「私の導いた数式は、優雅で美しい。それは、まるで音楽のように。」
このように自信をもって語る父ロバート(アンソニー・ホプキンス)は、それも当然25歳にして生涯名声をえる発見をした世界的な数学者だった。しかしシカゴ大学で教鞭をとりながらも、晩年は精神的疾患に陥りそのまま1週間前に亡くなった。一見明晰な言動ながらも、「研究」と称して意味不明の単語を羅列して膨大なノートを遺した彼を5年間看病してきたのは、妹のキャサリン(グウィネス・パルトロウ)だった。
大学の教会で催される追悼式の前日、その日はキャサリンの誕生日でもあった。誕生日のプレゼントとして父からもらったシャンパンを呑みながら、父との思い出にひたり涙を流すキャサリン。若さと美しさと数学的才能に恵まれならも、大学を中退しひきこもりがちな彼女に気遣うのは、父の最後の弟子になったハル(ジェイク・ギレンホール)だった。彼は教授の遺されたたくさんのノートを調べ、新しい研究の発掘に余念がないが、そのかたわら研究室でひとめぼれをした彼女を新しく生き生きとした人生へ導きたいと願ってもいる。翌日、ニューヨークから姉のクレア(ホープ・デイヴィス)が、葬儀のためにやってくる。姉の主催する夜通しのパーティの後、ハルと心を通わせたキャサリンは、父ロバートの机のひきだしの鍵を彼に手渡す。そこには、40ページ以上にも渡る誰もがなしえなかった定理の証明が記されていたノートが入っていた。狂喜するハルと父と同じ精神的病の妹の発病を心配し彼女の面倒を申し出る姉クレアに、「その論証を書いたのは私」とキャサリンは伝えるのだが。。。
ピュリッツァー賞、トニー賞を始めとする数々の賞に輝いた舞台劇「プルーフ(証明)」の映画化である。
日本でもちょっとした数学ブームではあるが、同じく数学者を題材した映画「ビューティフル・マインド」の成功要因として、やはりきわだった才能が与えられたゆえの、特殊な悲劇なのだろう。天才と狂人は紙一重というのは数学の世界では事実であり、また藤原正彦さんの「天才の栄光と挫折―数学者列伝」を読むと、その映画以上のドラマに圧倒される。
さて映画には、3つのタイプの数学者が登場する。
①まぎれもない天才
父ロバートと次女のキャサリンがそうである。キャサリンは、大学時代教授の与えられた課題をこなすよりも、自分のひらめいた数式に熱中してしまう。服装にも無頓着で家事も苦手。社交性に乏しく24時間数学のことを考えるタイプだが、精神的バランスをくずしやすい。
②天才に近い数学者
世間からすると天才に近いが、数学の世界では凡人のハル。学会での発表をこなすが、26歳という数学者としてはピークをくだる年齢を気にし、平凡なテーマーに自嘲気味。真面目に研究を続ければ、いずれは一流大学の教授ポストが待っている。しかし、偉大な発見をなしうるキャサリンのような真の才能に劣るほんのわずかな差も、時には絶望にもつながる。つい数学研究者は、男の世界という本音をもらしてしまう。
③秀才の数学者
マンハッタンで通貨アナリストとして活躍し、昇進もして一般社会で出世して稼ぐ姉のクレアのタイプ。映画の中では、万事合理的に要領よくこなすクレアは、否定される人間像として描かれているが、私は好感をもっている。美人でセンスも趣味もよく、面倒なことを金銭で解決するエネルギーはともかく、婚約者とともに人生を謳歌する生き方はそれはそれで魅力的な女性だ。引越し準備の手際のよさが、彼女の有能さを示している。最近の「日経アシエテ」の特集「ノート活用術」を連想するリスト魔ぶりも、ニューヨクで生き残る処世術だ。父の1/1000しか才能を受けなかった姉の立場から考えると、父の才能を受け継いだ妹とは違い、父と一定の距離をもつのも自然な流れだろう。彼女には、妹のような天才的なひらめきがないのだから、快適なNYの生活のどこが悪いのか。
ところで余談ではあるが、日本の数学少年たちもけっこう健闘していると思っているのだが、「国際オリンピック」の参加予選である「日本数学オリンピック」の参加者の多くは、数学や物理の研究者をめざしていることが文部科学省科学技術政策研究所のアンケート調査でわかった。
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五輪現役世代の中高生が就きたい職業の1位は「数学系研究者」(29・6%)で、「医師」(24・1%)、「物理学系研究者」(11・1%)と続いた。一方、出場経験のある社会人が就いている職業は、「民間企業や役所などの事務職」が、22・0%でトップ。2位は「医師」(20・9%)、3位は「情報処理技術者」(11・0%)。「数学系研究者」は6・6%、「物理学系研究者」は4・4%にすぎなかった。(06/10/21読売新聞)
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理想と現実の落差は、研究ポストの不足によるという。数学エリートたちを活用していないのが、日本の現状だ。
映画の登場人物は、いずれも数学のセンスをいかしている職業についている。
キャサリンは、自分の意志で自分自身の存在を”証明”し、ハルに導かれて人生を再生していく。いつの日も、この世に解けない定理はあっても、希望は失いたくない。
このように自信をもって語る父ロバート(アンソニー・ホプキンス)は、それも当然25歳にして生涯名声をえる発見をした世界的な数学者だった。しかしシカゴ大学で教鞭をとりながらも、晩年は精神的疾患に陥りそのまま1週間前に亡くなった。一見明晰な言動ながらも、「研究」と称して意味不明の単語を羅列して膨大なノートを遺した彼を5年間看病してきたのは、妹のキャサリン(グウィネス・パルトロウ)だった。
大学の教会で催される追悼式の前日、その日はキャサリンの誕生日でもあった。誕生日のプレゼントとして父からもらったシャンパンを呑みながら、父との思い出にひたり涙を流すキャサリン。若さと美しさと数学的才能に恵まれならも、大学を中退しひきこもりがちな彼女に気遣うのは、父の最後の弟子になったハル(ジェイク・ギレンホール)だった。彼は教授の遺されたたくさんのノートを調べ、新しい研究の発掘に余念がないが、そのかたわら研究室でひとめぼれをした彼女を新しく生き生きとした人生へ導きたいと願ってもいる。翌日、ニューヨークから姉のクレア(ホープ・デイヴィス)が、葬儀のためにやってくる。姉の主催する夜通しのパーティの後、ハルと心を通わせたキャサリンは、父ロバートの机のひきだしの鍵を彼に手渡す。そこには、40ページ以上にも渡る誰もがなしえなかった定理の証明が記されていたノートが入っていた。狂喜するハルと父と同じ精神的病の妹の発病を心配し彼女の面倒を申し出る姉クレアに、「その論証を書いたのは私」とキャサリンは伝えるのだが。。。
ピュリッツァー賞、トニー賞を始めとする数々の賞に輝いた舞台劇「プルーフ(証明)」の映画化である。
日本でもちょっとした数学ブームではあるが、同じく数学者を題材した映画「ビューティフル・マインド」の成功要因として、やはりきわだった才能が与えられたゆえの、特殊な悲劇なのだろう。天才と狂人は紙一重というのは数学の世界では事実であり、また藤原正彦さんの「天才の栄光と挫折―数学者列伝」を読むと、その映画以上のドラマに圧倒される。
さて映画には、3つのタイプの数学者が登場する。
①まぎれもない天才
父ロバートと次女のキャサリンがそうである。キャサリンは、大学時代教授の与えられた課題をこなすよりも、自分のひらめいた数式に熱中してしまう。服装にも無頓着で家事も苦手。社交性に乏しく24時間数学のことを考えるタイプだが、精神的バランスをくずしやすい。
②天才に近い数学者
世間からすると天才に近いが、数学の世界では凡人のハル。学会での発表をこなすが、26歳という数学者としてはピークをくだる年齢を気にし、平凡なテーマーに自嘲気味。真面目に研究を続ければ、いずれは一流大学の教授ポストが待っている。しかし、偉大な発見をなしうるキャサリンのような真の才能に劣るほんのわずかな差も、時には絶望にもつながる。つい数学研究者は、男の世界という本音をもらしてしまう。
③秀才の数学者
マンハッタンで通貨アナリストとして活躍し、昇進もして一般社会で出世して稼ぐ姉のクレアのタイプ。映画の中では、万事合理的に要領よくこなすクレアは、否定される人間像として描かれているが、私は好感をもっている。美人でセンスも趣味もよく、面倒なことを金銭で解決するエネルギーはともかく、婚約者とともに人生を謳歌する生き方はそれはそれで魅力的な女性だ。引越し準備の手際のよさが、彼女の有能さを示している。最近の「日経アシエテ」の特集「ノート活用術」を連想するリスト魔ぶりも、ニューヨクで生き残る処世術だ。父の1/1000しか才能を受けなかった姉の立場から考えると、父の才能を受け継いだ妹とは違い、父と一定の距離をもつのも自然な流れだろう。彼女には、妹のような天才的なひらめきがないのだから、快適なNYの生活のどこが悪いのか。
ところで余談ではあるが、日本の数学少年たちもけっこう健闘していると思っているのだが、「国際オリンピック」の参加予選である「日本数学オリンピック」の参加者の多くは、数学や物理の研究者をめざしていることが文部科学省科学技術政策研究所のアンケート調査でわかった。
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五輪現役世代の中高生が就きたい職業の1位は「数学系研究者」(29・6%)で、「医師」(24・1%)、「物理学系研究者」(11・1%)と続いた。一方、出場経験のある社会人が就いている職業は、「民間企業や役所などの事務職」が、22・0%でトップ。2位は「医師」(20・9%)、3位は「情報処理技術者」(11・0%)。「数学系研究者」は6・6%、「物理学系研究者」は4・4%にすぎなかった。(06/10/21読売新聞)
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理想と現実の落差は、研究ポストの不足によるという。数学エリートたちを活用していないのが、日本の現状だ。
映画の登場人物は、いずれも数学のセンスをいかしている職業についている。
キャサリンは、自分の意志で自分自身の存在を”証明”し、ハルに導かれて人生を再生していく。いつの日も、この世に解けない定理はあっても、希望は失いたくない。
樹衣子さんのブログを読んでいると、浅田彰氏の「逃走論」を思い出します。
すなわち、資本主義に足をからめとられないためには出来るだけ早く逃げろ。すばやく情報を消費していけ、というわけですね。そして、樹衣子さんのようにできない人々は掃除機のようなものに吸い取られ、ゴミと化していくのかな、という気がしております。
>毎日更新されるので
毎日ですかっ!?それはすごいですね。
早速訪問させていただきましたが、情報量が盛りだくさんでしたね。私としては、韓国映画「王の男」に興味あります。
>資本主義に足をからめとられないためには出来るだけ早く逃げろ
すごくおもしろい表現ですね。「資本主義に徳はあるのか」というと、政府や市場に徳を期待してはいけないと言い切る学者もいます。ということは、やっぱりすばやく情報を消費して、逃げ足早く!ということでしょうかね。(笑)
この映画に関しては、もともと舞台劇だったことから、映画よりも舞台の方がおもしろい気がします。但し、多少学んだ数学を思い出した方がより楽しめますね。殆ど忘れているのが、くやしい。。。
懐かしい単語ですね。はるか遠い記憶の彼方に・・・消え去っていますが。
>一年間は存分に暴れまわれるが長引けば不利になる
この解説で思い出しました。これは山本元帥の”感”ですが、線形計画の結果に一致していますね。
>数学をも戦争に利用する米国
逆説的に言えば、戦争によって科学が発達していました。
ところで、小作さま向けに映画の中のあるシーンをご紹介しますね。
数学の研究者ハルは、何人かの若手研究者とバンド活動をしています。キャサリンの父の葬儀の後のパーティでも、彼らは楽器をもちこんで演奏しましたが、「虚数」というタイトルの音楽も”演奏”していました。
どんな音楽か、想像できますか。私の予想は、見事にあたりました。(←ちょっと自慢したい。)現代音楽をたまに聴く経験で、感がさえました。
>Iすなわち私、私の音楽 2番目の発想・虚数はi、アイすなわち愛、愛の音楽
小作さまの素適な発想に驚きました。残念ながら、映画の中の若手数学者はロマンチストというよりも自虐的です。
もしかしたら私の質問が不適切だったかも。
どんな音楽か→どんな演奏か・・・に訂正しますね。
ヒント:虚数の”i”ではなく、”虚”数を音楽で表現すると?
現代音楽は、土曜日の夕方ラジオで放送されています。ヴァイオリンの現代音楽には、想像をかきたてるような曲もあります。
アルヴォ・ベルト作曲、ギドン・クレメール演奏の「Fratres」は、後世に残る名曲ですよ。