千の天使がバスケットボールする

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「30年の物語」岸惠子著

2012-04-07 22:27:31 | Book
「 一瞬も 一生も 美しく」
さすがに資生堂である。女の化粧という表面を飾る営みから、哲学まで感じさせられる。その新聞広告に出演しているのが、今年80歳になる岸惠子さん。
岸惠子さんが作家としてデビューした「巴里の空はあかね色」の続編にあたるのが、本書の「30年の物語」である。岸さんが初めてパリを訪問したのは1956年の1月2日のことだった。デヴィッド・リーン監督が製作する予定の「風は知らない」のヒロインに抜擢されたため、英語をマスターする必要があり留学ついでに立ち寄っただけのパリ。美しくりっぱな街だが、こんなさびしいところには住みたくないと感じた岸さんは縁があって、2年後にパリの住人になった。それから42年の歳月が流れてある風景として残ったのが14の物語。30年という岸さんの心の基準を経て、尚且つ静かに沈殿しているのはどれもこれも心がふるえるような珠玉のような物語だった。

言ってしまえば、前作の「巴里の空はあかね色」では、少々文章がうまい女優レベルだった。女優という職業に敬意を払うけれど、演じることと文章を書くことにふたつの才能は全く別の次元のもの。映画女優だけでなく、作家という肩書きを易々と名のる岸さんに、日本人離れをした会話と同じようなきどりを感じていたのも正直なところ。しかし、本書のすべてのエッセイは、本屋に溢れる多くの作家やスポーツ選手などの様々な職業人のエッセイや本と名づけられた退屈な文章の羅列をこえている。

まず、文章がうまい。作家のこなれた粋で読ませる職人技とは違う、素人の手触りがあるのだが、おそろしくセンスがよくうならせる。しかも、きれいだ。けれども、本書の価値は、何よりも人生の酸いも甘いも噛み分けた成熟したおとなの女性の感受性がみせた世界があることだ。異国での日常の仔細な煩雑さを嘆くかと思えば、私からすれば娘のデルフィーヌさんの異邦人のように感じる辛らつな会話、政治、国際情勢まで、岸さんは単にパリ在住をおしゃれなエルメスのスカーフのように飾る元アナウンサーたちとは次元が異なる深い洞察力をもつ国際人だ。元来、女優だけで満足できる器ではなかったのだろうが、岸さんに最も影響を与えてシャーナリスティックな見方を育てたのは、何と言っても縁があり遠いパリまで嫁ぎ、又離婚に至ったイヴ・シャンピ氏の存在である。

確かに私は「巴里の空はあかね色」の感想で、夫となったシャンピ氏を”一回り年上のはげちゃびんのおじさん”とつぶやいた。しかしながら、古い写真と前作では読みとれなかったこのおじさんはスケールが違っていた。彼は、フランスの上流階級の男だった。シャンピ氏は医科大学生時代に、「自由フランスよ、立て!」とラジオで呼びかけるシャルル・ド・ゴール将軍の下へ、12人の学友とともに夜影にまぎれてナチス占領下のパリを旅立った。文字通り、命がけのレジスタンスの地下活動でピレネ山を越える途中、ノルマンディ上陸後、そしてパリ解放の記念すべき日にも、友人たちはさまざまに無念の非業の死をとげた。12人の医科大学生のうち生きて還ってこれたのは、シャンピ氏とのちにノーベル生理医学賞を受賞したフランソワ・ジャコッブ氏のふたりだけだったという。この若き青年たちの心に残されたものはなんだったのだろうか。医学生たちに起こったことをそのまま語る著者の文章は、慎みと理性の品格がある。

機知に富み意外にもお茶目な面もあったり、自立して生きる女の意地やプライドがのぞいたりと、一字一句を楽しんだのだが、なかでも私が最も好きで思わずため息をついたのは、チェコ人青年とのまるで映画のような淡い恋を綴った「栗毛色の髪の青年」である。東洋人の人妻と激動のチェコからやってきた医学生とのすべてが完璧な一篇のまぎれもない実ることのない恋。これぞ恋愛小説、と、つい書いてしまいそうだが、これは彼女が創作した架空の物語とは違い、プラハの春やその後のビロード革命のように、彼女の人生に30年の歳月に風化されずに残された事実だった。そして、それはすなわち、私がまぎれもない優れた作家に出会ったことになるのではないだろうか。

■アーカイヴ
「巴里の空はあかね色」


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