雲黒斎氏の「もっとあの世に聞いた、この世のしくみ」ブログも、コピペ中毒者の影響もあって、すっかりオナジミとなった。これまた、精神世界系では有名ブログのひとつだけに、参考になるのは確かだろう。だからと言って、毎日欠かさず早朝から深夜までコピペ作業を続けるようになっては、人間として壊れすぎだが・・・(苦笑)
それはともかく、この人は阿部敏郎氏の仲間で、よくコンビでトークショーをやってるし、共著も出している。つまり、「いまここ」主義のグループだ。
ちなみに、阿部敏郎氏についても、話の内容は良いと思うんだけど、信者諸氏のノリが思いっきり新興宗教っぽいところが、どうしても気になる(笑)。
それはともかく、「気づきとは何か、その9」という記事に、ベースとなる考え方がシンプルにまとまっている。
いわく、
>もしもあなたが、「いいひと」を目指しているならば。
>自身や生活全般に「向上」や「成長」、「進化」や「発展」などを望んでいるとするならば。
>その意識のベクトルは、少なからずピンクの方向(第一段階・第二段階)へと向かっています。
>もしもあなたが、「良い」「悪い」といったジャッジから離れ、人生そのものを「味わう」ということに意識を向けているのならば。
>その意識ベクトルは、ブルーの方向(第三段階)を選択していることになります。
つまり、精神世界の探求者には、2種類あるということになる。
一つは、悟りを目指して、意識を向上しようと、ガンバっている人。
もう一つは、個人としての向上を目指すのをヤメて、自己放棄に向かっている人だ。
この2つは、逆の方向を目指している。その最大の違いは、「時間感覚」なのだという。いわく、
>意識の第一段階・第二段階のベクトルは、「未来」に向けられています。
>一方、第三段階の意識では、その「未来」が欠落してしまい、「いま」だけが残ります。
・・・要するに、「いま」に生きている人は、いましか見ていない。「未来」を見ていないから、未来に向かって努力することもない。
前者は、いまの自分よりも霊性の高い、さらに優秀な精神世界マニアになろうと思って、せっせと精神世界の勉強をしたり、座禅を組んで修養したり、いろいろと努力している。
後者は、そういうことをやらない。そもそも、「未来」という時間の感覚がなくて、いま現在しかないから、いまよりも霊性を高めるべきだとすら思っていない。
この、目指す方向の違いは、「山登り」と「川下り」にも例えられる。
>牧野内大史さん(※)は、ピンクのベクトルを「山登り」、ブルーのベクトルを「川下り」と表現しています。
>以前お話したとおり、「水の中(社会)」の中に身(意識)を置くという生き方は、どうしても何らかの競争の中にあるため、「山登り」の思考が必要となります。
>また、僕たちは大抵の場合、幼少時から、その「社会の中で生き抜くすべ」を教育されてきているので、そのベクトルが「当たり前」の価値観として深く根付いています。(中略)
>リラックスすることに奮闘する。
>分離意識(自我)を抱えたまま統合(ワンネス)を理解しようとする。
>・・・そんな、山登りの思考のまま、川下りしようとするそこに、「頭ではわかるけど、体感として理解できない」といったジレンマが生まれます。
>山登りのキーワード
緊張
分離
頑張る
〇〇しようとする
〇〇になろうとする
価値判断をする
計画と達成
手段としてある対処
>川下りのキーワード
リラックス
統合
ゆだねる
ただ〇〇する
ただ〇〇である
許す
タイミング
源泉としてある意図
川下りは、だんだん楽になっていく道だ。「流れにまかせていればいい」・・・その一言につきる。
「川下り」には、なんの学びも修行も必要ない。いまの自分に、何かを足すことも、何かを引くことも必要ないからだ。
イイも悪いもひっくるめた、 「いまの自分」のままでいい・・・。
(続く)