チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

絹は骨を生き返らせた

2017年12月14日 10時57分13秒 | 日記

遺体になった姉に「着物を着せてほしい」と私たちは頼んだ
おくりびとは躊躇なく「分かりました」

葬儀屋が用意したのは化合繊の帷子だった
着物生活をしていた姉にそれを着せるのは忍びがたい

彼女が米寿のときのお茶会に
お祝いとして私がデザインして贈った着物を着せることになった

藤色ピンクの地色に桜の花びらが散っている
花びらの間に叩きで表現した川
3月生まれの姉にはピッタリの柄。しかし私のその着物の主題は

西行の、願わくば花の下にてわれーーのイメージ

元気な姉には言えない

「綺麗ねちょっと華やかすぎる気もするけどありがとう」
と気分良く袖を通してくれた
また皆さんの評判も上じょう

「比佐子おばちゃんが贈った着物にしよう」と衆議一決
「私狙っていたのよね、あの着物」と孫娘

下着から長襦袢着物とおくりびとは手際よく着せていく
私たちは座ってその手元を凝視
感動的な手際、この仕事の重要性をはっきりと認識する

最後の足袋を履かせるところは神業
「死後硬直が緩やかな方なので着せやすかったです」
心から感謝の気持ちをおくりびとに捧げる


そして火葬場
焼かれた骨が出てきたとき
火葬場の方開口一番

「94歳の方の骨とは思えません。しっかりとしてつやつやしています。いいご生涯だったのですね」

「絹のチ・カ・ラ」

もちろん姉は薬もサプリメントも飲んでいなかったけど
それでも

「絹のお力」お蚕さん有難う



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94歳の姉の最期

2017年12月13日 16時00分41秒 | 日記
午前中お弟子さんとあってランチをともにし
別れたあと美容院に行ってシャンプー・ブロー
帰ってきて
「ちょっと疲れた一休み」
と自分のベットで横になりそのままこの世から旅立った

前日まで多くのお弟子さんの稽古を見て
次の日も予定があり
日曜日集会の座主を務めることになっていた

茶道歴86年、何と言っても8歳の時から始めている
聖書研究70年

裏千家の大宗匠と一緒にその上のお父様である宗匠に稽古をつけていただいていたそうだ
それも彼女の高弟のご挨拶で知った
すごい人だったのだなと識る

そういうことをお首にも出さず常に飄々としていた

お茶のお手前は本当に綺麗だった
流れるような仕草に目が釘付けになる
私はお茶が苦手でお薄でさえそれをいただくとよる眠りが来ない
だからなかなか姉のお手前を見る機会がなかった

愚痴と人の悪口は聞いたことが無い

ただ兄がなくなったとき
「お母さんの育て方が間違ったから貞ちゃんはきちんと自分を生きられなかった」
と母を批判した。私もそう思っていたので黙っていたが
言わずもがなの言葉を姉に言った
「姉さんもあなたの男の子に甘いよね育て方間違ってる」
「うんたしかにね」
二人は顔をみあわせ苦笑い

姉のアキレス腱だったのだ

その息子はお別れの会で喪主の挨拶の前に、棺の横に立ち大きな声で
「お母さんごめんなさい、ほんとうにごめんなさい」と深く頭をさげ
その後マイクを持ってご挨拶をした

あとで私より大きくなった甥を
「ありがとう」
と抱きしめた

姉の口元がほころんだような気がした

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