いまだに女子大生みたいだと言われるが、ブログをはじめたことをきっかけに、大学時代においてきたもの、棚上げにしてきたことを思い出すというのは、「物語三昧」のペトロニウスさまと同じ。先日観た映画『夜よ、こんにちは』は、学生時代好きだった三田誠広氏の小説を再び手にとる動機を与えた。
かって、その昔大学紛争というのがあったらしい。伝説でしかその”運動”を知らない私だが、ある日授業中に構内で内ゲバと称する執行によって、人が鉄パイプで殴られた事件には、衝撃を受けた。かってその構内をヘルメットが隅々までうずめたなんて、戦争のように遠いできごとだったから。
1948年生まれの三田誠広氏は、まもなく定年を迎える全共闘世代。
「ペトロスの青い影」は、90年夏三田氏によると親しいものがこめられた私的(プライベート)な小説だと。
主人公の私は、友人から譲られた廃れた別荘地にある山荘で犬のパスカとひとりで過す。ペトロスという山を見ながら、友人の残した本に囲まれて静かに過す隠遁生活は、過ぎ去った過去と、友人、自分との対話でもある。何故、引退するには早い40歳そこそこで「私」はここでひとりで生活しているのか。友人は、どのように死を受け入れていったのか。
私と友人が出会ったのは、大学に入学した直後のある集会だった。田舎育ちの自分と違い、高校生の頃から政治活動をしていた友人は、すでにセクトの幹部候補生。
「人生の目標は何なんだ」
初対面でまっすぐに質問してくる友人は、すでに哲学することを考えていた。闘争に犠牲はつきもの、と無名のいち兵士ではなく幹部としての高みにたった彼の大局に、私は不快感をもつが、急速に彼にひかれていく。まもなく私が、友人が最悪とののしる対立するセクトの黒いヘルメットをかぶったのは、末端の兵士としてただ汗をかきたかったから。やがて政治の嵐が吹き、すべての人々の理想のために結束していた”運動”も、体制との闘いから、後に世を震撼させる内なる事件へ発展することは、私も友人も予想もしていなかった。ただ後年《査問》と称するスパイを囲んだ人間性を剥奪する行為を目撃した時のことを思い出し、その先の殺人へと至る道程もさして遠くないと回想するのだった。
その事件の最初の犠牲者が、目立たない、自分の意見を強く主張するわけでもなく、ほとんど特徴のないおびえたような顔つきの自分に似ている君原だったことに私は虚をつかれる。知っている人間が犠牲者のなかにいたぐらいではなんの感想のなかっただろうが、彼とは格別親しくなかったにも関わらず君原の死は、衝撃だった。この事件を小説にしたいという友人によれば、
「ヒューマニズムなんていうものは、安全地帯にいるブルジョアだけに通用する概念だ。人が死ねば、その死が理不尽であればあるほど、兵士は勢いづく。そこに暴力の本質がある。」と。傲慢な友人と事件の理論を理解できない私は、対立していく。
ただ僕は世界を認識したい、この宇宙は何なのか、人間とは何か、と自問自答する友人は、結局この《世界》は生きるに値しないという結論に至る。
この「ペトロスの青い影」は、確かに三田誠広氏のきわめて個人的な作品である。対極にある「私」も「友人」も作者の投影図である。あの時代からぬけられなく、最後まで自己対話に沈み込む彼らの姿は、一緒に運動していた三田氏の友人が後に三菱重工業爆破事件に関わるという経緯を彷彿させる。40歳をこえ、人生の踊り場にさしかかった当時の三田氏のこの小さな小説を、センチメンタリズムというひと言では捨てられない。作品中にあるおおかたの参加者だった佐伯のように要領よく、自分を安全圏においてカタチだけのごっご遊びで軽く世を渡るものも確かにいる。
「私」も「友人」も少しだけ真摯だったから、不器用な生き方を選んだのだろうか。「僕って何」の原点から、生涯離れられないのがこの世代なのだろうか。
かって”文壇”という無頼派が巣くうたまり場があったとか。そこで三田氏は、今は亡き同世代の最後の無頼派作家である中上健次氏に殴られるという事件もあったらしい。中上氏の一連の小説を読むと、そのアグレッシブな蛮行も妙に納得するのだが、私はやっぱり三田誠広氏の甘い浪漫チシズムが好きだ。
かって、その昔大学紛争というのがあったらしい。伝説でしかその”運動”を知らない私だが、ある日授業中に構内で内ゲバと称する執行によって、人が鉄パイプで殴られた事件には、衝撃を受けた。かってその構内をヘルメットが隅々までうずめたなんて、戦争のように遠いできごとだったから。
1948年生まれの三田誠広氏は、まもなく定年を迎える全共闘世代。
「ペトロスの青い影」は、90年夏三田氏によると親しいものがこめられた私的(プライベート)な小説だと。
主人公の私は、友人から譲られた廃れた別荘地にある山荘で犬のパスカとひとりで過す。ペトロスという山を見ながら、友人の残した本に囲まれて静かに過す隠遁生活は、過ぎ去った過去と、友人、自分との対話でもある。何故、引退するには早い40歳そこそこで「私」はここでひとりで生活しているのか。友人は、どのように死を受け入れていったのか。
私と友人が出会ったのは、大学に入学した直後のある集会だった。田舎育ちの自分と違い、高校生の頃から政治活動をしていた友人は、すでにセクトの幹部候補生。
「人生の目標は何なんだ」
初対面でまっすぐに質問してくる友人は、すでに哲学することを考えていた。闘争に犠牲はつきもの、と無名のいち兵士ではなく幹部としての高みにたった彼の大局に、私は不快感をもつが、急速に彼にひかれていく。まもなく私が、友人が最悪とののしる対立するセクトの黒いヘルメットをかぶったのは、末端の兵士としてただ汗をかきたかったから。やがて政治の嵐が吹き、すべての人々の理想のために結束していた”運動”も、体制との闘いから、後に世を震撼させる内なる事件へ発展することは、私も友人も予想もしていなかった。ただ後年《査問》と称するスパイを囲んだ人間性を剥奪する行為を目撃した時のことを思い出し、その先の殺人へと至る道程もさして遠くないと回想するのだった。
その事件の最初の犠牲者が、目立たない、自分の意見を強く主張するわけでもなく、ほとんど特徴のないおびえたような顔つきの自分に似ている君原だったことに私は虚をつかれる。知っている人間が犠牲者のなかにいたぐらいではなんの感想のなかっただろうが、彼とは格別親しくなかったにも関わらず君原の死は、衝撃だった。この事件を小説にしたいという友人によれば、
「ヒューマニズムなんていうものは、安全地帯にいるブルジョアだけに通用する概念だ。人が死ねば、その死が理不尽であればあるほど、兵士は勢いづく。そこに暴力の本質がある。」と。傲慢な友人と事件の理論を理解できない私は、対立していく。
ただ僕は世界を認識したい、この宇宙は何なのか、人間とは何か、と自問自答する友人は、結局この《世界》は生きるに値しないという結論に至る。
この「ペトロスの青い影」は、確かに三田誠広氏のきわめて個人的な作品である。対極にある「私」も「友人」も作者の投影図である。あの時代からぬけられなく、最後まで自己対話に沈み込む彼らの姿は、一緒に運動していた三田氏の友人が後に三菱重工業爆破事件に関わるという経緯を彷彿させる。40歳をこえ、人生の踊り場にさしかかった当時の三田氏のこの小さな小説を、センチメンタリズムというひと言では捨てられない。作品中にあるおおかたの参加者だった佐伯のように要領よく、自分を安全圏においてカタチだけのごっご遊びで軽く世を渡るものも確かにいる。
「私」も「友人」も少しだけ真摯だったから、不器用な生き方を選んだのだろうか。「僕って何」の原点から、生涯離れられないのがこの世代なのだろうか。
かって”文壇”という無頼派が巣くうたまり場があったとか。そこで三田氏は、今は亡き同世代の最後の無頼派作家である中上健次氏に殴られるという事件もあったらしい。中上氏の一連の小説を読むと、そのアグレッシブな蛮行も妙に納得するのだが、私はやっぱり三田誠広氏の甘い浪漫チシズムが好きだ。
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