千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「完全なる証明」マーシャ・ガッセン著

2010-02-11 11:30:43 | Book
今では、ご両親以上に人気作家になってしまった藤原正彦さん。
数学者が本業の藤原さんの著作の中で、私のイチオシの本は「国家の品格」ではなく断然「天才の栄光と挫折ー数学者列伝」である。ニュートン、関孝和、ガロワ、ハミルトン、コワレフスカヤ、ラマヌジャン、チューリング、ワイル、ワイルズ。選ばれし9人の数学者の輝かしい業績とひきかえにえた深い孤独と苦悩には、ぼんくらの我が頭脳でも理解できる数学という学問の魅力と人として共感できる悲しみがある。そして、もし藤原さんがこの列伝に10人めの数学者を迎えるとしたら、グリーシャ・ペレルマン。今世紀最高の天才数学者と言われたペレルマン以外の人物はいないだろう。

米国の実業家が設立したクレイ数学研究所では、00年5月に新しい千年紀を象徴する「21世紀を象徴する難問7題」(通称、「ミレニアム問題」)を発表して100万ドルの賞金をかけた。その中のひとつ、今世紀の解決は無理と言われていた*)ポアンカレ予想の証明が、02年にインターネット上でアップされた。当然、数学会の活況は想像されるが、この時は一般のマスコミまで高い関心をよせた。だが、世紀の難問を解いた天才は、フィールズ賞を拒否、研究所も辞職して、数学界だけでなく世間からも連絡をたち、森の中に消えていった。それが、旧ソ連に1966年に生まれた、ユダヤ系ロシア人のグリーシャ・ペレルマン(Grigory Yakovlevich Perelman)である。「天才の栄光と挫折」が、同じ数学者の藤原さんだからこそ書きえた優れた作品だったのと同様に、ペレルマンの評伝「完全なる証明 100万ドルを拒否した男」も、同時代にソ連で彼と同じように数学のエリート教育を受けたユダヤ人(ちなみに著者は女性)というバックグランドが書かせた本書も、文句なしの傑作評伝ノンフィクション。

世紀の発表が、何故、学会や学術誌ではなくインターネット上だったのか。私自身のペレルマン探索の出発点はこれかもしれない。そして、何故、ミレニアム問題に100万ドルもの高額の賞金を。賞金を拒否した事実よりも、学問の中で最も美しく、エレガントで芸術に近い数学に高額な賞金をかけられることに興味がひかれた。私の素朴な疑問と好奇心は、なかなかペレルマン解析経路としては悪くなかったと思うが、本書を読み進めるうちに、ペレルマンその人だけでなく、旧ソ連の数学の文化、エリート数学専門学校の歴史、あのスターリン体制の粛清時代に奇跡的に翻弄された過去の数学者たちのきわめて魅力的な物語に私は夢中になった。

旧ソ連の中等教育制度は、画一性にこそあった。わずかな差異すらも均し、若者たちを均質にしようとする全体主義体制。そしてアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ローラとバイオリン』に見られるようなプロレタリアート賛歌。ところが皮肉にも、戦争がソ連の首脳部に物理学者と数学者の頭脳だけは、国家に必要な存在だと認識させる。今年も冬季オリンピックが開催されるが、旧ソ連時代の選手たちが国家の威信をかけて小さい頃からその才能を見出されて英才教育を受けてきたのと同様に、数学の天才予備軍のこどもたちも数学クラブに、やがてはレニングラード第239学校に集められた。国家の思惑とは別に、イデオロギーに従属せざるをえなかった科学も、このクラブや学校ではスポーツと芸術に時間を充実させ、論理的な思考力、公正に真実と対峙するセンスが必要な数学者の卵たち、著者のいう”黒い羊”たちにとっては、絶好の避難所にもなったことは想像がつく。数学クラブで天才と狂気の守護神になったセルゲイ・ルクシンに導かれて16歳で国際数学オリンピックで優勝、高校ではヴァレリー・リジクに大切に世話をされ、レニングラード大学ではヴィクトール・ザルガラーが能力を育て環境を整え、後に出会った数学者たちユーリ・グラコやミハイル・グロモフによって世界のひのき舞台にたつまでになった。こんな時代のこんな国で、しかもユダヤ人にも関わらず、よき指導者、よき数学者に出会ったのも運がよかったからか、いや、天才は天才を知るで、ペレルマンのとてつもない才能が自分を引き上げる人脈を引き寄せたのだろう。そしてアンラッキーな時代に生まれた人々の中で、ペレルマンのような奇跡に近い天才は、むしろこんな国がもたらしたエリート教育はラッキーだった。

一般的に人の行動を駆り立てるものは、野心、競争心、専門家としてのプライドであり、数学の利益貢献などを目標にしない心の理論が必要だと著者は言う。ペレルマンは、そのような理論をもちあわせていなかった。ソ連の崩壊に伴い、新天地を米国、カルフォルニア大学に求めたが、そこでも数学者たちが息をのむような美しいやり方で「ソウル定理」の証明をした。変わり者と評判だった彼も、運転免許書とクレジットカードも所有した。この頃が、ペレルマンのひとりの青年として人生がもっともあかるかった頃ではないだろうか。何かを発見する科学者にとって、既成の事実にとらわれない感性が必要だと私には思われる。ところが、この柔軟な思考は、一歩間違えれば日常生活の学習で身につく生活力などの”現実”を習得できないことになる。ルクシンの世話もなくなった今、ペレルマンは髪や髭が伸び放題で毎日同じ好物の黒パンを食べ、次の難問に取り組んだいった。彼にとって数学の真理は、ゆるぎない絶対的なものだった。その道をたどれる者だけが進む、孤独な道程だった。

ペレルマンよりも独創的な持ち主や、ひらめき型の数学者はいる。こういったタイプの数学者は発見による予想をたてるが、ペレルマンはその予想を証明する数学者のタイプ。シンプルで定式化された問題を解答するには、複雑きわまるプロセスが必要でその全貌を把握できる知の体力がなければならない。数学クラブでの運動も役にたったのか、ペレルマンの頭脳の耐久力が、ポアンカレ予想を征服した。しかし、その体力を養った頭脳も、あまりにも矛盾に満ちた社会や複雑な人間生活とおりあっていくことができなかったのだろうか。クレイ家の思い描く数学の勝利と栄光のおとぎ話を拒否し、数学そのものから立ち去って行こうとしている。

著者のマーシャ・ガッセンは、67年生まれ。11歳の時、数学教師がふたりの男性をがらんとした日曜日の教室に連れてきて、「ご検討に値するのはこのふたりです」と伝えた。
「私はかすかに胸が高鳴るのを感じた。」はじめて希望を感じた数学者になることを夢見た少女は、数学専門学校に進学してわずかな自由をえたにも関わらず、大学進学をまたずに81年に一家で米国に移住した。

 *)ポアンカレ予想〉:フランスの数学者、哲学者であるアンリ・ポアンカレ(1854~1912)が1904年に出した幾何学に関する予想。図形の、連続的な変形によって不変な性質を研究する幾何学の分野をトポロジーという。多様体が主な研究対象。多様体上に縄をかけ、その両端を持っていつでも縄を手繰り寄せられるとき、その多様体は単連結であるという。1904年、ポアンカレ(H.Poincar(e))は「単連結な3次元閉多様体は連続変形によって3次元球面になる」と予想した。

■こんなアーカイヴも
「心は孤独な数学者」藤原正彦著
「心は孤独な数学者」続
「世にも美しい数学入門」藤原正彦著
映画『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』
「素数の音楽」マーカス・デュ・ソートイ著


最新の画像もっと見る

コメントを投稿