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「ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」(下巻)ブリギッテ・ハーマン著

2010-08-04 22:50:31 | Book
 ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの孫で、ワーグナー歌劇上演で有名なバイロイト音楽祭の総監督を長年務めたウォルフガング・ワーグナー氏が21日、バイロイト市内で死去した。90歳。音楽祭の運営財団が発表した。死因は不明。 1919年バイロイト生まれ。第2次大戦後の51年7月、ヒトラーへの協力責任を連合軍から問われた母に代わり、同音楽祭を兄とともに再開。66年に兄が死去してからは1人で08年8月末まで総監督を務めた。 ヒトラーは熱烈なファンだったワーグナーの一家に出入りし、ウォルフガング氏をかわいがっていた 。

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今年も7月25日からドイツ、バイロイト市にあるバイロイト祝祭劇場で世界中からクラシック音楽ファンが集まるバイロイト音楽祭の幕があけた。メルケル首相やウェスターウェレ副首相をはじめとしたドイツ与党の幹部も鑑賞した初日の「ローエングリン」は、終演後にブーイングの嵐が巻き起こり、著名な演出家を含めてそのできばえには賛否両論がぶつかりあう”猛暑”にゆれる南ドイツのようだ。

1951年のことだった。バイロイト音楽祭で指揮をする予定のフルトヴェングラーは、リハーサル中に彼が「男K」と呼んでいた若きライバル、ヘルベルト・フォン・カラヤンが客席にいるのを見つけると怒りを爆発させた。カラヤンは何も言わず劇場を去っていった。そしてこの年の7月30日、指揮者はクナッパーツブッシュ、そしてワーグナーの直系の孫、長男ジークフリートと妻のヴィニフレートの間に生まれた長男のヴィーラント演出の《パルジファル》はセンセーションを巻き起こし新しい時代がはじまった。祖父伝来の伝統を振り払い革新的に時代精神を具現化した彼の演出の成功は、当初こそ賛否両論の反応が凄まじかったが、やがてワーグナーの子孫に素晴らしい名声を与えることとなった。実際のヴィーラントがヒトラーと親交があり、総統という後ろ盾を戦中おおいに利用したことや、偏狭で尊大、自己中心的な人物だったことは、彼の演出がオットー・クレンペラーとユルゲン・フェーリング率いる20年代のクロル・オペラの演出コンセプトを徹底化していたものだったことと同様に都合よく消えていった。その後を引き継ぎ主催者となったのが、本書の執筆を依頼した次男のウォルフガング・ワーグナーだった。

本来はハプスブルク王朝に関する著書で評価されている歴史研究者の著者が、当初ヴィニフレートに全く関心がなく執筆を一旦は断ったのだが、ヒトラーをキーワードに探っていくうちに、この特異な英国人女性の物語に急速にひかれていってこのように上下700ページを超える一冊の本が誕生したわけも、読者は本書の中のヴィニフレート像にふれるうちに理解することになるだろう。世界的ベストセラーの「朗読者」の映画版『愛を読むひと』のハンナは文盲であることの哀しみが重要だったが、英国人のヴィニフレートがドイツを代表する作曲家の一族に嫁ぎ、ドイツ人に同化するために流暢なドイツ語をマスターして多くの手紙を残したからこそ、その生涯と彼女の思想をたどることができた。ヴィニフレートは健筆家であり文章も巧み、尚且つ自分の意見をはっきり述べる女性だった。

ワグナー家に嫁いでからのヴィニフレート・ワグナーは、亡くなるまでスキャンダルや噂の餌食になるセレブ族の一員。それも、ヒトラーと親交を結び、女性としては稀有な社会的な影響力をもっていた存在だったからである。夫亡き後、未亡人のヴィニフレートが戦争を通して苦労のすえバイロイト音楽祭を主催して継続した功績は大きい。それにも関わらず非ナチ化の厳しい審査を受けて引退を余儀なくされた。おばあちゃんとなった彼女はこどもたちや孫たちとは疎遠になり、関係がうまくいかなくなった。ナチの重い十字架を背負ったドイツ人の心境を考えると、老いとともに夫を美化する傾向にヒトラーも連なるようになったのも理由のひとつだ。26歳の若かったヴィニフレートが出会った時からの”ヴォルフ”との友情を誇りにし、彼がどんなに親切だったかを陶酔したように語るようになった。

その姿には、ナチ政権下の時代に果敢にも多くのユダヤ人や聖職者、共産主義者を救ってきた姿に重なる。情熱的でまっしぐら、生活力たくましく生粋のワグネリアンだった彼女の特徴を語る手紙がある。かって彼女は側近のボルマンから1/4ユダヤ人との関係を含めてあらゆるユダヤ人との関係を断つように要請された時、ヒトラーに手紙を書いたことがある。

「政権交代のたびに、シャツを取り替えるように友人を替えるような人間ではないことを十分にご存知のはずだ。また自分の個人的な付き合いに関するいかなる指図の謝絶する」と。

なんと意思が強くいさぎよい女性なのだろう。ベルリン在住の歌手、柏木博子さんの著書「私のオペラ人生」に彼女が在籍していた歌劇団のある音楽総監督のエピソードを思い出す。仕事を引退したら、誰も訪ねてくる人がいなくなったという。誰もが役を得るために後任の新しい音楽監督にとりいろうと、古いシャツはさっさと捨て去ったのだ。妻を亡くした彼は、孤独のうちに自らの命に幕をひいた。

そんな彼女だから晩年の記録映画でも孫のゴットフリートとの会話で、スキャンダラスにもこう明言している。
「ヒトラーが今日、今、ドアを開けて入ってきたら、彼に会えたら、また一緒に時間を過ごせると、いつものように心から嬉しいと思って喜ぶわ。」

亡くなる前の最後のバイロイト音楽祭に出席した彼女は、公職から離れているにも関わらず、堂々としたその姿の皇族のような気品に圧倒されたという者もいれば、老婆の俗っぽさを感じた友人もいる。バイロイトの緑の丘は、今日でも歴史的な音楽祭のイベントだけでなく、後継者をめぐる御家騒動や出演者、演出家をめぐるスキャンダルで社会的な関心を集めている。(1938~1980年まで)
「1897~1938年までの上巻」
*NHK衛星ハイビジョン「プレミアムシアター」で、8月21日午後10時50分から「ワルキューレ」が生中継されるそうだ。


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