チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

ゑり次さん

2010年06月18日 10時49分02秒 | 日記
宗静先生が
「ゑり次さんまだあるかしら変わった半衿買いたい」
「竹町はゑり次さんだけが元の店のママ残っている」
と姪の先導で伺う
「うわー静子さん、ヒサコさん、尚子さんもおそろいで」
と大歓迎を受ける

チャコちゃん先生のきもののルーツとも呼べる小物やさん
今では浅草の高砂やさんとこのゑり次さんしか楽しくて吟味された
きものの小物やさんはない
浅草にもう一軒男物の小物やさんがあり
役者さんや落語家さんたちが足しげく通っている

幼い頃母に手をひかれこの店に来て
色とりどりの腰紐や可愛い肌襦袢を見るのが好きだった
母はちょっとしたお返しに半衿を使うので
季節に合わせた半衿の調達もこの店でしていた

東雲、明雲、ふくれ織り、紗織り、絽縮緬、楊柳、うづらなどなど
24節気にあわせて半衿を合わせ
また用途に合わせて、着物の素材に合わせて半衿を替える
その需要に応えていたのがゑり次さん

「いまはねナイロンものばかりがでるので」
懐かしき凝った半衿はもう倉庫にしまってあるという
宗静先生来年は妹の7回忌だからそのときは見せて
と来年の約束を取り付けている

「そういえば母が送ってくれた紗献上で細めの伊達締めありますか?」
「それなら一本だけあるわ」
もうメーカーも作っていないのでこの一本でおわりかな
といいながら奥の方から取り出してくださる

「もうボロボロでだましだまし使っていたんですよ」
「そういえばお母さんがヒサコさんに送った最後の荷物の中に」
その紗献上も入っていたと店主が思い出す
「夏しか使わないにしても丈夫ですよね」
「ヒサコさんが使うんだったらプレゼント」
「ひやー嬉しい」

ゲットゲット
此処10年ばかり何気なく探していただけに嬉しい

「あんたが小物に凝るのはこの店がルーツね」
と宗静先生しみじみつぶやく
亡くなった姉からも
「変わった半衿見つけたから」
とこの店の包装紙に包んだ半衿を送ってくれていた

昔と全く変わらぬ包装紙を眺めて
絹の小物を愛した昔の女性達が今もって店を応援していると感じた

身に付けていてうれしくなる小物の開発に
kosmos屋でも
もっと力を入れようと決心するチャコちゃん先生
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母さんはカウンセラー

2010年06月17日 13時13分56秒 | 日記
「おばさんにはよく相談にのってもらった」
「ヒサちゃんのお母さんに話を聞いてもらった」
「遊びに行くと火鉢でお餅を焼いてくれてーー」
「あんたんところで本をよく借りたな」
「文化祭に太巻きを50本作って持ってきてくれたわ」

33回忌に帰ったついでに
中学校のクラス会に出席した
思い出話に母のことばかりが出るので驚く

皆私の留守のときの話
友達の集まる家ではあったが
母の応対が同級生達を癒していたらしい

アレも食べたこれもおいしかったと
母の手作りおやつに舌鼓を打った若い日を
思い出してくれる

高校のときの友人達も
「ヒサコの留守のときによくおばさんと話し込んだ」
ということをあのヒトからこの人から聞いている
だいたい同窓会に出ると
必ず
「お母さんに話を聞いてもらった」
という話題になる

友人達が結婚した後も
何かと母に相談していた人も多いという
大学のときのボーイフレンドたちが
九州旅行の折
必ず我が家に立ち寄り母の接待を受けている
中には一週間も泊まって遊んだという豪のものもいた

旅行中の景色より
あなたのお母さんと話した内容のほうが
記憶に鮮明という人もいる

母にひきつけられた人は
「話を親身になってよく聞いてくれた」
「創ってくれるものが皆おいしかった」
「色んな見かたを教えてくれた」
「ものも心も出し惜しみしない人だった」

母はチャコちゃん先生にとっては天敵の存在だったが
姉妹全員の友だちを大切にしてくれたらしい
家族は
その根だけしか見ないが
根はただただたくましく生活力にあふれていて強い

しかし
外から見る人は
大きく枝を張った樹しか見ない
その葉の影で優しく憩うことが出来る

どの親も根を家族に樹を他人に見てもらっているのだが
母が少し他のお母さんたちより余裕があったのかもしれない
他人に優しくするのが大好きだったから

いまになると
どうしてあんなに母と遣り合っていたのかーー
他人とけんかをしたという記憶は少ないが
母とはいつも真剣勝負
時々父が
「母さんのほうが正しいことがいづれ分かるよ」
と仲裁をするが私には効き目が無い

いまは
母の立派さと正当さがよく分かる
「謝りたいとき親は無し」
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旧暦 5月5日

2010年06月16日 11時23分08秒 | 日記
菖蒲の花が満開の今日は
5月5日端午の節句
しかも梅の実が熟す頃と72候ではいう
自然はまさしくその通りに過ぎていく

端午の節句に飾っていたしょうぎ様の刀を
兄が持ち出して
商店街の豆腐やに攻め込み
全部の豆腐を滅多切りにして
その日の豆腐を母が全部買い取ったという話を
この33回忌で初めて聞く

長姉の宗静先生と兄は何かと問題を起こしていたらしい
しかし其れはつるりと口をふさぎ
宇佐神宮へ行ったという話しをすると
「あんたを途中から負んぶしておまいりしたんだから」
あなたはすぐピーピー云うから
とおまけがつく
弟や妹達の悪行を次から次へと明かしていくが
末っ子の私は何もいえない
宗静先生の独り舞台

挙句に
86歳になったのに
杖も持たず一人で浜松から6時間も電車に乗ってくる
豪いもんだと自画自賛

「お母さんは柏餅を作るのが上手だった」
「今時分だったね旧暦の端午の節句の時期はチマキと柏餅」
「それに太巻き」
と思い出をつづっていくが
かすかにしか覚えていない末っ子は寂しい

生まれた家はもう道路に取られていて
戦後に移り住んだ長屋
そのうち建て直したのだがその家を見に行くと
「ああ桜の木がない」
新しい持ち主に斬られていた

家族は子供の祝いをしている頃が
一番充実して楽しいのかもしれない
小さい子には家族の思い出をたくさん作ってあげてほしい

宗静先生余り自分を自分で褒めすぎて少しきまりが悪かったのか
後に残ったチャコちゃん先生の宿泊代も
長姉の面子を重んじ支払ってくれていた
ありがとさん



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U S A

2010年06月15日 17時03分19秒 | 日記
日本のU S A宇佐
大分の入梅の日宇佐神宮にお参りした
はるか昔家族で行ったときの記憶
高校時代に仲良し8人で行ったとき
空気は覚えているがデテイールについては
全く覚えていない

両親の33回忌に帰ると決まったとき
急に宇佐神宮におまいりしたくなった
そういえば父が亡くなったとき
大分飛行場に着いたら
無性に紅葉を見たくなり
富貴寺を中心に国東半島の紅葉狩をしてしまった

今回も
飛行場から宇佐神宮直行のバスがあり乗り込んだ
客は二人
一人は途中で下車してしまったので
田染荘といわれる日本一美しい田んぼの緑を
一人で堪能した

神宮に着くと雨は小降りになり
雨下駄の砂利を踏む音が小気味よく響く

「突然ですが祝詞をあげていただきたい」
とお願いすると気持ちよく引き受けてくださった
待合室に入ると和気清麻呂のお出迎え
待合室から望める田んぼを囲む山の風景も美しい

たった一人のチャコちゃん先生のために
16ピートの太鼓の音が鳴り響き
其れが静まるとすんだ声の祝詞の奏上
その中に
「コスモスシャの繁栄を祈る」
というようなことが随所に響き渡りありがたい

「ありがたいなあ」
と祝詞を聞き終わったらすぐに巫女さんが登場して
優雅な舞を奉納して秋櫻舎を讃えてくださる

聞けば今年は応神天皇1700年式が行われるという
御祭神は応神天皇、比売大神、神功皇后
ゆっくり静かにお参りを済ます

お腹がすき郷土料理の
団子汁、黄な粉でまぶしたやせうまを堪能
家について物知りの姪の解釈によると
「昔長者のお坊ちゃまが、ヤセという下女に、ヤセうまうまがほしい」
とそのヤセが作ったのがヤセウマという

全国の八幡様の総本家は
謙虚で気品があった

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日本語の時代

2010年06月12日 12時37分29秒 | 日記
今から800年前
小さな小さな日本と同じような島国
イングランドで使われていた言語英語が
今日のような世界共通語になってしまうなんて

英語は男性性の強い言語なので
一方的なそして攻撃的な思念になりやすいと
言語学者は言う

日本語は
男性性と女性性の強調語であるために
英語圏の人から見ると
理解しにくいらしい

どうしてこんなことを云っているかといえば
チャコちゃん先生がいくらお金をかけても
英語が上達しないワケを述べているわけではナーーイ

皇室の菊のご紋がどうして16枚なのかと
エンエン調べていたら
シュメール人類最古の文明にたどり着いてしまった
16弁の菊と全く同じ紋章があり
言葉の発音も非常に似ている

着物の柄のルーツが
シュメールにあった!

そしてチャコちゃん先生が学んだ
風水の16、8、9、72 24などなどの数字も
全てこの太古の文明の中に見出すことが出来る

さて言語
ロンドンを中心とした英語圏のアングロサクソンの文明は
ボツボツ他の文明と交代のときがやってきているという
村山先生の文明の800年周期の考え方は
どうもシュメールの天文学からきているらしい

何千年もまえから
宇宙の周期リズムは正確に時を刻み
隆盛になる民族
没落する民族
其れも宇宙の周期リズムに組み込まれているというわけ

次の800年は日本を指している
まさしく1995年の神戸はこのことを暗示したようだ
なんたって神の戸ですからして
そのご
日本太古のカタカムナやほつまつたゑは
この地から広まっている

聖徳太子の預言書も大阪にあるというし
カナとシュメールの文字の類似性に驚く
そしてなにより
着物の柄の意味がシュメールにあったことがオモロイ

きものがまたチャコちゃん先生に
新しい見聞を与えてくれた

もう英語話せなくてもなーーーにも心配しなくて良いよ
これからは
美しい日本語に花が咲く
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縮緬ゆかた

2010年06月11日 09時45分59秒 | 日記
梅雨に入るほんのわずかな日々に
絽縮緬の着物がある
湿気が多くなると
見る見る縮んでいくので
梅雨の声を聞くともう着ない

そして登場するのが
縮緬ゆかた
一越縮緬のきものを素肌にさらりと着る
この世に女で生まれた醍醐味を味わう

衿はバチ衿仕立て
柄は文久小紋や越後型
もっと若作りお望みなら
百合や菖蒲の立ち姿が美しい花柄がいい
最近はカラーの柄も浴衣にある

素肌に着るから
甕覗き程度の淡いブルーから茄子紺まで
白地は肌の色が透けるのでチョット隠微
これ狙いの方はどうぞご自由に

代謝の激しい若い人は
いしき当てを付けた方が無難
さらに年配のひとはも
肌が冷えるのでいしき当ては必要

ということは
40,50,60代始めの女達が
一番色っぽくよそえるのかしらねえ

この年代の女が
また
一番きものを着ない年齢
日本の女に生まれているのに
もっと女の麗しさを楽しんでほしい

縮緬ゆかた
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ひゃー汗汗アセ

2010年06月10日 11時22分51秒 | 日記
バレー衣装をホイホイホイと身に付けていて
あれーー忘れたあーー
今日はレッスンやめようかな

体型を隠すため
チャコちゃん先生は
レオタードにチュチュのようなスカートを付けてのぞむ
そのスカートを忘れたのじゃあよ

レオタードを着てウロウロしていると
優しき同窓生
「大丈夫ステキよ」
なんていってくれる

乗り易いチャコちゃん先生そのまま教室へ
「お目だるいでしょうがスカートをわすれてーー」
と先生にくどくど弁解
「いいじゃあないですか?」
こちらサイドはレオタードの方がチェックしやすいですから
とおっしゃっていただく

おそるおそる鏡に自分の姿を映す
ハハハハすごいね
まるきし茶筒どすなあ
ハハのは

確かに自分の姿を鏡でチェックする目が厳しくなり
一挙手一投足を他人の目になって検分

いつも細かく指導してくださる美人のプリマ
「ナカタニさん今日はやる気ですね」
いつもより更に細かく叱咤が飛ぶ

そういうことね
上手になろうと思えばさらけ出すことだわ
一番しんどいけど、近道

同じ鏡の中に10代のバレリーナ志望
20代の足長きバレリーナ
あははと笑うしかないチャコちゃん先生の
レオタード姿が映っている

いやーーー疲れたね
いつもの10倍汗かいたわ
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泰山木

2010年06月09日 09時32分12秒 | 日記
少女の洋服につけるボタンのような花
真っ白の泰山木
この花が咲くと梅雨模様
花は季節を伝えてくれる

15年前陽子ちゃんに頂いた薄紫の紫陽花
昨年大西さんに頂いた白い紫陽花
日々花びらを広げていっている

あのライトを浴びているお方に頂いた梅は
今雑草の真っ只中にいる
雑草を取り除いてあげないと
ライトの前に立てなくなる
といつも思うのにケロケロッと忘れてしまう
今日こそはと思ったが雨ーー

梅雨は白い色が映える
新内閣のレンホウさんの白いスーツが
野暮な男の黒の中でひときわ清潔に見える
白は強い色

長いお付き合いだった安達瞳子さんは
いつも白い着物をお召しだった
色とりどりの花の中に居るので白が一番安心と

チャコちゃん先生も白い着物が多い
これも色とりどりの着物の中では白い着物が落ち着く
其ればかりではなく
白の反物が美しい
特に漂白されていない絹の色に心引かれる

いま小石丸の糸で紗織りした布に
胡粉で大小あられを染めてもらっている
この着物は7月23日岡谷で手を通すつもり

公園の泰山木に負けじと
当方の白百合も美しい
「日の本」という銘柄純日本産
純日本とはいつのことを言うのかと考えた
少なくとも3000年以上のことだと思う

輸入輸入の文化だもの日本は
特にシュメール文明の影響が大きい
これは特にきもの柄がそう教えてくれる

泰山木の花を見上げながらつくづく着物の柄からの情報を知る
今日のチャコちゃん先生のきものの柄は「渦」
3000年以上前の柄だ 
陸地の誕生のときに出来た柄

どうだえーーースゴイでござんしょ!

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チャドクガ

2010年06月08日 10時53分22秒 | 日記
この有害虫のお陰で色々と考えさせられている
茶毒蛾は風通しの悪いところで発生すると云われる
そりゃあ当たらないね
当方13階ビュービュー風が吹きまくっている
その風にさらわれれば申し分ないのに
キャツラぎっしりお互いの糸でつながっているんだ
その団結魂は凄いもんだ

ハトちゃんの家臣もそんな結束力を持っていてほしかったね
新菅さんたちはこの茶毒蛾の団結力を見習った方がいいね
生きるも死ぬも一緒だよ
自分だけ生き残るなんて狡いことはトンと頭に無い
前原クン見習いたまえ

アそれたそれた

チャコちゃん先生思うに
土がやせていた、雑草を抜いてなかった
つまりだ
椿山茶花にはEM液を廻さなかった
その土の叛乱だね

ピンクの花の雑草を抜き取らなかった
足元を綺麗にしていなかったチャ子ちゃん先生がワルイ
ハンセイ!

それで早速雑草を綺麗に抜いてさっぱり
それからEM液を作るべく
用具一式をEMジャパンに注文

前回は生ゴミを集めるのがタイヘンで挫折
今回はお昼をこちらで作っているので
生ごみ収集の心配はなさそう

植物も一つ一つ丁寧に温かく接しないといけない
茶毒蛾の天敵はくもなのだそうな
蜘蛛が出始めるのはもうまもなく
蜘蛛が出没するのは風通しの悪いとこ

物事はすべて風通しよくしないと清潔にならない

そのてんきものは風通しが良い
身八つからすーすーと風が吹き渡る
なのにこの風穴を補整で埋めてしまっている人もいる
もったいない

茶毒蛾が沸くよ
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茶毒蛾

2010年06月07日 11時04分07秒 | 日記
あっというまに
椿が2本茶毒蛾に食い尽くされてしまった
3日目を離した隙
こわごわ山茶花に目をやると
こちらも団体でお食事中
ああーーーー

たかだか2センチ足らずのこの毒蛾
何が嬉しくてこの世に存在しているのか
チャコちゃん先生には
ちっとも分からん

あの毛が人間に及ぼす毒は
皮膚が赤くはれるだけではなく
毛が刺さると細胞まで傷つけ
血流の中に入っていきリューマチの原因にもなる

と園芸の売り場のおじさんに威され農薬を買う羽目に
20年以上も無傷だったのに
昨年当方も異常発生し山茶花がほぼ全滅
今年は椿に移っていた

とにかく
毛が入らないようマスクにめがね帽子長袖のブラウス
完全防備をして駆除に専念
枝ごと切って焼く
着ていた物も全て処分
それくらい恐ろしいと茶毒蛾の毛で傷ついた友人の忠告

だいぶ前19号の台風が日本列島を縦断した折
リンゴが台風にまけず生き延びた農園があった
農園主は何をしたかといえば
ひたすら「いろはうた」と「ひふみ祝詞」を唱えていた
という記事を思い出し
チャコちゃん先生も大声でいろは歌を歌い
木々を守りながら切っている

椿も山茶花も花が咲いているときは
ヒヨドリの食材となり
若葉の頃は茶毒蛾団体さんの食事処となる

この茶毒蛾
戦争兵器を作り売りつけ戦争を起こす輩
石油の利権を手に入れて権力を行使する国
そういうグループと似ている
食い荒らした後は結局は食べるものが無くなり自分の命も果てる
今まさにメキシコ湾がこの茶毒蛾のよう

社会の悪だと皆知っていて駆除しようとすると
自分も命がけで向かわないと敵わない

しかし「いろはうた」や「ひふみ祝詞」で駆除できるとは
日本人の知恵が今花咲くときが来ていることを
この茶毒蛾が教えてくれているのかもしれない

いろはにほえとーーーーーー
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