千の天使がバスケットボールする

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最後の写真家

2006-12-06 22:45:09 | Nonsense
むかし、むかしティル・オイレンシュピーゲルといういたずらっ子がいました。
彼はある時、旅にでます。ウィーンの市場にやってきて牛を放して、荒らします。次に僧侶の格好をして民衆に説教をして、とうとう裁判にかけられます。不安な気持ちの中、ひとりの可愛い村娘にひとめぼれをして求愛するのですが、ふられてしまいます。ショックのあまりやけになって学者に論争をふっかけて逃走したり、あまりにもいたずらが過ぎてとうとう断頭台の露となりました。哀れ。

これは、R・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」 という音楽のお話である。

ディズニー物語のようにポップで軽い音楽という印象が定番で、実際はギロチンではなくいたずらっ子のティルは、絞首刑になったという説が有力。

ところでギロチンはフランス革命をきっかけに、パリ大学のギヨタン博士が考案した1792年から採用され、驚いたことに死刑廃止の直前1977年まで続けられていたという。仏植民地時代のアルジェリアで死刑執行人だった「最後のギロチン執行人」の談話が、読売新聞夕刊(12/1)に掲載されていたのだが、あまりにも衝撃的な内容だった。

アルジェリアで執行にあたっていたフェルナン・メソニエさんは写真家と呼ばれていた。刃がカメラのシャッターを切るように落ちるから死刑囚の最後の瞬間を”撮る”写真家という意味である。2.35㍍の高さに上げられた40㌔の重さの刃は、最後には700㌔になるという。
メソニエさんは、オペラが好きでバレエダンサーになるのが夢だったが、「死刑執行を遂行するには信頼できる身内が必要」手違いは許されないとの父の薦めで、16歳の時に執行人になった。父はビストロの経営が本業だったが、司法当局から要請があると、道具を積み込み刑務所に直行して、組み立てて約300人の犯罪者の執行をとりおこなった。メソニエさん本人は62年アルジェリア独立とともにタヒチに移住して、バーを経営して財産を築き、現在南フランスでギロチンや拷問の研究をしている。フランスでは、執行人の社会的地位は低い。
しかし彼は、この仕事に誇りをもっている。理由として、ギロチンによる執行時間は8秒間、かっての拷問や他の方法による長い時間や長い苦痛を要さないからだ。
「苦しむ時間が少なく、効果的だった」
確かに、合理的といえばそうなのだろう。
肝臓ガンを患うメソニエさんが、歴史を伝えようとする使命感を評価したいのだが、最後の最後まで理解できなかったのが次の解説である。
「ギロチンはフランス革命直後の恐怖政治のため、残虐なイメージがあるが、死刑の平等化をもたらした」

ギロチンの登場によって非人間的な拷問が急激に減ったというが、そもそも死刑制度は非人間的ではないだろうか。16歳という年齢から執行を務めてきたメソニエさんが、自分がてがけた裁判の記録を読みなおして、司法判断に基づき適正に遂行したことへの誇りに、うっすらと恐怖も感じている。

R・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」は、ティルの感情や情景を描くために実によくできている楽しい音楽である。現実とは異なるあくまでも音楽の表現上の話である。