千の天使がバスケットボールする

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上海雑談①

2006-12-13 20:50:33 | Nonsense
着陸する前に、機上から眺めた上海浦東空港はとてつもなく大きかった。近代化と国威を示すかのような設備ではあるのだが、欧州の空港や成田空港に見られる明るさには乏しい。せっかくの連続休暇を利用して、あえて欧州ではなく渡航先を中国に選んだからにはそれなりのテーマーをもって行きたい。以前から興味をもっていた中国経済を肌で感じてこよう、そんな安易な意気込みも異国に足を踏み入れた途端消滅してしまった。

空港ロビーからバスで四川料理のレストランに直行。古城公園の近くで停車したバスに4人ほどの女性が紙コップをもって群がってくる。最初の視界に入った垢に汚れた老婆の女性から、物乞いだとは私でもすぐわかった。日本でも上野あたりに行けば、女性を含めたホームレスの姿は、森の風景にとけこんでしまった感すらある。通勤途中に利用している駅の構内でも、時々見かけることもある。だから汚らしい身なりは、珍しい姿でもない。でもホームレスと物乞いは、一見同じようでいて実は違うのではないだろうか。物乞い、今では使われない言葉の「乞食」は、それすらもひとつの生業と言えなくはないだろうか。
彼女たちは、片手に紙コップをもってゆすりながらコインの音をたてて観光客や通行人にアピールしている。言葉なんかいらない。けれども、驚いたのは30代半ばと思われる身なりは貧しいがそれほど汚れていない太った女性が、1~2歳ぐらいの男の子を抱いて我々に声をかけてきたことだ。雨は降っていなかったが、上海の冬も寒い。わずかな小銭、はした金を他人からひきだすために、幼いこどもを連れまわすという理解しにくい彼女の行動、もしくは事情。衝撃を受けた。日本だったら、小さなこどもをシングルで育てる女性には公的支援や生活保護もある。ホームレスになることもなく、あたたかい布団に寝かせて幼いこどもをなんとか食べさせていける。幸いその男児は健康そうだったのだが、私は抱いていた子供が本当にその女性の実子なのかと疑っている。
今回のツアーで同行したそろそろ孫が欲しい年齢の女性たちをねらって、人になにかを施すことで優越感をえたがるニッポンの婦人層の憐憫を、お金にかえるための道具としてレンタルしてきたこどもではないだろうか。そんな発想すらする自分を、恐ろしくも感じる。

でもそんな疑問がもしかしたら的外れではなかったのではないかと思われたのが、帰国する前日、食事の帰りに夜10時過ぎに乗車した地下鉄内での出来事だった。
閉まる寸前の扉から駆け込んで電車内に乗ってきた20歳そこそこと思われる女の子が、やはり同じように男児を抱いていた。こんな時間に、幼いこどもを抱いて電車に乗るだろうか。まず日本では、考えられない。もしこどもを抱いていたとしても、大きな荷物をもって帰省や行楽帰り、あるいはなにかの用事が想像できるが、その女性というよりも女の子は、手ぶらでまだ赤ちゃんとも言える幼児を抱いていた。そして、やはり予想どおり乗客の前に紙コップをもって物乞いを始めた。中国の地下鉄の初乗り料金は、3元(現在48円程度)。タッチパネル式の自動切符売り場から購入したハイテクの切符をポケットに忍ばせて、こうして深夜まで彼女の稼業が続くのだろう。ぐずらずに好奇心一杯につぶらな瞳を光らせている幼児の表情が忘れられない。
もっと嫌な光景は、髪の長いジーンズの上下を着た小学3年生ぐらいの女の子がひとりで乗っていて気になっていたのだが、彼女達が別の車両に去った後に目をつけた乗客の前に行き、ひざまづいてお金をせびりはじめたのだ。刺繍をほどこしたおしゃれなジーンズを着た女の子は、慣れたしぐさでカップルの前にやってきて何か哀願している。その表情から必死さは伺えないが、なにかお願いをしているのは感じとれる。相手にしないカップルの間をわって、すぐに次のターゲットを求めて移動していった。
こどもの人権というのが、この国にはないのだろうか。街の喧騒、順番を守らず人を押しのけて我先に乗車する人々、信号を守らない自動車優先社会、遠目でもひと目で偽物とわかるお財布や小物入れを見せて”ヴィトン”と連呼して寄ってくる得体の知れない人々、こんな光景を発展途上の国と嘲笑し嫌悪するのは簡単だ。

けれども森ビルと上海環球金融中心有限公司が建築中の101階建超高層複合ビル「上海ヒルズ」に代表される近代的な超高層のビル群、億ションが立ち並ぶ風景とあまりにもかけ離れたこどもたちの姿は、国威掲揚に励む中国の裏の顔を見た気がする。(続く)