一方、雌牛の方が肉質がいい、という以前のレポートに間違いはない。そこで「去勢」という方法がとられる。肉がムキムキでなくなる、というわけだ。奥さんが、だってウォーッ(「雄たけび」のこと)ていうんでなくなるだろ、とジェスチャーで示した。しかし、これは痛そうだ。おばあちゃんが笑っている。

 それにしても、牛たちは増えた。子牛も入れると50頭ぐらいだそうだ。大変じゃないですか、私が聞く。いやぁ、酪農(乳牛)に比べたら和牛は楽だよ。渡部さんはあの日に奥さんと二人、停電で搾乳機が動かなくなった中、夜通し手作業で乳搾りをしたことを話すのだ。この話をする時は、いつも声がかすれる渡部さんだった。

 

 ☆後記☆

そうそう、広野町の「のらっこ」も忘れちゃいけません。今でも県の職員の飛び込みで、検査があると言います。

「検査っても、置いちゃいけないものがあるかどうかなんだよ」

職員は持って帰るわけでもないそうです。でも、たまに放射能が検出されたってニュースがあるからね、持って帰って測らなきゃ出ないはずだよ、一体どうなってんだか怖いもんだネと、おばちゃんたちは笑って首をすくめるのでした。新鮮な野菜が載った棚の写真を忘れてました。今度こそ撮って来ます。

これは渡部さん家でご馳走になったさつま芋。お土産にくださいとおねだりしたもの。もっとたくさんもらった。ホッコリした味わいは「紅あずまだったかな」と言うことでした。野菜も一杯いただいて。みんなで分けました。

明日は「うさぎとカメ」ですよ~


最新の画像もっと見る

コメントを投稿