奈良市高畑にある「志賀直哉」の旧宅に足を運んだ
さすがに趣味のいいお屋敷、仕事場というより家族を大事に生活をしていらした様子がうかがえるのは一でもある
それでも書斎が二つあり、あの有名な「暗夜行路」を書き上げたところは二階の庭を見下ろす静かな和室であった
そこに座って、文豪の視線で文机を見、庭を臨む
頭の中がすっきりとしてくる感じがした
階下にに降りて一階の書斎に入る
風水でいう「背山臨水」の座り位置、自然にそうなっているのだろうが、自分の潜在意識のままに座っていたのかしら
つまり右手は壁で仕切られ体が安定している、椅子の背が高く背中を守っている、前は庭景色で視野が広がる。「四神相応」の配置でもある。三国志で関羽がとっ陣地、また殿上人が据わる形式でもある
ここで多くの名作を書き上げたが、暗夜行路だけは人の気配のないところで創作したかったのだろうか
茶室に入る、武家風ではなくかといって商人向きでもなく、しいて言えば文人好みというところか、談笑を楽しみながら静かに茶をたしなむ、南の庭北の庭そのどちらにも目が行く位置にあった
頭を休め、思索の場としてこの茶室が使われたのだろう。また奈良に住む文人たちが集まっての談笑しあう風景が目に見えるような感じであった
食堂は本気の家族団らん、家族の笑い声子供たちの透き通った声が聞こえてきて、太陽の光をさんさんと浴びた食堂や今がいかにも楽しげだった
子供たちの勉強部屋は父の部屋の隣なので、子供も気が抜けなかったかもしれない、父の存在を感じながら勉強をしていたのだろうとほほえましい。南の庭は一気に明るく広がり子供たちの遊び場、北の庭は文人たちの語りの場、日本の良家の見本のような家づくりを見て心が和んだ
そして最後に志賀直哉の年表を改めてゆっくり丁寧に読んでいたチャ子ちゃん先生
「まあー志賀直哉って長生きだったのね88歳でお亡くなりになっているわ」
「うん?比佐子さんあなたの年と変わらない!」
「えっ、アッ私!」
「87歳でしょう?」
「うははは」「あはは」
年は数字と思っているのですぐ忘れるおめでたい人、その名は中谷比佐子サン