チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

花田美奈子さん

2012年12月27日 09時31分17秒 | 日記
花田美奈子さんが今月「いのちのレシピ」発行 マーブルトロン・発売 三交社1600円
を飯塚良子さんの編集でお出しになった

花田さんがソニービルの地下に「マキシム・ド・パリ」を開店されたときは
世界中が驚嘆の声を上げた
「マキシム・ド・パリ」の本店があるパリでは世界の王侯貴族を魅惑し続けている店だ
花田さんは直接に「マキシム・ド・パリ」のオーナーに談判し承諾を取った
日本でのオープンの時も皇族や上流階級、文化人が綺羅星の如く集まりマスコミを賑あわせた

ソニービルの7階のベルベテーレ、伊勢丹会館のエル・フラメンコ、六本木パブ・カーデイナル、ローゼンケラー
日本の超有名なレストランのほとんどは花田サンノデレクションによるもの
花田さんは世界を駆け巡り日本の外食産業の先鞭を付けた
そして多くの有能なシェフの誕生も促している

チャコちゃん先生は青春時代
花田さんをまぶしい大人の女性として畏敬の念を抱いていた
小娘がいけるようなレストランでは無いが
そのおしゃれな雰囲気を味わいたくておじさまをせっついては連れて行ってもらっていた
六本木のパブ・カーデイナル
そこで花田さんはサンローランのオートクチュールを見事に着こなし
華やかに温かく振る舞っていた

六本木には「キャンテイ」もあり
此の二つの店に顔を出すのが何か大人の仲間入りをするような感覚でもあった

その花田さんと交流の深いチャコちゃん先生の友人川邉サチコさんが
此の本に花田さんのフアッションについて原稿を寄せているが
日本がバブルに向かう前のキラキラ輝いたその時代が良く表現されている

さてその花田さんは出店する店は全て大成功で寝る間も惜しんでの仕事のため
ついに肝臓を患い医者に
「貴方に施す薬は無い」
とまでいわれたとき、一気に生活を変え休養を取り玄米食に切り替えた


見事に立ち直り今度は「玄米菜食」というネーミングで
無農薬化学肥料なしの食材を求め店を演出したり講演活動をし続けた
「玄米食のレストランは暗くて地味」
と言う評価を覆しおしゃれで明るく一世を風靡した花田さんならではの食の演出が始まった

そして80才になったときなんと新しい店を原宿にオープン
「ハナダ・ロッソ」原宿本店

「からだは食べ物からできている」
と言う花田さんの思想が詰まった本だ
またサチコさんに言わせると
「花田さんは常にぶれない美意識を持っている」

元気の良かった日本を知る本でもある

コメント
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