千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

二つの戸籍をもつ中国

2005-11-20 16:22:29 | Nonsense
「小さな中国のお針子」という、1971年文化大革命の嵐で大きく揺れる中国で、医師を両親にもつふたりの青年が、”反革命分子”の子というレッテルをはられて再教育と称してとんでもない山奥に放り込まれた映画は、私のお気に入りの映画だ。奇跡のような大自然を背景にうまれた小さな恋と、単純で愚かな農民たちの姿に、何度も泣いた。映画の中ではその後30年の歳月を経て現代の中国の農村を映している。ダムに沈んでいく村、パラボナアンテナでテレビを観ることもでき、文字も読めるようになり、農民達の素朴な表情は変わらないけれど、ここにも近代化の波がおしよせているという感傷的で美しい場面でおわる。
あの純朴な中国の農民達は、今はどのような暮らしをしているのだろうか。幸福なのだろうか。

中国には戸籍がふたつあり、農民は死ぬまで農村戸籍で、都市出身者は「都市戸籍」である。父親が新都市戸籍をもっていても、母親が農村戸籍住民の場合は、そのこどもは農村戸籍になる。このような戸籍制度がはじまったのは、革命後の1958年。農村での食料生産維持と、都市へ人口集中回避のためだったが、開放政策がはじまると、多くの農民が職と豊かさを求めて、都市へ出稼ぎにやってくるようになった。80年代後半になると大挙しておしよせてくる農民による「盲流」と呼ばれる人口移動に伴い、都市部の治安の悪化やスラム化が問題となった。中央政府はそのため地方の政府に労務管理をまかせ、出稼ぎを組織化した。

都市戸籍の住民は、会社、工場といった職場が面倒をみてくれるので、ある程度の福利厚生も整い、医療保険にも入っている。ところが農民は、福利を担当していた人民公社が改革・開放制度によって解体されると、その受け皿がなくなってしまったのだ。医療保険制度にも殆どの農民が未加入で、市場経済化による医療診療費や薬価の自由化のおかげで、病気になって入院すると高額な医療費のために一家離散という悲劇も農村では珍しくない。単純な日本にもある都市部と農村の経済格差とはかなり異なる現象だ。

政府もこうした事態を無視していたわけでなく、都市部での戸籍取得も認められつつある。しかし大学に合格した若者や都市部に投資した者と限定されている。そもそも農村から大学に進学する子弟が、どれほどいるのだろうか。また逆に農村に小さな都市をつくり農民を吸収するという戸籍改革も推進している。これも世界に名だたる汚職・横領天国の中国の役人のすることだから、農地を強制収用して開発業者に売り払う輩が跋扈する始末。これで暴動が起きないわけがない。

河南省の修武県馬坊村では、正式な審議をふまずに鉛の電解工場を誘致し、農民の土地を強制的に収容した。ところが、工場が稼働をはじめるとまもなく周辺住民に、吐き気や下痢の異変が起こった。児童の9割に鉛中毒の症状があることが判明。原因はいうまでもなく工場排水だった。怒れる農民がキレタ。暴徒と化した農民が工場を破壊するという実力行使にでて、約2000人の警官が出動する騒ぎとなる。

先月中国共産党は、中央委員会で「調和のとれた社会」を提唱している。その柱は、「都市と農村の格差の縮小」「環境問題」「役人の腐敗防止」である。問題を正しく捉えながらも、何年も手をこまねていてのは軍事面増大、国家としての経済力強化などと国の威信への多忙ゆえだろうか。こうした不発弾防止のために、農村の出稼ぎ労働者の不満の捌け口を日本に向けられても迷惑なのだが。

あの青年たちをとりこにした可憐なお針子は、バルザックを知って都会をめざして村を出ていく。たったひとりの肉親であるおじいさんを残して。それは文字を知り、知性の力と自由な感情を知った少女の愚かさなのだろうか。彼女のその後のゆくえを誰も知らない。
「小さな中国のお針子」は、中国検閲機関及び北京政府の許可はえて現地での撮影はできたが、いまだに中国で上映される予定はない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿