千の天使がバスケットボールする

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「翼のはえた指 評伝 安川加壽子」青柳いづみこ著

2011-09-13 22:38:54 | Book
東京では、およそ毎日30公演ほどの音楽会が開かれていて、ひとつの街としてはその数は世界一だそうだ。個人的にも、それがTOKYOを離れたくない理由ともなっているのだが、今から70年前の1940年代の日本では、なんとあるピアニストがコンサートの依頼を受けたところ、畳の上に足をはずしたピアノが置かれ、前に座布団が置いてあったそうだ。そんなクラシック音楽に関しては発展途上国のような状況でピアニストとして生きていくのもそざかし大変だったろうが、幼い頃からパリで育ち、パリ国立高等音楽院をわずか15歳で1等賞で卒業して帰国したばかりの新進ピアニストのとまどいを察するとあまりにも気の毒である。そのピアニストは、安川加壽子さん。さまざまな国際的なコンクールで審査員を務め、ピアニストの音楽暦で師事した方の名前によくみかけていた名前だ。本書は、小学生時代、そして高校時代に安川さんの指導を受けた同じくピアニスト青柳いづみ子さんによる評伝である。

安川加壽子さん、旧姓、草間さんは1922年に生まれたが、ほどなく外交官の父とともに赴任先のパリで育つ。ちなみに明治生まれの父はシカゴ大学大学院、母はオベリン大学を卒業。明治時代でこんなハイクラスな学歴の両親のもとに生まれたということから元々の賢さも想像するが、彼女の育った環境が裕福さという点ではなく一般庶民とかけ離れている文字通りハイクラスなのが現代のピアニストとは違う。本書の趣旨から離れるが、庶民でも本物の音楽を聴くだけでなく演奏者の側にもなれる可能性がある今の私たちは幸運なのだ。彼女はピアノを習い始めた母の演奏をピアノの下で聞きながら再現して教師を驚かし、3歳半になると正式にピアノを習い始めるのだが、ほどなく母親のレッスン時間をすべて奪ってしまったくらいの音楽好き。この時点から、自分の果たせなかったピアニストへの夢を娘に託した母が、レッスンの時は厳しくつきっきりなのは、現代でも共通のようだ。しかし、10歳でパリ・コンセヴァトワールに入学。17歳で戦争勃発寸前に帰国するまで、この学校とさまざまな名教師がピアニスト・安川加壽子をつくったと言っても過言ではない。そんな彼女を日本の楽壇はどう受け容れたのだろうか。

天才少女という絶賛と、ドイツ系統の重厚な音楽主流の日本に逆輸入されたフランス風の優雅で洗練された演奏への賞賛と、それゆえの偏見や見当違いの批評。若くして大御所となり名声も地位もついてきたが、一方、私生活では九州男児の安川財閥の夫につかえ、3人の子どもたちを育て、晩年は不運な病に苦しんだ。本書からは、安川さんの恵まれた資質と美しいピアニズム、そして伝統と正統的な解釈、その反面、日本語よりもフランス語の方が自然な女性が戦後の日本の楽壇で活動する努力と困難も充分に伝わってくる。戦火の中で大切なピアノを失いピアニストになることをあきらめかけたり、本来ならまだ師匠についてもっと学びたいところを帰国せざるをえなかった不安と孤独。ピアニストの視点で、著者は恩師の業績を振り返りながら、決して身びいきになることもなく、戦後の日本音楽界の流れを俯瞰して分析していく。同じピアニストとして、また女性だったら、もっと安川加壽子の内面にきりこんでもよいのではないだろうか、と感じる部分もなきにしもあらずだが、本書の目的からはずれることなく客観性を保った端整で知的な文章こそ、この日本の音楽界に貢献した偉大なピアニストを語るにはふさわしいのだろう。足のないピアノに座布団から、戦後の日本の音楽の歴史をかいま見るようで興味深いが、いちピアニストを離れて演奏という行為に対する著者の考察も考えさせられる。

そもそも楽器の演奏は、パフォーマンスか運動か、芸術かと問われれば、勿論、芸術である。しかし、たとえば、サントリーホールのP席で優雅に大胆に技巧を駆使するピアニストの圧倒されるような”指さばき”や”渾身の演奏”に、心を動かされるのも事実。ベルリン・フィルのコンサートマスターに正式に就任した樫本大進さんの見るたびに充実していく体重と重なり、円熟へと向かう演奏には満足するが、先日のあのラロのスペイン交響曲を大汗をかきながらの”熱演”ぶりの姿には、それだけでも良い音楽を聴いたつもりになっていった。著者によると、演奏にはパフォーマンスや運動性という要素も不可欠ではないかと。しかし、演奏の本質はあくまでも芸術性でなければならない。舞台姿がなんとも美しく独自のピアニズムをもっていた安川さんは、すべてが高くバランスがよく、しかも微妙なさず加減がうまかったそうだ。

おりしも今年の改革後のチャイコフスキー国際コンクールでは、日本人入賞者が誰もいなかったという事態になった。勤勉で努力家の日本人のレベルは世界でも劣らないはずだと思うのにと残念だが、初めて1975年にエリザベート王妃国際コンクールの審査員を務めた安川さんは、日本が本当の意味で世界のレベルに達するにはあと50年かかるだろうという感想をもった。日本の音楽界は、安川加壽子というピアニストを、フランス風、女性という名のもとに封印するのではなく、作品の歴史的・文化的背景の理解をふまえた端整な様式美、馥郁たる香り、演奏の芸術性と運動の合理性と絶妙なバランスをもっと徹底的に分析していかすべきだったという著者の嘆きが、あらためて迫ってくる。およそ10年ほど前の本であり、新人が次々と生まれるスピードの早い現代では、安川加壽子という存在も急速に静かに失われつつあるが、逆にだから今こそ安川加壽子を再検証する分岐点に日本の音楽界はいるのではないだろうか。いつものことながら、青柳いづみこさんは文章がうまい。

「音は、ずっと前からそこに湛えられていた響きが隅々にその姿を湧き出させたような自在な波紋を描きながら、舞台袖にも届くのであった。」(「人為を超えた美しい『自然』読売新聞1996年7月16日)
初めて安川さんのピアノを聴いた、後に作曲家になる三善晃少年はその美しさに感動した。安川さんは、舞台の袖から登場した時から、そこにはすでに音楽が奏でられていたという。

■こんなアーカイヴも
「ピアニストが見たピアニスト」
「六本指のゴルトベルク」
「ピアニストは指先で考える」
「ボクたちクラシックつながり」
クラシック音楽家の台所事情
「我が偏愛のピアニスト」


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
まだピアノを弾く前の頃 (calaf)
2011-09-15 21:38:18
こんばんは。高校の最後の年だったと思います。ピアノへの憧れを持ったまま、ギターの練習に打ち込んでいた頃です。NHKテレビのリサイタル番組でショパンの「エオリアンハープ」(練習曲作品25-1)を聞きました。小さな手が鍵盤の上を優雅に往復しながら、それは蝶が舞っているようでした。この曲は、ああやって演奏するのかと強烈な印象を受けたことを覚えています。その後、娘(chiakiの妹)のメトード・ローズで、再会しました。いい意味で主流になって欲しかったピアニスト・教育者です。
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calafさまへ (樹衣子)
2011-09-17 14:55:25
ブログ移行の件ですが、以前のブログはすっきりしていて、私としてはとても読みやすかったです。過去のブログも残していただければありがたいです。

>いい意味で主流になって欲しかったピアニスト・教育者です。

本書で著者が一番読者に伝えたかったのは、そこだと思います。

ところで、本書にはグレン・グールドについての一部記載がございました。
それから青柳さんの「未来のピアニスト」はcalafさまにとっては受け容れなかったようですね。
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ブログの件ですが (calaf)
2011-09-17 20:56:38
こんばんは。ブログの件ですが、プロバイダーそのものをやめる計画をしています。すっきりしているとのことで、ありがとうございます。デザインは私のオリジナルです。私は残したいのですが、プロバイダーとしてのeonet を他の回線に(例えばNTT)に乗り換える計画です。実は正会員だけのブログですので、プロバイダー契約を解除すれば、当然ブログはなくなります。今は試験的にアメブロを使っていますが、戻す予定です。eonet のブログは管理画面など、センスが悪く、また使いにくいのです。アメブロは使いやすいですが、ごちゃごちゃしてますね。コメント欄の乱用でごめんなさいね。
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