浅草神社には格別の思いがある
いろんな職種の着物姿を取材し、その着装なども写真を撮って雑誌に載せていた
鳶職の人たちのカッコよさももちろん取材、どこの鳶?其れは新門辰五郎の浅草でしょう。そして四谷の荒木町だね
取材の時が「三社祭」準備期間、「チョイトごめんよ」と取材中のチャ子ちゃん先生に声をかけて頭は舎弟に指示を与える
そうしている時間に、祭りのお役衆が祭り着物を着て現れた。浅葱鼠の地色に蘆の柄や水辺に千鳥、更に魚網が三つ手描きされている。その美しさに見とれていたら、年配の方が模様の説明をしてくれた
「昔この辺りは海で漁業していた兄弟がその海から網で釣り上げた彫り物があり、それを識者が鑑別し観音様と判り、奉納をした、そのいわれの柄なのだ」というその三人が「三社様」社紋も「三網紋」その名は士師真中知命・檜前浜成命・檜前浜成命
その後江戸友禅作家の熊谷好博子さんに、その時の写真を見せたら
「自分たちはこの模様を江戸解友禅と師匠に教えられ、糸糊の技術を駆使して、細やかに書くことを鍛えられた」
必ず三つの魚網を入れ、蘆の浜辺と海岸松、そこに千鳥が騒ぎ、波模様を入れる、江戸五彩といわれる、藍、紫、小豆、緑、黄を使う、と教えてもらった
特に藍の色は江戸藍といわれるほど種類も多く、美しい、その藍色の配分を成功させて一人前だったという
江戸時代友禅が生まれた時、この模様は大奥の女人たちに好まれたという。そして城下がりした女たちが、この着物を解いて売ったことから「江戸解き」という名が付いたといわれるけれど、真偽は不明。とにかく引着用につくられた意匠であることは確かだし、三社のお役の方々が着ていたこともこの目で見ている(今は着ていない)
その浅草神社に四年前の本殿大麻しめ縄の奉納に続き、鳥居の大麻しめ縄奉納に参加できた喜びはたとえようもない
浅草神社の宮司さんは士師家真中知命ゆかりの方が勤められている
都内の方ぜひ大麻のしめ縄に輝く浅草神社に初もうでを