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千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「うるさい日本の私」中島義道著

2006-04-25 23:51:02 | Book
銀座4丁目の交差点に立つことは、ある種の覚悟を必要としている。
突然、大きな、巨大といってもよいくらいの大声に、背後から奇襲される危険性があるのだ。びっくり仰天してふりむけば、ライオンの像がお客を迎える三越デパートの上にはりついた巨大なスクリーンから、殺人、横領、戦争・・・社会の憎悪をニュース番組のアナウンサーが吠えているのである。悲しいかな、静かで落ちついた大人の街、銀座で、なんで今ここで、ニュースを聞かされなければならないのだ。しかも大音量で。
私は、ここの交差点で確実に、命が数日縮まったと確信している。

中島義道センセイは、戦う哲学者なのである。小心者で日和見主義の私と違い、バス・電車・デパートから駅の構内、海水浴場、はたまた竿竹屋の宣伝活動まで、この日本全国津々浦々までいき届いた騒音の投下爆弾、絨毯爆弾、あらゆる騒音公害に徹底攻撃をしている。騒音の”製造元”にお手紙をだし、延々と議論をし、時には自治会の廃品回収の売上3万円を負担するからともちかけ、或いは焼き芋をすべて購入することによって宣伝・広報のスピーカーの「音」を消すようにお願いし、さらに美術館の54億円のゴッホの「ひまわり」を弁償するからとメガホンによる傘もちこみ禁止の入場整理の告知をやめよと通告している。文句を言うただのおえらい評論家ではない。まるでドン・キホーテさながらに勘違いをしている世間やわかっていない善良なる人々という風車に向かい、実戦する兵士である奮闘ぶりが、読者の共感とアイロニーをうんでいる。

「静穏権確立をめざす市民の会 代表 中島義道」

たったひとりの会の名刺も闘争用に作成した。名刺の効果は、、、全然ないが。
本書の前半はセンセイの戦いの戦果報告とも言える。センセイの戦闘方法は、あくまで音の元凶を発見したらまず抗議・議論という先制攻撃の速攻性に特徴があり、次に執念深い継続性と、戦闘範囲の拡大という有能な幕僚長ぶりである。しかし戦いは空転し、センセイは自分ひとりの戦いのむなしさを味わうような気持ちになる。
日本の社会において、親切な声かけ、注意喚起を公共の場でスピーカーで流す者たちは、常に権力を背景にしている。ここに、無意識のうちに権力に盲従する態度、権力の発する「音」に無批判的な態度がつちかわれる。私人がそれに疑問を持つこと自体を嫌悪する態度がやしなわれると、鋭く批判する中島氏は、後半は日本の文化と日本人論へと分析していく。さすがにカント研究の哲学者らしく、その洞察は的をえている。

今時のキーワード。「優しさ」とはなんなのか。
「優しい」人の行為は、無償ではない。優しさを向ける相手に、見返り、自分に対する「優しさ」を期待する。その見返りがないと、その人を憎むのである。「思いやり」という言葉は、この国では猛威をふるっている。しかし、思いやりに満ちた放送にうんざりしているのは、センセイだけではない。私も、もはや不要な音の氾濫に、寿命が縮まっているのだから。けれども「優しさ」をふりかざすマジョリティな人びとには、通用しない。自己中心的と非難されるだけだ。
しかし日本的な「思いやり」「優しさ」に満ちた道徳的放送を不快に感じるマイノリティをこのように切り捨てる態度に、「優しさ」という美名にひそむ暴力を暴いた中島氏の論理を、是非本書でご一読あれ。

我々は、他人の苦しみがわかるゆえ、他人を意図的に苦しめられる地球上の唯一の動物である。そして、風鈴やししおどしという”音”を加えることによって、静寂を感じる日本人の感性。舌鋒鋭いセンセイの口上は、やがて読者を独特の日本人論へと導く。
最後にセンセイは、日本古来の「察する美学」から「語る」美学への変形法則を掲げている。これを実行できないなら、あなたも「音漬け社会」を承認していることになると結んでいる。

さて、私も音漬け社会に反乱すべく三越デパートに抗議をすべきなのだろう。ちなみに渋谷駅構内CDショップが周囲にまきちらす轟音にあきれた中島氏は、その非常識ぶりをわからせなければと、携帯していたカセットデッキの音量を最大にしてオペラ「リゴレット」を店内でかけて実力行使した。
まったくもって、本当になぜこんなにやかましいのか!

*本書をお薦めしてくださった映画侍さま、サンクスです☆


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