千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『夜よ、こんにちは』

2006-05-14 23:07:58 | Movie
シューベルトの「楽興の時」が流れている。
誘拐されたモロ首相が、55日めに解放されて自由の身になって道をゆっくりと歩いている。その肩に柔らかく雨が降り注ぐ。
でも、これはキアラが見た最後の夢。甘く夢見るようにせつなく、どこかものがなしい「楽興の時」の音楽は、23歳のキアラの自由で理想的な社会の実現を象徴する。けれども、仲間の銃弾が希望を打ち砕いた。1978年3月16日、極左武装集団「赤い旅団」によって誘拐されたイタリアのキリスト教民主党の党首であるアルド・モロ首相は、55日後の5月9日殺害された。

1978年ローマのアパートに、キアラと婚約者が引越ししてきたのは春。多くの蔵書が壁を飾る真面目な新婚家庭らしく、質素だけれどあかるくて清潔な室内。そこへ3月16日、誘拐されたモロ大統領が運ばれた。新婚家庭を装ったキアラたちは、極左武装集団「赤い旅団」の4人のメンバーだったのだ。目的を果たした達成感と今後の緊張感で高まる興奮状態の彼らは、事件を報道したテレビのニュース番組を観るのだが、命を亡くした5人の護衛官の葬儀の模様とともに、殺人集団と糾弾する政治家たちに失望し、いらだつ。やがて彼らは、モロの写真とともに、「彼を労働者階級(プロレタリア)の裁判にかける」、という声明文をつけて政府に送りつける。

ところが、政府は簡単に彼らの欲求を通さない。更に権威ある人間の手紙を書けとモロ首相に命令し、その手紙はローマ法王の手元に届く。
大学図書館に勤務するキアラは、何事もなかったかのように日常の勤務を続ける。しかし、自分の描く理想の社会実現のために必要だと信じていた自分たちの行為に、疑問をもちはじめるようになる。自分たちの信念に、ひとを殺す権利があるのかと。
そんな彼女に好意をもつひとりの大学生が、「若くて美しいのに、それを隠そうとしている」と指摘する。ある日作家志望の彼から「夜よ、こんにちは」という脚本を渡される。そこには、今度のモロ首相誘拐事件をベースに、犯行グループのひとりの女性を主人公に、計画の正当性に悩んで葛藤していく過程が書かれていた。そして彼は、「赤い旅団は、単なる殺人者だ」と言い放つ。
常に冷静に議論してくるモロ首相と、焦燥感で追い詰められていく4人。やがて決断をくだす日がきた。

この映画は、なんといっても主役キアラの真なる自由への希望と、理論による殺害に疑問をもち苦悩する役を演じたマヤ・サンサの鮮烈な印象が残る。
マルコ・ベロッキオ監督は、「今の政治には思想がない。思想のあるところには、人間性と愛情がない」と語っている。政治の世界に熟知しているモロ大統領が、「政府にとって自分の遺体は、君たちを潰す道具に使われるだけだ」と忠告するが、最後まで信念を変えないリーダー、マリアーノ(ルイジ・ロ・カーショ)は、彼に死刑を宣告する。
「プロレタリアート革命のためなら、母親だって殺せる」そうモロ大統領に叫ぶマリアーノは、イデオロギーのために家庭も捨てる思想はあるが、愛情がない。常に理路整然と理論を語る彼には、人間性への信頼も希望もない。彼にとっては、モロ首相はひとりの人間でなく、抹殺すべきブルジョワ”政府”にしか見えない。(「ベッピーノの百歩」「僕の瞳の光」で出会ったルイジ・ロ・カーショが、この映画でもあまりにも適役!)同じ犯行グループのひとり、キアラの恋人は、深くものごとを考えるタイプではないが、目的は冷静にかつ着実に実行する職人タイプ。そして夫役を偽装する男は、モロ大統領を殺害するのは間違いだと叫び、恋人のもとに走っていく。そしてイタリア最大の事件といわれたこの事件の史実よりも、「思想と愛は両立する」と監督の語るところの希望のひかりを感じさせるのが、キアラの存在である。キアラは眠りの中で、自由に歩きまわるモロ首相を夢みるようになる。政府を具現化した首相に、女性らしく人間性を感じるようになる。

そして、彼らの行為を所詮君たちが軽蔑する政府のやり方そっくりだと批判するモロ首相の言葉と、間に入るキアラの記憶の映画の断片や事実の映像によって、いかに暴力が残酷であり、暴力によって社会を変えていこうとすることの無意味さと虚しさを感じさせる。かってファシストに弾圧された先祖のパルチザンと、立場はかわれどこれからやろうとする残酷な行為にかわりない。

最初から最後まで、まるで1978年にタイムスリップしたような感覚だった。それには、当時の事件を報道した映像、古い映画の断片、ピンク・フロイドの音楽(初めて聞いたが)や時代考証に基づいた彼らの服装や髪型のせいだろう。この映画を、99%の人は退屈と感じるかもしれない。けれども、私は深い感動を覚えた。同じ女性として、主人公のキアラになりきれるからだろうか。
ささやかに伝えたい。「イタリア映画万歳」
最後に「楽興の時」は、何故かもの心ついて以来、嫌いな曲ではあるのだが。

赤い旅団と元イタリア首相・モロについて


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10 コメント

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残り1%か? (emi)
2006-05-15 22:52:09
こんばんは。

映画についてもろくに語る資格のない私ですが、

>ささやかに伝えたい。「イタリア映画万歳」



で、私も見たくなりました。といってもグールドのもまだで、(とにかく体力的余裕がなく・・・と言い訳ぶつぶつ・・。ならコメントするな、というところですが、)

「樂興の時」について。

私もずっと嫌いでした。でも40過ぎて好きになりました。ゆるせるようになったのです(笑)樹衣子様も長い目でみてやってください。そして薄幸なシューベルトの作品を愛してやって欲しいです。ほんとにシューベルトはいいやつなんです。そうそうブルックナーも・・・。(笑)
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TBありがとうございました (jinfrusciante)
2006-05-16 00:52:53
はじめまして。この映画、クラシックからロックまで、音楽がとても効果的に使われていましたね。僕は、映画を観てからというもの、久しく聴いていなかったPink Floydがヘヴィーローテーションになってしまいました。ご指摘されている暴力の無意味さ、虚しさは、「一人の人間を殺してまで実現に値する尊い思想などあるのか」というベロッキオからの問題提起によって物語られていましたが、それでもなお暴力をもって社会を変えようとする動きが絶えない現代だからこそ、この映画が持つ意味は大きいように思います。
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シューベルト (樹衣子)
2006-05-16 23:48:35
ブログで何かを語るに資格など不要と思いますので、どうぞどうぞ遠慮なく。(だって、それを言ってしまったら、私こそ音楽について何も語れなくなりますよーーっ・・・)



>ゆるせるようになったのです



その感覚わかるような気がします。薄幸だったシューベルトの音楽は、あまりにも純粋過ぎるというのが私の印象です。その純粋さがゆえに、不純度高めの私には、なにか近寄り難いのですね。でも、この映画では情景と非常にあっていました。



>99%の人は退屈と感じるかもしれない



こういう書き方をしたのは、本当に素晴らしい作品ほど観る人が少ないことからです。この映画も日曜日にも関わらずとても小さなユーロスペースで、1/3しか席がうまってませんでした。映画「ホテル・ルワンダ」が、商業ベースにのらないとの理由で当初日本での公開が決まらず、ネットでの署名活動で実現した経緯を思い出しました。世の中に、娯楽映画も必要です。娯楽映画も好きです。けれどもいつも私が観る映画は、その作品の質の高さにも関わらず、観る人が少なく、とても残念に思っております。



>体力的余裕がなく



私もビンボー暇なしで、今年のサラリーマン川柳の「ウォームビズ 懐常にクールビズ」は私の常套句でした。レンタルになったら、ご自宅でワイン片手に鑑賞するのもよいかもです。
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こちらこそTBありがとうございました (樹衣子*店主)
2006-05-17 00:20:49
ご丁寧にコメントもありがとうございます。



>「一人の人間を殺してまで実現に値する尊い思想などあるのか」というベロッキオからの問題提起



これまで、国内でも思想のために人を殺したり、逆に三島由紀夫のように自殺したりする事件もありました。

恥かしくも「赤い旅団」という組織を今回初めてこの映画を通じて知ったわけですが、このようなテロ行為に及ぶ組織には、自分たちの完璧な理想を追求するあまり、社会との接点がなくなり孤立化して閉鎖的になることによって、最後には武装集団に変質していくところに特徴があると思います。

以前、作家の三田誠広氏の三菱重工本社ビル爆破事件を題材に、大学生がテロリストに傾斜していく過程を描いた「愛の行方」を読んだ時、”一人の人間を殺してまで実現に値する尊い思想”にとりこまれていく主人公の心理が、すごくよくわかったのです。勿論、テロ行為は決して許されるものではありませんが、人にはこのように周囲がみえない状態になって、テロに走る危険性があると思うのです。状況によっては。

だからこの映画の価値を評価したいです。まさに、貴殿のおっしゃる現代におけるこの映画の意味ですね。



今日、あらためてブログを拝見させていただきましたが、私の観た、観たい映画がけっこう重なっておりました。「隠された記憶」も観る予定です。

なかでも今年のイチオシの「ホテル・ルワンダ」をTBさせていただきました。ありがとうございます。
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Unknown (マヤ)
2006-05-18 11:21:31
はじめましてTBさせていただきました。

「楽興の時」を使ったのはどうしなんでしょうかね?私は音楽には疎いので、曲の背景などについて教えていただければと思いました。
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楽興の時 (樹衣子)
2006-05-18 22:58:24
はじめまして、マヤさま



お役にたつかどうかわかりませんが、この曲について。

1797年ウィーン近郊に生まれたシュベルトは、わずか31歳でこの世を去るまでに実に多くの素晴らしい曲を残しました。中でも誰もが一度は耳にしたことのある曲のひとつが、この映画で使われた「楽興の時」3番ヘ短調です。“楽興の時”というのは、主に19世紀ピアノ曲として広まったキャラクター・ピースのようなものだそうです。

そのため、他の作曲家でも同名の曲があります。しかし通常「楽響の時」といえば、殆どの方はシューベルトのD.780 第1番 ハ長調~6番まである中のこの第3番を連想します。



短く素晴らしい曲であり、また印象に残る曲なので、ピアノ曲だけでなく、弦楽器による編成などCMや映画でもよくつかわれています。この曲をつかった理由としては、曲の背景ではなく、曲からくるイメージとキアラの希望があっていたのだと思います。



それから私も最後に、宗教の無意味さを実感しました。



ご参考までに→ http://www.geocities.jp/mani359/meigakkyounotoki.html
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Unknown (マヤ)
2006-05-21 13:18:31
すみません、TBだぶってしまいました。ひとつ削除ください。

シューベルトについての解説ありがとうございました。「愛の行方」是非読んでみたいと思います。
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マヤさまへ (樹衣子)
2006-05-21 13:27:13
TBの件、了解しました。

ご丁寧にご連絡ありがとうございました。
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はじめまして (beat+half)
2007-02-12 19:32:20
樹衣子さま、はじめまして。
「複数にして単数の映画日記」beat+half と申します。拙ブログの短評まで発見してくださり、感謝しています。
とても丁寧な評をお書きになると存じます。音楽の使い方や時代考証の件、もう一度観なおしたくなりました。
>この映画を、99%の人は退屈と感じるかもしれない。けれども、私は深い感動を覚えた。同じ女性として、主人公のキアラになりきれるからだろうか。
逃れられない状況の中で、いかに自分らしく生きられるのか、私は男性ですが、やはりキアラには深く共鳴しながらこの作品を観たように思います。時代背景など知らなくとも深く考えさせるのがよい映画の力だと信じています。
これからも、よろしくお願いします。

追伸 「隠された記憶」「サラバンド」にTBさせて下さい。
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はじめまして② (樹衣子*店主)
2007-02-12 22:13:42
>beat+halfさまへ

こちらこそ、ご訪問ありがとうございます。
「複数にして単数の映画日記」とは、印象に残るタイトルですね。由来を知りたいものです。
「サラバンド」「隠された記憶」、いずれも地味で観ている方が少ないため、他の方の感想をあまり読めないことが残念です。
beat+halfさまの批評は、整然として読みやすくかつ考えさせられました。特に「グローバル化と奈落の夢」のような記事は、個人的に好きです。
「ダーウィンの悪夢」は、昨年ドキュメンタリー部門で賞をとった時から注目していましたが、観るのはDVD化してからになりそうです。

>時代背景など知らなくとも深く考えさせるのがよい映画の力だと信じています。

映画の力、この力に揺り動かされるから映画鑑賞はやめられない・・・。
私の方からも、また訪問させてください。
*「サラバンド」のTBありがとうございました。私の方からもTBしたのですが、うまくリンクできないようです。
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