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「ブレア回顧録」トニー・ブレア著

2012-02-11 19:07:34 | Book
1997年5月から2007年6月まで英国の首相を務めたトニー・ブレアの回顧録の原文は、「A Journey 」である。
このタイトルは、なかなかナイスではないか。毎回、スクリーンの中でヌード姿を披露しているからか?英国一の人気俳優ユアン・マクレガーは映画『ゴーストライター』で、自叙伝を出版しようとする首相の最後まで名前のない”ゴーストライター”役を演じていた。監督があのロマン・ポランスキーというだけでなく、元首相のモデルがトニー・ブレアという話題性も興行成績に結びついたと思う。

さて、映画を鑑賞した者としてはこれほど痛烈なパンチを浴びせられた当のブレア元首相に、良質と評価の高かった映画の感想を聞いてみたいものだが、実際の回顧録は政権をとる頃から退任に至るまで、ゴーストライターを使ったかどうかは不明だが3年間もかけて上梓した旅路では、予想外に自分自身の心の動きを含めて率直に語っている。その10年に渡る長くも短くもある「旅路」をふりかえることが、懺悔の旅路なのが、過去の栄光の残影を感じさせるものなのか、つい他国の人間としては皮肉な視点で読み始めてしまうのだが、計算された正直さは、そうとわかっていても読んでいて興味深かった。(残念ながら、時間の関係で私が読了したのは、上巻だけ。)

まずは、ブレア首相についてのおさらい。
久々に拝見した表紙のブレア首相はすっかりふけてごく普通の初老の男だが、自由主義経済と福祉政策を両輪にした第3の道を提示し、"New Labour"新生労働党を目標にして有権者の支持を集めて首相になった時は、弱冠41歳の若造だった。長年、典型的な労働者出身で固めた労働党をカルト集団とまで言い切るブレア首相は、当然ながら労働者階級出身ではない。勿論、写真の中のダークスーツを着た父親は、学者から弁護士になった保守党員。ブレア自身は、オックスフォード大学出身で弁護士となり、妻も弁護士というエリートの中産階級出身だ。それでは、何故、彼は汗くさい労働党員になったのか。

自分自身が支配階級にとってさほど重要な人物になれないことを自覚している点と、もうひとつは長髪、Gパン、はだしのヒッピースタイルの彼の写真が語っている。
「私の魂は、今も、そして今後もずっと、反逆児の魂であろう」

そうきたか・・・。その反逆児としての反骨精神は、まずは労働党の改革、そして国民の意識の改革に向かい、在任中は、医療サービス、教育、法律などの成果を挙げている。

次にどうして大衆は彼を支持したのか。戦後の英国における首相の中で最も知名度も高く、屹立しているのは、マーガレット・サッチャーだと言われ、ウィストン・チャーチルにも肩を並べると伝えられている。在任期間も10年と長期間だったのも影響力を与えられたのだろう。サッチャーは、経済的に行き詰った英国の現状から、ゆりかごから墓場までの社会主義的福祉国家路線を革命的に変換させた。民営化、市場競争原理の導入、労働組合を腰砕けにした”鉄の女”という名誉あるニックネームまでちょうだいした。そのサッチャーと比較されるのが、ブレアである。彼は、サッチャー政権により、向上心を刺激されて社会階層があがる機会を与える政策で新しく中産階級になる層をとりこむことに成功した。しかし、そのニュー中産階級を産むきっかけをつくったのはサッチャーであり、そもそもサッチャーを支持していた。しかし、トニーの父と同様、サッチャーは努力して何故成功しないのか理解できないタイプの人間だった。まるでできの悪いこどもを理解できない母親のようだが、彼女が性格的にも弱者切捨ての”鉄の女”だったのは否めない。

そこに登場したのが、まるで民主党のように弱者にも優しい人間味にあるブレアのニューレーバー&ニューカントリーだった。そして、政治家としては若いブレアは見事に”普通の人々”を奪うことに成功した。永年、野党に甘んじていた旧態依然たる労働党から彗星のごとく飛び出したトニー・ブレアに、大衆は喝采した。訳者の分析で大変興味深かったのが、サッチャーが保守党のアウトサイダーであり、党首流派に反乱を起こしたとすれば、ブレアも労働党の中でもアウトサイダーであり、反逆児だった点で似ていると述べていることだ。そして、ブレア自身も党派をこえてサッチャーの実現した変革を支持することを告白している。

また、ブレア首相の人物像については、私は現実をみる合理主義者であるという感想をもった。失礼な言い方をすれば抜け目のない人物。自伝ではなく回顧録という形式で、関心のあるチャプターだけでも読んでもよい形式からか、政治家としてのテクニックに感心こそすれ、彼が政治家をめざしたきっかけや目標などが今ひとつ見えてこない。もっとも生まれ変われるのであれば、弁護士ではなく産業の分野でイノベーションを起こしたいという発想から、根っからの保守派ではなく革新派だ。愛妻との間に、4人のこどもを持つくらい家庭的なイケ旦。但し、育児にはそれほど熱中できないようで育メンにはなれそうにない。政治家の常らしく、饒舌な男でもある。プレゼンテーション能力が高く、コミュニケーション力もある。一般的な英国人というよりは、米国人に近い印象をもったのだが、やはり、親米派で特にクリントン大統領を政治家としても尊敬しているのが記憶に残る。

余談だが、英国のマスコミの対応に何度も怒りと悲鳴をあげていて、マスコミ対策に追われているのは、悲劇と喜劇だった。下巻は、いよいよ9・11、イラク戦争の核心にせまる。
現在のトニー・ブレアは、2008年に設立したトニー・ブレア・フェース財団を通じて、異なる宗教間の対話促進と教育のための活動を行っている。ニュートニー・ブレアはとどまることを知らない。

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