千の天使がバスケットボールする

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「第九」の仕掛け人

2006-12-21 23:23:37 | Classic
さすがに年末。ブログの更新が滞りがちなのは、弊ブログだけではないようだ。
気がつけば、クリスマスの準備(省略しようかな)、年賀葉書の用意すらできずにはや21日。毎年生活を楽しむゆとりもなく迎える年の瀬。嗚呼、せちがらい。
そうは言っても、何故か年末になると車の中で聴きたくなる曲もあの「第九」。先日の映画『敬愛なるベートーヴェン』でも「第九」初演シーンは、話題を呼んでいたのだが、いったいいつから日本人は大晦日になるとこの長い曲を聴くようになったのだろう。
今日の「日経新聞」に、音楽評論家で元N響番組を担当されていた増井敬二さんのお話が載っていた。

国内での「第九」の初演は、今夏評判のよかった映画『バルトの楽園』にあるように、1918年徳島県鳴門市の俘虜収容所においてドイツ軍俘虜による演奏会というのが定説だが、増井氏らしいこだわりによると女声なしでは完全とはいえないということで、24年の東京音楽学校の完全演奏を初演としている。
その後、NHK音楽部洋楽担当だった三宅善三氏が36年ドイツ留学した時に、当時ライプチヒのゲヴァントハウス管弦楽団が大晦日の深夜「第九」を演奏していることを知り、帰国後にこの慣習を輸入したそうだ。
それから三宅氏は、戦争中電波管制で正月あけになった時を除き、毎年大晦日にN響の生演奏を放送し、やがて録音録画で対応するようになると演奏会も開かれるよになった。次々と誕生したオーケストラがこれに追随し、やがて年末は全国津々浦々に「第九」が波及するようになった。
三宅氏は惜しくも50歳の若さで病に倒れたが、三宅氏と音楽上の激論を闘わした当時新人だった増井氏が大きな番組を任せられるようになった。そんな増井氏が印象に残る「第九」演奏は、43年11月28日の特別放送。12月1日に学徒出陣を控えた学生への放送だった。
今では、世界の頂点にたつ指揮者とオーケストラによる最高の演奏を、そして実力も備えてきた日本のオケによる生演奏と、音楽シーンは確実に豊かになった。出陣を控えた学生が聴いた「第九」は、どのように彼らの胸に響いたのだろうか。想像するだけでも、あの有名な合唱のあつみのある声が聴こえてくるようだ。

頑固で熱血漢だったという大晦日「第九」も仕掛け人、三宅氏とともに歴史を残すために、近く増井氏の著書「第九-歓喜のカンタービレ」が刊行される。